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169【最愛⑧】

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「っ……まぶしっ」

 刺さるように降り注ぐまばゆい光に、思わず目を細める。それは、電灯の明かりではなく、自然光。開けられたカーテンの向こう側の日差しは、カンカン照りで、かなり暑そうだ。

 まだはっきりしない思考でぼんやりと壁掛け時計に視線を移せば、既に時計の針は10時を少し回った所だった。
 一瞬、『あ! 会社、遅刻!』と口から飛び出しそうになった声を、どうにか飲み込む。

――そうだった。
 今日は休んでいいって、課長に言われてたんだっけ。
 本当は出社するつもりだったけど、結局は、起きられなかったなぁ。
 
 ううっ。
 気持ちは、学生の頃と少しも変わらないのに。
 寄る年波には勝てないねって、こういう時をいうんだろうか。
 いやいや、まだ二十代だろう、私。

 自分の年寄りくさい感慨にツッコミを入れつつ、名残り惜しいベットから、ノロノロと体を起こす。

――しっかし、なんちゅう夢ですか?
 見事に昨夜の体験がメルヘンチックに、神アレンジされてたなぁ。

 夢の中までヤなやつな蛇親父は置いといて、等身大のキジ猫さんはちょっと可愛いかったかも。どうせなら抱き着いておもいっきりモフモフしてみたかった。
 そういえば課長、なんだか、後光がさしてたなぁ。

「まだ、寝ぼけてるの? それにしても、泣いたり笑ったり忙しい寝言だったわね」
「えっ!?」

 目の前にぬっと現れた母の顔を見つめて、頬の筋肉がヒクヒクと盛大にひきつる。

 寝言って、どの辺から、聞いてたのお母さん?

「な、なんか、変なこと言ってないよね?」

 夢の内容を思い出して良からぬことを口走っていないか、変な汗が、っと噴き出す。

「さあ、どうでしょう?」

 うふふふと、邪気の欠片も感じられないさわやかな笑顔で、小悪魔は小首を傾げる。

 小柄で童顔、やたらと姿勢が良くて、髪型はショートカット。実年齢は、一人娘の私が二十八歳になるんだから、推して知るべし。

――なんだけど、正直に実年齢を言っても、まず誰も信じないだろう。
 みんな、この見てくれと『ホワン』とした邪気のない笑顔に、騙されてしまう。

 でも、あなどってはイケナイ。

 この人は、冷酷ではないけれど、けっして甘くもない。
 物事の道理や正義を重んじる、どちらかと言えば厳しい教師で、たぶん、それ以上に厳しい母親なのだ。

 こと、人に危害を及ばしたり迷惑をかける行為に関しては、『まあ、このくらいは良いか』とか、『仕方ないわね』とかいう、生ぬるい対応はしてくれない。

 人間として譲れないことに関しては、相手が他人様の子供だろうと自分の娘だろうと、ダメなものはダメと情け容赦なく厳然と言い渡す。

 それに、自分がこうと決めたら絶対引かない、頑固な人。
 私の頑ななところは、きっと、この母親譲りだと思う。

 どうせなら愛嬌のある見てくれや、強くしなやかで竹を割ったようなあっぱれな性格も、ちょっとは分けてもらいたかった。

「ご飯、作ってあるから起きなさい。母さんは用事があるから、食べたら行くからね」
「……え? 用事って、私に会いに来たんじゃないの?」

 確か昨夜、そう言ってたような気がするんだけど。
 忙しくてなかなか帰れないから、しびれを切らして会いに来たのかと思ったのに。

「あら、そうよ。『それ』も、用事の一つ。もう一つは、学生時代の友人の結婚式に出席するためなの」

 ニコニコとほほ笑む母の顔を、ぽかんと見つめる。

「え、結婚? って教え子じゃなくて友達の結婚式?」
「そうよ。はら道子みちこって、梓が小学生くらいの時によく家に遊びにきていた背の高い女性ひと覚えてない?」
「あ、うん。覚えてる。いつも美味しいケーキをお土産にもってきてくれたような……」

 特に、生クリームたっぷりな窯焼きシュークリームが絶品だった。

「彼女、五年前に旦那様を病気で亡くしてずっと一人だったんだけど、縁あって良い男性ひとと出会えてね、まあ、めでたく華燭かしょくてんを挙げることになったわけよ」
「そう……なの」

 とてもおめでたい話だけど、私的には『旦那様を病気で亡くして――』という方に粛然しゅくぜんとしてしまう。

 いつだって別れは辛い。そして哀しい。死別なら、なおさらだ。
 父が交通事故で亡くなった時の母の姿や、その時の感情を少しだけ思い出して、粛然としてしまう。

「ほーら、せっかくのご馳走が、冷めちゃうでしょ? 早くいらっしゃい」

 そんな私の気持ちの変化を見透かしたように、母は優しく笑んだ。


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