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手負い、のけもの3

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阿形あぎょう

 吽形うんぎょうは気を荒げる阿形の前へと座ると、雌鹿ほどになってしまった唸る獅子に向かい、改めて深々と頭を下げた。

「許してくれ」

 一心同体をうたう狛犬は何をとは言わない。ただ、頭を下げるばかり。
 平常であれば、阿形は吽形の肩に手を当て「頭を上げてくれ、うーさん。わしら、そんなのはいらないよ」と笑って言っただろう。しかし、神獣としての身がとぼしくなった阿形の胸の内が「すぐに許すな」と騒いで聞かない。妙に意地の悪い思いだけが、ふつふつと込み上げてしまう。

 波が小石をさらいながら寄せる音で、歪んだ鞠の目の獅子が唸り声を響かせる。
 狛犬は首の後ろをさらし、じっとその声を聞いた。

(今の阿形には簡単に許してもらえない。しかし、今の阿形に許してもらいたい)

 邪気も穢れも、血も通った神獣の体。
 その対の神獣へと、吽形は頭を下げ続けた。

 ばしん

「こらっ、め! だぞ。ねこ」
「痛っ」

 カワセミが強めに阿形の頭を叩いた。
 凛と鳴る目が、阿形を見つめて来る。

「阿形、これは引きずる事ではない。お前も言いたい事を言った、自分の非も分かっている。吽形は、ただひたすらの一心で阿形に謝っているよ」

 阿形がぐっと口をつぐむと、騒いでいた胸が詰まった。
 カワセミの目が鞠の目にそそぎ、その苦しい胸の内を清涼な目先の音で散らす。

「阿形、許す時を違えるな」

「……」

 阿形は、下がったままの吽形の頭を見た。青海波の髪が、神社も主も阿形さえも守る為、祓い押し退けた邪気と穢れで艶を失っている。


 こつん


 阿形は吽形の頭へと鼻先を押し付けた。

「許す」
 
 顔を上げた吽形が、本心を見定めるように鞠の目を見てきたので、阿形はその目を細め笑った。
 笑うと不思議と気がほぐれ、またこうして吽形と面と向えることが嬉しくなる。

「もうよい、吽形。わしら、一心同体じゃ。うーさんを許すことは、わし自身を許すようなもの。あぁ、気が晴れた。わし、何かに腹を立てるのは不得手ふえてじゃ。もう良い、神社も主も無事なら、この穢れ小さくなった身でも構わぬ気さえする。はは、いっそ、畜生ちくしょうでもいっか」

「や、困るぞ。それはいけない。『畜生』などとまた易々やすやすと穢れようとして、そんな考えを持つな。畜生などと言う言葉は、わしがもらい受ける、ちくしょう」

 阿形が戯れの言葉で『畜生』と口にすれば、真面目な吽形がその言葉を穢れと早とちりし、言霊ことだまごと引き取ってしまった。
 阿形が口を開け笑う。変わらない真珠の牙が、きらりと光った。

「うーさんはどこまでも神獣の鏡だな。もう知らん。それ、やる。真面目な吽形には丁度良い」

 言霊が吽形の唇にとまった。

 カワセミは、初めて目にした言霊の応酬を、不思議そうに見ていたが、吽形の口元に留まった言霊の気配をも追えるのか、すらりと手を伸ばし吽形の口へと指を押し当てた。

「言霊を見るのは初めてだ。かすかなこれは、蛍のようだな」 

「っ……」

 吽形は、カワセミにしみじみと口元を見つめられたうえに、先程見惚れた長い指を、ひたりと唇へと当てられ、気恥ずかしさを隠そうと口を堅く結んだ。
 そんな半身の様子を見止め、阿形がここぞとばかりに、鞠の目を輝かせる。

「なぁ、うーさん。いま、どんな心持ちなんだ?」
「ちく……!」
「あ」

 阿形にそう誘われ、吽形が口元に宿る言霊のまま、「畜生」と悪意無い悪態をつこうとした。
 唐突に、開いた口へとカワセミの指がすべる、そこへと、吽形の唇が上から食み押さえてしまった。そして、二対が初めて耳にする、恐らく発したカワセミ自身も、初めて聞いただろう、愛らしい小さな悲鳴。せつな時が止んだ。


「っ! すまない! 許せ、まったくもってやましい気なぞ持っていないんだ。ちくしょうっ」


 吽形がざっと後ろへと身を引き、手を伸ばしたまま固まるカワセミから離れると、角を頂いたひたいを地に伏せ、土下座する。
 狛犬の慌てぶりに、獅子が笑った。

「ふふっははは、なんじゃ、もぅ。わしの時も、そのぐらいの勢いを見せてくれれば、もっとやすく許してやったのに、なぁ」

 阿形が楽し気に笑うほど、赤い巻き毛が揺れる。
 カワセミは頬を染めたまま、きゅっと指を握り、ぽかり、と笑う阿形を殴った。

「あいたーっ」

「ねこっ、私をからかうな! ……阿形?」

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