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第八章

星の見えるところ

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 研究所は、山の中腹とは聞いていたものの、実際はそれほど高い位置にあるわけではなかった。けれど周りに遮るものはなく、また空気が澄み切っているため、星が本当に綺麗に見えた。
 優人はひとり星空を眺める。星には詳しくないから、星座や何かはさっぱりわからない。
 それに、この世界は作りものなのだと聞いたばかりだった。そもそも、この空に輝く星たちは、優人が知る空と同じ空なのだろうか。そう思えば、自分でもわかりそうな星を探す方のも、なんだか馬鹿げているような気もした。

「……寒い」
 外は、氷点下だろう。どれくらいの気温なのかは、考えたら余計に寒くなってくる気がしたのでやめた。思わず独言てしまうほど寒いけれど、それでも外の空気を吸っていたかったのは、そうでもなければ、何かおかしなことを考えてしまいそうに頭がごちゃごちゃとしていたからだ。

 凍えてしまいそうだな、ともう何度目かに考えた頃、ふわりと肩にあたたかい毛布がかけられた。
「……マリオンさん」
「お邪魔してもいいかな?」
「ええ、もちろん」
 毛布には何かしらの魔法が施されているのだろう。カイロでも仕込んであるかのようにほかほかとあたたかい。
 凍えたかったわけでも、ひとりになりたかったわけでもない。外に無造作に並べられて雪の積もっていた椅子に腰かけていた優人の隣に来たマリオンを、優人は断らなかった。
「すまないね、結局ブラッドリーのやつは起きなくて」
「いえ、疲れていたんでしょう。話してみたかったですけど、仕方ないです」
「最近は相当無理をしてるみたいだ、そのうち本当に動けなくなってしまうぞ」
 マリオンとブラッドリーは、旅の友であり、同じ研究を進める仲間でもある。マリオン自身は、あいつは戦友みたいなものかな、と言っていた。仲が良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、そういうものではないのだと。

 マリオンも、優人と隣り合って星を眺める。彼は星を探しているのではなく、言葉を探しているのかもしれない。優人は何となく、そう思った。
「……マリオンさんにとって、父はどんな人でしたか?」
 マリオンから話さないのなら、優人は自分が気になっていることから聞こうと思った。マリオンはううん、と考える仕草をとる。
「……甘っちょろいなあ、と、いつも思ってたよ」
 実の息子の前だというのに、歯に衣着せぬ言い方が彼らしいと、優人は笑った。
「僕とユウサクが旅をしていたのは、僕がまだほんの子供の頃だったけれど。それでも、子供の僕が見ても甘い男だったよ。優しいし、良い奴だけど、でも見ていてもどかしいくらい甘っちょろい。そんな印象だったな」
「そうですよね、ずっと気になってたんです、いったいマリオンさんって何歳くらいのときに父たちと居たんですか?」
「そうだな、ちょうど十歳とか、それくらいだよ。懐かしいなあ、もうそんなに経つのか」
 マリオンは昔を懐かしむように笑った。その笑顔を見るだけで、きっと良い旅の仲間だったのだろうと想像がつく。けれどその旅の終わりは、厳しいものだった。

「……まあ、甘いのは僕も同じだ。ねえ、もうひとつ大事な話をしてもいいかな?」
「お願いします」
 申し訳なさそうに切り出すマリオンに、優人は頷いた。
「アナスタシアを、僕らは殺せなかった。僕らの意見は割れてしまってね。僕とシリルは殺せと言った。ブラッドリーは最後まで答えを出せなかった。ユウサクは、そんなことはとてもできないと、さんざん迷った末に言った。でも僕らは同じように、アナスタシアのことを哀れに思い、そして人を殺めることを恐れていた。そこは、同じだったんだ。僕は彼女を哀れに思ったから殺してやろうと言ったし、ユウサクは哀れに思ったから殺せないと言った。僕は当時ものすごく怒ったけれど、今思えばユウサクの言うことだって正しいと思える」
 マリオンは苦く笑う。
「僕がやろうと思ったんだ。でもできなかった。アナスタシアはね、長く世界の楔として生き過ぎて、人の道を外れてしまった。まあ、当然と言えば当然だよね。人の身のまま、何百年も生きることなんてできないから。だから、彼女は半分、魔物と化していたんだ」
「人が、魔物に……!? そんなこと、ありえるんですか」
「ありえたんだろうね。ユウトくんも知っての通り、魔物は救世主の手じゃなくちゃ殺せない……封印できない。だから、僕の魔法も、何もかも、通用しなかった。ただ彼女を苦しめただけだった」
「そんな……そんなことって」
「きっとシンシアあたりも、ユウトくんができないなら私がって言い出すだろうけど。でも、彼女を終わらせてあげられるのは、君だけなんだ……本当に、ひどい話をしていると思うけれど」
「…………」
 始まりの魔女は、自分の手でしか殺すことはできない。魔物で、人間。優人の頭の中で、そんな言葉たちがくるくると巡った。
 今度は、人のようなかたちをした魔物ではない。元は人間で、この世界に縛られ続けている、ひとりの女だ。人の子を守ろうとその身を危険に晒し、またこの世界に渡った魔法使いたちをも守ろうと元の暮らしを捨てた、心優しき女。
 そんな人を、僕が殺す?
 さっき部屋の中で聞いた話も、理解はしている。そうすれば、全てが終わる。きっと救世主なんて役割もいらなくなるし、魔物が原因で傷つく人や、命を落とす人だって居なくなる。
「……僕は……」
 それでも、この手は震えてしまう。人を守るために、人を殺す。そのことを選ぶのは、本当に正しいのか。

