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第七章
黒衣の男
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渇いている。この土地の何もかもが、からからに渇いている。
優人は新たに踏みしめた大陸の最初の町に辿り着き、そう思った。海からそう遠く離れてはいないというのに、すぐそばの山から海へと吹き降ろされる風のせいだろうか。砂交じりの強風が肌にピリピリと痛い。
エリーはまだ、眠ったままである。とはいえ、ずっと船室にいるわけにもいかず、海を渡った先の西大陸側の港町は、町と呼べるようなところではなく、落ち着いてエリーを休ませられるような宿はなかった。
「こっち側は、なんていうか……なんだか寂しいね」
優人はなんとなく、直接的な表現をするのが憚られ、少し言葉を選んだが、シンシアもカミーユも無理もないという風に頷いた。
「西大陸は、あまり栄えていませんの。町も人も多くありません。それに……」
「覚悟しておいたほうがいいぜ。こっちでは、これまでみたいに救世主だからって安易に歓迎はされねえ」
「そうなの?」
東側の大陸では、救世主の存在を有難がらなかったのは、シルワリアの人々くらいのものだった。独自の文化を築き、王族への信仰心が薄い地域というものがあるというのは、優人もそこで知っている。それでも、シルワリアの民は町の異変を解決してみせた優人らに感謝の意を示して、あたたかく見送ってくれた。
「ああ、むしろ王族を廃すべきとしている町さえある。俺も修行中、肩身の狭い思いをしたもんだ」
「廃すべき……」
「王族と、それを守らんとする騎士団、それらの恩恵を西大陸ではあまり受けられませんから。それに不満のある者たちと、王族を良しとしない者たちが集まりやすいのです」
その話を聞いて優人は納得する。そして、王族であるエリーはもちろん、王族と縁の深い救世主である自分と、王族信仰の教会の僧侶であるカミーユは、確かに歓迎される立場の者ではないということはわかる。シンシアも、見た目ではわからないものの、王族信仰者であり元騎士団の隊長である。この地においては、一行は確かに肩身の狭い思いをするのかもしれない。
「とは言え、私も西大陸の出身ですから、みんながみんなそうという話ではありませんの。緊張せずとも大丈夫ですわ」
「まあ、こっち側の人間だって生きやすいように生きたらいいんだよ。信じないほうが楽ならそれでいい。無闇に攻撃してくるわけでもねえから心配すんな」
カミーユの相変わらずの僧侶とは思えない話しぶりにはシンシアももう慣れてしまったようで、特に何も言い合いなどにはならなかった。この世界における信仰とは、そういうものなのかもしれない。
一行はエリーの治療と三人の三人の休息のため、船員だった一人のリアンという青年の実家があるラルムという村を訪ねた。青年は船を守ってくれた礼をさせてほしいと自ら名乗り出てくれたのだった。
青年リアンの話では、西側の大陸の中では中立の村で、王族信仰があった名残の教会は残っているものの、今は祈る者はおらず、かといって過度に王族を嫌うような者も居ないという。
「まあ、寂れた田舎村ですから、満足に泊まれる宿すらもありませんが。うちの実家は無駄に広いですから、是非休むのに使ってください」
親切な青年は言う。まずは安全に休める場所を求めていた一行にとっては、これ以上なくありがたい申し出だ。リアンの案内に従い、ラルムの村へと連れて行ってもらう。
そういう話だったはずだった。
「何用か。お前たちは何をしにここへ来た」
しかし、ラルムへ訪れた一行を迎えたのは、ひやりと冷たく突き刺すような言葉だった。
明らかな拒絶の色を隠すことなく示している。声に温度はなく、迎え入れようという気持ちはほんの少しだってないのだということがわかる。
村へと続く一本道に立ち塞がるのは、薄汚れた衣服をまとう村民たちである。声をかけてきた男の後ろには、武器のように鍬などの農具を握りしめて構えている者たちさえいる。
