73 / 211
72【親友⑦】
しおりを挟む応援してくれる可愛い後輩もいることだし。
美加ちゃんの熱いエールに『私も頑張るよ』と言った手前、ここは一丁勇気を出して課長にアタック開始!
……なんてことは出来ないのが、やっぱり私、高橋梓。
結局、何も出来ないまま聞けないまま、時は過ぎて。
ふと気づけばいつの間にかうっとおしい梅雨は明け、暦は夏も近づく爽やかな文月、七月も中旬になっていた。
行動を起こさなければ良くも悪くも結果は明白で、課長とはなんら進展があるわけはなく、仕事に追われてそれどころじゃないのが、ありがたかったりする。
お昼休みが過ぎたと思ったら、あっと言う間に午後五時の終業時間がやってくる。
本日も相変わらず工務課内は当たり前の残業モード突入で、課長も当然のごとく私の残業に付き合っている。
特に無駄話をするわけでもなく、黙々と切りがない図面書きに没頭すること更に二時間が過ぎて、ただ今午後七時。
ここで、工務課の約半数を占める家庭がある主婦社員が帰路につき、残る私たちシングル組が店屋物で夕飯を取り、更なる残業に勤しむことになる。もちろん、私もご多分に漏れずシングル組の筆頭として、あと二、三時間は残業する予定だ。
毎日繰り返される結構ハードな業務内容に、若い女の子が多い事もあって、この課から他の一般事務職に移動願いを出す社員もいることはいた。それでも、多くの社員が多少の愚痴をこぼしつつも、このハードな仕事をこなしているのには、それなりの理由がある。
なにせ、仕事のメインでもある加工図面書きは、それこそ一本の線を書くところから始まり、嫌になるくらい練習を重ね。寸法の出し方から材料の取り方及び発注まで、その一つ一つを自分で体験して、失敗を重ねて身に付けてきた正に経験がものを言うお仕事。
人間、自分が苦労をして積み重ねて得たスキルを、そう簡単には手放せない。
それに、なにより、自分が担当した建物が完成した姿を実際目にした時の、あの感動。
自分がその一端を担ってこの建物を作り上げたのだと言う、誇りと達成感。あんな気持ちを一度でも味わったら、もういけない。どんなに面倒くさい図面でも、残業続きでも、『よし! 書いてやろうじゃない』と言う闘志が、フツフツとわいてくる。
自分はこの仕事に出会えて幸運だったなぁと、しみじみ感じ入りながら、届いた店屋物とセルフサービスのお茶をデスクに持ち帰り、さて今日のメニューのオムライスを食べよう! と『いただきます』をした所で、帰り支度をしていた美加ちゃんが声をかけてきた。
「課長、先輩。あたしは大木鉄工に完成図面を届けて、そのまま直帰しますんで、お先に上がりますねー」
大木鉄工は美加ちゃんの担当工事の下請け会社で、会社から車でも一時間半はかかる場所にある。
社長と奥様、そして社長の弟の職人さんの総勢三名の個人会社。自宅の隣りに工場があるので、今の時間帯に尋ねても、応対してくれるのがありがたい。
工期に余裕がある工事ならば、『図面を宅配で送って後日に電話で打ち合わせ』と言う形を取る事もできるけど、今回は大分締切りが押していて一日でも早く加工に入りたいのだ。
今夜のうちに図面を手渡せば、明日の朝一で、材料の裁断加工に入れる。締切に追われている時の一日は大きく、後でモノを言う。
『締切厳守』が、この業界の大原則。
鉄骨を組み上げるその当日に製品加工が間に合わなければ、計り知れない信用喪失と大きな金銭的損害を被る。信用を失えば次の工事受注は無いかも知れないのだ。だから、自然とスケジュールは前倒しに余裕を持って進めるのが通例だった。
「ご苦労様。車が込む時間帯だから、気を付けて」
本日のメインディシュッの和風魚定食を自分のデスクに置いた課長が、いつものニコニコスマイルで応じる。
「本当、慣れない道だから、気を付けてね。私は十時くらいまでは残業しているから、何か図面の説明で分からないことがあったら、すぐに電話してね」
私が声をかけると、美加ちゃんはニコリと破顔した。
「了解しましたー。ばっちり安全運転で行ってきますね!」
若いと言うのは素晴らしい。
この時間になっても、元気いっぱいエネルギッシュな美加ちゃんのパワーにあやかり、私も、もうひと頑張りしよう。
なんて自分に喝を入れていたら、美加ちゃんがスッと顔を近づけてボソッと耳打ちしてきた。
「先輩。今夜は、残業する人少ないですからね。頑張って下さいねっ」
「はいはい。頑張って柱詳細図を仕上げますよ」
美加ちゃんが何を頑張れと言っているのか分かっているけど、敢えて知らないふりでピントのずれた返事をしつつ、ウンウンと相槌を打つ。
「だーかーらー。そうじゃなくって」
「分かった分かった。ほら、約束の時間に間に合わなくなっちゃうよ。あ、でも、慌てないで行くのよ」
「分かりましたー」
少し頬を膨らましながらしぶしぶ頷くと、なんだかんだと言っても仕事熱心な美加ちゃんは、今日最後のお仕事へと向かって行った。
0
お気に入りに追加
962
あなたにおすすめの小説
【R18・完結】蜜溺愛婚 ~冷徹御曹司は努力家妻を溺愛せずにはいられない〜
花室 芽苳
恋愛
契約結婚しませんか?貴方は確かにそう言ったのに。気付けば貴方の冷たい瞳に炎が宿ってー?ねえ、これは大人の恋なんですか?
