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第四章  ざわめく水面~朴念仁と二人の少女~

第三十五話  果たされた密約

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 紅い鮮血にまみれた少女が空をあおいで絶叫する。
 その細い腕に、直前まで剣を交え、互いに命をかけた仕合をしていた相手を抱いて。

 対峙しているだけで気絶しそうなほどの圧倒的な闘気は見る影もなく、その相手、ダーン・エリンは急速に命の息吹を消失させていく。

 それでも少女の方を見上げる蒼穹の瞳には、未だ光は失われていない。

「なんで? どうしてよ? なんでこんなッ」

 空を仰いだまま、疑問の言葉を漏らしつつ、幼い子供のように泣きむせぶルナフィス。

 その姿とは対照的に――――

 ルナフィスが瀕死のダーンを抱きかかえて酷く取り乱している間にも、冷静に状況を把握し、的確に行動していた者達がいた。




     ☆




 ルナフィスのレイピアがダーンの身体を貫く瞬間のことである。
 ステフは素早くスカートのホルスターから《白き装飾銃アルテッツァ》を抜き、撃鉄を起こしていた。

 そして炉心に七発分のエネルギーがチャージされた瞬間に、彼女から見て武道台を挟んだ向こう側の虚空に浮かぶ『敵』に狙いを定めて引き金を引く。

 ブラスターショットの収束された衝撃波が、一直線に赤い髪の女へと向かっていた。



 精霊王たる女神達と契約しその力の片鱗を操る神器、そこに宿る意志――――ソルブライトは感嘆を禁じ得なかった。

 今し方、契約者の眼前でその淡い恋心の対象、剣士ダーンが致命的な負傷をした。
 
 彼は、敵対する女剣士ルナフィス・デルマイーユに必勝の一撃を突き入れる瞬間、ルナフィスの背後に迫る魔法の矢に気がついた。

 その魔法の矢は、恐らくはルナフィスの雇い主で、不吉な赤い髪を持つ異界の神たる女が密かに放ったものだ。

 赤い髪の女――――リンザー・グレモリーは、この場に集まる者達の注意が、まさに勝負が決しようとする剣士二人に集中する瞬間を狙ったのだろう。

 タイミングは完璧で、事実、狙われたルナフィスはかわすことができなかった。
 
 あの矢が命中すれば、悪趣味に編み込まれたまがまがしい魔法が発動し、ルナフィスの身体を魔物のそれへと変えていたはずだ。

 何故、リンザーがルナフィスを魔法の矢で狙ったのかは、いずれ明らかにするとして、この事態を予測していた者がいる。

 他でも無い、ルナフィスと対峙していたダーンだ。

 彼はこの戦いの前、地下の温泉にいたときに、今回の敵対する黒幕リンザーが勝負の最中にルナフィスを狙ってくる可能性が高いとステフに話している。

 そして、ステフに対し、敵が行動に出た際の対応策を言及し、彼女に臨戦態勢を維持させたのだ。

 さらにダーンは、対戦相手のルナフィスを剣で圧倒しつつ、常にリンザーの放つ《魔》の気配の動向を探っていたのである。

 よって、彼があの小さな魔法の矢に気がついたのは偶然では無い。

 あるいは、最後の一撃でさえ、最初からルナフィスを狙っていなかったか。

 魔法の矢に気がついた彼は、狙いをその矢に変えて、秘剣の威力がルナフィスの左脇を抜けるようにし魔を断つ秘剣を放った。

 思えば、六日前にあの秘剣を放ったときは、意志の力による闘気制御やその威力の反動に対処しきれず、腕の毛細血管が破裂していたが――――

 今回、ほとんど溜めも無しに即座に発動させた上、完璧な威力と精度をもって放たれ、毛細血管は破裂を起こしていない。

 恐るべき進化の速度だ。

 その上今回、技を放った後の硬直状態で、ルナフィスの必殺の一撃を受けることとなったが、そうなるとわかって、あえて自分の技を逸らし彼女の技を受け止めた胆力にも畏敬を覚える。


 さらにもう一人――――


 ソルブライトは契約者の少女が、眼前で起こっている惨状を視界に納めていながらも、冷静に対処し、しかるべく敵に向けてブラスターショットを放ったことに最も驚いていた。

 彼女はあの蒼髪の剣士を信頼している。

 その彼が、今回の事態が起こることを予測しつつ大丈夫だと言った。

 その彼が、この瞬間が起こったら、リンザーへの対処は彼女に任せると言った。

 その信頼に、見事彼女は応えたのである。




    ☆




 膨大なエネルギーを極度に集束させた衝撃弾が、蒼い閃光をほとばしらせてリンザーを襲う。

 目的の一つをまさに自分のものにしたと確信した瞬間に、その目論見は敵の剣士に阻まれた。

 それを認識するが早いか、もう一つの目標たる少女がこれ程の攻撃を即座に自分に放ってきたことに、リンザーは驚愕の色を隠せなかった。

 慌てて、防護障壁を自身の直前に展開するが、とつのことだったため、充分な強度をもつ障壁にはならず、光弾を受け止めた瞬間に崩壊する。

 それでも、迫った危機をなんとか食い止めたと認識した瞬間、今度は全身が凍り付いていた。

 本来の肉体や精神はこの場から離れたところにあるリンザーは、ぐつたるその肉体が凍てつく瞬間に見たのは――――

 拉致目的の少女と髪の色以外は瓜二つである少女が、こちらに手をかざし、鋭い視線を向けている。

 ステフのブラスターショットが防護障壁を破った瞬間に放たれた、カレリアの《凍結波ブリザード・ウェーブ》をリンザーには防ぐ手立てが無かった。

 カレリアの放った凍結波ブリザードウェーヴが絶対零度に達する威力であったことに驚いている間もなく、全身を凍てつかせた後……。

 そのカレリアの隣にいた、金髪の優男が腰のレイピアを抜き放ち、それを横一文字に一閃――――その場の誰もが認識不可能な速度で、高威力の何かが放たれる。
 
 絶対的な破壊の威力にすべなく、リンザーの傀儡たる仮初めに肉体が砕け散った。


 リンザーの凍結した肉体を崩壊させたケーニッヒは、涼しい顔で納刀すると、ったらしい鼻笑いを微かに漏らした。

 その姿を脇目に捉え、カレリアがあんの溜め息を漏らす。

「これで依頼されたものはかんすいできたのかな」

「確かに約束は果たされましたけど……随分とハラハラさせてくれましたわね……悪趣味ですわ」

 ケーニッヒの言葉に、カレリアは素っ気なく応じ、視線を武道台の方に移した。

 彼女の視線の先に────
 結い上げた蒼髪を揺らし、二人の剣士の元へと急ぎ駆け寄る少女の姿があるのだった。 

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