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第四章 記 憶 《Memory-2》
76 安寧の終わり
しおりを挟む国の機関であるこの研究所に他の機関の査察が入る場合、事前通達があるのが常だ。
公安といっても、所詮は国の機関。直前の通達という所が公安側のぎりぎりの譲歩ラインなのだろうが、杓子定規どおりに通達を出してきてくれたのが幸いした。
おかげで、優花に関する情報の事前削除も可能だし、逃げる時間も稼げる。
情報の削除は短時間で可能だから、さほど問題ない。それよりも、心配なのはあの二人だ。
「晃と、優花ちゃんには?」
『もう知らせてある。今はとにかく、捕まらないことが最優先だからね。急いで外に出る準備をしているよ』
「そうですか……」
つかの間の安寧は、たった今終わりを告げた。これからあの少女が見舞われるであろう嵐の激しさを思い、リュウは、小さなため息をついた。
※ ※ ※
突然の嵐到来を知らせる鈴木博士からの電話と、続きざまにかかってきたリュウの電話の後。
『今から、ここを出るから、すぐに用意しろ』
と、緊張気味の晃一郎に指示された優花は、状況を飲み込めないまま、慌てて荷造りをしていた。
荷造りといっても、スポーツ・バック一つ分。『買い替えのきく物は、全部置いていけ』と、晃一郎に厳然と言い渡されているから、さほど量は多くはない。
さし当たって必要な、数日分の着替えと、女の子の必需品。洗面道具やクシ、ヘアゴム、リップクリーム。それと、御堂画伯の『ナノマシンちゃん画』を、バックの底に忍ばせるのは忘れない。
――まるで、お泊りセットみたい。
『公安の対ESP特務部隊が捕まえにくるから逃げろ』
なんて言われても、イマイチぴんと来ないのが、優花の正直なところだ。
「それでいいんだな? 他の物は処分しちまうぞ?」
「え……、処分って?」
「この場で、消しちまうってことだ」
優花が胸に抱えていたスポーツバックを受け取り、自分の肩に掛けた晃一郎にそう言い渡され、優花はぎょっと目を丸めた。まさか、即、このまま消滅処分されてしまうとは、思わなかったのだ。
晃一郎には亡き恋人のように、自分自身や大きな物質を空間を越えて運ぶテレポート能力はない。移動できるのはせいぜい500mlのペットボトルくらいまでだ。今回の場合のように大量の荷物を短時間で処分するなら、物質を分解して気化させてしまった方が手っ取り早い。
公安の中には、物質に残った持ち主の記憶を読み取ることのできる、『サイコメトリー能力』を持つものが居る。優花が使っていた家具や生活用品、それがそのまま情報を得る媒体になってしまう。
「悪いが、証拠になるものを、残しては行けないからな」
「え、えっと、じゃあ、これも!」
優花は、カウンターテーブルの上の観葉植物の鉢植えを、しっかりと両腕に抱える。
自然と触れ合う機会がほとんどない環境の中で、この植物たちには、いつも慰められた。人口的な紫外線ライトの光だけで、けなげに葉を広げ、花を咲かせる植物たち。
この子たちも、懸命に生きてる。
その命を、消してしまうには忍びなかった。
「それで、いいな?」
優花は、あまり広いとはいえない、室内にゆっくりと視線を巡らせた。
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