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73【親友⑧】
しおりを挟む「佐藤さんは、若いのに似合わず仕事熱心な娘だな」
スピード重視の食事が終わり、冷めかけたお茶をすすりながら課長が感心したように呟いた。この呟きの聞こえる範囲内に他の社員はいないから、おのずと私に向けられた言葉だった。
「そうですよ。私が退職したら、彼女がシングル筆頭の古株ですからね。頼もしい限りですよ」
「……それは、退職する予定があると言うことなのか?」
――え?
何気なく放った他愛もない言葉に対して思いもかけず課長から真剣な声音で質問が返ってきて、ドキリと鼓動が高鳴った。
恐る恐る質問主が座る課長席に視線を向ければ、そこにあるのは至極真面目な顔をした谷田部課長。
声も真剣なら、その表情も真剣そのもの。いつものニコニコスマイルは何処かへ影を潜めている。
――え? これはもしかして課長、何か誤解をしている?
その、あの、私が『寿退社』をするとか思ったり……してないよね?
「もしも、もしもの話です。別に退職する予定はありませんよ、今の所」
「そうか……。なら良いんだが。今君に辞められたら、フォローしきれないからな。もしもそう言う予定が決まった時は早めに伝えてくれ」
――なんだ。
やっぱり、そういうことか。
一瞬、ヤキモチでも焼いてくれたのかと思って、ドキドキしてしまった。
「はい。分かりました」
そして落ちる沈黙。
再び図面台に向かい、黙々とシャーペンを走らせるも、落ちたままの沈黙が痛い。
もしかして、課長、怒っていたりするのだろうか?
そんな気がして、図面台の陰から隣で自分の図面台に向かっている課長の表情を伺い見る。もちろん作図している間もニコニコスマイルを浮かべている訳ではないけど、やはり、その表情はいつもよりも不機嫌に見えた。
――や、やっぱり、怒っている?
私、何か、怒らせるようなこと、やっただろうか?
思い当たるのは、食後の会話くらいだけど……。
うー、やだなぁ、この雰囲気。
そんな居たたまれない沈黙に包まれたまま数時間が過ぎ、時計は既に午後九時半。私と課長以外の社員はみな退社してしまい、落ちた沈黙はますます深くなる。その沈黙を破ったのは、私のスマートフォンから鳴り響く電話の着信音だった。
仕事中はマナーモードにしてあるため、ブルル、ブルルと、振動をするスマートフォンを、制服のベストのポケットから取り出し、着信窓に視線を走らせる。
そこに表示されているのは、『佐藤美加』の文字。
美加ちゃんだ。
何か、図面で分からない事でもあったのだろうか?
とにかく通話ボタンを押して、耳に当てる。
でも――。
「もしもし、美加ちゃん?」
呼びかけてみても、反応がない。
――あれ? 切れているのかな? それとも電波障害?
スマートフォンの画面を確認しても、アンテナは綺麗に立っているから、少なくとも電波障害ではなさそうだ。
「もしもし? もしもし、美加ちゃん、聞こえる?」
私の様子を不審に思ったのか、「どうした?」と、課長が席を立って、歩み寄ってくる。
「あ、美加ちゃんからなんですけど、なんだか、電波が悪いのか良く聞こえなくて……」
訝しげな表情の課長と目配せし合ったその時。
「……パ……イ」
微かな声が、耳に届いた。
喉の奥から絞り出すような、まるで泣いているみたいな掠れた声音に、ドキリと背筋に戦慄が走る。
「美加ちゃん? ごめん、良く聞こえないの。もう一度言ってもらえる?」
「梓……先……っ」
電波障害なんかじゃない。
間違いない。
美加ちゃんは、電話の向こう側で、泣いている。
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