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4.さて
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そう言い残した志乃は、カウンターの奥に入った。志乃に呼ばれたマスターは眠い目をこすりながら店の奥から顔を出した。
「珍しい、いつもは彼女がやってくれるんだが」
そう言いながら、時宗と道信からお金を受け取ると、マスターはさっさとカウンターの中に戻って行った。
志乃が奥から出てくるかと思ったが、時宗たちが店を出る直前になっても現れなかった。
少しだけ名残惜しいような、そんな気持ちを感じながら店の外に出ると、日が傾き始めた。あたりは薄暗くなっていた。秋の入り口とも言われるこの時期は、暑さは落ち着いてきた。
おかげでシャツにスラックスで十分であるが、夜になれば冷え込み始める。この時期は着物であれ洋装であれ服装に困ることが多い。
学校の宿舎まではバスに乗るらしく、道信はバス停の方へと足を向けた。時宗も道信の横に並びながら歩き始める。
「そういえば、学校を卒業した後はどうするんだ?」
「俺は長男だからな。実家の和菓子屋を継ぐよ。すぐに修行も始めないと従業員に示しもつかないからな。そういう時宗はどうするんだ?」
問い返されたものの、時宗はなんと答えたら良いか悩む。
日が暮れゆく空をぼんやり見ながら答える。
「何も決めていない。親父殿は新しい事業を任せたそうな話をしているが、さして興味もない。外の国には行きたいけどな」
「時宗らしいな。語学は大丈夫なのか」
「地道にやっているさ。横浜辺りに行けば、生の言葉を聞くこともできるが、いかんせん金が、な。今は大人しく勉強をしながら、先を考えるさ」
呉服屋の阪井。
その言葉は小さな頃は時宗の自慢の言葉だった。
色とりどりの着物、華やかさを支える小物。組み合わせ次第では無限に広がる。その組み合わせを試していくのは幼少期の遊びの1つだった。
そのうち、洋装が街で増え始めた。
山高帽、スラックス、靴、コート。
着物にはなかった小物が増えてくると、時宗の好奇心がすぐに移ったのは言うまでもない。
家ではなかなか取り扱わない品々にすっかり心を奪われた。
家に大人しくいるような性分でもなかったこともあり、暇を見つけては外を出歩くことが増えた。
外で見つけた見たこともない品物を紙に描いては家の品物との組み合わせを楽しむ日々を続けていると、家族や使用人からも変人のように見られることが増えた。
仕方がない。
江戸時代から続く呉服屋としては、新しいものと共存できるか、敵となるか様子を見ないとわからない。
ましてや洋装は同じ服という分野ではなおさらだ。
宗一も時代の変化をしばらく様子見していたんだろう。世間の流れを見ていくうちに、洋装というものがどうやら共存できそうなものであると判断した。その結果が、今日の見合いだ。
時宗が結婚適齢期であることを理由にし、洋装や外の国の品物と関係がありそうな相手と時宗を結婚させようと考え始めたらしい。宗和が去年結婚したことも、きっかけの1つになったのか、今年になってから縁談の話を時宗に持ち込むようになってきた。
事業拡大の裏では、結婚すれば、所帯を持つことになり、留学とかの妙なことも考えなくなるという狙いもあるようだ。
宗一の考えは間違っているとは言えないが、時宗の考えと反する。
保守的な宗一や宗和を見ると少しであるが、時流から遅れているように時宗の目に映る。
これからはきっと時流の流れは早くなる。あんなに保守的な考えでは世間から忘れられる呉服屋にしかならない。
ならば、今こそいろいろ見るべきだ。
それが自分の中の財産となり、阪井家の繁栄に生かされるはずだ。
だからこそ寄宿学校を選び、学んでいる。周りは保守的な奴が多いが、隣を歩く道信のような奴がいる。
家から出なければわからなかったことだ。
「あの、道信様でいらっしゃいますでしょうか」
後ろから声をかけられた時宗と道信が振り返ると、そこには女学生がいた。
