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69. 海と恋

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「本当に、ありがとうございます…!」
 笑顔を浮かべる少女の横で、その子の母が頭を何度も下げる。浜辺を出て数分後、スーパーに戻った俺たちは、定員の人に手を繋いでいる少女の親のことを尋ねた。その定員の人は、驚いたような顔をした後に、俺たち3人を交番に行くように勧めた。スーパーを出ると、少し先に交番が見えたので、そこにゆっくり歩いていくと、交番の前に若い女性が立っていた。
 まさに、その女性こそこの少女、るいちゃんのお母さんだった。俺たちを見つけるや否や、るいちゃんに駆けてぎゅっと抱きしめた。笑顔でお母さんと再会したるいちゃんとは対照的に、母親は思わず泣きそうになりながら、彼女を抱きしめていた。
 頭を下げる母親の横で、はしゃぐように少女は言う。
「このおねちゃんたちね、るいといっぱいおはなししてくれたんだよ!るい、とーってもたのしかったんだよ!」
「……ごめんなさい、本当に。迷惑をかけてしまって」
「いえいえ、私たちもるいちゃんとお話しできてとても楽しかったですし!」
「…何度も大丈夫ですよ。俺たちはるいちゃんの母親探しを手伝っただけです。結果的に見つかったし、よかったじゃ無いですか!」
 雫の言葉に続くように、俺はそう言った。が、なぜか雫はその俺の言葉に何か引っ掛かる部分があったのだろうか、こっちをじろっと見て突っかかってきた。
「…よく言うわよアンタ。行動したのほぼ私じゃ無いの。それをひっくるめて“俺たち“でくくるのやめてくれるー?」
「…えぇー?さっき雫も“私たち“って言ってたじゃんか」
「いやだって、それは人数の関係上、そうやって言うしかなかったじゃない!」
「じゃあ突っかかってくんなよー。“俺たち“でいいだろー?」
「はぁー?アンタね、自分がした風に誇るのもいい加減に──」
「…ふふふっ。ははははっ」
 俺たちの言い争い(?)が止まったのは、前からそのような笑い声が聞こえてきたからだった。見ると、先ほどまで浮かない表情を浮かべていた少女の母親の顔に、笑顔があった。母親は、俺たちにその微笑のまま言う。
「……ごめんなさいね、本当に」
「……ですから、」
「ううん、違うの。この謝罪は、娘を見つけるために迷惑をかけたことじゃなくて」
 母親は一拍置いて続けた。
「あなたたちの時間を壊して、申し訳なかったなって」
「へっ…?」
「この子、海であなたたちと出会ったって言ってるの。ってことは、あなたたちは海で2人の時間を過ごしていたのよね。だから、邪魔して悪かったなって」
 母親は、抱っこをねだる少女を胸に抱えて、
「…私はこの近辺に住んでてね。ここら辺は詳しいのよ。それで、あなたたちは知らないかもしれないけど…。あそこの海は高校生カップルがよく訪れる場所なのよ。なんでも、“恋の叶う浜辺“ってここら辺の人は呼んでるよー?」
「なっ……恋の、叶う。浜辺……?」
「……かっ」
「?」
「勘違いしないでくださいっ!私とこいつは付き合ってなんかいません!第一なんで私がこいつなんかと!ありえないっ、ありえないですっ!」
 顔を真っ赤にして母親に怒るように反論する雫。そこまで否定されるとこっちとしても多少悲しいものではあるが…。まあでも付き合ってはないので、その部分は雫としても否定したかったんだろう。
「あはは、そんなにムキにならなくても。でもさっきの会話とか聞いてる限りはもうそれっぽく見えちゃったけどねー」
「るいも、おねちゃとおにちゃ、なかいいから、つゅきあってるのかなっておもってた!」
「…る、るいちゃん。付き合うなんて言葉知ってるの!?」
「……え、突っ込むとこそこ?雫」
「アンタは黙ってなさいっっっ!!」
「だから殴るなって!」
