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外伝 ノーマン視察団紀行
トレスト 2
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ルシードと合流した一行は、市長邸宅へと移動した。
今日の宿泊場所だからだ。
そして、そこで一度休憩を挟むことになった。
何しろ、つい先ほどまで船酔いに苦しんでいた者も多い。
即座に視察に行ける状態ではない。
とは言え、彼らは観光に来たわけではない。
いつまでも休んでいるわけにはいかない。
市長を交えた昼の会食の場で、この後視察に出ることに決まった。
「でしたら、ぜひともご覧いただきたい場所があります」
そう言ったのはアルバートだ。
予定している視察先はあるでしょうが、そちらは随員に任せてでも行ってみて欲しい、と。
「私はこの後、ルシードとの会談があるので同行はできないので、案内はソフィアが務めます」
「よろしくお願いいたしますわ」
ニコリと笑ってソフィアが一礼する。
ノーマン家の二人の間では、すでに話し合われていたことなのだろう。
「ご提案ありがとうございます。
それはどのような場所なのでしょうか?」
視察団の代表者であるオリヴィアが問う。
ソフィアはどこか悪戯っぽい笑顔で答えた。
「銀行ですわ」
コルネオの目の前に大きな建物がそびえている。
コルネオが知る範囲でこれより大きな建物は、共和国政庁となっているかつての王宮と、大貴族の邸宅、あとは大神の神殿くらいしかない。
その優美な外観は、神殿と言われても納得できそうだった。
市長邸宅から少し歩き、小高い丘を登った上に建っているこの建物は、しかし神殿ではないらしい。
もちろん宮殿でも貴族邸宅でもない。
銀行、と言っていた。
コルネオの知識には無い言葉だ。
出がけにアルバートから、中央で商業を担当するコルネオには特に見て欲しいと言われたが、いったい何なのだろうか。
コルネオはルディス子爵の爵位を持つ中央貴族だ。
その地位は可もなく不可もなく、と言ったところだろうか。
商業担当の部署では高位にあるが、商業担当自体がやや閑職寄りなのだ。
アルスターの内政は、これまで農業が重視されていた。
行政機構自体も農業を中心に整備されており、商業や工業の担当は組織構造自体が非常に大雑把だ。
商業関係の大きな政策と言えば、ショーンが行った造船技術や航海技術の導入があるが、これらを実行したのは、トレストやアルギアなどの港湾自治都市や、港湾を擁する海辺の諸侯だ。
政府の商業担当は、実態としては単なる商人に対する徴税担当者に過ぎなかった。
それが共和政に移行してからは、宰相の主導で、今後は商工業にも力を入れていく必要がある、となった。
そして商工業で成功しているノーマンへ視察団が派遣されることになり、商業担当で白羽の矢が立ったのが、コルネオだ。
コルネオは商業担当の高官の中では若手に入る三十三歳。
新しいことを始めるからには若い方が良いだろう、というのが決め手だったらしい。
コルネオとしては、今後活躍の場をもらえそうなことは喜ばしいのだが、正直に言えば戸惑いの方が大きい。
何しろ、これまで「商業振興」などということは中央政府の中で誰もやったことが無い。
何をすれば良いのか、イメージできないのだ。
改めて目の前の建物を見直す。
堅牢な石造の建物だ。
彫刻などの装飾が随所に施され、優美な外観をしている。
だが、警備の傭兵の姿がやけに多い。
しかもその装備は、明らかに刃引きをしていない槍だ。
この分だと、腰に下げている剣もおそらく真剣だろう。
彫刻などの影に隠れるように矢狭間のようなものも見え、それぞれその向こうに弓兵が待機しているようだ。
「見た目は美しいですが、これは砦ですな」
顎を撫でながらアルヴァンが評した。
彼は王立学校で軍学を教える教授だ。
その見立てなのだから、この建物が防衛を強く意識した構造なのは間違いではないだろう。
外観に反して、怪しい動きをする者がいれば即座に本気の攻撃をしてくるであろう物々しさがあった。
「ここが銀行ですか?」
オリヴィアが訝しげにソフィアに尋ねた。
気持ちは分かる。
この優美な要塞が商業に関わるというのが、どうにも分からない。
「はい。