話が違うのではないか、と優人は素直にそう思った。エリーを背負ったカミーユも、シンシアも驚いた顔をしている。どう見たって、歓迎されていないというレベルの状況ではない。これでは下手に刺激しようものなら、争いにもなりかねない雰囲気だ。そう思い、案内してくれた青年リアンを見やると、彼も大いに戸惑っているようだった。
「ちょっと、皆さんどうしたんですか!?俺ですよ、帰ってきたんだ。何しに来たってことはないでしょう」
リアンが声を発すれば、先頭に立ち塞がっていた男はほんの少し表情が緩められた。
「ああ、リアン、お前か。この者たちはなんだ。よそ者など連れて来おって、なんのつもりだ」
依然として青年以外の一行に投げつける視線は冷たく、緊張を解く気配はない。
「俺の乗っている船が魔物に襲われたんです。怪我人がいるので、休ませてあげたい」
そう言ってリアンはカミーユの肩から覗くエリーの存在を主張する。ぐったりと力なく眠り、まだ継ぎ接ぎした部分がいまだ定着せず、身体の至るところが包帯で覆われている。普通の人間のように怪我を塞ぐものではないが、それを知らぬ者が見れば、ひどい怪我を負った少女にしか見えないだろう。
けれど、そんなエリーを目の前にしても、村民たちの態度が変わることはなかった。
「何故うちの村でなくてはならない?村は、よそ者を歓迎などしない」
リアンは信じられない、という顔をする。驚き、そして怒ってもいるようだ。
「なんだよ、皆どうしたっていうんですか!何故って、俺が助けられたんだ。この人たちが、命がけで俺と船を守ってくれた!村人じゃないからなんだよ、命を守ってくれた恩人に対してよそ者も何もあるかよ!」
「…………」
そうリアンが訴えると、村民たちも少したじろいだようだった。それでも立ち塞がるのをやめようとはしない彼らに、彼も言い方を考えたらしい。少し声のトーンを落として、続けた。
「なあ、皆に迷惑はかけないから。うちで休んでもらうだけです。治療が済めばまた旅を続けるそうだから、その間だけ、いいでしょう?」
「…………」
彼の声が届いているのかいないのか、村民たちは押し黙るばかりで声を返そうとする様子もない。一行は既に諦めの色さえ目に浮かべていたが、リアンは深く傷ついたように呆然としている。何が起きているのかわからないといった風である。その瞳があまりにも痛々しくて見ていられず、優人は目を伏せた。
そのときだった。村から続く道の向こうから、一つの黒い影が近づいていた。それはのそりのそりとゆっくり近づいてくるようでいて、けれど気がつけばすぐそばまで来ていた。
それは、一人の男だった。真っ黒いローブのような衣服に身を包み、かなりの長身に痩せた頬のこけた男。どこか生気がなく、この世のものではないような、不気味な雰囲気の男だった。
「……!?」
優人たちが思わず驚いたのは、その男に気がつくと村民たちが皆一斉に男の方へと向き直り、跪いたからだった。その動きは訓練された兵隊を彷彿とさせるように機敏で、迷いや無駄のない動作だった。どこか寂しげな村の風景や貧しさを感じさせる衣服を纏った村民たちからは、イメージのかけ離れた様子に一行は拭えない違和感を覚える。
その男からは、不思議と目が離せなかった。男は、一行に興味があるのかないのかわからない、感情の読み取れない目でこちらを見る。
「祈りを捧げよ。然れば与えられん」
男はそう言った。村民たちはその言葉に更に深く頭を下げる。たった一言、そう告げただけの男は再び踵を返し、村へと戻っていく。
「お、おい!」
そして村民たちもまたその男の後ろへと黙ってついて村へと足早に立ち去っていく。何が起きたのかわからないままの一行と青年は、その場に取り残された。
「何だったんだ?今の全部」
カミーユが呟いた言葉は、その場にいた全員が思っていたことだった。
「わかりません。でもひとまず、うちに入りましょう。家に入ってさえしまえば、何も手出しはできないはずです」
リアンの言う通りだと、村民たちがいなくなっている間に足早にリアンの家へと向かう。訳のわからない行動を見せた村民たちがまた戻ってきて今度こそ大事になってはたまらない。ここで話し込むことは避けるべきだ。
幸い、彼の家は村の入り口から程近いところにあり、そこからは何の妨害もなく家へ入ることができた。
「ただいま」