 交番の前で話していた俺たちが、ずっと待っててくれていた警官の存在に気付いたのは、わざとらしく警官が咳払いをした時だった。なんか、すみませんでした…。



「……じゃあ、戻ろうか。それともやっぱり、帰りたいか?」
「…いや、戻る」
 るいちゃんと、そのお母さんを手を振って見送った後に、佑はそんな事を言い出した。少しどこか不安そうな表情を浮かべているところを見るに、私がもう帰りたいと思っていると考えたのだろうか。
 大丈夫だよ、佑。私は、そんな事微塵も考えてないから。
「……太陽、かなり落ちてきたわね」
「そうだな。ここでるいちゃんと話ししてたのが大体40分くらい前だから…。もうほぼ日没だな、あはは」
 水平線に潜り始める太陽を見て、佑は小さく笑う。彼の顔は、夕日に照らされて少し赤く見えた。
「……座るのは、元のところで大丈夫なのか?」
「うん、あそこが一番、海が綺麗に見える気がするから」
 その後、ふと先ほど感じたかのような沈黙の時間が私たちに再び訪れた。佑はあぐらをかいて、私は折り曲げた膝に手を回して。遠すぎず、決して近くもない私たちの距離を、乾いた潮風が吹き抜ける。野活の時とは違う手の感触を、今一度不意に確かめた、その時だった。
「──なぁ、」
 横から、聞き馴染みのある声が聞こえた。これまでに耳に入ってくる、波の音とは明らかに異なる、その声が。私は、目線をゆっくりと動かす。
 その先には、私のことをじっと見据えた、佑の姿があった。
「……どうしたの」
「まずは、お礼を言わせてくれないか」
 そう言うと佑は一拍置いて、
「…とりあえず、今日はここに来てくれてありがとう。先輩の件もあるから、茜に言われてでも、来ない可能性もあるんじゃないかなって思ってたから」
「…まあ、最初はめんどくさく感じてたけど。この海を見れて、可愛い子供とも喋ることができて、結果論になるけど、来てよかったわ」
 最初は、来るのが億劫だった。あおちゃんのニュースを聞かされてから、自分のせいだって嫌でも考えちゃうし、ネガティブな気持ちがどんどん募り募るし…。
 でも、今日私は放課後に、教室で彼のことを待ってた。なぜだか分からないけど、自分の身体は帰路に向かおうとはしていなかったのだ。佑と会ってからもう一度その決意は揺らいだが、本当に彼について行ってよかったって今は心から思う。
「…そうか。なら、よかった。うん…」
「何よ。変に詰まるわね」
 これから言うことに、言葉が上手くまとまらないのか、難しい顔をして唸る佑。こうしてみると、彼の計画性というのは皆無に等しいのかも…?まあ、そのおかげでここに来たわけなんだけどね。
「……どうしたのよ。アンタにしては珍しい──」

「──っ、先輩が癌になったのは、雫のせいじゃないからなっ!?」
 
 刹那、佑は急に立ち上がって私にそう言った。突然の出来事に、私は唖然としてしまう。
「…へっ?」
「だから…その。今、雫は先輩の癌のことで落ち込んでて…、で、あの。だから、俺はここに──」
「………プッ」
「…?」
「あはははっ、ふふっ…」
「ちょっ…!?な、なんで笑うんだよ!」
 しどろもどろする佑を見ていると、不思議と笑いが込み上げてきた。その様子を見て、さらにおかしく感じた私は、思わずお腹に手を当てる。
「……笑いすぎだって雫。俺なんか変なこと言ったかよ…もう」
「……ごめんごめん。つい…。でも、ありがとう。私にそう言ってくれて…」
「えっ?」
「私、本音を言うと、ここに来るのちょっとだけ面倒だったんだ。それに、今回もあおちゃんに関係していたのは私だし、1人部屋でゆっくりとしようって考えてたんだけど…」
「……ごめん」
 ゆっくりと座りながら謝る佑に、私は手を胸の前で軽く振りながら続ける。
「…大丈夫よ。何度も言ってるけど、来てよかったって思ってるし」
「…そうか」
 彼の言葉のあと、小さくため息をついた私は、生じた少しの沈黙を破るように口を開いた。
