21 / 52
第七話 【逢瀬】残酷な夢でも。
21
しおりを挟む海水浴シーズンの浜辺は、ちょうど夏休み中ということもあって、大勢の人で賑わっていた。
小さな子供がいる家族連れ。ペットを連れた人。友達どうし。そして、恋人達。
サンサンと降りしきる真夏の太陽の下。少し強い海風に乗って、波の音に混じった楽しそうな笑い声が、あちこちから聞こえてくる。
何度となく、想像してみたこんなワンシーン。抜けるような青空。白い、入道雲。どこまでも続く海原を渡る風に吹かれながら、『あなたと二人』で、こんなふうに波打ち際を歩くこと。
一生、叶うことのない夢だと、そう思ってた。
「水着でも持ってくればよかったな」
楽しそうに水と戯れる子供達に、伊藤君は穏やかな笑みを向ける。脳内を、伊藤君の海パン姿がグルグル周り、思わず顔に血が上る。
「そ、そうだねー」
そ、それは、ちょっと刺激が強すぎます、伊藤君。
ただでさえ心臓バクバクなのに、そんなあられもない姿なんて、絶対直視できないよ。もう、鼻血ブーものです、はい。なんて、本音を言えるはずもない私は、思わず笑顔が引きつった。
それにしても、どうして、思うように言葉が出ないのだろう?
色々と、聞きたいこと話したいことは山ほどある……はずなのに。いざこうして、その機会に直面すると、何も言葉が出てこない。
何も言わずにこうして隣を歩く。伊藤君の気配を傍らに感じていられる、それだけで、もう胸がいっぱいになってしまう。
それは甘酸っぱくて、切なくて、幸せな感覚。
だけど、その一方で、拭うことが出来ない罪悪感が心の奥にわだかまっているのも確かだ。
――私は、自分の恋人を、友達を、裏切っている。
その心の痛みは、消えてはくれない。
伊藤君は、そんな気持ちになったりしないのだろうか?
そろりと。彼の横顔を見上げると、それに気付いた伊藤君が「うん?」と、首を傾げた。私に向けられる、真っ直ぐな黒い瞳には、なんの陰りも見つからない。
「あの、ね……」
「うん?」
「伊藤君は……」
どういうつもりで、私を誘ったの?
一番聞きたくて、そして聞きたくない質問が、出所を失って私の胸でグルグルと渦を巻く。
そんなことを聞いて、どうするの?
聞いたからって、何かが変わるとでもいうの?
何も変わらない。
伊藤君は、私の親友の彼氏。私は、伊藤君の彼女の親友。
そのポジションが、変わることなんかありえないんだから。
それに。そもそもが、特別深い意味なんか無いのかもしれないじゃない? たまたま久しぶりに会った同級生を誘って、ドライブに来た。それだけのこと。そう、それだけのことよ。
自分に言い聞かせるように静かに目を閉じると、周りの賑やかな音が戻ってきた。心地よい海風が、アップダウンの激しい心の熱を奪って鎮めていく。
「佐々木、気分でも悪いのか?」
「あ、ううん、違う違う!」
我知らず足が止まっていたようで、数歩先離れた所から、伊藤君の心配げな眼差しとセリフが降ってきて、ハッとした私は頭と右手ををブンブン振った。
やめやめ!
ぐだぐだ考えたって、なんになるの。
そうよ。
こんな機会、二度とないんだから。
今は、この瞬間を、大切にしよう。
密かな決意を胸に秘め、ニッコリと会心の笑みを浮かべる。
「私、お腹空いちゃった!」
ただ遠くから見ているだけだった、『あの頃の私』は、もう居ない。
本音と建て前を使い分ける。
私だって、このくらいの芸当が出来るような『大人』になったのだ。
0
お気に入りに追加
85
あなたにおすすめの小説
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
"わたし"が死んで、"私"が生まれた日。
青花美来
ライト文芸
目が覚めたら、病院のベッドの上だった。
大怪我を負っていた私は、その時全ての記憶を失っていた。
私はどうしてこんな怪我をしているのだろう。
私は一体、どんな人生を歩んできたのだろう。
忘れたままなんて、怖いから。
それがどんなに辛い記憶だったとしても、全てを思い出したい。
第5回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。ありがとうございました。
【完結】彼を幸せにする十の方法
玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。
フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。
婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。
しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。
婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。
婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる