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101【真意⑰】

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 玄関ドアの前で谷田部課長と対面している人物は、例の婚約者候補嬢ではなかった。

 濃紺のスーツをきっちりと着込んだ、サラリーマン風の男性で、たぶん、年齢は三十代そこそこ。課長ほどではないけれど上背があり、手足が長いひょろっとした痩せぎす体躯の持ち主で、ホワンとした、柔らかな空気を身にまとっている。

 大型の草食獣を思わせるつぶらな瞳と、ひょうきんな小ぶりの丸メガネが、特徴と言えば言えるかもしれない。

 なんとなくキリンを思い出させる、妙に愛嬌のある人物。人の良さそうな、どこにでも居るようなサラリーマン。そんな感じだ。どこかで会ったと言われれば、そんな気もするけど、私の記憶の網にはまったく引っかかってこない。

「見ての通り、じゅうぶん取り込み中だから、用件は手短にしてくれよ、風間かざま

「心得ていますよ。用件の半分は君の所在確認ですから、もう済みました。後の報告は五分もあればOKです――が、『本当に』取り込み中なのでしたら、出直しましょうか?」

『本当に』のイントネーションに、かなりの皮肉の成分が込められている気がする。風間さんに、にこにこと邪気のない笑顔を向けられて、課長は苦笑いを浮かべた。

 見るからに『只今お取込み中』の看板を首から下げた状態の私は、半開きの、寝室のドアノブをつかんで固まったまま、笑顔をひきつらせるしかない。

――こういう場合、なんて挨拶すればいいんだろう?

 こんにちは?
 初めまして?
 いらっしゃいませ?

 ま、間抜けだ……。

「出直す気なんか、ぜんぜんないくせに、よく言うよ」

社交辞令しゃこうじれいってやつですよ。一応君は、大事なクライアントですからね、谷田部くん。僕だって少しは気を使います」

「クライアントの『ひとり』、だろう?」
「まあ、そうとも言いますね」

――クライアント?

 ビジネス上というよりは気の合う友人同士のような打ち解けた会話に、取り残された感いっぱいな私は、訳も分からず目を瞬かせた。

「初めまして、ですね、高橋さん」

 部屋の中央に配された応接セットに腰を落ち着けたお客人は、まず、私にそう言って、にっこり笑顔付きで名刺を差し出した。

 お茶を入れに行こうと座らずにその場を辞するタイミングをはかっていた私は、立ったまま失礼して、両手でその白い名刺を受け取る。

風間太郎かざまたろうです。谷田部君とは子供のころからの付き合いで、まあ、幼なじみの腐れ縁ってやつですね。こういう仕事をしていますので、どうぞごひいきに」

――え?

『風間探偵事務所 所長 風間太郎』

 白地に黒いインクで書かれた、ごくシンプルな名刺に視線を走らせた私は、意外すぎる職種に目を丸めた。

「探偵……さんって、ホームズとかポアロとかの、あの探偵さんですか?」
「はい、その探偵さんです」

 思わずまじまじと、向けられるにこにこ笑顔と白い名刺を交互に見比べてしまう。

 小説やテレビドラマでは大活躍の職種だけど、実際に生の探偵を目にするのは、初めて。キリンというか、麒麟きりんだ。

 伝説上の幻の珍獣を、見た気がする。


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