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第七話 【逢瀬】残酷な夢でも。
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しおりを挟む伊藤君。
大丈夫だから、そんなに心配そうな顔をしないで。
このまま、ちょっと休めば大丈夫……。
そう言って、笑顔を作ろうとするけど、力が入らない。
「立てるか?」
優しい言葉に、ようやく、コクリと頷きかえす。
私を支えるように、伊藤君の大きな手が背中に回った。
傷つけないようにと、そんな気遣いが感じられるその手が、ゆっくりと私を引き上げ、フワリと、鼻腔に届く微かな柑橘系の香りが、私の鼓動を早めていく。
背中越し。薄布だけを隔てて伝わる伊藤君の体温は、なぜかヒンヤリと心地よくて。涙がでそうなくらい、心地よくて。早まる鼓動に、更に拍車をかけて、私を追いつめる。
苦しい。
息が、出来ないよ。
「佐々木?」
耳に届く心地よい声に、ドクンと鼓動が一際大きく高鳴った。
――ああ、だめだ。目眩がする。
たぶん。私は、立ち上がったんだと思う。
大きな手の温もりと、甘い香りに包まれて、くらくらと、酷い目眩に襲われたことは覚えている。ただ、そこまで。
そこから。私の記憶は、ぷっつりと途絶えてしまった――。
体中が、熱い。
手も、足も、胸も、背中も。
頭のてっぺんから、足のつま先まで。
全身に走るのは、痛みをともなう灼熱感。
私は、動くことさえままならず、ただ力無く横たわっていた。ぜいぜいと、荒い自分の呼吸音だけが、世界の全てを支配している。
息が苦しい。
目が開かない。
声が出ない。
――ああ、きっと。バチがあたったんだ。
陽花を直也を、そして、自分自身の心を、欺いた、バチ。
「佐々木――、亜弓ちゃん!」
とぎれがちな意識の下。微かに、誰かが自分を呼ぶ声が、耳に届いた。優しい響きを持った、落ち着いたトーンの声には、聞き覚えがある。
――ああ。伊藤君の声だ。
「ほら、口を開けて」
口元に、ヒンヤリと硬質のものがあてがわれて、私は反射的に口を引き結んだ。
「佐々木、少しでもいいから、飲んでくれ。ほら、口を開けて」
「……っう……ん」
助けを求めて声を上げようとするけど、痛いほどに乾いた喉が掠れたうめき声を吐き出すだけで、言葉にならない。
止めどなく流れ落ちる涙の粒が、気休めに熱を奪って、灼熱する頬を伝い落ちる。
その頬に、ヒンヤリとした指先が触れて、涙の跡を優しく拭っていく。
不意に。唇に、柔らかい感触が届いた。そしてすぐさま口の中に満たされる、ヒンヤリとした液体。
――ほんのり甘い、これは、水?
私はその液体を、コクンと、喉を鳴らして飲み下した。飲みきれない分量が、口の両端から溢れて喉へと伝い落ちる。まるで、儀式のように。何度となく繰り返される動作で、少しずつ喉の渇きが癒されていく。
目を、開けたらいけない。
目を開けたら、きっと全ては消えてしまう。
そう。
これは、夢の続き。
残酷で、幸せな、夢の続き――。
溢れ出す涙が頬を濡らす。
そして。
再び、唇に届いた柔らかい感触に包まれながら、私の意識は、深い闇の中に落ちていった。
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