リアンはそう声をかける。奥の方から、女性の声でおかえりなさい、とか細い声が聞こえる。
「ご家族が?」
「はい、母がひとり。他には誰もいません」
促されるまま玄関から奥へ進むと、広めのリビングルームに出る。質素ながらも広々としていて、この人数が一度に入っても窮屈さは感じられない。
リビングからちょっとした仕切りで区切られている奥の部屋から、また母親が声をかけてきた。
「誰か一緒なのかい?」
遠くで聞いたのと同じように、か細く消え入りそうな声だった。
「ただいま、母さん。今日はお世話になった人たちが一緒なんだ。しばらく泊めてあげてもいいかな」
「もちろんだよ。みなさん、リアンがお世話になりました。何もないところですが、ゆっくりしていってくださいね」
リアンの母親は、奥の部屋にあるベッドの上にいた。上半身を起こしてはいるものの、そこから動く気力はないようで、座ったままでいる。
病気を患っていて、足も少し悪いのだという母親は、けれど穏やかな笑顔のあたたかい人だった。先程の村民たちからの言葉たちに冷え切り、緊張していた一行は少しホッとしたのだった。それはリアンも同じのようで、変わらぬ母の様子に、ふわりと笑みがこぼれた。
それから一行は、シンシアと優人がマヒアドの騎士団に申請して食材を支給してもらい食事を作り、カミーユはエリーとリアンの母親の治療・診療にあたった。
村の様子からして、そう豊かなところではないことはすぐにわかったし、他の住民たちがあの様子ならば、食材の調達はここでは難しいのかもしれない。そう多くない物資ならば瞬時に転移させることのできる、魔法を用いた転送装置はやはり、こういうときに役に立つ。送られてきた向こうではこちらと同じような手順を人の手がこなしているので、多少のタイムラグはあるにしても、マヒアドではずっと一行のことを気にかけてくれているようで、そう長く待ったことはない。薬なども、必要なものがあれば遠慮なく言ってくれという旨のメモも添えられている。ありがたいことだと優人は思う。
そうして無事手に入れられた食材で、青年と母親を入れた分の食事を用意する。道中の船旅や戦闘で疲れ切ったシンシアも居るので、まるで大家族の食卓のようになった。そう大きくはない青年宅のテーブルに、ずらりと料理が並ぶ。
「わあ、すごいですね。ありがとうございます」
一行と同じく船旅をし、ここまで案内してくれた青年リアンもまた疲弊していた。変わらぬ母と実家、並ぶ食事に安心したようで、嬉しそうに言う。手の込んだ料理というわけではないが、主にシンシアが作ったものはどれも美味しそうだった。
リアンの母親を交えた四人で食卓を囲むと、やはり話題は先ほどの村民たちのことになった。
「ラルムはそんなに閉鎖的なところだったか?前に来たときはそう珍しくもない、無信仰な中立の村って感じだったと思うが」
修行中にこの村にも訪問したというカミーユは、僧侶としてはありがたがられなかったものの『修行中の若者』としてそれなりに労われ、ごくごく普通の客として扱われたと記憶していると言う。
そのカミーユの言葉に、ゆったりと料理を口に運んでいたリアンの母親が口を開く。
「みなさんも、何かされましたか」
「ちょっと口論みたいになっただけです。みなさんも、と言うと……?」
「最近になって、様子がおかしくってね。みんな人が変わったように荒々しくなって……ここは港からも近くて、たまに立ち寄る他所の人もいるんだけども、そういう人たちを追い払うようになってしまったんだよ」
リアンの母親の話を聞くと、先ほどの出来事と青年の反応についても納得がいく。やはり、彼がひどく驚き傷ついたような顔をしていたのは、この村の人々が元は穏やかな人たちだったからなのだろうということがわかる。そして、あのように他所者を排除しようという閉鎖的であり、そのためには暴力も辞さないというように武器を構える凶暴性が生まれたのは、ごく最近のことなのだと言う。
「ちょうど一ヶ月くらい前だったかねえ、急にいつもは来ない、三軒隣の家のばあさんがうちに来たんだよ。その時に、真っ黒い不気味な男も連れていてね、一緒に教会に来て活動に参加しようとか、よそ者を残らず叩き出そうとか、よくわからないことを言っていたのさ」
