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プロローグ 愛と友情の狭間で。
03
しおりを挟む私と色違いの、裾に赤い金魚柄が入った淡い空色の浴衣から出た手足は、白くて折れそうに華奢なのに、しゃんと伸ばした背筋と真っ直ぐな眼差しは、とても力強くて。
そう。
その姿はまるで、太陽を凛と見つめ続ける、向日葵の花を思わせる。
向日葵は、どんなに強い日の光に焼かれたって、太陽を見つめるのを絶対やめない。とてもとても、強い花――。
綺麗だね、陽花。
外見だけじゃなく、真っ直ぐでひたむきなその気持ちが、とても綺麗。
「そっか……。もう、決めたんだね?」
陽花は、ピンクの頬を朱に染めて『コクリ』と頷いた。
ああ。
とうとう、この日が来た。
とうとう、この日が来てしまった。
そう思った。
私は、賑やかな祭りの人波の流れの少し先を歩く、『彼』の背中にゆっくりと視線を送った。
中学の頃からトータルすれば三年あまり。私が心密かに思っていた片思いの相手、伊藤貴史君。
サッカーで鍛えたしなやかな均整の取れた体躯。日に焼けた、小麦色の肌。
こうと決めたら、ぜったい引かないその性格を表すような、少し鋭い感じのする、黒い切れ長の瞳。
でも、笑うと、まるでやんちゃ盛りの少年のような屈託のない表情になる彼、『伊藤君』。
伊藤貴史君は、私の同い年のいとこ・佐々木浩二の友人でサッカーのチームメイト。そして。
私、佐々木亜弓の一番の親友・三池陽花が、入学式の日に一目惚れをしてから今までずっと、一途に思い続けている『片思いの相手』だった。
この四カ月間。
伊藤君に対する陽花のひたむきな想いを、私は目の前で見てきた。陽花が、どんなに伊藤君を好きなのか、一番良く知っている。
だから。
「陽花、ファイト!」
右手に青い水風船。左手には、赤いリンゴ飴。私は、それをギュッと握りしめると、両手でガッツポーズを作って、笑顔でエールを送った。
「あーちゃん、わたし……」
一歩、足を踏み出して、ハルカはためらったように私を振り返った。
揺るぎなかったその瞳の中に、微かに迷いの色が浮かんでいる。
そりゃあ、怖いだろう。
告白したって、その想いが届くとは限らないんだから。
私にも、その気持ちは痛いくらいに分かっている。でも。
「大丈夫だよ。きっと伊藤君だって、陽花のこと嫌いじゃないって、ほら、行ってきな!
ポン!
と、私は、空色の浴衣に包まれた華奢な陽花の肩を、励ますように押し出した。
「うん!」
陽花が、満面の笑顔で頷く。
「玉砕覚悟で行って来るね!」
「頑張れ、陽花っ!」
大きく振った手の先で、まるで今の私の心を映すみたいに、左右に揺れた水風船が、バシャバシャと水音を上げる。
――伊藤君。
伊藤君なら、きっと陽花に特上の笑顔をくれる。
ぶっきらぼうに見えても、本当は優しい人だと知っているから。
きっと、陽花は、幸せになれる。だから私は、笑顔で「おめでとう!」って言うだろう。
プチン――。
ブンブンと振り続ける指先に、ゴムが切れた感触が走った。
フッと、軽くなった指先に宿る言いようのない喪失感に思わず手が止まり、視線の先をコントロールを失った水風船が、放物線を描きながらスローモーションで空を飛ぶ。
青い残像がゆっくりと尾を引き、やがて人波に紛れて消えていく。
あの水風船は、地面に落ちて割れるのだろうか? それとも、誰かに踏まれて割れるのだろうか?
心の奥が、痛い。
陽花は、一番大切な友達。
伊藤君は、一番好きな、大好きな人――。
陽花と伊藤君。
私には、同じくらい大切で、同じくらいに失いたくないもの。
どちらかを選ぶことも切り捨てることも出来ない。
だからきっと、この胸の痛み、そんな私への天罰だ。
好きな人に『好きだ』と告げる勇気を持てなかった、 一番、自分が傷つくことが恐かった、不甲斐ない私自身が自ら引き寄せた天罰。
どんなに時が流れても、忘れられない光景がある。
天空にぽっかり浮かぶ、白い満月。
広がる、満天の星屑。
遠くで聞こえる、祭り囃子の太鼓の音。
リンゴ飴の、甘いにおい。
水風船の鮮やかな青と、ヒンヤリとした手触り。
そして。
心の奥に、微かな痛みを伴う、忘れられない想いを抱いたまま。
今年も又、夏が訪れる――。
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