「……あのさ、突然なんだけど私ね、ここ。なんか見覚えある気がする」
「……見覚えあるって、やっぱ来たことあったのかよ」
「…いや、そういう意味じゃなくて、なんなんだろ、でもなんか既視感があるんだよね…」
「既視感か…。……実を言うと、俺も少し感じてた」
「えっ、佑も?」
「うん。なんか数年前に、同じような光景を見た覚えがあって…。気のせいなのかな」
 佑はそう言うや否や、黙り込んでしまった。どういうことなのだろう、私も佑もこの景色に見覚えがある。お互い来たことのない場所のはずなのに、デジャヴを感じているのだ。いや、違う。既視感だったり、妙に引っ掛かることはまだ他にもあった。
 一番初めに違和感を感じたのは、泣き叫ぶ少女を一目見た時だ。あの時、なぜか心が痛んだ。ズキリ、と。声をかけてからもずっと。少女を助けたいという思いとは裏腹に。どんどん加速していくように。
 まるで、かつての私がそういう状態だったかのような──
「……えっ!?」
「…え、どうした雫?なんかあったのか」
 横で驚いた表情を見せる佑。私は思わず頭を押さえていた。
「い、いや。何もないわよ」
 “かつての私“?なんでこの言葉が頭に残るんだ。釣られるように記憶の引き出しを開ける。…確か、あの時の私は妹と一緒に、どこかを泣き喚いていたんだ。家族旅行中に車が事故を起こして、親を亡くして、絶望の淵を歩きながら。目の前の視界がぼやけて、もはやどこを歩いているかも分からないような。そして、気がつけば足は止まっていて。知らない街に私は心が身体から離れていくような感覚に陥っていて…。
『あ…。だ、大丈夫?』
「え」
 瞬間、頭の中にそんな声が響いた。幼い男の子の声のような音が、頭の中を駆け巡る。誰だ…?これは、誰。そして、なぜ今こんな声が聞こえてくるんだ?
 ふと、横を振り向く。隣にいる彼は、素っ頓狂な表情で私を見ている。先ほどよりも、暗くなったように見えるその顔で、潮風を気持ちよく受けるその姿勢で。
「……な、なんだ?」
 刹那、私の視線の先、不思議に思う目の前の彼の姿と、重なる人物がいた。身長とかは全然違うが、何においてもこの顔と輪郭。誰だ、誰なん──
「──!?」
 一瞬、周りから音が消えた。先ほどまで鼓膜を刺激していた、さざ波の音でさえ、私の耳は拾おうとしなかった。
 だが直後、再びさざ波の音が聞こえてくる。でも今聞いているこの音は、今目の前の浜辺を行き来する波の音ではない。未だ不思議そうな顔をする彼の顔を見ていると、その波の音はだんだん大きくなっていく。頭の中にそれが迫っているように感じて、私は思わず目をギュッと瞑った。
 すると、まるでテレビの電源が落ちたかのように、私の耳からその波の音が消滅した。真っ暗な視界から、ゆっくりと目を開けると、私の目の前にはとある少年が立っていた。陽はまもなく沈もうとしている。
「えっ…!?これ…は」
『…えっと』
「あ、あなたは…」
 目の前の少年は初め下を向いていたが、私が喋ったからなのか、一瞬肩を震わせてから徐々にその顔を上げてゆく。そして、そして…。
「あっ…」
『─────』
「……はっ」
 気がつくと、そこは陽が半分沈んだ浜辺だった。さっきのあれは、あの少年は…。もしかして、もしかしなくても……。
「おい、大丈夫かよ。やっぱり暗くなってきてる海は嫌か?」
 すると、怪訝な表情の佑が私の顔を覗き込む。
「たす…く」
「え?」
「あれは、佑、佑だ…!」
 5年前の少年と、今隣にいる佑の顔が完全に重なる。間違いない、あの視線の主は5年前の私。そして、目の前にいたあの少年は、佑。両親が死んで、途方に暮れていた私に、声をかけてくれた、張本人だ。まだ実感は湧かないけど、本当に…。
 もしかして、この海に既視感があったのも。私と佑がかつて出会っていた場所が、この海だったからってことなの?佑自身もここには既視感があるって言ってたし。5年前に私たちは出会ってたってことなの?