ルガリア銀行と申します。
ご存知ないのも無理はございませんわ。
銀行は、今のところアルスター国内で、こことコルム、アルギアにしかございませんもの。
もっとも、それでは困りますので、今後広がっていくかと存じますが」
言いながらソフィアは物怖じせずに建物に入っていく。
コルネオたちもそれに続いた。
内装も外観に劣らず、豪華で、かつ品が良い。
一方で随所に警備の兵士が立っている。
来た者に威圧感をあまり与えず、それでいて怪しい動きには即座に反応できるような配置だ。
夜会の警備などで見覚えのある雰囲気だった。
この厳重さは、王政時代の王宮に似ているかもしれない。
「ようこそおいでくださいました」
中で出迎えたのは、恭しく礼をする一人の男だった。
細身で、装飾は少ないがきちんとした身なりをしているところは、商人と言うよりも、その下で実務を統括する番頭のような佇まいだ。
「出迎えご苦労様、ウォルシュ。
今日はよろしく」
「ご尊顔を拝し光栄にございます、ソフィア様。
本日は皆様をお迎えする栄誉にあずかり、喜びに堪えません」
ソフィアは男と挨拶を交わすと、コルネオ達に向き直る。
「彼はウォルシュ。
このルガリア銀行本店の支配人です。
この施設の実務の総責任者ということになります。
ウォルシュ、視察団の皆様よ」
そう言ってソフィアは、コルネオたちを一人ずつ紹介した。
挨拶を交わし、移動する。
案内されたのは会議室と思われる部屋だった。
席に着くと、即座に茶が用意される。
香りだけで高級品と分かる逸品だった。
「さて、それではまず、銀行がどのような物か、という点からですね。
ウォルシュ、説明をお願い」
「承知いたしました。
銀行とは一言で申し上げれば、利用者の皆様の富をお預かりし、それを便利に活用していただくための施設でございます」
そう言ってウォルシュは説明を始めた。
まず、このルガリア銀行というものは、ノーマン家、タルデント家、オロスデン家、ガレル家、ニスヴィオ家の共同出資で設立されたらしい。
設立から三年も経たないが、ルガリア流域の諸侯も相次いで利用を始め、商家も多くが利用するようになっているそうだ。
その役割は、まず預金業務。
利用者の資金を預かり、保管することだ。
次いで貸し金庫。
金銭以外の利用者の資産を、銀行が保有する金庫で保管するもの。
そして、外貨両替。
トレストには外国からの商人も多く訪れるため、彼らとの取引のために通貨を両替する。
最後に、小切手決済。
取引で代金を支払う際、その場で現金を支払うのではなく、銀行に預けた資金から支払う旨を書類に記し、その書類を銀行に持参すると支払い者の預金から引き出した現金を受け取ることができる、という仕組みらしい。
これらの業務の関係から、銀行には莫大な富が集積されることになる。
そのため、極めて厳重な警備を行なっているとのことだ。
少し高い場所に立っているのは津波や高潮などの海の災害を避けるためであり、海賊などの襲撃に対する防衛力を高めるためでもあるらしい。
説明を聞きながら、コルネオは首を傾げた。
預金や貸し金庫に関しては理解できた。
これだけ守りの堅牢な場所に現金や貴重品を預けておくというのは、分かりやすい防犯上のメリットだ。
両替に関しても理解できた。
外国との取引で通貨の両替が必要になるのは当然だ。
分からないのは小切手決済という仕組みだ。
現金ではなく、書類で支払いを行うというのがよく分からない。
わざわざそんな面倒な書類のやり取りをなぜするのか。
それを尋ねると、ウォルシュは苦笑した。
「コルネオ様はご自分で現金での支払いをされたことがございますか?」
それを尋ねたのはソフィアだ。
「いいえ、ありません」
コルネオは首を横に振る。
と言うより、その経験がある貴族を探す方が難しいだろう。
貴族が何かを売買する際、実際に現金のやり取りをするのはその使用人だ。
貴族自身が現金に触れることなど、まず無いと言って良い。
「では体験していただきましょうか」
ソフィアがウォルシュに目配せをした。
頷いたウォルシュが従業員を呼び、何事かを囁く。
しばらくすると、台車に乗せてひと抱えもある大きな袋が運ばれてきた。
「コルネオ様。
それを持ち上げてみてくれますか?」
ソフィアに言われ、コルネオは袋を閉じる結び目に手をかけた。
