37 / 147
手負い、のけもの3
しおりを挟む「阿形」
吽形は気を荒げる阿形の前へと座ると、雌鹿ほどになってしまった唸る獅子に向かい、改めて深々と頭を下げた。
「許してくれ」
一心同体を謳う狛犬は何をとは言わない。ただ、頭を下げるばかり。
平常であれば、阿形は吽形の肩に手を当て「頭を上げてくれ、うーさん。わしら、そんなのはいらないよ」と笑って言っただろう。しかし、神獣としての身が乏しくなった阿形の胸の内が「すぐに許すな」と騒いで聞かない。妙に意地の悪い思いだけが、ふつふつと込み上げてしまう。
波が小石をさらいながら寄せる音で、歪んだ鞠の目の獅子が唸り声を響かせる。
狛犬は首の後ろを晒し、じっとその声を聞いた。
(今の阿形には簡単に許してもらえない。しかし、今の阿形に許してもらいたい)
邪気も穢れも、血も通った神獣の体。
その対の神獣へと、吽形は頭を下げ続けた。
ばしん
「こらっ、め! だぞ。ねこ」
「痛っ」
カワセミが強めに阿形の頭を叩いた。
凛と鳴る目が、阿形を見つめて来る。
「阿形、これは引きずる事ではない。お前も言いたい事を言った、自分の非も分かっている。吽形は、ただひたすらの一心で阿形に謝っているよ」
阿形がぐっと口をつぐむと、騒いでいた胸が詰まった。
カワセミの目が鞠の目にそそぎ、その苦しい胸の内を清涼な目先の音で散らす。
「阿形、許す時を違えるな」
「……」
阿形は、下がったままの吽形の頭を見た。青海波の髪が、神社も主も阿形さえも守る為、祓い押し退けた邪気と穢れで艶を失っている。
こつん
阿形は吽形の頭へと鼻先を押し付けた。
「許す」
顔を上げた吽形が、本心を見定めるように鞠の目を見てきたので、阿形はその目を細め笑った。
笑うと不思議と気が解れ、またこうして吽形と面と向えることが嬉しくなる。
「もうよい、吽形。わしら、一心同体じゃ。うーさんを許すことは、わし自身を許すようなもの。あぁ、気が晴れた。わし、何かに腹を立てるのは不得手じゃ。もう良い、神社も主も無事なら、この穢れ小さくなった身でも構わぬ気さえする。はは、いっそ、畜生でもいっか」
「や、困るぞ。それはいけない。『畜生』などとまた易々と穢れようとして、そんな考えを持つな。畜生などと言う言葉は、わしがもらい受ける、ちくしょう」
阿形が戯れの言葉で『畜生』と口にすれば、真面目な吽形がその言葉を穢れと早とちりし、言霊ごと引き取ってしまった。
阿形が口を開け笑う。変わらない真珠の牙が、きらりと光った。
「うーさんはどこまでも神獣の鏡だな。もう知らん。それ、やる。真面目な吽形には丁度良い」
言霊が吽形の唇にとまった。
カワセミは、初めて目にした言霊の応酬を、不思議そうに見ていたが、吽形の口元に留まった言霊の気配をも追えるのか、すらりと手を伸ばし吽形の口へと指を押し当てた。
「言霊を見るのは初めてだ。幽かなこれは、蛍のようだな」
「っ……」
吽形は、カワセミにしみじみと口元を見つめられたうえに、先程見惚れた長い指を、ひたりと唇へと当てられ、気恥ずかしさを隠そうと口を堅く結んだ。
そんな半身の様子を見止め、阿形がここぞとばかりに、鞠の目を輝かせる。
「なぁ、うーさん。いま、どんな心持ちなんだ?」
「ちく……!」
「あ」
阿形にそう誘われ、吽形が口元に宿る言霊のまま、「畜生」と悪意無い悪態をつこうとした。
唐突に、開いた口へとカワセミの指がすべる、そこへと、吽形の唇が上から食み押さえてしまった。そして、二対が初めて耳にする、恐らく発したカワセミ自身も、初めて聞いただろう、愛らしい小さな悲鳴。せつな時が止んだ。
「っ! すまない! 許せ、まったくもってやましい気なぞ持っていないんだ。ちくしょうっ」
吽形がざっと後ろへと身を引き、手を伸ばしたまま固まるカワセミから離れると、角を頂いた額を地に伏せ、土下座する。
狛犬の慌てぶりに、獅子が笑った。
「ふふっははは、なんじゃ、もぅ。わしの時も、そのぐらいの勢いを見せてくれれば、もっと易く許してやったのに、なぁ」
阿形が楽し気に笑うほど、赤い巻き毛が揺れる。
カワセミは頬を染めたまま、きゅっと指を握り、ぽかり、と笑う阿形を殴った。
「あいたーっ」
「ねこっ、私をからかうな! ……阿形?」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
アンドロイドが真夜中に降ってきたら
白河マナ
キャラ文芸
夜中。天井を突き破って現れたのはアンドロイドの少女だった。カナと名乗ったアンドロイドは、高校生の伊月進(いつきすすむ)に会いに来たという。理由は話してくれない。カナは伊月家の居候となり、進はそれをきっかけに徐々に過去の記憶を思い起こすことになる。カナがなぜ伊月家にやってきたのか、何を求めて進に会いに来たのか、その理由を知った進は――
EDGE LIFE
如月巽
キャラ文芸
