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第五章  姫君~琥珀の追憶・蒼穹の激情~

プロローグ~はるか高みからの視線~

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 理力スピーカーから軽快なメロディーが流れる。

 その曲調を耳にして僅かに頬を緩めながら、男は手元の『応答』のスイッチを押下した。

 呼び出し音として流れていたメロディーは止まり、一拍無音の状態になる。

 交信相手がしゃべり出す合間の僅かな瞬間に、男はもう少し応答を待てばよかったと後悔した。

 理力無線の着信音として設定したのはお気に入りの歌だ。

 それがすぐに応答したため、前奏で終わってしまった。

 もう少し待てば、『ロイヤルビブラート』などと賞されている愛娘の歌声が聞けたのに。

『陛下、定時報告でございます』

 スピーカからはかしこまった男性の低音が響く。
 もう二十年来の付き合いになる元海兵の声だ。

「ここで聞こえるのがお前の声というのが、まさに『頭がふらつく程に絶望』な気分だな」

 妙に貫禄のある独特の中低音で言い放ち、盛大なため息をつく男。
 その身を包んでいるのは、動きやすいがそれなりにごうしやな装飾が施された、緋色の絹服だった。

『……あ? なに言ってんのか全然わかんねぇぞワレ! わざわざ律儀に定時報告してんだ。国王らしく真面目に受けやがれッ』

 スピーカーからの口調は、その声の主が変わっていないのに、全く違う人物のようになってしまった。
 それを聞き、男は満足そうに口のをつり上げる。

「なに? わからんのか、リーガル。最近うちの娘が軍の慰問ライブで歌ったやつのフレーズだ。フリフリの衣装でな……こう、くりくりっと可愛く腰振って、もう可愛いくってなぁ」

 おおよそ、その声色や人相からは想像できない調子で、その可愛い動きとやらを実演しつつ言うが。

 男のほかに部屋には誰もいないのが唯一の救いだった。
 
 その男のこのような姿をアーク国民が見れば、失意のどん底に墜ちて国民全員で隣国へと集団移民しかねない。

『知るかッ! 俺はまだ軍に戻ってねーんだ』

 無線交信の相手である、レイナー号船長ジョセフ・レオ・リーガルも男がそんな動きをしているとは思ってはいないが、軍が開催したイベントなど知るわけもなく、怒気を含んでそのことを訴えてくる。

「お、そうかそうか。そういえば、貴様は俺の嫁の名前がついた船に未練がましく乗ってたか」

 男は言葉あと、緩やかにのどを鳴らして含み笑った。

『ぐ……てめぇ~、いつか泣かしてやる』

「それで、順調なんだな」

 唐突に真面目な落ち着いた声で聞き返す男に、リーガルはしたたか息を呑み、その後舌打ちをする。

『チッ……ああ、その通りだぜ。予定航路を航行中だ……招待客の方も皆問題ない。そういやあ、久々にミランダ嬢ちゃんと話したが、あれだ、随分見違えたぜ』

「それはそうだろう。嬢ちゃんって歳じゃないんだからな」

『まあな。しっかし、大地母神とはよく言ったもんだ。まさに大地の恵みって感じでな……凄い育ってたぞ、つーか、揺れてたぜ!』

「おいおい、船長。貴様、その職について随分紳士的になったって聞いていたが、昔と全然かわらんじゃないか」

 リーガルをからかうように、言葉の声色に含みを持たせながら言い、男は大きめのガラスをはめ殺しにした窓際へと歩いて行く。

『うるせーな、元・変態王子が。これでも客やクルーの前では気をつけてるが、まあどうせこの航海で最後だ。気取るのはもうヤメだ』

 リーガルの自嘲気味な声を聞きつつ、特殊な防弾性の強化ガラス越しに男は遠くの街並みを眺める。

 その場は地上二十階建ての建造物、その最上階の一室だった。

 そのため、眼下に広がる王都を一望できる。

「フッ……それでも若い奴らの前じゃ気取ってやってくれ。貴様の本性を前にしたら、さすがにうちの娘もチビっちまうかもしれん」

 少し皮肉っぽく言った男の言葉に、リーガルはすぐに応じず、一度考え込むような間が生じた。

 その間ができたことに、リーガルをよく知る男は一瞬げんな表情で無線機のスピーカを凝視する。

『……そいつは過小評価だな。まあ、相手は上官だ。気を遣うようにするが』

「うむ、それについてだが……本当にいいのか? 貴様なら中佐どころか大佐を飛び越えて准将に任じてもおつりが来る功績だが……」

『かまわねー。てめぇの娘は大した女だ。昔のてめぇを思い起こさせるくらいにな。それから、レビンの息子も間違いなくいい器だ、俺が保証するぜ』

「レビンの息子……か。もう一人、育てた男がいるんだったな……。うちのアレをおとしたとか聞いたが、会うのは七年ぶりか」

 黒い口ひげを指でなでつつ、男は視線を窓の外へ向ける。

 窓の外、眼下には整備された宮廷の庭園とそこを縦断する遊歩道。

 その遊歩道に、ここからでも目立つ蒼髪の男が、銀髪の少女と並んでこちらの建物の玄関口まで歩いてきている。
 その彼らを案内して、二人の数歩先を王立科学研究所長のスレームが歩いているのも見えた。

 スレームから、蒼髪の男や銀髪の少女について報告を受けている。
 無論、大事な愛娘との関わりについても……だ。

 男はその身に抑えきれない闘気をくゆらせて、そのせいで周囲の空間が歪む。

「とりあえず……これまでの礼をたっぷりとしてやらんとな。楽しみにしているぞ、少年――――」

 つぶやいた言葉を無線越しに聞いたリーガルが怪訝に聞き返してくるのを、こちらの話だとはぐらかしつつ――――

 アーク王国国王リドル・アーサー・テロー・アークは、口元を凄みのある笑みで崩していた。


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