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アッシュ・テイラー、外堀を埋める

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「あらやだ~。お父さんが物音立てるからバレちゃったじゃない」

 そう言って、明るい声で女性がドアを前回まで開けた。
 おっとりとした表情と濡れ羽色の髪、顔立ちはサクラによく似ている。いやこの場合はサクラが母によく似て生まれたということだろう。
 サクラの母親が入ってきたドアから、新たに人が入ってきた。
 その男性が涙を流しながら、うわごとのようにサクラの名前を呼んでいる。
 この展開、絶対この人がサクラの父親だろう。

「お、お父さんも! 帰ってきたなら言ってよ!」

 慌てたようにサクラが声をかける。
 俺は自分のやりかけたことを若干反省しながら、黙ってひたすら空気に溶け込むことにした。

「桜が……私の娘が……男とっ……くっ」

「もう! お父さんったら! 桜ちゃんがせっかく彼氏を連れてきたのよ! しゃんとして頂戴! うふふ、ごめんなさいね?」

「! あ、いえ」

 お義父さんを一喝したお義母さんが、とてもいい笑顔で俺に微笑む。
 サクラは恥ずかしいのか、さっきから全く視線が合わない。俺のことを見てくれない。
 混とんとした状況などないかのように、お義母さんは俺に話しかけてきた。

「あら、貴方耳が上に……もしかして異世界の方?」

「あ、はい。ご挨拶が遅れてすみません。アッシュ・テイラーと申します。狼の獣人です」

「まぁ! 素敵な尻尾ね。桜ったら昔から動物に目がなくて……ご迷惑かけてないかしら?」

「ありがとうございます。迷惑なんてそんな。俺が好きでサクラの傍にいたいので」

「あら~!! お母さん感激しちゃったわ! 言ってくれたらもっと遅くに帰ってきたのに。こんなイケメンどこで捕まえたの?」

「おっ、遅くって、そんな必要ないし!?」

 サクラはもう自分が何を弁解してるのかよくわかってない気がする。
 顔を真っ赤にしながら、お義母さんの発言をとりあえず否定しているサクラが、あまりにも可愛くてこの状況にもかかわらず頬が緩む。

「アッシュさんとは、紬ちゃん関連で!」

「もしかして、今CMしてるやつね!? 『異世界対応型婚活システム A YELLーあえ~るー』 とかいう婚活アプリの! 渉君がお勤めなんですってね。異世界婚活だなんて。若いっていいわねぇ!」

「はぁ」

 サクラは弁解を諦めたのか、ぐったりと力尽きたようにソファで項垂れている。

「あぁぁ、さくらぁ~。婚活なんて、しなくても……嫁にはまだ早いんじゃないか……ぐす……」

 そして、お義母さんの後ろから悲壮な声を出すお義父さん。
 俺には娘はいないが、ホームステイ中に子どもたちの可愛さに触れ、我が子は絶対可愛いと確信を持っている。
 そんな今、お義父さんの心中に対し、申し訳なさと共感で俺の心も行き場がない。

「何言ってるんですか、お父さん! 桜にはさっさとお嫁に行ってもらいますからね! ね、アッシュ君!」

 呻いていたお義父さんが、下を向いたまま動かなくなった。
 正直に言うとチャンスだと思った。
 お義父さんには申し訳ないと思いながらも、ご両親とサクラ自身に俺の正直に気持ちを伝えたかった。
 チラリと隣で項垂れているサクラを見る。顔は見えないが、かろうじて見える耳はイチゴのように赤い。
 それを確認してから、姿勢を正してご両親を見た。
 ホームステイ中にドラマで見たシーンを思い出す。

「俺はサクラさんのことが好きです。サクラさんが受け入れてくれるなら、結婚を前提に付き合っていきたい」

 俺は言葉を切り、彼らの様子を覗う。
 ご両親は真剣な顔で聞いてくれており、サクラはようやく顔を上げてくれた。想像通り、驚くほど頬は赤く、羞恥のせいか瞳も濡れたガラス玉のようだ。

「サクラさんのことは、俺が絶対幸せにしたいと思っています。このような形でご挨拶することになって、申し訳ありません」

 深々と頭を下げる。

「……」

 誰も言葉を発しない。空調の音だけが聞こえている。

「頭を上げなさい……アッシュ君だったね」

 お義父さんが俺を呼んだ。落ち着いた声だが何の感情も読み取れない。

「はい」

 俺は顔を上げる。
 お義父さんは真剣な表情で、俺を見ていた。

「君は異世界人だ。顔もいいし、引く手あまただろう。……桜で、うちの娘でいいのか?」

 間髪入れずに答えようとしたとき、服の裾が少し引っ張られるような感触がした。
 裾を見ると、サクラの白くてよそい指が裾を摘まんでいた。
 指がほんの少し力を入れているだけだが、それでも——。
 俺は何かを訴えるような表情の彼女に、どうしようもなく愛しさを感じて。
 大丈夫だ、そう伝える様に微笑みかけた。

「サクラさんがいい。彼女でなければ駄目なんです」

 そしてまたしばしの沈黙が訪れる。

「……好きにしなさい。サクラをよろしく頼んだよ、アッシュ君」

 お義父さんは、少し表情を緩めた。
 それを見たお義母さんが、サクラによく似た顔でにっこりと笑う。

「うふふ。よかったわねアッシュ君! ゆっくりしていって。サクラお部屋に案内してあげたら?」

「あ、もう転移の時間なので、すみませんが失礼します」

 時間を確認すれば、そろそろ『ジンジャ』へ戻らなければならない時間である。
 何故かご両親の公認になった今、帰るのは大変惜しいが……仕方ない。

「そう? じゃあまた時間のある時にいらっしゃいね。桜ちゃん、送ってあげなさい」

「……はい」

「ありがとうございます」

 ご両親に別れを告げ、サクラの家を出た。



 俺はサクラと『ジンジャ』へ向かう道中を歩いている。
 日の入りが遅いようで、まだ空は明るかった。
 たった数分の距離なのだが、何とも言えない沈黙が俺たちの間には流れている。
 何とも言えない気まずさから、俺はサクラの表情を覗うこともできずにいた。
 俺はサクラの外堀を埋めることに成功したわけだが、果たして今日の出来事を彼女自身がどう思っているのか。
 俺はそれを確かめられず、互いに押し黙ったまま歩いているのだ。


 境内に入っても、やたちゃんを見かけても無言。
 遂には転移装置のある『クラ』にまで来てしまった。

「時間だ……今日は、会えてよかった。じゃあ、また」

 何とか声を絞り出したのは、転移可能時間になったことをネックレス越しに感じたから。
 サクラは何も答えない。それどころか、逆光で表情も全く分からない。
 仕方なく、俺はそのまま歩き出した。

「……っ! アッシュさんっ」

 アーチをくぐり始めたところで、サクラの声がして、思わず振り返る。

「あのっ……」

「サクラッ!」

 見えないベールに片足を突っ込んでいた俺の体は、徐々にベールに飲み込まれていく。
 もう戻って抱きしめることはできない。ぎゅっと、拳に力がこもる。
 互いの表情は分らない。
 けれど、声で、彼女が引き留めようとしてくれたのだと思った。
 それだけで、俺は十分だ。

「また、近いうちに会おう!」

「! はい! 今度は、アッシュさんの国にも、行かせてください!」

「ああっ待っている!」

 最後の言葉はサクラに届いたかわからない。
 しかし、自分の世界に戻っても、サクラの声が頭から離れなかった。
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