「一ヶ月前……俺がちょうど仕事に出た少し後でしょうか」
船乗りのリアンは一度仕事に出ると数日かけた航海や船のメンテナンスなどのために船や港の宿場に泊まり込み、しばらく家を空けることが多いのだと言う。であれば、彼がこの異変を知らなかったのも頷ける。
「あとひとつ、いいかな」
そう切り出したのは優人だった。いつも以上に自信がなさそうに、おずおずと話し始める。
「あのときあの場には人の姿しか見えなかったけど、あの真っ黒い人が現れたときに……すごく嫌な感じがしたんだ」
「嫌な感じというのは……例の?」
シンシアが優人の言葉を補助するようにそう促してくれる。優人はそれに頷いた。
「とは言っても、みんなあの男の人には嫌な、怖い感じがしたでしょ。だから少し、自信はないんだけど……というか、どう見ても人だったし」
「……そうだな。何か異質なものを感じたのは否定しねえよ。魔物が人に擬態することも考えられなくはねえと思うが、あいつは言葉も話してたからな……」
「人語を解する魔物だなんて、聞いたことがありませんし、考えると恐ろしいですわね」
皆の言う通り、あの場にいた全員があの男からは妙な雰囲気を感じ取っていた。オーラとでも言うのだろうか、あの男はあの場にいた誰よりも、異質なものだった。村民たちが傅く謎の黒い男、彼は確かに「祈りを捧げよ。然れば与えられん」と、言葉を話していた。
優人は強い魔物ほど、触れずともあの負の感情が流れ込んでくる感覚を覚える。あの男に感じたそれは、これまでの感覚と似ているような気がしたが、優人が聞いたあの声が聞き間違いではないのなら、やはり魔物という可能性は考えにくいように思う。
一行は村民たちの異変について原因がわからないまま、その日は休むことにした。エリーもまだ眠ったままであり、何か言い知れない不安を抱えたままの夜だった。
優人は新たに踏みしめた大陸の最初の町に辿り着き、そう思った。海からそう遠く離れてはいないというのに、すぐそばの山から海へと吹き降ろされる風のせいだろうか。砂交じりの強風が肌にピリピリと痛い。
エリーはまだ、眠ったままである。とはいえ、ずっと船室にいるわけにもいかず、海を渡った先の西大陸側の港町は、町と呼べるようなところではなく、落ち着いてエリーを休ませられるような宿はなかった。
「こっち側は、なんていうか……なんだか寂しいね」
優人はなんとなく、直接的な表現をするのが憚られ、少し言葉を選んだが、シンシアもカミーユも無理もないという風に頷いた。
「西大陸は、あまり栄えていませんの。町も人も多くありません。それに……」
「覚悟しておいたほうがいいぜ。こっちでは、これまでみたいに救世主だからって安易に歓迎はされねえ」
「そうなの?」
東側の大陸では、救世主の存在を有難がらなかったのは、シルワリアの人々くらいのものだった。独自の文化を築き、王族への信仰心が薄い地域というものがあるというのは、優人もそこで知っている。それでも、シルワリアの民は町の異変を解決してみせた優人らに感謝の意を示して、あたたかく見送ってくれた。
「ああ、むしろ王族を廃すべきとしている町さえある。俺も修行中、肩身の狭い思いをしたもんだ」
「廃すべき……」
「王族と、それを守らんとする騎士団、それらの恩恵を西大陸ではあまり受けられませんから。それに不満のある者たちと、王族を良しとしない者たちが集まりやすいのです」
その話を聞いて優人は納得する。そして、王族であるエリーはもちろん、王族と縁の深い救世主である自分と、王族信仰の教会の僧侶であるカミーユは、確かに歓迎される立場の者ではないということはわかる。シンシアも、見た目ではわからないものの、王族信仰者であり元騎士団の隊長である。この地においては、一行は確かに肩身の狭い思いをするのかもしれない。
「とは言え、私も西大陸の出身ですから、みんながみんなそうという話ではありませんの。緊張せずとも大丈夫ですわ」
「まあ、こっち側の人間だって生きやすいように生きたらいいんだよ。信じないほうが楽ならそれでいい。無闇に攻撃してくるわけでもねえから心配すんな」
カミーユの相変わらずの僧侶とは思えない話しぶりにはシンシアももう慣れてしまったようで、特に何も言い合いなどにはならなかった。この世界における信仰とは、そういうものなのかもしれない。
