上 下
81 / 132
第五章 記 憶 《Memory-3》

81 怪しすぎる人物

しおりを挟む


 今の今まで、目の前にその背中があったのに、どうして?

「晃……ちゃん?」

 心細さで、名を呼ぶ声が震えてしまう。

 きっと、死角になっている場所に入り込んでいるんだ。呼んだら、すぐに返事をしてくれる。

 そう自分に言い聞かせ、かすかな期待をこめて、もう一度声を上げる。

「晃ちゃん、どこに居るの?」

 だが、応えはない。

 シンと、静まり返ったガランとした空間が、優花の震える声を吸い込むように消していく。

――や、やだっ。
 どこに行ったの?

 ぐるりと周囲を見渡し必死でその姿を探すが、どこにも見当たらない。

「晃ちゃんっ!」

 泣きそうになりながら上げた叫び声に、クスクスと、楽しげな笑い声が重なった。

「あらあら、おいてけぼりなんて、酷い彼氏ね」

 すぐ近くそれも耳元で、ささやくような言葉が落とされ、優花は「ひっ」っと声にならない悲鳴を上げて、その場に尻餅をついてしまった。腰が抜けるとよく言うが、まさに、それだ。

 必死で、立ち上がろうとするが、手足に力が入らない。

「だ、だ、だ、だれっ!?」

 幽霊だったら、泣く。
 絶対に、泣いてやるっ!

 精神が均衡を保とうと、あらぬ方へ思考が逃げる。

「さあ、私は、誰でしょう?」

 大人の女性特有の、落ち着きと艶やかさを兼ね備えた柔らかな声音には、聞き覚えがあった。

 そう、ごく最近聞いた声だ。

 恐々と上げた視線の先には、見覚えのある人物が立っていた。

 ゆうに百七十センチはあるだろう、すらりとした体躯。でも、出るところは出てますな、ナイスなボディープロポーション。

 理知的な光を宿す、二重の切れ長の瞳の色は、クール・ブルー。ややくせのある長い髪は、鮮やかな栗色だ。

 白衣にメガネに髪型アップ。ではなく、黒いボディースーツに黒いライフジャケット。

 身にまとっているアイテムは違うが、この人物は間違いなく。

「黒田……マリア?」

 呆然と落とした優花のつぶやきに、黒田マリアは、形の良い赤い唇をにいっと笑いの形に吊り上げる。

「はい、ご名答。エレベーターの女、黒田マリアでーす」

 ふざけた口調が、空々しく響く。

 笑った表情を作ってはいるが、蛇を思わせる粘着質の視線を向けるその目は、欠片も笑っていない。

 この人は、表情や語り口通りの明るく気さくな人物じゃない、そう装った裏側で、冷たく淀んだ腐水のような感情があふれている。

――怖い。
 この人は、怖いから、嫌だ。

 エレベーターの中で、握手をしたときに走った嫌悪感がリアルに脳裏をよぎり、優花の手は小刻みに震えた。

「どうして……?」

 今ここにこの場所に、この人が居るのだろう。

 優花も、イレギュラーの通報をしたのが、この人物だと聞かされている。そもそも通報義務があるのだから、それ自体は不思議ではない。

 だが、研究所の幹部しか知らない避難シェルターのある地底深くに、それも見るからに怪しげなカッコウをして、まるで優花を待ち伏せてでもいたかのように現れる、この状況が怪しすぎる。

「それはね。あなたを、あのセキュリティー万全の研究所から、あぶり出すためなの」

「え……?」

『炙り出す』

 不穏な響きを持ったそのフレーズに、優花は、びくりと肩を震わせる。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈 
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

処理中です...