上 下
138 / 165
第四章  ざわめく水面~朴念仁と二人の少女~

第三十三話  空を駆ける

しおりを挟む

 ルナフィスは見下ろす形でダーンを視界に収めつつ、落下していく彼と空中に浮遊する自分の身体が少し離れた位置を保って、降下を開始しようとしていた。

 そして、彼が武道台の固い岩床に着地し、闘気をコントロールして落下の衝撃を処理する瞬間を狙うつもりだったのだ。

 今し方ダーンが岩床を蹴って飛び上がってきた場所、すなわちルナフィスの浮遊する位置は三十メライ(メートル)弱の高さがある。

 いかに彼が強大な闘気を誇っていても、この高さから落下した際の衝撃はサイキックを駆使して闘気のコントロールをしなければ、足腰に深刻なダメージを負うことになるだろう。

 それを避けるには、一瞬とはいえ闘気のコントロールなどを着地にのみ集中せねばならず、着地の瞬間は動きが止まる上に、防御力の低下など深刻な隙ができる。

 その隙は、それこそ強大な一撃を放った後の硬直状態に等しい。

 その瞬間を狙って急降下し、彼の直上から落下の速度を加えた必殺の一撃を放つ。

 そのためルナフィスは一瞬、闘気を自身の刀身に集中させて必殺の一撃のための『溜め』を実行していた。


 ダーンがルナフィスの予測を超えた動きをしたのは、まさにそんな瞬間だった。


 まるでルナフィスの『溜め』による一瞬の隙を突くかのように、本来鉛直方向に重力に引かれて落下するだけだったはずの彼が信じられない行動に及んだ。

 力強く右足が虚空を蹴り、それと同時に、はじけ飛ぶようにその肉体が大きく横に動いたのだ。

 その移動のあまりの速さに、ルナフィスはその視界からダーンの動きを見失った。

 気がついたときには、彼の姿は自分の右上直近に肉薄し、両手で構えた長剣の輝きが逆に迫る。

「クッ! なんで?」

 うめきつつ、彼女はかろうじて迫る長剣の刃をレイピアで受け止めた。
 だが……

――なッ? ウソ、何コレ……。


 レイピアを握る右手に鈍い痛みが走り、腕がもがれるのではないかという程の衝撃。

 ダーンの一撃を受けたルナフィスの身体が、その威力を受け止めきれずに数メライ程飛ばされた。


 信じられない状況だった。

 空を飛べないはずのダーンが、空中で急激に動き、再上昇してきたこともさることながら、特にルナフィスが戦慄を覚えたのは、そのけんげきの重さだった。

 通常、空中での剣戟は軽い。

 それは、地上とは違い大地に足を着けて踏ん張りの利く状態ではないからだ。

 地上では、大地が剣を振り払う動きの反作用を受け止めてくれるため、身体全体のバネを利かせ体重が乗った重く強力な一撃を放つことができる。

 しかし、空中では上手く踏ん張りが利かないため、身体のバネを使うような一撃は威力が半減しやすいのだ。

 あるいは飛翔速度を乗せて一撃を放つのならば体重の乗った重い一撃にもなるが、今のダーンの一撃は、空中でほぼ静止した状態での身体をひねって逆袈裟に振り下ろしたものだった。

 それがまるで地上に足を着けていたかのような、重い斬撃になるのはおかしい。

 さらに、その前の空中の動きも空中戦を得意とするルナフィスをして見たこともない急激な動きだった。

 まるで、岩壁を蹴ったような急激な動き。

 ルナフィスの得意とする自在に『空中を舞う』というものとは明らかに違う。

 そういえば、横に急速移動する際、ダーンは右足で虚空を蹴ったように見えたが。


――まさか……!