 でもちょっと考えてみれば、あの少年は自らの名前を佑と名乗ってた気がしなくもない…。
「……?というか、おい雫。お前、なんか変だぞ」
「…へっ?そ、そんなことないわよ…」
 眉間に小さなシワを作る佑は、私にそう言った。この様子だと、佑は気づいてないのかな。私たちが5年前にここで会っていたことに。確かに、まだ確証はないけど。あの日の出来事はきっと、誰よりも鮮明に覚えているから。私の記憶が、この事実の一番の証明になるはずだ。
 これは…。佑にも言ってあげた方がいいのかな。びっくりするかな、どんな反応するんだろ。でも、やっぱり──
「……まぁけど、今日証明されたな」
「…え?な、何が?」
 すると、突然佑が微笑しながら私に話しかけてきた。過去のことについて考えていた私は思わず変な声が出てしまう。佑は、そんな反応になった私を見て、ハハっと声を漏らして、
「雫が決して、周りの人を不幸にさせる疫病神なんかじゃないってさ」
「…疫病神?…あっ」

『…言わば、私は疫病神で──』

「あ、あれは…。だって実際にその通りだったし…」
「なわけないだろ?」
 佑は強く私にそういうや否や、ぐいっと私の顔を今一度覗き込んだ。沈みゆく太陽に照らされて、自分の顔が不屈にも熱くなっていくのが分かる。
「…さっき俺言っただろ、疫病神なんかじゃないって証明されたって」
「…どうして」 
「今日の雫の行動見れば分かる。そこで泣きじゃくってた子供を笑顔にさせたのはどこのどいつだよ。少なくとも、俺が声をかけるだけじゃ、あの子はあんなにも弾けたような笑顔を浮かべてなかったと思うぞ」
「……それは」
「"雫だから"できたことなんだ。人を笑顔にできて、周りの人を幸せな気持ちにさせる。それは雫の紛れもない能力だよ。まるで魔法をかけたかのように、触れ合う人が笑顔に変わっていくんだ」
 佑は、あぐらをかいていた足を一度ググッと伸ばして、
「星本先輩然り、今日出会った少女るいちゃん然り。雫と関わった人たちはみんな笑顔になってる。茜に関しては言うまでもないだろ?」
「……買い被りすぎだよ。私はそんなにすごい人じゃない」
「雫こそ、謙遜しすぎだって。ここにもいるんだぞ?お前のおかげで笑うことができるようになったやつってのは」
 佑はそう言うと、人差し指を前に突き出し、それを自分に向ける。
「…俺もその1人さ。俺はお前のおかげもあって、こうやって笑えているんだぞ」
「……どうして」
「えっ?」
 気づけば、声は震え、視界はボヤけて。頬を何かが伝っていた。そんな私に、佑は少し慌てた様子を見せながらも、私の言葉を待っている。
「…どうして、あなたはここまで。私のことを──」

「──心配したからだよ」

「えっ…」
 その瞬間、心が大きく跳ねた。さっき感じていた胸の痛みとは別の感覚。でも、私はこの感触に不思議と覚えがあった。
 そんな私の心なんて知るはずもない佑は私に身体を向けて、続けて言う。
「雫のことが本当に心配だった。もう立ち直らないのかと思った。だから、この海に来たのも正直賭けで、ここで無理なら本当にもう術がなかった」
「…そうなの」
「……俺が雫をここに連れてきたのは、そんなに深い意味はないけど。強いていえば、俺の場合、こういうところは心が落ち着く。だから、雫にまずは落ち着いてもらおうと思って来てもらったんだ。まあ、さっきのは俺の場合だから、雫の心が落ち着くかどうかは全然分からなかったけどな…」
 水平線に半分潜った太陽を眩しそうにしながら佑は言った。