重い。
片手では持ち上がらず、両手で力を込める。
じゃらり、と袋の中から音がし、どうにか少しだけ持ち上がった。
コルネオは中央貴族、つまり生粋の文官だけに、ろくに体を鍛えていない。
とは言え、この重さはかなりのものだ。
「それが、金貨二千枚の重さです。
皆様もぜひお試しください」
ソフィアに促され、順に袋を持ち上げようと試みる。
軽々と持ち上げたのは、軍学の教授であるアルヴァンだけだ。
どうにか持ち上げられたのは、馬術の教授であるロットと、地方貴族の成人であるフォルトと、成人間近のレオス。
他の面々は持ち上げられなかった。
「これが、商人たちが小切手を利用する理由です。
彼らは時に金貨で何万枚という取引を行います。
それを取引の現場に持っていくというのは、支払う側にも受け取る側にも大きな負担になるのです」
「付け加えるならば、それだけの現金を持ち歩くと、盗難や紛失の危険も大きくなります。
盗賊や海賊に襲われるのは無論のこと、雇われの船員や護衛が『少しくらいならバレないだろう』と欲心に駆られることもございます。
しかし、これが書類一枚であれば、持ち運ぶのも守り通すのも非常に簡単です」
ソフィアがにこやかに笑いながら言い、ウォルシュが補足した。
「確かに、これは大きな違いですね」
コルネオは唸った。
体感してみれば理解できる。
取引のたびにこれを持ち運ぶと言うのは、かなりの負担だ。
商業担当として、書類の上では商取引で動く数字を見たことのあるコルネオは、金貨二千枚の取引は珍しいものではないことを知っている。
そのたびに苦労して重い金貨を運び、運ぶ間にも盗難や紛失を警戒しなければならない、というのは確かに不便だ。
「はい。
極端な話、現金というものは必要な時に取り出せるのであれば、手元には無い方が良いのです。
書類でやり取りできるのであれば、格段に便利になります。
もちろん、絶対に現金でなければならない場合もございますが、頻度の高い『いつもの取引相手』との取引に関しては、書類で済ませるメリットの方が勝ります。
現在、これらの仕組みはコルムのノーマン銀行本店、アルギアのノーマン銀行支店、トレストのルガリア銀行本店に留まっていますが、次はタルデントのディグリスにも、このルガリア銀行が支店を出店する計画が進んでおります。
この四か所を循環する流通は非常に多うございますので、さらに利便性は高まります。
ルガリア流域やノーマンの商取引はますます活発になるでしょう。
この仕組みを考えてくださったランフォード子爵には、感謝の言葉もございません」
「これをランフォード子爵が考えられたのですか?」
ウォルシュの言葉に、コルネオは思わずに問い返した。
彼は現在、二十一歳か二十二歳か、その程度のはずだ。
「はい。
元々はお兄様がコルムにノーマン銀行を設立して始めた仕組みですわ。
それで上手くいったので、アルギアに支店を出しました。
その後、ルガリア流域の方々にお声をおかけして、ルガリア銀行設立の運びとなったのです」
「少々お待ちを。
その、ノーマン銀行はいつ設立されたのですか?」
「五年……いえ、もう六年前になります」
「その頃、ランフォード子爵は……」
「まだ宮廷学校に在学していらっしゃいましたね」
ソフィアは我が事のように自慢げに、そう言った。
だが、聞いた方は呆気に取られている。
絶句していると言っても良い。
婚約者たるオリヴィアすらも、だ。
五、六年前に、まだ少年と言って良い年頃の人物の献策によって、この仕組みが生み出された。
それ自体も驚くべきことだが、それを採用したということは、領主や周囲も、その利点を理解して賛同したのだろう。
前例の全く無い仕組みの利点を理解するというのは、言うほど簡単なことではない。
ましてや、多額の資金を要する仕組みだ。
成算も無く気軽に試せるようなものではない。
だが、ノーマン家はそれをやった。
そして目論見通りに成功させた。
最大の功労者はアルバートだろうが、学生の身である彼が実務の全てを担うことなど当然ながら不可能だ。
実施にあたって、多くの実務者が関わったはずだ。
質、量ともにそれを実現するのに十分な実務者が存在するということだ。
ノーマンに学んで商業の振興を、と宰相フェリクスはコルネオに言った。
だが。
