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第七章 記 憶 《Memory-5》
109 トラウマ
しおりを挟む目の前でハンドルを握る玲子の姿をした誘拐犯。今、こいつは体自体は玲子のものだと言った。
研究所の地下で襲われたとき、こいつは黒田マリアの顔と記憶を奪って、用がなくなったマリア本人は『冷たい土の中』だと愉快そうに語った。
だからあのときは、黒田マリアになりすましていた。つまり、変装をしていたのだと思う。
――どういうこと?
まるで幽霊が取りつくように、人の体を操れるような超能力があるってこと?
パニックに陥る一歩手前で、優花は必至に考えを巡らせる。ここにはいつも守ってくれていた晃一郎もリュウもいない。自分で突破口を見つけなければ、この状況から脱することはできないのだ。
まず確認しなければならないのは、玲子の安否。体は動かないままだが、かろうじて声だけは出せる。
「……玲子ちゃんは、どうしたの?」
震えそうになる声をどうにか絞り出せば、黒田マリアもどきは愉快そうに口を開いた。
「へぇ。こんな状況でお友だちの心配? ずいぶん余裕があること。人のことより自分の心配をした方がいいんじゃないの?」
「玲子ちゃんは、どうしたの?」
揶揄するよな黒田マリアの挑発には乗らずに、優花は少しだけ語気を強めて同じセリフを繰り返す。
「ふふふ。今はまだ無事よ。無理やり大量の情報を引っ張り出したから、多少記憶に混乱は残るだろうけど、自我の崩壊までは至っていないわ」
『自我の崩壊』。不穏過ぎるワードに、優花は息をのむ。
青ざめる優花の様子を横目でチラリと確認すると、黒田マリアもどきはニヤリと口元を愉悦の形にゆがませて、さらなる精神攻撃をしかけてきた。
「そういえばあなた、この世界に来たとき、車の事故で死にかけていたんですってね」
「……え?」
いきなり振られた脈絡のない話題について行けずに、優花は眉根を寄せる。
「一緒に乗っていた両親の生死も分からないんでしょう?」
「……」
両親のことを持ち出して、不安を煽りたいのだろうか?
敵の意図が分からず、優花は黙って相手の出方を待った。
「ねえ、普通、そんなトラウマ級の事故にあったら、車に乗るの怖いんじゃないの?」
「……えっ?」
そう言われれば、そうだ。凄惨な事故の記憶はあるのに、その記憶に恐怖は感じない。だから、車に乗ること自体に恐怖感がないのだ。そのことに気付いた優花は、ドキリとした。
事故の後、初めて車に乗ったのは、海辺のコテージからリュウの屋敷に移るときだった。確かにあのとき、事故のことを思い出して怖くなった優花は車に乗るのをためらった。だが、晃一郎が『車が怖くなくなるおまじない』だと言って、優花の額に手のひらをあてたら、なぜかすっとその恐怖感はなくなった。
「ふふふ。思い出した? 御堂晃一郎は、事故の記憶にともなう車に対する恐怖感にロックをかけたの。分かりやすくいえば、応急処置的に恐怖を感じず車に乗れるように暗示をかけたわけ」
だからなんだと言うのか。優花が知りたいのは、今玲子の心がどうなっているかなのに。
「お礼その一として、まずはその暗示を解いてあげる」
「……!?」
次の瞬間、優花を襲ったのは、全身を殴りつけられたかのような恐怖感。
ぶわっと、全身に鳥肌が立つ。
一気に事故の時の記憶が生々しくよみがえってきて、車の窓越しにゆっくりと流れる、雨に濡れた街の風景がグラグラと揺れた。
――ああ。あああああ!
大きすぎる恐怖心から逃れるように、明滅する意識。
「グルルル……!」
優花の膝の上で、ポチがひと際大きな唸り声を上げるが、ポチとて首輪で力を封じられていて身動きができないのは優花と一緒だ。
「楽しみにしているのね。あのとき、研究所の地下で飲まされた煮え湯を、何倍にも何十倍にも増やして返してあげるわ」
クスクスと響く冷酷な笑い声を、優花は途切れがちな意識の下で遠くに聞いていた。
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