「でも、結果的に言えばここにきてよかったと思った。気づけば俺の心配は消えてた。あの少女に見せた笑顔を見てから、俺はもう大丈夫だって感じたんだんだ。そういう意味では、るいちゃんにナイスって言いたいな。まあ、迷子になってた子をナイスってちょっとアレだけどさ…」
「…佑」
 そう言うと佑は、ニッと白い歯を見せて笑った。沈みかけの太陽の光にその顔が照らされて、聞こえてくるさざ波の音と共に、再び昔の彼の姿と顔が重なる。私の心臓はアクセルを踏んだまま、他のペダルを一切踏もうとしなかった。
 5年前に私が初めて知ったあの気持ち。そして、今目の前の彼に感じているこの気持ち。今分かるのは、いずれも佑に感じる想いが、普通とは違う何か"特別な気持ち"だということだ。
 ──そうか、これは。
「──おい、大丈夫かよ。気分悪いのか。やっぱり」
「へっ…?」
 刹那、佑は私の肩を軽く揺らしていた。その出来事に私の心拍はさらに速くなる。気づいたせいで、今まで見ていた彼の印象が180度ぐるっと回転する。まるで、潮風の向きが急に変わったかのように。
 目の前の彼は、私のことを心配している。たったそれだけのことなのに、何故か私は嬉しく感じていた。さっきまでの私ならなんとも思ってなかったと思う。だけど全てが繋がった今、彼のことを見る目はまさに5年前、彼を見ていた目と合致していて。
「……だ、大丈夫…よ」
「…本当か?なんか顔赤くないか?」
「ちょちょっ…。ち、近…」
 私のことを心配してなのか、佑は私との距離と今一度グッと詰める。私は思わず顔を少し逸らしてしまう。
 ──気づいてよ。顔が赤くなってるのは、あなたが近くに寄って来てるからだってことを…。
「……大丈夫そうならいいか」
 佑はどこか安心したかのようにそう呟き、私からゆっくりと距離をとって続けて言う。
「とにかく、雫に笑顔が戻って俺は安心してるよ。本当に、よかった……」
 私と同じような体育座りをした彼は、身体を丸めて、太陽が沈むのをゆっくりと見ている。この感じを見ると、佑って本当に心配してくれてたんだなって。ここに来るまでの私は、そんなこと思いすらもしなかったから、今こうして彼の姿をよく見ると、なんか色々ごめんって。唐突に謝りたくなった。
 だけど、今きっと佑は私の謝罪なんか求めていない。ごめんって彼に言っても、佑はそんな言葉を聞きたくないだろう。だから、今私が特別な気持ちを抱えた彼に伝えるべき言葉は…。
「…ありがとう、佑」
 私は、佑に向き直って一言そう告げた。
「…えっ」
「私、佑のおかげでちょっとだけだけど前を向けた気がする。まだまだ自分には自信持てないし、私のせいで周りがよくない目にあうっていうのを完全に感じなくなったわけじゃないけど…」
 海から吹く潮風に、彼の前髪が小さくなびく。沈みかけの太陽に反射して、彼の顔が一瞬分かる。真剣な眼差しは私の話を聞こうと必死な様子で。
「…けど。佑がそこまで言ってくれたりとか、あおちゃんや茜がそこまで言ってくれたりとか。自分じゃない、他にちゃんと信頼できる人からの言葉なんだったら…。私はもう少しだけ私っていう人のことを信じてもいいんじゃないかなって、そう思った。だから、ありがとう。私はもう、大丈夫だよ──」
「……雫」
「……えっ!?ちょ、佑。な、なんで泣いてるの…!?」
「…え?あ、本当だ……。ごめん、いや雫からそんな言葉が聞けるなんて、思ってもなかったから。心の中で感動してたら表にも出ちゃってたみたいだ」
 あはは…。と、幸せそうに泣く佑。そんな姿を見て、私の心臓はグッとまた締まった気がした。
「…よかった、本当に。これで茜や先輩にいい報告ができる」
「…うん」