商業に関して、ノーマンがどれだけアルスターの先を行っているのか、コルネオには想像もつかなかった。
今日の宿泊場所だからだ。
そして、そこで一度休憩を挟むことになった。
何しろ、つい先ほどまで船酔いに苦しんでいた者も多い。
即座に視察に行ける状態ではない。
とは言え、彼らは観光に来たわけではない。
いつまでも休んでいるわけにはいかない。
市長を交えた昼の会食の場で、この後視察に出ることに決まった。
「でしたら、ぜひともご覧いただきたい場所があります」
そう言ったのはアルバートだ。
予定している視察先はあるでしょうが、そちらは随員に任せてでも行ってみて欲しい、と。
「私はこの後、ルシードとの会談があるので同行はできないので、案内はソフィアが務めます」
「よろしくお願いいたしますわ」
ニコリと笑ってソフィアが一礼する。
ノーマン家の二人の間では、すでに話し合われていたことなのだろう。
「ご提案ありがとうございます。
それはどのような場所なのでしょうか?」
視察団の代表者であるオリヴィアが問う。
ソフィアはどこか悪戯っぽい笑顔で答えた。
「銀行ですわ」
コルネオの目の前に大きな建物がそびえている。
コルネオが知る範囲でこれより大きな建物は、共和国政庁となっているかつての王宮と、大貴族の邸宅、あとは大神の神殿くらいしかない。
その優美な外観は、神殿と言われても納得できそうだった。
市長邸宅から少し歩き、小高い丘を登った上に建っているこの建物は、しかし神殿ではないらしい。
もちろん宮殿でも貴族邸宅でもない。
銀行、と言っていた。
コルネオの知識には無い言葉だ。
出がけにアルバートから、中央で商業を担当するコルネオには特に見て欲しいと言われたが、いったい何なのだろうか。
コルネオはルディス子爵の爵位を持つ中央貴族だ。
その地位は可もなく不可もなく、と言ったところだろうか。
商業担当の部署では高位にあるが、商業担当自体がやや閑職寄りなのだ。
アルスターの内政は、これまで農業が重視されていた。
行政機構自体も農業を中心に整備されており、商業や工業の担当は組織構造自体が非常に大雑把だ。
商業関係の大きな政策と言えば、ショーンが行った造船技術や航海技術の導入があるが、これらを実行したのは、トレストやアルギアなどの港湾自治都市や、港湾を擁する海辺の諸侯だ。
政府の商業担当は、実態としては単なる商人に対する徴税担当者に過ぎなかった。
それが共和政に移行してからは、宰相の主導で、今後は商工業にも力を入れていく必要がある、となった。
そして商工業で成功しているノーマンへ視察団が派遣されることになり、商業担当で白羽の矢が立ったのが、コルネオだ。
コルネオは商業担当の高官の中では若手に入る三十三歳。
新しいことを始めるからには若い方が良いだろう、というのが決め手だったらしい。
コルネオとしては、今後活躍の場をもらえそうなことは喜ばしいのだが、正直に言えば戸惑いの方が大きい。
何しろ、これまで「商業振興」などということは中央政府の中で誰もやったことが無い。
何をすれば良いのか、イメージできないのだ。
改めて目の前の建物を見直す。
堅牢な石造の建物だ。
彫刻などの装飾が随所に施され、優美な外観をしている。
だが、警備の傭兵の姿がやけに多い。
しかもその装備は、明らかに刃引きをしていない槍だ。
この分だと、腰に下げている剣もおそらく真剣だろう。
彫刻などの影に隠れるように矢狭間のようなものも見え、それぞれその向こうに弓兵が待機しているようだ。
「見た目は美しいですが、これは砦ですな」
顎を撫でながらアルヴァンが評した。
彼は王立学校で軍学を教える教授だ。
その見立てなのだから、この建物が防衛を強く意識した構造なのは間違いではないだろう。
外観に反して、怪しい動きをする者がいれば即座に本気の攻撃をしてくるであろう物々しさがあった。
「ここが銀行ですか?」
オリヴィアが訝しげにソフィアに尋ねた。
気持ちは分かる。
この優美な要塞が商業に関わるというのが、どうにも分からない。
「はい。
ルガリア銀行と申します。
ご存知ないのも無理はございませんわ。
銀行は、今のところアルスター国内で、こことコルム、アルギアにしかございませんもの。
もっとも、それでは困りますので、今後広がっていくかと存じますが」