どこにいても誰といても冷静沈着。
二階堂 柚瑠木《にかいどう ゆるぎ》は二階堂財閥の御曹司
そんな彼が契約結婚の相手として選んだのは
十条コーポレーションのお嬢様
十条 月菜《じゅうじょう つきな》
真面目で努力家の月菜は、そんな柚瑠木の申し出を受ける。
「契約結婚でも、私は柚瑠木さんの妻として頑張ります!」
「余計な事はしなくていい、貴女はお飾りの妻に過ぎないんですから」
しかし、挫けず頑張る月菜の姿に柚瑠木は徐々に心を動かされて――――?
冷徹御曹司 二階堂 柚瑠木 185㎝ 33歳
努力家妻 十条 月菜 150㎝ 24歳
【R18】イケメン御曹司の暗証番号は地味メガネな私の誕生日と一緒~こんな偶然ってあるんですね、と思っていたらなんだか溺愛されてるような?~
弓はあと
恋愛
職場の同期で隣の席の成瀬君は営業部のエースでメガネも似合う超イケメン。
隣の席という接点がなければ、仲良く話すこともなかった別世界の人。
だって私は、取引先の受付嬢に『地味メガネ』と陰で言われるような女だもの。
おまけに彼は大企業の社長の三男で御曹司。
そのうえ性格も良くて中身まで格好いいとか、ハイスぺ過ぎて困る。
ひょんなことから彼が使っている暗証番号を教えてもらう事に。
その番号は、私の誕生日と一緒だった。
こんな偶然ってあるんですね、と思っていたらなんだか溺愛されてるような?
【R18】嫌いな同期をおっぱい堕ちさせますっ!
なとみ
恋愛
山田夏生は同期の瀬崎恭悟が嫌いだ。逆恨みだと分かっている。でも、会社でもプライベートでも要領の良い所が気に入らない!ある日の同期会でベロベロに酔った夏生は、実は小さくはない自分の胸で瀬崎を堕としてやろうと目論む。隠れDカップのヒロインが、嫌いな同期をおっぱい堕ちさせる話。(全5話+番外小話)
・無欲様主催の、「秋のぱい祭り企画」参加作品です(こちらはムーンライトノベルズにも掲載しています。)
※全編背後注意
セフレはバツイチ上司
狭山雪菜
恋愛
「浮気というか他の方とSEXするつもりなら、事前に言ってください、ゴムつけてもらいます」
「ぷっくく…分かった、今の所随分と他の人としてないし、したくなったらいうよ」
ベッドで正座をする2人の頓珍漢な確認事項が始まった
町田優奈 普通のOL 28歳
これから、上司の峰崎優太郎みねざきゆうたろう42歳に抱かれる
原因は…私だけど、了承する上司も上司だ
お互い絶倫だと知ったので、ある約束をする
セフレ上司との、恋
こちらの作品は「小説家になろう」にも掲載されてます。
新米社長の蕩けるような愛~もう貴方しか見えない~
一ノ瀬 彩音
恋愛
地方都市にある小さな印刷会社。
そこで働く入社三年目の谷垣咲良はある日、社長に呼び出される。
そこには、まだ二十代前半の若々しい社長の姿があって……。
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
狡くて甘い偽装婚約
本郷アキ
恋愛
旧題:あなたが欲しいの~偽りの婚約者に心も身体も囚われて~
エタニティブックス様から「あなたが欲しいの~偽りの婚約者に心も身体も囚われて」が「狡くて甘い偽装婚約」として改題され4/14出荷予定です。
ヒーロー視点も追加し、より楽しんでいただけるよう改稿しました!
そのため、正式決定後は3/23にWebから作品を下げさせて頂きますので、ご承知おきください。
詳細はtwitterで随時お知らせさせていただきます。
あらすじ
元恋人と親友に裏切られ、もう二度と恋などしないと誓った私──山下みのり、二十八歳、独身。
もちろん恋人も友達もゼロ。
趣味といったら、ネットゲームに漫画、一人飲み。
しかし、病気の祖父の頼みで、ウェディングドレスを着ることに。
恋人を連れて来いって──こんなことならば、彼氏ができたなんて嘘をついたりしなければよかった。
そんな時「君も結婚相手探してるの? 実は俺もなんだ」と声をかけられる。
芸能人みたいにかっこいい男性は、私に都合のいい〝契約〟の話を持ちかけてきた!
私は二度と恋はしない。
もちろんあなたにも。
だから、あなたの話に乗ることにする。
もう長くはない最愛の家族のために。
三十二歳、総合病院経営者 長谷川晃史 × 二十八歳独身、銀行員 山下みのり
切ない大人の恋を描いた、ラブストーリー
※エブリスタ、ムーン、ベリーズカフェに投稿していた「偽装婚約」を大幅に加筆修正したものになります。話の内容は変わっておりません。
【R18】優しい嘘と甘い枷~もう一度あなたと~
イチニ
恋愛
高校三年生の冬。『お嬢様』だった波奈の日常は、両親の死により一変する。
幼なじみで婚約者の彩人と別れなければならなくなった波奈は、どうしても別れる前に、一度だけ想い出が欲しくて、嘘を吐き、彼を騙して一夜をともにする。
六年後、波奈は彩人と再会するのだが……。
※別サイトに投稿していたものに性描写を入れ、ストーリーを少し改変したものになります。性描写のある話には◆マークをつけてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる