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第七章
隠されたもの
しおりを挟むカミーユが青年リアンの家に戻ったのは、その日の夕方になってからだった。廃教会での儀式のあと、顔色を真っ青にした優人に気が付いたシンシアは優人を連れてすぐに教会を出た。
カミーユはまだ調べたいことがあるからと教会に残り、見学へ誘ってくれた村民たちに話を聞いているようだった。優人はカミーユにごめん、と視線で謝るが、カミーユはさほど気にする様子もなく、簡単に片手をあげるだけで二人を見送った。
「あれは、人ではないと思いますわ」
シンシアはきっぱりとそう言った。リアンも交えた話し合いの場で、リアンは驚いていたが、優人は押し黙り、カミーユは平然としていた。
「あれ、というのは、あの黒いローブの男のことですよね?」
信じられないが、あの男のことしかないというようにリアンが聞く。シンシアは続けた。
「私、従軍経験は長いほうですが、始めに村の入り口で会ったとき、村の方々の反応に動揺していたとは言え、あの男の足音を察知することができませんでした。それをずっと不思議に思っていたんですの」
確かにシンシアは、まさに魔法使いらしさのイメージが強い、優雅な出で立ちではあるが、長らくマヒアド戦線で部隊を率いていた所謂軍人である。人やものが動く音には鋭いのだろう。
「教会で現れた黒衣の男…カミシロ様は、ヒトの足音がしなかったんです。靴音もなければ、そもそも足が地面に擦れたり触れたりする音がしません。ものすごく静かに、音を殺している……そういうレベルではありませんの。少なくともあれは、ふたつの足で歩を進めている動きではありませんわ。義足などの可能性も考えましたが、そういった器具の音も確認できませんでした」
あの顔以外の全身を覆う黒いローブの下に、少なくともヒトの足はないとシンシアは言う。俄かには信じ難い話ではあるが、教会に現れたカミシロ様と呼ばれた男は、どこか不安定にふらつきながら、普通に歩むにしてはゆっくりな速度で移動していた。ローブから唯一見えている顔は、ひどく痩せた初老の男性のような顔をしていることから、優人はカミシロ様は足が悪いのかと思っていたが、シンシアの話を聞いてすっかりわからなくなってしまった。
「……じゃあ、魔物の可能性があるってこと?」
優人は自分の中にある考えを確かめるように、そう聞いた。
「その可能性もあるという話です。私が感じた違和感は、『足でも器具でもない何かで動くモノである』ということですから、そうとは確信が持てません。魔法の力で動かない足を立たせて歩く魔法使いを、私は一人知っていますが……詳しい説明は省きますが、そう誰にでもできることではありませんの。不可能ではありませんが、考えにくいです」
シンシアは言葉を尽くして、丁寧にその違和感の説明をした。優人は何も言うことができず、視線を自らの手元に落として黙り込む。黒衣の男、カミシロ様に触れようとして、あまりの恐ろしさに触れることの叶わなかった自分の右手を、じっと見つめる。
考え込むような優人を横目に、カミーユが口を開く。
「じゃあ俺は少し別の視点から。俺が聞いてきたのは最近の村に起きたこと、どうしてこんなことになっているのかってことだ」
その話に、リアンも強く関心を示した。自分の居ない間の故郷に何があったのかと、ずっと気を揉んでいたのだ。
不安そうな色を隠すこともないその目を向けられ、カミーユは少し悲しそうな顔をして、視線を逸らした。普段人の目をしっかりと見て話をするカミーユにしては、珍しいことだった。
「……村を見て回ったときに疑問に思っていたんだがな、畑がひどく荒れてただろ。せっかく大きく育った野菜類が、ほとんど手をつけていないような状態で放置されて、獣や虫に食われ放題になっちまってた。外部とのつながりも断って暮らす農村で、じゃあどうやって食って生きてんだって話になる」
優人とシンシアも畑の野菜が食い散かされ、商店だった建物が軒並み出入り口を塞いでいるのを見た。確かに、人が食べて生きていくことを考えると、あまり良くない状況に思える。
「それとなく、どう暮らしてるのか信者たちに聞いたんだ。結果から言うと、村民は『ここひと月ほど、ろくに何も食べちゃいない』らしい」
「えっ……?」
目を丸くする三人を見て頷き、カミーユはさらに続ける。
「カミシロ様信仰の教えのひとつらしいな。粗食というよりもほぼ断食だ。贅沢や、もっと言えば食事そのものを穢れとするような考えに近い。宗教と食っつーのは何かと縁深いものだが、これはちょっと行き過ぎだな。どうしてそんなことになったかっつーと、あのカミシロ様は『そういう風に生きてるから』だそうだ」
確かに、様々な宗教文化の一環として、何か特定のものを食べることを禁じられているだとか、一定の期間において断食するだとかいうのは、優人の世界でも聞いたことのあるものだった。
「そういう風に……何も食べずに、ってこと?」
「信者たちが言うにはな。『何も食べず、眠らず、欲さず、拒まず生きている』ってな話だ。言っておくが、そんな風に生きられるものはいない。星の一族だって星石を摂取しなくちゃ生きていくことはできねえんだ。もし本当なら、まあ信仰の対象としては星の一族よりも的確なんだろうがな……だから、そうと信じ込ませることさえできれば、カミシロ……神やそれに近いものとして君臨できるというのは、筋が通ってる」
人ならざるもの、人を越えしものとして、人の上に立つ。星の一族、王族信仰とてそれは同じことではあるが、起きていることはまったく違うように思える。普通の人間のような食事を必要としないのも、眠りを必要としないのも、星の一族がそういうものだからだ。そうではない人間たちがそれに倣うことは、どうしたって無理がある。