言いながらソフィアは物怖じせずに建物に入っていく。
コルネオたちもそれに続いた。
内装も外観に劣らず、豪華で、かつ品が良い。
一方で随所に警備の兵士が立っている。
来た者に威圧感をあまり与えず、それでいて怪しい動きには即座に反応できるような配置だ。
夜会の警備などで見覚えのある雰囲気だった。
この厳重さは、王政時代の王宮に似ているかもしれない。
「ようこそおいでくださいました」
中で出迎えたのは、恭しく礼をする一人の男だった。
細身で、装飾は少ないがきちんとした身なりをしているところは、商人と言うよりも、その下で実務を統括する番頭のような佇まいだ。
「出迎えご苦労様、ウォルシュ。
今日はよろしく」
「ご尊顔を拝し光栄にございます、ソフィア様。
本日は皆様をお迎えする栄誉にあずかり、喜びに堪えません」
ソフィアは男と挨拶を交わすと、コルネオ達に向き直る。
「彼はウォルシュ。
このルガリア銀行本店の支配人です。
この施設の実務の総責任者ということになります。
ウォルシュ、視察団の皆様よ」
そう言ってソフィアは、コルネオたちを一人ずつ紹介した。
挨拶を交わし、移動する。
案内されたのは会議室と思われる部屋だった。
席に着くと、即座に茶が用意される。
香りだけで高級品と分かる逸品だった。
「さて、それではまず、銀行がどのような物か、という点からですね。
ウォルシュ、説明をお願い」
「承知いたしました。
銀行とは一言で申し上げれば、利用者の皆様の富をお預かりし、それを便利に活用していただくための施設でございます」
そう言ってウォルシュは説明を始めた。
まず、このルガリア銀行というものは、ノーマン家、タルデント家、オロスデン家、ガレル家、ニスヴィオ家の共同出資で設立されたらしい。
設立から三年も経たないが、ルガリア流域の諸侯も相次いで利用を始め、商家も多くが利用するようになっているそうだ。
その役割は、まず預金業務。
利用者の資金を預かり、保管することだ。
次いで貸し金庫。
金銭以外の利用者の資産を、銀行が保有する金庫で保管するもの。
そして、外貨両替。
トレストには外国からの商人も多く訪れるため、彼らとの取引のために通貨を両替する。
最後に、小切手決済。
取引で代金を支払う際、その場で現金を支払うのではなく、銀行に預けた資金から支払う旨を書類に記し、その書類を銀行に持参すると支払い者の預金から引き出した現金を受け取ることができる、という仕組みらしい。
これらの業務の関係から、銀行には莫大な富が集積されることになる。
そのため、極めて厳重な警備を行なっているとのことだ。
少し高い場所に立っているのは津波や高潮などの海の災害を避けるためであり、海賊などの襲撃に対する防衛力を高めるためでもあるらしい。
説明を聞きながら、コルネオは首を傾げた。
預金や貸し金庫に関しては理解できた。
これだけ守りの堅牢な場所に現金や貴重品を預けておくというのは、分かりやすい防犯上のメリットだ。
両替に関しても理解できた。
外国との取引で通貨の両替が必要になるのは当然だ。
分からないのは小切手決済という仕組みだ。
現金ではなく、書類で支払いを行うというのがよく分からない。
わざわざそんな面倒な書類のやり取りをなぜするのか。
それを尋ねると、ウォルシュは苦笑した。
「コルネオ様はご自分で現金での支払いをされたことがございますか?」
それを尋ねたのはソフィアだ。
「いいえ、ありません」
コルネオは首を横に振る。
と言うより、その経験がある貴族を探す方が難しいだろう。
貴族が何かを売買する際、実際に現金のやり取りをするのはその使用人だ。
貴族自身が現金に触れることなど、まず無いと言って良い。
「では体験していただきましょうか」
ソフィアがウォルシュに目配せをした。
頷いたウォルシュが従業員を呼び、何事かを囁く。
しばらくすると、台車に乗せてひと抱えもある大きな袋が運ばれてきた。
「コルネオ様。
それを持ち上げてみてくれますか?」
ソフィアに言われ、コルネオは袋を閉じる結び目に手をかけた。
重い。
片手では持ち上がらず、両手で力を込める。
じゃらり、と袋の中から音がし、どうにか少しだけ持ち上がった。
コルネオは中央貴族、つまり生粋の文官だけに、ろくに体を鍛えていない。