一行はエリーの治療と三人の三人の休息のため、船員だった一人のリアンという青年の実家があるラルムという村を訪ねた。青年は船を守ってくれた礼をさせてほしいと自ら名乗り出てくれたのだった。
青年リアンの話では、西側の大陸の中では中立の村で、王族信仰があった名残の教会は残っているものの、今は祈る者はおらず、かといって過度に王族を嫌うような者も居ないという。
「まあ、寂れた田舎村ですから、満足に泊まれる宿すらもありませんが。うちの実家は無駄に広いですから、是非休むのに使ってください」
親切な青年は言う。まずは安全に休める場所を求めていた一行にとっては、これ以上なくありがたい申し出だ。リアンの案内に従い、ラルムの村へと連れて行ってもらう。
そういう話だったはずだった。
「何用か。お前たちは何をしにここへ来た」
しかし、ラルムへ訪れた一行を迎えたのは、ひやりと冷たく突き刺すような言葉だった。
明らかな拒絶の色を隠すことなく示している。声に温度はなく、迎え入れようという気持ちはほんの少しだってないのだということがわかる。
村へと続く一本道に立ち塞がるのは、薄汚れた衣服をまとう村民たちである。声をかけてきた男の後ろには、武器のように鍬などの農具を握りしめて構えている者たちさえいる。
話が違うのではないか、と優人は素直にそう思った。エリーを背負ったカミーユも、シンシアも驚いた顔をしている。どう見たって、歓迎されていないというレベルの状況ではない。これでは下手に刺激しようものなら、争いにもなりかねない雰囲気だ。そう思い、案内してくれた青年リアンを見やると、彼も大いに戸惑っているようだった。
「ちょっと、皆さんどうしたんですか!?俺ですよ、帰ってきたんだ。何しに来たってことはないでしょう」
リアンが声を発すれば、先頭に立ち塞がっていた男はほんの少し表情が緩められた。
「ああ、リアン、お前か。この者たちはなんだ。よそ者など連れて来おって、なんのつもりだ」
依然として青年以外の一行に投げつける視線は冷たく、緊張を解く気配はない。
「俺の乗っている船が魔物に襲われたんです。怪我人がいるので、休ませてあげたい」
そう言ってリアンはカミーユの肩から覗くエリーの存在を主張する。ぐったりと力なく眠り、まだ継ぎ接ぎした部分がいまだ定着せず、身体の至るところが包帯で覆われている。普通の人間のように怪我を塞ぐものではないが、それを知らぬ者が見れば、ひどい怪我を負った少女にしか見えないだろう。
けれど、そんなエリーを目の前にしても、村民たちの態度が変わることはなかった。
「何故うちの村でなくてはならない?村は、よそ者を歓迎などしない」
リアンは信じられない、という顔をする。驚き、そして怒ってもいるようだ。
「なんだよ、皆どうしたっていうんですか!何故って、俺が助けられたんだ。この人たちが、命がけで俺と船を守ってくれた!村人じゃないからなんだよ、命を守ってくれた恩人に対してよそ者も何もあるかよ!」
「…………」
そうリアンが訴えると、村民たちも少したじろいだようだった。それでも立ち塞がるのをやめようとはしない彼らに、彼も言い方を考えたらしい。少し声のトーンを落として、続けた。
「なあ、皆に迷惑はかけないから。うちで休んでもらうだけです。治療が済めばまた旅を続けるそうだから、その間だけ、いいでしょう?」
「…………」
彼の声が届いているのかいないのか、村民たちは押し黙るばかりで声を返そうとする様子もない。一行は既に諦めの色さえ目に浮かべていたが、リアンは深く傷ついたように呆然としている。何が起きているのかわからないといった風である。その瞳があまりにも痛々しくて見ていられず、優人は目を伏せた。
そのときだった。村から続く道の向こうから、一つの黒い影が近づいていた。それはのそりのそりとゆっくり近づいてくるようでいて、けれど気がつけばすぐそばまで来ていた。
それは、一人の男だった。真っ黒いローブのような衣服に身を包み、かなりの長身に痩せた頬のこけた男。どこか生気がなく、この世のものではないような、不気味な雰囲気の男だった。
「……!?」