「結果として信者たちは弱っていってる、当たり前だがな。妙に痩せているやつらが多いし、詳しく診察はできなかったが見たところ病に侵されてるのも少なくない。まだひと月だが、もうひと月だ。老人が多いこの村じゃあ、死人が出るのも時間の問題って感じだな」
「そんな……どうにもできないの?」
「カミシロ様とかいう男が、拒食・断食を強いているわけではないらしい。あくまであの男の生き方を倣うことが、いつの間にか決まりごとになっていったような口ぶりだった。強制されているわけではないから止められるとも言えるが、自分たちで決めてやってることだからこそ難しいとも言えるな」
カミーユの説明は尤もだった。何も言えず、暗い顔をして黙り込んでしまった一同に対し、さらにカミーユは続ける。
「さらに悪い情報がある。どうやらカミシロ様には、生贄が捧げられている」
「生贄……!?」
「俺はこれこそがカミシロ様とやらがヒトでもなく、もちろん何の糧も必要としない神様でもねえと根拠付けるものだと思ってる。奴は期間はまばらだが、ふとしたときに信者の誰かを選んで、そいつを連れて行ってしまうらしい。選ばれた人間が、村へ帰ってくることはない、ときた」
優人は既に、何も言えなくなっていた。この村を故郷とするリアンも当然、怯えきった顔をしている。シンシアは大きな瞳をめいっぱいに見開き、きっとものすごく怒っている。カミーユも冷静に話しているようだが、憤っている。
「話を聞きつつ村を見て回りながら、戸数に対して人が少なすぎると思ってたんだ。これは現場を見ていない分憶測に過ぎねえ、だが、信者は救いの地へ行っただとか何とか言ってたが、あれは十中八九『生贄』だよ。腹が減った頃に、適当な誰かを連れて帰って、食らってるのさ」
人を食らって、人の村の中で生きている。そんなものが、村に根付く宗教のトップに君臨している。
そんなことが、ありえるのだろうか、と優人は思う。けれど優人は、悲しいことにそれに違和感を覚えなかった。あの黒衣の男に触れようとしたとき、優人は確かにはっきりと感じてしまったからだ。
「生きるための生活をやめてしまった村民に、次々と人を連れ去る神と崇められている男……この村は、今ゆるやかに終わりを迎えようとしてる。あの男の正体がなんであれ、このままじゃ村自体が終わる」
あの出来事の意味を次々と裏付けていくように話されたシンシアとカミーユの話、そして優人がこれを話せば、自ずと答えが出てしまう。
「……僕からも、いいかな」
青年はこれ以上何かあるのかという顔をして優人を見る。優人は敢えて、それを見ないふりをした。カミーユが彼と目を合わせられなかったことが、今優人にも身にしみてわかる。
「あの僕の目の前でカミシロ様がふらついたとき、あの感覚がしたんだ」
「……そうか」
カミーユもシンシアも、特に驚くことはなかった。むしろ自分たちの考えが肯定されたようなものであるから、逆に落ち着きを得て静かに優人の言葉を聞いている。
「感じたのは、他人を思い通りに操ろうとか、支配しようとか、そういう感情だった。これまでも、感じるのはその状況やその魔物の特性に沿ったようなものだったよね……二人の話を聞いて、僕も……きっとあの人は、『そう』なんだって、納得しかけてる」
もしもカミシロ様と呼ばれるあの男が、人間ではない異形、つまり魔物だったとするならば、ローブの下がヒトの体ではないことも、普通の食事はとらず人を連れ去り贄とすることも、優人が魔物の気配を感じたことも、すべて説明がつくのだ。
けれど、ひとつわからないことがある。
「……でも、人の声で、人の言葉を話していた」
「……そう、そうなんですよね。あの男は確かに、意味の通じる人の言葉を話していた。そのせいで、私も確信を持てずにいます」
祈りを捧げよ、然れば与えられん。確かにそう話していた。
「ひとつ疑問に思うのが、これまであの男が話したのは、あの決まり文句みてえなアレだけってことだが……まあそれでも、意味のある人の言葉を魔物が話しているってのは……ぞっとしねえな」
「それは僕も不思議に思っていたんだ。それに……よろけたあの人に大丈夫ですかって問いかけたときも、途切れ途切れにあの言葉を言ってた。まるで、それしか言葉を知らないみたいに……」
普通に考えれば、人の社会に馴染み交流しながら生きているのであれば、いかに崇められる立場の存在とはいえ、あの場では何か別の言葉を話しそうなものだった。けれど男は、あの感情の読み取れない顔つきのまま、口をもごもごと曖昧に動かしながら、あの決まった言葉を話した。
「……あの男の正体を、突き止めなくちゃいけない」
優人は決意をするように言う。
「でも、確かめるのはきっと難しいと思う。慎重にやらなくちゃ、また村の人たちと争いになったりしちゃうと思うし、そうなったら村の人を傷つけてしまう……それに先走ってあの男を攻撃して、彼が本当に人間だったりしても、悪いのは僕らのほうだ」
「そうだな。何にせよあの男がこの村を支配し続ける限りは、犠牲者が増えていくと考えたほうがいい。それを見過ごす気はない」
「私も、できるかぎりのことはいたしますわ」
一同はそれから、長く長く、テーブルを囲みながら頭を悩ませることとなる。これまでにない異常な事態に、恐れや緊張、焦りがどうしようもなく生じていく。得体の知れない敵と、味方とは言い難い村民。どうすれば人を守りながら、村の崩壊を止めることができるのか。
作戦会議は、難航を極めた。この乾いた土地の風のなかに、ただひとつ雨雫を手に掴もうとしているような、そんな夜だった。
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