袴姿に髪はウェーブを付けて耳を隠すようにまとめられていた。華の髪飾りが良く似合っている。
髪飾りは、この季節に合う秋桜だ。季節感を大事にしている良家の子女のように見える。女学生の見た目は、美人というよりもかわいらしい、おしとやかという言葉が当てはまりそうだ。右の口元にはほくろがあり、やや色気も感じられる。
「道信は自分だが」
道信自身は彼女に思い当たる節もないようだが、それを感じさせない話術に時宗は感心する。
「先日は助けてくださり、ありがとうございました。久留米香乃子でございます。あの時は御礼を申し上げることができませんでしたので、お声かけさせていただきました」
「いえ、女性が困っているならばお声掛けするのが紳士の役目。その後は大丈夫でしたでしょうか」
「ええ。道信様のおかげでこの通り体調も元通りになりました。あの、御礼と言ってはなんですが、こちらを受け取っていただきたく、お願致します」
香乃子は道信に風呂敷で包まれたものを渡す。道信は笑顔で受け取った。
「ご学友の方と召し上がっていただければと思います。では失礼いたします」
深々と一礼をした香乃子は足早に去っていった。
「相変わらずだな、道信。あの女学を覚えていたのか?」
時宗の問に道信は肩をすくめた。
「いや。覚えちゃいない。だが、女性を助けるのは紳士の役目だろ。俺はそれこそ何人の女性を1日に助けていると思うんだ、時宗よ」
「さあな。だが、あまり罪づくりなことはするな、と言いたいだけだ」
「ほどほどにしておくよ。紳士の役目のためにも、な」
「それにしても、中身は何だろうな」
道信が風呂敷を開けると、東京では名の知れた和菓子屋の名前が書かれた箱があらわれた。
「これは、俺に対する挑戦状かね?」
「そういうものではないだろうな。彼女の様子からして純粋なものだし、俺にとっては勉強になるから構いやしないさ」
和菓子屋の跡取りとなると、こうも心が広くなるものだろうか。風呂敷に包みなおす道信を見ながら、時宗は不思議に思った。
「さて、急いで寮に戻らないと門限に間に合わなくなるな」
道信の言葉で時宗は我に返り、二人は小走りでバス停に向かった。
「珍しい、いつもは彼女がやってくれるんだが」
そう言いながら、時宗と道信からお金を受け取ると、マスターはさっさとカウンターの中に戻って行った。
志乃が奥から出てくるかと思ったが、時宗たちが店を出る直前になっても現れなかった。
少しだけ名残惜しいような、そんな気持ちを感じながら店の外に出ると、日が傾き始めた。あたりは薄暗くなっていた。秋の入り口とも言われるこの時期は、暑さは落ち着いてきた。
おかげでシャツにスラックスで十分であるが、夜になれば冷え込み始める。この時期は着物であれ洋装であれ服装に困ることが多い。
学校の宿舎まではバスに乗るらしく、道信はバス停の方へと足を向けた。時宗も道信の横に並びながら歩き始める。
「そういえば、学校を卒業した後はどうするんだ?」
「俺は長男だからな。実家の和菓子屋を継ぐよ。すぐに修行も始めないと従業員に示しもつかないからな。そういう時宗はどうするんだ?」
問い返されたものの、時宗はなんと答えたら良いか悩む。
日が暮れゆく空をぼんやり見ながら答える。
「何も決めていない。親父殿は新しい事業を任せたそうな話をしているが、さして興味もない。外の国には行きたいけどな」
「時宗らしいな。語学は大丈夫なのか」
「地道にやっているさ。横浜辺りに行けば、生の言葉を聞くこともできるが、いかんせん金が、な。今は大人しく勉強をしながら、先を考えるさ」
呉服屋の阪井。
その言葉は小さな頃は時宗の自慢の言葉だった。
色とりどりの着物、華やかさを支える小物。組み合わせ次第では無限に広がる。その組み合わせを試していくのは幼少期の遊びの1つだった。
そのうち、洋装が街で増え始めた。
山高帽、スラックス、靴、コート。
着物にはなかった小物が増えてくると、時宗の好奇心がすぐに移ったのは言うまでもない。
家ではなかなか取り扱わない品々にすっかり心を奪われた。
