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第四章  ざわめく水面~朴念仁と二人の少女~

第四十話  水の精霊王2

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 自分以外の者が微妙な反応をしていることに、若干の焦りを覚えつつ、ステフは言葉を続ける。

「あのね……前回の大地母神ガイアの時もそうだったけど、大抵こういう場合実は精霊王でしたみたいなオチがつくかもって……今回は完全に当てずっぽうなんだけど」

「え? 私が水の精霊王って……なんでいきなりそうなるのよ」

 ルナフィスの聞き返しに、ステフはちょっと苦しそうな話し方で応じる。

「も、もちろん確証はないんだけど。……ダーンを助けるとき水系の上位サイキック《凍結波ブリザード・ウェーブ》を使っていたし、なんか今回これ以上第三者がこの場に現れそうにもないし。さっきの水上競技も貴女あなたが無意識に私達を試すためのものとして用意したのかと……」

 
 ステフとルナフィスがそんなやり取りをする中、ダーンがそろそろと彼女たちから離れ、未だ岩床にうずくまっていたケーニッヒに近付き彼女たちには聞こえない小声で話しはじめる。

「なあ、どうしようか?」

 ダーンの問いかけに、ケーニッヒが気怠そうに上体を起こした。

「あー、そういえば。彼女にはアレの仕込みがボクやスレーム会長以外に『彼女』も一枚かんでいるって教えてないんだっけ」

「ああ。しかし……なんというか、まだ気がつかないのか」

 ダーンは長く黒い髪を風に遊ばせている少女の方に視線を向ける。

 その『彼女』の表情は相変わらず微かな笑みを浮かべているものの、その笑みが固い。

 実は、ダーンは知っていた。
 
 精霊王の契約に関する暗黙のルールとして、契約者自身がその精霊王を見つけなければならないというものがあることを。

 これは、ダーンも最近知った事実で、ステフには黙っていることでもある。

 なにせ、このルールの事を聞いた相手というのが、ステフが探し当てなければならない精霊王本人だったからだ。

 今回、ルナフィスのことで色々と相談した際に、ダーンは『彼女』が精霊王であると確認できた。

 だが、それは誰かに教えてもらったものではなく、彼自身が『彼女』に疑いをかけた結果判明した事実だ。

 というのも、初めて出会ったときに、『彼女』は彼の目の前で特殊な力を使って見せたからだ。

 髪の色や瞳の色を変化させた特殊な技。

 具体的なことはダーンは聞いていないが、髪の表面に僅かに残るヘアーコンディショナーのイオン粒子を操作して、流体の被膜を形成、光の反射を偏光させて蒼く光らせて、瞳の方は涙の膜を流体制御し、髪の場合と同じように琥珀色の膜を形成していたのだ。

 その他にも、何となく勘に近いものがあって、ダーンが本人に直接問いただしたところ、あっさりと認めたのである。

 その時に、先程のルールを教えてもらい、ステフには秘密にしておくように言われたのだが。

 彼女自身は、今日になってやたらと自分が水の精霊王だとアピールするように振る舞っていた。

 あれで、ステフが気がつかないとは思わなかった。


「身近すぎるからっていうのが大きいんだろうけど、いや、むしろ……。ダーン、彼女自身が自分で解答を得なければならないというルールではあるらしいが、今回はキミの後押しが必要だろうね」

