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主と旦那様3

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◇◇◇◇


 カワセミは阿形へと振った腕を降ろすと、片手に抱いたままの白うさぎを見た。
 白うさぎは益々顔を白くさせ、割れた丸鏡を抱き、着物の胸辺りを押さえている。

「白うさぎ、阿吽あうんがヘビを留めているうちに、お前を帰す……走れるか」

「……いたい」

 少女は呟き、腕へと預けたままの身を立てず、じっと白い大蛇を見ている。
 カワセミは、そっと白うさぎの体の具合を探り、足を診た。

「折れてはいないが、お前細いからな……ヒビと打ち身が酷いだろう。吽形の手当てを待ちたいが、阿吽あうんも取り込み中だ。私が背負う、ほら、背においで」

「ここから離れない。旦那様の為に、白ヘビ様を食べなきゃ」

 白うさぎは動かずに、カワセミの腕の中でじっと大蛇を見続けている。

(やはり、旦那様か)

 カワセミは少女の細い体をもう一度眺めた。
 
 今回の怪我以外に、真新しい傷と痣はない。
 香油で手入れされた白い髪も、栄養の行き届いている艶やかな頬も、着慣れた振袖も、すべてが旦那様からの寵愛を示している。
 いつかの前には、馬小屋に置かれていた、悲しい荷物。

 大蛇を呼ぶように見つめる紅い目の前へと、ふいにカワセミが顔を出し、その視線を遮った。
 あかい目がつい、とカワセミを見る。

「……白うさぎ、『自分が幸せならば、それでいい』それがお前か」

「っ違うよ!」

 唐突に言われ、白うさぎがわっと怒る。

「ちがう! わっちは旦那様が幸せになればそれでいいっ」

「旦那様が好きか」

「好きだよ! 大好き。姉様駒はわからないのかなぁ、わっちは旦那様が、だいだい大好きなの。わっちの一等尊いお方は旦那様っ」

 こんなにも身を尽くす働きをする自分を、何故理解できないのだと、白うさぎが幼い癇癪かんしゃくをおこす。 
 自分自身の為に動いている、そう思われていたのかと考えると、屈辱で白い頬に血が巡った。


「すべてはわっちの大好きな旦那様の為だ。なんでわかんないのっ、なんで邪魔すんの」

 怒鳴り騒ぐ白うさぎの目の前で、カワセミの片手がふいに上がった。
 白うさぎの体が、瞬時に思い出した嫌な過去に身をすくまさせ、ぱっと紅い目をつむらせた。

(ぶたれる)

 ひたり

「…………つめたい」

 カワセミの手が、白うさぎの熱くなった頬へと、優しく当てられた。
 冷たい手が、ひんやりと血の巡りを押さえる。

「大事な話。よく聞いてくれ」

「……」

 静かな声音に、紅い目を開く。
 初めて間近で見た娘の目は、とても澄んでいた。その目が、じっとこちらを見つめてくる。

「白うさぎ、お前ならばわかるはずだ。奪われ続けられたのは、お前も同じはずだ」

 紅い目が揺らぐ。

 人としての尊厳を、生れた時から世間に奪われ続けた白うさぎ。ついには、自身の生さえも親に売られた、白い少女。
 カワセミはなおも続けた。白うさぎにわかるように、ゆっくりと。大きな声を嫌う少女の為に、出来るだけ優しく説く。

「大好きな旦那様の為に、いま、お前が奪おうとしているのは、獅子と狛犬の、大好きな旦那様なんだよ」

「あ」

 わっちの、大好きな『旦那様』
 獅子と狛犬の大好きな、『旦那様』

 すとんと胸に落ちる言葉。

「お前の『奪うな』は、獅子と狛犬にとっても『奪うな』、お前の『大好きな旦那様の為』は、獅子と狛犬にとっての『大好きな主の為』、お前の『旦那様の願いを叶えたい』は、獅子と狛犬にとっての『主の思う通りにしたい』なんだ」

 紅い目に翡翠が説く。

 『好き』だけで喜び、心から仕える自身の気持ちは、獅子と狛犬にとっても同じこと。
 
 どんなに気が荒い神を設えても、逃げ出さず、手さぐりで向き合い、真摯に仕える。それが、お役目だからと割り切れるだろうか。
 どんなに世間とは違う行く末を求められようと、『神』になる決意をしたのは、ただ、拾ってくれた、養ってくれた、その恩返し。と言い切れるだろうか。

(わっちは奪おうとしている。赤い獅子と青い狛犬の、『旦那様』を奪おうとしている。『大好き』を奪おうとしている……。それって、本当に駄目な事だ、やっちゃいけない事だ、わっちから旦那様を奪うのと同じくらい、絶対絶対、駄目な事だ)

 理解の色を認め、カワセミの手が白うさぎの頭を撫でてやる。

「わかったようだな。……わかったことを隠すなよ、その身を他者と置き換え、理解したことを誤魔化すなよ。『だって』だとか『だけど』とか、自分の幸せだけを優先する言い訳をするなよ」

 ちらりと浮かんだ、悲しい悪あがきの言葉を、翡翠がすべて優しく奪う。
 紅い目がどうしていいか分からず、黙ったまま答えを欲し、見上げた。

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