 吹き飛ばされつつもなんとか姿勢を制御し、レイピアを構え直すルナフィス。

 その彼女に向け、長剣を構えたダーンが文字通り空を駆けだして急接近していた。




     ☆




 上空の戦闘を見上げるカレリアは、視界に映る蒼髪の剣士の動きにしばし言葉を失っていた。

 その彼女に、少し意地の悪いトーンでケーニッヒが語り出す。

「普通はああいう発想はしないよね……。何とも、不器用なのか器用なのかわからないよ」

 ねらったようなタイミングで意地悪な言い方をしてきたことに、カレリアは少しだけいらちを覚えた。

 研究所で働いているときは怪しげな魔法で姿を変化させて、随分といんぎんな態度なのに、本来の姿で語りかけてくる金髪の優男は、いつもったらしくて少しかんさわる。

 それが、たとえるなら料理で言うところの香辛料のような刺激程度で、言い換えるとスパイスの利いた会話とも言える。

 普段、周囲からたっぷりと気を使った慇懃さで扱われている立場としては、この男との会話は新鮮だった。

 だから余計に腹立たしい気もするが、それを表に出すのもしやくなので平静さを保つよう、カレリアは努めて冷ややかに応じる。

「……どういう理屈ですの?」

 涼風のような声に、ケーニッヒは微かに肩をすくめ――――

「見たまんまだよカレリア様。彼は空中で地を蹴る様に走って飛んで、つまり地に足を着けて戦うのと同じ事を空中でやっちゃうんだ」

「それは見ればわかります。私が聞きたいのは……」

「ああ……わかっているさ。簡単に言うとダーンは闘神剣の基本的な技術を応用しているのさ」

「闘神剣の?」

「闘神剣は、己が闘気を意志の力で洗練し、刀身に伝わせてその武器の威力や構成材質の硬度を上昇させるでしょ……それの応用さ。空中を蹴る際に、蹴るべき空中に意志の力で洗練した闘気を放出し、空間そのものを変質させて蹴っているんだ」

「空間そのものを蹴る……そんなことが可能なのです?」

「目の前で起きているのだから可能なんでしょ。一応、僕なりに分析してみたが、空間に蹴り込む際、僅かに空間を歪曲させている。元々、空間が歪曲させる際にはとんでもないエネルギーが必要なんだが、それはすなわち空間そのものの抵抗なんだ。その抵抗を応用することであんな風に空間そのものを蹴っている」

「聞けば聞くほど、とんでもないことをしていると感じますわ」

「サイキックという力の本質は、超常のへんりんだ。彼の意志の力が剣戟を中心に構成されているからこそ、あのような超常が、意識せずに組み上がるんだろうね」

 腕を組みつつ言うケーニッヒにカレリアは視線を向け、ふと何気なく聞いてみたくなったことを問いかける。

「あなたにはアレは可能ですの?」

 ケーニッヒはカレリアの知る限りでも、達人を超越した男だ。

 その実力は底が知れず、もしかすると彼女が知る『最強』の位置まで届いているのではないかとすら思う。

 そんな実力者から、ちょっと意外な答えが返ってくる。

「いやあ、多分無理だね。正直、アレは化け物じみててお手上げだよ。今回、ルナフィスって子と戦うに、どうしても空中戦が必要だってコトで、僕も飛翔のアドバイスをしたんだけどね……。上手く飛翔のイメージが浮かばない上に、彼がつちかってきた剣戟のスキルがまるで意味をなさなくなるってコトで、早々にレクチャーを打ち切られてね。それで、なんか悔しいから、稽古中に空中からちまちまといじめていたら、昨日突然あんな反則技使い出しちゃって……」

「反則技ですか」

「そうさ。剣士が空中で地上と同じように戦えるっていうのは、完全に反則だよ。その上……ああ、丁度……」

 見上げるケーニッヒの視界に、ダーンが空を横薙ぎに長剣で払うのが映る。

 振り払われた横薙ぎをルナフィスがかわすが、躱された長剣が、急に何かにぶつかったように空中でプラズマを放ちながら止まり、何かを打ち付ける様な甲高い音を響かせると、まるで剣で壁を打ち付けたかのような反動で、ダーンの身体が横なぎの方向とは逆の方向に流れ出した。

 直後、ダーンの一撃を躱しその隙を突こうとしたルナフィスの高速突きが、横なぎの反動で弾かれたダーンを捉え損ねて空を切る。

 あまりに予想していなかった動きに、ルナフィスの動きが一瞬まどい、そこにダーンの長剣が迫った。

 ケーニッヒとカレリアの耳に、剣と剣のぶつかり合う金属音が響いてきた。

「あんな動き、何も無い空中でできるなんて誰も思わないし、反則的だよ……。僕もあれで一本取られたんだ。蹴り足だけじゃなくて、斬撃にも応用できるらしくて、予測できない動きを見せてくるんだ。……まあ、今のは彼女も躱せたみたいで、なんかあれでやられた僕的には複雑だけどさ」

「……聞いていた以上に、恐ろしいほどの戦闘センスですわね」

 少し溜め息を吐いてカレリアはふと、少し離れた位置にいる姉の方に視線を移した。

 束ねた蒼い髪を風に揺らして、琥珀の瞳が空中の戦いを静かに見つめている。

 その瞳には確固たる信頼の光が宿っているようにも感じられ、カレリアは微かに笑いを漏らしていた。


 
しおりを挟む

処理中です...