「それって、答えを教えればいいのか?」

「違うよ。多分、彼女は答えにたどり着いている。それでいてああやって、他の者が精霊王ではないかという僅かな可能性にすがっているんだ。――――キミの場合と同じだね」

 最後の方をさらに小声で囁くように言ってきたケーニッヒ。
 その言葉を聞いて、ダーンは肩をすくめた。

「やれやれ……それは言わないでくれ」

 ダーンは一度深呼吸をして、ステフの方にゆっくりと近付き、ルナフィスに対して色々と可能性の話を繰り返ししているステフの肩に手を掛けた。

 その瞬間、ステフは言葉を途切れさせ、全身をビクリと硬直させる。

 ゆっくりと諦めたように、ステフはダーンの方を振り返った。

「ステフ……ルナフィスは水の精霊王じゃないぞ。いい加減、現実を認めた方がいいって」

「……なに? なんか最初っから判ってました的な台詞せりふね……」

 そう言って、ステフはとても長い溜め息を吐く。

 そして、遺伝子上自分と最も近い存在に仕方なく視線を送った。

 姉のその視線の意味に気がついたのか、妹は静かにこちらへと歩み始める。

「やっぱり、信じなくちゃダメ? あのにはこういうことから無縁でいて欲しいのに……。双子の妹なのよ、いつも一緒にいた私の大事な……」

 少し潤んだ瞳でダーンの方を見つめ直し、最後の悪あがきのように感じる言葉を吐くが、ダーンはゆっくりと首を横に振った。

「君や俺が決めた縁じゃないさ……元々その縁にあったんだ。だったらきっと彼女がどんな存在であれ君たちの関係が壊れる事はないし、不幸になることもないと思うよ。アテネのガーランド親子だってそうだったろ」

「うん……そうね」

 ステフがダーンから離れ、振り返ると背後にはカレリアが立っていた。

「お姉様……」

 いつもの悪戯いたずらっぽさはかけらもなく、何かを詫びるような表情でカレリアは双子の姉に声をかけた。
 
 ステフはその妹の頬にそっと手をさしのべて触れる。

 意識が芽生えた瞬間から知っていた、自分の半身の感触。

 幼少の頃から、淡い恋の話やくだらない王宮内の世間話、成長してからは、王国の未来やこの世界の抱える問題に真剣に討議し、最も頼れる仲間でもあり、最も近い存在。

 ソルブライトが以前言っていたことを思い出す。


――『精霊王は案外身近にいるかもしれない』……と。


 そのとおりだった。

 本当は、ここに来る直前、カレリアが絶対零度の氷塊を虚空に創り出したときに気がついていた。

 《水神の姫君サラス》が誰なのかを――――

 それを、間違いであるという新事実を見つけることで否定したくて、この神殿に来ても素知らぬふりをしていたのに。

 ルナフィスが人間と知り、このタイミングで高度のサイキックを複数属性扱うということもあって、精霊王なのではないかと、都合のいいように考えてしまったが。

 やはり、現実は否定できるわけがない。

「カレリア……ごめん、あたしに力を貸して」

「ええ、もちろんですわ……」

 ステフの言葉にカレリアが応じ、二人は軽く抱き合う。

 お互いの鼻腔を、自分に合う香水として選んでもらい、いつも愛用して慣れ親しんだ香りが擽る。

 数秒、お互いに優しく抱きしめ合って、静かに離れると、カレリアは凜とした表情になっていた。

「それではこのまま祭壇の方にご案内します。ソルブライト、改めましてお久しぶりですね」

 カレリアはステフの戦闘用衣装の胸元で光る紅い宝玉へと懐かしむように言葉を向けた。

『フフフ……まさか貴女あなたがレイナーの娘に転生していたなんて、予想もしていませんでしたよ、サラス』

「だーって、人間の娘の中で、水の縁が強くしかも美しいという最高条件に、レイナーの娘が一番だったんだもの……って、前世の私が言っています」

 カレリアは人差し指を立てながら、他人事のように悪戯っぽく答えた。

「まったく、どこまで本音なのよ……あ、ルナフィスごめんね、なんかやっぱり貴女あなたじゃなかったみたい」

 ステフは軽く浮かんでしまった涙を手で拭って、少しきょとんとしていたルナフィスに謝罪する。

「もう、突然変なこと言うから焦ったわよ。魔竜人から人間だったーって以外に、もうさらなる新事実発覚だけは勘弁して欲しいわ。お腹一杯よ」

 微かな苦笑いを浮かべて悪態を漏らすルナフィス。

 彼女のその表情を見つめ、少し離れた場所に立っていたケーニッヒが何故か寂しそうに笑った。

 その彼の微妙な笑顔を尻目に、ダーンは一瞬怪訝に感じつつもひとまず胸を撫で下ろすのだった。


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