優人たちが思わず驚いたのは、その男に気がつくと村民たちが皆一斉に男の方へと向き直り、跪いたからだった。その動きは訓練された兵隊を彷彿とさせるように機敏で、迷いや無駄のない動作だった。どこか寂しげな村の風景や貧しさを感じさせる衣服を纏った村民たちからは、イメージのかけ離れた様子に一行は拭えない違和感を覚える。
その男からは、不思議と目が離せなかった。男は、一行に興味があるのかないのかわからない、感情の読み取れない目でこちらを見る。
「祈りを捧げよ。然れば与えられん」
男はそう言った。村民たちはその言葉に更に深く頭を下げる。たった一言、そう告げただけの男は再び踵を返し、村へと戻っていく。
「お、おい!」
そして村民たちもまたその男の後ろへと黙ってついて村へと足早に立ち去っていく。何が起きたのかわからないままの一行と青年は、その場に取り残された。
「何だったんだ?今の全部」
カミーユが呟いた言葉は、その場にいた全員が思っていたことだった。
「わかりません。でもひとまず、うちに入りましょう。家に入ってさえしまえば、何も手出しはできないはずです」
リアンの言う通りだと、村民たちがいなくなっている間に足早にリアンの家へと向かう。訳のわからない行動を見せた村民たちがまた戻ってきて今度こそ大事になってはたまらない。ここで話し込むことは避けるべきだ。
幸い、彼の家は村の入り口から程近いところにあり、そこからは何の妨害もなく家へ入ることができた。
「ただいま」
リアンはそう声をかける。奥の方から、女性の声でおかえりなさい、とか細い声が聞こえる。
「ご家族が?」
「はい、母がひとり。他には誰もいません」
促されるまま玄関から奥へ進むと、広めのリビングルームに出る。質素ながらも広々としていて、この人数が一度に入っても窮屈さは感じられない。
リビングからちょっとした仕切りで区切られている奥の部屋から、また母親が声をかけてきた。
「誰か一緒なのかい?」
遠くで聞いたのと同じように、か細く消え入りそうな声だった。
「ただいま、母さん。今日はお世話になった人たちが一緒なんだ。しばらく泊めてあげてもいいかな」
「もちろんだよ。みなさん、リアンがお世話になりました。何もないところですが、ゆっくりしていってくださいね」
リアンの母親は、奥の部屋にあるベッドの上にいた。上半身を起こしてはいるものの、そこから動く気力はないようで、座ったままでいる。
病気を患っていて、足も少し悪いのだという母親は、けれど穏やかな笑顔のあたたかい人だった。先程の村民たちからの言葉たちに冷え切り、緊張していた一行は少しホッとしたのだった。それはリアンも同じのようで、変わらぬ母の様子に、ふわりと笑みがこぼれた。
それから一行は、シンシアと優人がマヒアドの騎士団に申請して食材を支給してもらい食事を作り、カミーユはエリーとリアンの母親の治療・診療にあたった。
村の様子からして、そう豊かなところではないことはすぐにわかったし、他の住民たちがあの様子ならば、食材の調達はここでは難しいのかもしれない。そう多くない物資ならば瞬時に転移させることのできる、魔法を用いた転送装置はやはり、こういうときに役に立つ。送られてきた向こうではこちらと同じような手順を人の手がこなしているので、多少のタイムラグはあるにしても、マヒアドではずっと一行のことを気にかけてくれているようで、そう長く待ったことはない。薬なども、必要なものがあれば遠慮なく言ってくれという旨のメモも添えられている。ありがたいことだと優人は思う。
そうして無事手に入れられた食材で、青年と母親を入れた分の食事を用意する。道中の船旅や戦闘で疲れ切ったシンシアも居るので、まるで大家族の食卓のようになった。そう大きくはない青年宅のテーブルに、ずらりと料理が並ぶ。
「わあ、すごいですね。ありがとうございます」
一行と同じく船旅をし、ここまで案内してくれた青年リアンもまた疲弊していた。変わらぬ母と実家、並ぶ食事に安心したようで、嬉しそうに言う。手の込んだ料理というわけではないが、主にシンシアが作ったものはどれも美味しそうだった。
リアンの母親を交えた四人で食卓を囲むと、やはり話題は先ほどの村民たちのことになった。
「ラルムはそんなに閉鎖的なところだったか?前に来たときはそう珍しくもない、無信仰な中立の村って感じだったと思うが」