「よし、じゃあ。帰ろうか。もう太陽もあと5分あれば沈むだろうし…。夜の海は色々と危ない気がするからな」
 佑はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。お尻についた砂を叩いてから、グーっと伸びをする。私はそんな彼の行動に思わず微笑しながら、砂に手をつき立ち上がる。その時、さっきまで彼のことをずっと見ていたからなのか、思ったよりも周りが暗くなっていたことに初めて気づいた。瞬間、私の心の中に"怖い"という気持ちが芽生えた。
「……よし、いくぞ。雫」
「ねぇ佑。ちょっとだけ、わがまま言ってもいいかな…」
 私は今日、佑によって救われたような気がした。だから今日はとことん彼に甘えようと思った。佑が嫌がったらやめるつもりだけど…。
「…うん。どうした?」
「ちょっと、暗闇怖いから。その。佑の服の裾、掴んで歩いてもいいかな。い、嫌ならいいの」
 私のそんな言葉を聞いて、驚いたような顔をした佑だったが、直後に言う。
「……いいよ。ほら、掴んでろよ。悪かったな、こんな遅い時間まで」
「ううん、いいの。ありがとう」
 彼に感謝を述べた私は、ゆっくりと彼の服の裾を掴んだ。やっぱり心臓が跳ねている。さっきまで、抑えるのに必死だったけど、もう無理だ。この感覚はまさに、5年前に感じた鼓動と同じものだった。
 きっともう誰もいない浜辺を、私たちはゆっくりと歩いていく。太陽とは異なる光が灯る、駅へと向かって。
 ふと、私は気になることができ、思わず裾を掴む力を強くしながら佑に尋ねる。
「あのさ、佑」
「…なんだ?」
「ちょっと前にさ。るいちゃんのお母さんが言ったけど、ここ“恋の叶う浜辺“って呼ばれてるらしいわ。そう言われてること、知ってたの…?」
「知っ……!?」
「えっ?」
「知ってるわけないだろ?俺もそれを知ったの、今日が初めてだよ!」
「そ、そうなのね…」
 じゃあ、私をここに連れて来たのは、本当にたまたまだったんだ…。なんか、ちょっとだけ悲しくなっちゃうな。でも、この悲しいって気持ちもふと懐かしく感じてしまう自分もいる。
 その後、私たちの間に会話はなかった。陽の沈んだ浜辺を、灯る駅の街頭に向けて歩んでいく。
「……着いたな」
 やがて、その沈黙のまま私たちが降りた駅へと辿り着いた。私と違って佑はICカードを持っているので、改札を潜った先で佑は私を待っている。行きと同じく人の少ない駅のホームへと私は走っていく。今日、私の中で大きな変化があった彼の元に。
 もう、佑は友達などといった存在ではなくなった。それは、今日この海であることに気づいたから。5年前、私が出会った人物が佑であると分かったから。初めは認めたくない気持ちもあった。だけど、相手が佑なら。もう一度会えた人なら。私は喜んでこの気持ちを受け入れようと思う。
 ホームに着いてから5分後に来た電車は、私たちの待つ場所にゆっくりと止まる。佑は明るい車内に引き込まれるように、私に手招きする。
「……ほら、乗るぞ雫。茜も心配してるだろうから、帰ったら色々言っとけよ?」
「うん…」
 彼の言葉一つ一つに心臓が揺れる。言葉を発するのが難しくなっているのが分かる。全て、過去に体験した事柄。海でも一度思ったけど、やっぱりこの特別な気持ち──茜も、過去の私も体験したこの気持ちの名前は…。
 私は電車に揺られながら、心中で確信するのだった。

「(お姉ちゃん、恋しちゃったみたい。ごめんね、茜)」

 と、家で待っているであろう、最愛の妹に向けて──。
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