「優人くんは、どうして魔物は救世主の手でしか封印することができないのか、考えたことはある?」
 マリオンがふいに、そう尋ねる。優人は少しはっとして、彼のほうを見る。
「いや……あまり、深く考えたことは……」
「この世界は、綺麗なものが正しく生きるように出来てる。正しく生きる、というのは、違うものたちで争わないことというのが含まれているんだろうね。さっきの始まりの魔法使いの考えそうなことさ」
「……ああ、」
「そう、元の世界の人々の感情から生まれた力と、魔法使いの力。それらは本来干渉しないように出来てるんだ、ここではね。その争いが嫌で、ここが作られたわけだし、『正しくない』存在とされている魔物のほうはこちらを攻撃…ないしは殺すことができるのは、まあ納得したくはないけど、筋は通ってる」
 文句の一つも言いたくなるシステムだと思うけれど、マリオンは多分意図してそうなったわけじゃないんだろうねと苦く笑う。
「だから、僕らが正しく生きているうちはこの二つはぶつかり合うことが出来ない。だからさ、僕は人としての正しさなんて捨ててやろうって、そう思ったんだ。できなかったんだけどさ。この僕がだよ? 全然駄目だった。ほんとに……ダメダメだったんだ」
 かつて、マリオンはアナスタシアを殺そうとしたのだと言う。きっと何度も彼女を傷つけ、苦しめただけのその手を、マリオンはじっと見つめている。自信家で軽薄な彼からは、ちっとも想像がつかなかったけれど、見つめる先の白い指は、小さく震えている。
「……あ、」
 優人は思わず、その手を取ろうとしたけれど、そういえば、この今見えているマリオンの姿は実体がないのだった。伸ばした手は、するりとその姿を擦り抜けてしまう。
「あ、あはは、触れないよ。でも、ありがとう」
「いえ……すみません」
 優人の行動に、マリオンも少し驚いているようだった。優しくされるのは慣れないな、なんて呟きながら、くすぐったそうに肩をすくめている。それから、不器用に微笑んだ。
「……だからさ、きみが迷うことは、絶対に『正しい』んだ。それはきみが正しいからなんだよ。僕が正しさを捨てられなかったから何もできなかったってことが、それを証明してるワケ。悔しいけれど、この世界がそうできてるんだから仕方ない」
「……ああ、マリオンさん」
 この人は何でも合理的に、研究者らしく事実と論理でものを考える人だ。それ故に、何を感じているのかわからなかったり、ときに非情に思えることもあるのだろう。
 けれど、それはきっと違うのだ。誰よりもこの世界のことを、この世界の人のことを考えているから、前に進むことを止めない人なのだ。だからこそ色んなものを見て、知って、そのぶん傷ついてきた。マリオンという男は、とても美しい人だけれど、きっとすごく傷だらけなのだ。
 そして今、その傷だらけの手でなお、優人を勇気づけようとしている。
「これから……たくさん迷うと思う。決断を下せない自分を情けなく思うかもしれない。決断をした自分を人でなしだと思うかもしれない」
「……はい」
 マリオンは、触れることのできないその手を優人に差し出す。優人はその手を包み込むようにする。そうすれば何かが伝わってくるような気がした。
「その先のことは、僕にもわからない。けれど、きみが迷って苦しむことは、絶対に間違ってない。それはきみが情けないからでも、人でなしだからでもない。それだけは、僕が何度でもきみに言うよ」
「……ありがとうございます」
「…………ごめんね」
 優人はマリオンの目を見る。伏せられた瞳は、互いの手を見つめたままだ。
「謝らないでください」
 優人がそう言うと、マリオンは少し驚いて、ぱちぱちと瞬きをして見せる。それから、困ったように笑った。
「……ありがとう、優人くん」
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