修行中にこの村にも訪問したというカミーユは、僧侶としてはありがたがられなかったものの『修行中の若者』としてそれなりに労われ、ごくごく普通の客として扱われたと記憶していると言う。
そのカミーユの言葉に、ゆったりと料理を口に運んでいたリアンの母親が口を開く。
「みなさんも、何かされましたか」
「ちょっと口論みたいになっただけです。みなさんも、と言うと……?」
「最近になって、様子がおかしくってね。みんな人が変わったように荒々しくなって……ここは港からも近くて、たまに立ち寄る他所の人もいるんだけども、そういう人たちを追い払うようになってしまったんだよ」
リアンの母親の話を聞くと、先ほどの出来事と青年の反応についても納得がいく。やはり、彼がひどく驚き傷ついたような顔をしていたのは、この村の人々が元は穏やかな人たちだったからなのだろうということがわかる。そして、あのように他所者を排除しようという閉鎖的であり、そのためには暴力も辞さないというように武器を構える凶暴性が生まれたのは、ごく最近のことなのだと言う。
「ちょうど一ヶ月くらい前だったかねえ、急にいつもは来ない、三軒隣の家のばあさんがうちに来たんだよ。その時に、真っ黒い不気味な男も連れていてね、一緒に教会に来て活動に参加しようとか、よそ者を残らず叩き出そうとか、よくわからないことを言っていたのさ」
「一ヶ月前……俺がちょうど仕事に出た少し後でしょうか」
船乗りのリアンは一度仕事に出ると数日かけた航海や船のメンテナンスなどのために船や港の宿場に泊まり込み、しばらく家を空けることが多いのだと言う。であれば、彼がこの異変を知らなかったのも頷ける。
「あとひとつ、いいかな」
そう切り出したのは優人だった。いつも以上に自信がなさそうに、おずおずと話し始める。
「あのときあの場には人の姿しか見えなかったけど、あの真っ黒い人が現れたときに……すごく嫌な感じがしたんだ」
「嫌な感じというのは……例の?」
シンシアが優人の言葉を補助するようにそう促してくれる。優人はそれに頷いた。
「とは言っても、みんなあの男の人には嫌な、怖い感じがしたでしょ。だから少し、自信はないんだけど……というか、どう見ても人だったし」
「……そうだな。何か異質なものを感じたのは否定しねえよ。魔物が人に擬態することも考えられなくはねえと思うが、あいつは言葉も話してたからな……」
「人語を解する魔物だなんて、聞いたことがありませんし、考えると恐ろしいですわね」
皆の言う通り、あの場にいた全員があの男からは妙な雰囲気を感じ取っていた。オーラとでも言うのだろうか、あの男はあの場にいた誰よりも、異質なものだった。村民たちが傅く謎の黒い男、彼は確かに「祈りを捧げよ。然れば与えられん」と、言葉を話していた。
優人は強い魔物ほど、触れずともあの負の感情が流れ込んでくる感覚を覚える。あの男に感じたそれは、これまでの感覚と似ているような気がしたが、優人が聞いたあの声が聞き間違いではないのなら、やはり魔物という可能性は考えにくいように思う。
一行は村民たちの異変について原因がわからないまま、その日は休むことにした。エリーもまだ眠ったままであり、何か言い知れない不安を抱えたままの夜だった。
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貴族達が会する場で、四人の青年が高らかに婚約解消を宣った。
そこに国王陛下が登場し、有無を言わさずそれを認めた。
慌てて否定した青年たちの親に、国王陛下は騒ぎを起こした責任として罰金を課した。その金額があまりに高額で、親たちは青年たちの廃嫡することで免れようとする。
貴族家として、これまで後継者として育ててきた者を廃嫡するのは大変な決断である。
しかし、国王陛下はそれを意味なしと袖にした。それは今回の集会に理由がある。
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中世ヨーロッパ風の婚約破棄物語です。
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