「能力者」と呼ばれる特殊な力を宿した人間が増えてしまった近現代。
異質な能力を悪用した犯罪は増加傾向
能力を持たない者達で成る保安機関では歯が立たず、能力者を裁く事を稼業とする者も現れた
業務代行請負業 ─ 通称【請負屋】
依頼人に代わり、能力仕事を請け負う稼業、「請負屋」の双子兄弟・新堂疾風と新堂疾斗が
無理難題に等しい依頼を解決していく物語
目には眼を、歯には刃を
能力者には、能力者を。
チート薬学で成り上がり! 伯爵家から放逐されたけど優しい子爵家の養子になりました!
芽狐
ファンタジー
⭐️チート薬学3巻発売中⭐️
ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。
嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる!
転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。
新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか??
更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!
壺の中にはご馳走を
碇
キャラ文芸
神楽坂真也<かぐらざか しんや>は、心霊現象に悩まされていた。
その悩みを解決するべく、小ぢんまりとした店「ティサ」に入る。
店主の高納茉美<たかのう まみ>は、知る人ぞ知る祓い人だ。
祓い方は壺に話を聞かせるという独特なもので……。
評判を聞きつけて恐怖体験を話しに訪れる人々。
壺は彼らの業を今日も喰らっている――。
血などグロテスク表現を含む話があるので、一応R-15です。
悪意か、善意か、破滅か
野村にれ
恋愛
婚約者が別の令嬢に恋をして、婚約を破棄されたエルム・フォンターナ伯爵令嬢。
婚約者とその想い人が自殺を図ったことで、美談とされて、
悪意に晒されたエルムと、家族も一緒に爵位を返上してアジェル王国を去った。
その後、アジェル王国では、徐々に異変が起こり始める。
【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~
tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。
番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。
ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。
そして安定のヤンデレさん☆
ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。
別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。
諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~
七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。
冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??
異世界だろうがソロキャンだろう!? one more camp!
ちゃりネコ
ファンタジー
ソロキャン命。そして異世界で手に入れた能力は…Awazonで買い物!?
夢の大学でキャンパスライフを送るはずだった主人公、四万十 葦拿。
しかし、運悪く世界的感染症によって殆ど大学に通えず、彼女にまでフラれて鬱屈とした日々を過ごす毎日。
うまくいかないプライベートによって押し潰されそうになっていた彼を救ったのはキャンプだった。
次第にキャンプ沼へのめり込んでいった彼は、全国のキャンプ場を制覇する程のヘビーユーザーとなり、着実に経験を積み重ねていく。
そして、知らん内に異世界にすっ飛ばされたが、どっぷりハマっていたアウトドア経験を駆使して、なんだかんだ未知のフィールドを楽しむようになっていく。
遭難をソロキャンと言い張る男、四万十 葦拿の異世界キャンプ物語。
別に要らんけど異世界なんでスマホからネットショッピングする能力をゲット。
Awazonの商品は3億5371万品目以上もあるんだって!
すごいよね。
―――――――――
以前公開していた小説のセルフリメイクです。
アルファポリス様で掲載していたのは同名のリメイク前の作品となります。
基本的には同じですが、リメイクするにあたって展開をかなり変えているので御注意を。
1話2000~3000文字で毎日更新してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる