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けがれ3
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◇◇◇◇
阿形は追い詰められていた。
荒れる神、白い大蛇から逃げ回り続けるには、小山に造られた境内は手狭だった。
しかし、下にいる吽形とカワセミを思えば、小山を駆け下る事も百石階段を駆け降りる事もできない。そもそも、神社の聖域から出ることができるのか、試したことが無かった。
いまは白い大蛇に追い詰められ、社を背に賽銭箱を挟んで睨み合っていた。
「主、お戯れはもう終いにして頂けませんか?」
返される言葉はない。ただ紅い目が喰らい付く隙を狙っているばかりだ。
阿形は獅子の体をぺたりと社の観音開きの扉に寄せ、ぐるぐると考えた。もっと上手く逃げ回るつもりでいたのに、追われるまま社に向かってしまい、逃げ道を無くした。いまさら上に跳ぼうにも、社の破風が邪魔をする。八方ふさがりだ。
繰り返す浅い呼吸と、ぴりぴりと逆立つ毛。火を当てられたように熱く痛む、裂けた傷口。
(獲物のわしは、うまい具合に追い込まれ、弱らされたと言う事か……)
先程まで、白い大蛇の鋭い顎と鞭のようにしなる尾で、右へ左へと追われた。その一つ一つを避けるために、跳び駆け、尾を潜ったせいで、息はほとほと上がってしまった。
(主の生前の身はシマヘビ。生き抜くために狩りを行っている、それこそ、自分の身を守るため……そりゃ、わしのような石像の獅子ごときは、たやすく捕えられるわけだ)
ぽつりと湧き思ったのは、自身を貶める言葉。獅子の胸にぽかりと虚空の粒が現れた。
『石像の獅子ごとき』
その胸に浮かんだ言葉と思いが、石工の親方が生涯を捧げ、積み重ねた技と縁起を穢していく。自身を疑った阿形自身によって、神獣の身が穢されていく。どんな時でも、抗い守り抜いたモノがくすみ、輝きを失った。
吽形をかばい、彼の過ちと認めない為に決して下げなかった頭。
頬を裂かれるとき、理不尽と痛みを叫び、罵る事を留め押さえた喉。
日頃から、神社に参る人々の願いを聞き届け、神格を上げていれば難なく防げたはずの、カワセミを囲み殴る男達の悪心。その事を、貴方のせいだ、と謗らずにいた胸の内。
神獣のお役目に沿い、人に寄り添ったことを不必要に責められ、まるで使い勝手の悪い道具のように、鞠の目を言われた時、直ぐに届く喉笛に噛み付かなかった二本の牙。
熟練の石工の手で丹精を込め造られた石像に、宿った魂と、獅子の精神。そして、人に招かれ空から降りた本体。
その全てが、たった一つの本音。胸に浮いた一度の言葉で穢れてしまった。
阿形は追い詰められていた。
荒れる神、白い大蛇から逃げ回り続けるには、小山に造られた境内は手狭だった。
しかし、下にいる吽形とカワセミを思えば、小山を駆け下る事も百石階段を駆け降りる事もできない。そもそも、神社の聖域から出ることができるのか、試したことが無かった。
いまは白い大蛇に追い詰められ、社を背に賽銭箱を挟んで睨み合っていた。
「主、お戯れはもう終いにして頂けませんか?」
返される言葉はない。ただ紅い目が喰らい付く隙を狙っているばかりだ。
阿形は獅子の体をぺたりと社の観音開きの扉に寄せ、ぐるぐると考えた。もっと上手く逃げ回るつもりでいたのに、追われるまま社に向かってしまい、逃げ道を無くした。いまさら上に跳ぼうにも、社の破風が邪魔をする。八方ふさがりだ。
繰り返す浅い呼吸と、ぴりぴりと逆立つ毛。火を当てられたように熱く痛む、裂けた傷口。
(獲物のわしは、うまい具合に追い込まれ、弱らされたと言う事か……)
先程まで、白い大蛇の鋭い顎と鞭のようにしなる尾で、右へ左へと追われた。その一つ一つを避けるために、跳び駆け、尾を潜ったせいで、息はほとほと上がってしまった。
(主の生前の身はシマヘビ。生き抜くために狩りを行っている、それこそ、自分の身を守るため……そりゃ、わしのような石像の獅子ごときは、たやすく捕えられるわけだ)
ぽつりと湧き思ったのは、自身を貶める言葉。獅子の胸にぽかりと虚空の粒が現れた。
『石像の獅子ごとき』
その胸に浮かんだ言葉と思いが、石工の親方が生涯を捧げ、積み重ねた技と縁起を穢していく。自身を疑った阿形自身によって、神獣の身が穢されていく。どんな時でも、抗い守り抜いたモノがくすみ、輝きを失った。
吽形をかばい、彼の過ちと認めない為に決して下げなかった頭。
頬を裂かれるとき、理不尽と痛みを叫び、罵る事を留め押さえた喉。
日頃から、神社に参る人々の願いを聞き届け、神格を上げていれば難なく防げたはずの、カワセミを囲み殴る男達の悪心。その事を、貴方のせいだ、と謗らずにいた胸の内。
神獣のお役目に沿い、人に寄り添ったことを不必要に責められ、まるで使い勝手の悪い道具のように、鞠の目を言われた時、直ぐに届く喉笛に噛み付かなかった二本の牙。
熟練の石工の手で丹精を込め造られた石像に、宿った魂と、獅子の精神。そして、人に招かれ空から降りた本体。
その全てが、たった一つの本音。胸に浮いた一度の言葉で穢れてしまった。
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