とは言え、この重さはかなりのものだ。
「それが、金貨二千枚の重さです。
皆様もぜひお試しください」
ソフィアに促され、順に袋を持ち上げようと試みる。
軽々と持ち上げたのは、軍学の教授であるアルヴァンだけだ。
どうにか持ち上げられたのは、馬術の教授であるロットと、地方貴族の成人であるフォルトと、成人間近のレオス。
他の面々は持ち上げられなかった。
「これが、商人たちが小切手を利用する理由です。
彼らは時に金貨で何万枚という取引を行います。
それを取引の現場に持っていくというのは、支払う側にも受け取る側にも大きな負担になるのです」
「付け加えるならば、それだけの現金を持ち歩くと、盗難や紛失の危険も大きくなります。
盗賊や海賊に襲われるのは無論のこと、雇われの船員や護衛が『少しくらいならバレないだろう』と欲心に駆られることもございます。
しかし、これが書類一枚であれば、持ち運ぶのも守り通すのも非常に簡単です」
ソフィアがにこやかに笑いながら言い、ウォルシュが補足した。
「確かに、これは大きな違いですね」
コルネオは唸った。
体感してみれば理解できる。
取引のたびにこれを持ち運ぶと言うのは、かなりの負担だ。
商業担当として、書類の上では商取引で動く数字を見たことのあるコルネオは、金貨二千枚の取引は珍しいものではないことを知っている。
そのたびに苦労して重い金貨を運び、運ぶ間にも盗難や紛失を警戒しなければならない、というのは確かに不便だ。
「はい。
極端な話、現金というものは必要な時に取り出せるのであれば、手元には無い方が良いのです。
書類でやり取りできるのであれば、格段に便利になります。
もちろん、絶対に現金でなければならない場合もございますが、頻度の高い『いつもの取引相手』との取引に関しては、書類で済ませるメリットの方が勝ります。
現在、これらの仕組みはコルムのノーマン銀行本店、アルギアのノーマン銀行支店、トレストのルガリア銀行本店に留まっていますが、次はタルデントのディグリスにも、このルガリア銀行が支店を出店する計画が進んでおります。
この四か所を循環する流通は非常に多うございますので、さらに利便性は高まります。
ルガリア流域やノーマンの商取引はますます活発になるでしょう。
この仕組みを考えてくださったランフォード子爵には、感謝の言葉もございません」
「これをランフォード子爵が考えられたのですか?」
ウォルシュの言葉に、コルネオは思わずに問い返した。
彼は現在、二十一歳か二十二歳か、その程度のはずだ。
「はい。
元々はお兄様がコルムにノーマン銀行を設立して始めた仕組みですわ。
それで上手くいったので、アルギアに支店を出しました。
その後、ルガリア流域の方々にお声をおかけして、ルガリア銀行設立の運びとなったのです」
「少々お待ちを。
その、ノーマン銀行はいつ設立されたのですか?」
「五年……いえ、もう六年前になります」
「その頃、ランフォード子爵は……」
「まだ宮廷学校に在学していらっしゃいましたね」
ソフィアは我が事のように自慢げに、そう言った。
だが、聞いた方は呆気に取られている。
絶句していると言っても良い。
婚約者たるオリヴィアすらも、だ。
五、六年前に、まだ少年と言って良い年頃の人物の献策によって、この仕組みが生み出された。
それ自体も驚くべきことだが、それを採用したということは、領主や周囲も、その利点を理解して賛同したのだろう。
前例の全く無い仕組みの利点を理解するというのは、言うほど簡単なことではない。
ましてや、多額の資金を要する仕組みだ。
成算も無く気軽に試せるようなものではない。
だが、ノーマン家はそれをやった。
そして目論見通りに成功させた。
最大の功労者はアルバートだろうが、学生の身である彼が実務の全てを担うことなど当然ながら不可能だ。
実施にあたって、多くの実務者が関わったはずだ。
質、量ともにそれを実現するのに十分な実務者が存在するということだ。
ノーマンに学んで商業の振興を、と宰相フェリクスはコルネオに言った。
だが。
商業に関して、ノーマンがどれだけアルスターの先を行っているのか、コルネオには想像もつかなかった。
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