家に大人しくいるような性分でもなかったこともあり、暇を見つけては外を出歩くことが増えた。
外で見つけた見たこともない品物を紙に描いては家の品物との組み合わせを楽しむ日々を続けていると、家族や使用人からも変人のように見られることが増えた。
仕方がない。
江戸時代から続く呉服屋としては、新しいものと共存できるか、敵となるか様子を見ないとわからない。
ましてや洋装は同じ服という分野ではなおさらだ。
宗一も時代の変化をしばらく様子見していたんだろう。世間の流れを見ていくうちに、洋装というものがどうやら共存できそうなものであると判断した。その結果が、今日の見合いだ。
時宗が結婚適齢期であることを理由にし、洋装や外の国の品物と関係がありそうな相手と時宗を結婚させようと考え始めたらしい。宗和が去年結婚したことも、きっかけの1つになったのか、今年になってから縁談の話を時宗に持ち込むようになってきた。
事業拡大の裏では、結婚すれば、所帯を持つことになり、留学とかの妙なことも考えなくなるという狙いもあるようだ。
宗一の考えは間違っているとは言えないが、時宗の考えと反する。
保守的な宗一や宗和を見ると少しであるが、時流から遅れているように時宗の目に映る。
これからはきっと時流の流れは早くなる。あんなに保守的な考えでは世間から忘れられる呉服屋にしかならない。
ならば、今こそいろいろ見るべきだ。
それが自分の中の財産となり、阪井家の繁栄に生かされるはずだ。
だからこそ寄宿学校を選び、学んでいる。周りは保守的な奴が多いが、隣を歩く道信のような奴がいる。
家から出なければわからなかったことだ。
「あの、道信様でいらっしゃいますでしょうか」
後ろから声をかけられた時宗と道信が振り返ると、そこには女学生がいた。
袴姿に髪はウェーブを付けて耳を隠すようにまとめられていた。華の髪飾りが良く似合っている。
髪飾りは、この季節に合う秋桜だ。季節感を大事にしている良家の子女のように見える。女学生の見た目は、美人というよりもかわいらしい、おしとやかという言葉が当てはまりそうだ。右の口元にはほくろがあり、やや色気も感じられる。
「道信は自分だが」
道信自身は彼女に思い当たる節もないようだが、それを感じさせない話術に時宗は感心する。
「先日は助けてくださり、ありがとうございました。久留米香乃子でございます。あの時は御礼を申し上げることができませんでしたので、お声かけさせていただきました」
「いえ、女性が困っているならばお声掛けするのが紳士の役目。その後は大丈夫でしたでしょうか」
「ええ。道信様のおかげでこの通り体調も元通りになりました。あの、御礼と言ってはなんですが、こちらを受け取っていただきたく、お願致します」
香乃子は道信に風呂敷で包まれたものを渡す。道信は笑顔で受け取った。
「ご学友の方と召し上がっていただければと思います。では失礼いたします」
深々と一礼をした香乃子は足早に去っていった。
「相変わらずだな、道信。あの女学を覚えていたのか?」
時宗の問に道信は肩をすくめた。
「いや。覚えちゃいない。だが、女性を助けるのは紳士の役目だろ。俺はそれこそ何人の女性を1日に助けていると思うんだ、時宗よ」
「さあな。だが、あまり罪づくりなことはするな、と言いたいだけだ」
「ほどほどにしておくよ。紳士の役目のためにも、な」
「それにしても、中身は何だろうな」
道信が風呂敷を開けると、東京では名の知れた和菓子屋の名前が書かれた箱があらわれた。
「これは、俺に対する挑戦状かね?」
「そういうものではないだろうな。彼女の様子からして純粋なものだし、俺にとっては勉強になるから構いやしないさ」
和菓子屋の跡取りとなると、こうも心が広くなるものだろうか。風呂敷に包みなおす道信を見ながら、時宗は不思議に思った。
「さて、急いで寮に戻らないと門限に間に合わなくなるな」
道信の言葉で時宗は我に返り、二人は小走りでバス停に向かった。
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