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第六章
それぞれの夜
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その夜は、いつもよりもずっと静かに感じられた。魔物の群れは散り散りになり、落ちたものは封印を終えると、海は穏やかさを取り戻し、深く覆われていた霧もすっかり晴れた。やはり、荒れた海は魔物たちが作り出したものであったらしく、気がつけば船はこれまでの荒波も風も嘘だったかのように静かな波音に包まれていた。
今は、激しい攻撃を受け破損した箇所を仮補修する音は響いているものの、船室に入ってしまえばそれもずいぶん遠くの音に聞こえる。
ゆらゆらと揺れるランプの灯りに照らされるエリーの寝顔を、優人は見ていた。
鋭い無数の攻撃を皆の盾となり受けたエリーの体は、砕け散った。左腕の肘の下は体から離れ落ちた。左肩と右頬、両足も多数欠け、左脇腹も大きく砕けた。
エリーの体は、普通の人間とは違うものだ。星石とほぼ同じ鉱石のような物質からなる肉体は、正しく処置を施し、時間をかければ元通りに繋ぎ合わせることができるらしい。
「ユウト、大丈夫だから」
エリーは意識が途切れる直前、砕けてしまったエリーを見て慌てふためく優人に対し、穏やかに笑いながらそう言っていた。自分以外の人々は、そう慌ててはおらず、冷静に行動していたと今になって優人は思う。
シンシアたちは手早く船室のベッドを治療台にして、魔力を持つ者を集めた。カミーユはばらばらに散らばったエリーの手足や腹の破片を丁寧に拾い集め、治療台のサイドテーブルへと運ぶ。
いくつかの星石を専用の粉砕機にかけ、細かくなった星石をさらにごりごりと乳鉢のようなもので荒い粉状にする。それを、優人もマヒアドの討伐作戦時に飲ませてもらった治癒魔法の力を込めた水で溶かす。カミーユがそれを絵筆のような小さなハケで、破片とエリーの腕の継ぎ目の両方に丁寧に塗り、接着していく。
シンシアはエリーの額に両手を添えて、自分の魔力をエリーの体へと少しずつ流し込んでいるらしかった。エリーの額に当てた手のひらには数個の星石が握られていて、その石たちを通り道にして、エリーの体へ魔力を送り込む。エリー自身は魔法をうまく使える体質ではないが、エリーの体を動かす動力は魔力だ。砕けた体を元通りに繋ぎ合わせるためのエネルギーは当然、膨大なものになる。カミーユが繋ぎ合わせた箇所が安定するように、シンシアはその力をエリーに分け与え続ける。
エリーは本来あまり眠りを必要としないが、今は体の補修に集中するためか、他の機能をすべて停止している、といった風だ。
処置にはとてもとても長い時間がかかった。カミーユの作業は緻密で、器用なその指先がひとつひとつの破片を組み合わせて、今はまだツギハギしたような裂け目が見えるようだが、これがだんだんと馴染んでいくのだという。星石を使い魔力の譲渡を行っていたシンシアも、魔力が強く処置を行える船員と交代しながら処置にあたり、すっかり真夜中となった今ようやく、エリー自身の力でその体の形を維持できるほどに安定したのだという。
ひとまずは安心していい状況となり、カミーユとシンシア、優人たちも治療を受けた。その後、処置にあたった者たちは各々休息を取っている。カミーユもシンシアもそれぞれの部屋に戻り、できるだけ眠ると言っていた。
戦いにおいても、エリーを助ける処置においても、何もできなかった。ただ恐怖と不安を堪えて立ち尽くすことしかできなかった。そんな途方もない無力感が、優人を襲っていた。けれど、いくら自分を責めようともできることが増えるわけでもなかった。
処置をしていた間も静かなものだったが、眠るエリーと優人以外は誰も居なくなった部屋はここが海の上であることさえ忘れてしまいそうなほどに静かだった。
エリーは口や鼻で呼吸をしない。皮膚、体表と言うべきか、空気中に漂う魔力を常に体と循環させてはいるらしく、言わばそれが呼吸のようなものなのだろう。しかしそれは、音が聞こえるようなものではない。寝息すら立てずに、ピクリとも動くことなく、ただ目を閉じて横たわっている様は、本当に死んでしまったかのように見える。
いや、エリーが星の一族ではなく、普通の女の子だったなら、きっと死なせてしまっていたと、優人は思う。
もしも自分がもっと強かったなら。せめてあのとき、自分の身を守ることができる力があれば。眠るエリーを見つめていると、ついそんなたらればを考えてしまう。
キイ、と木の軋む音を小さく立てて部屋に入ってきたのはシンシアだった。
「やっぱり、まだここにいましたのね」
「……うん」
シンシアの手には、ほわりと湯気を立てる器がある。優しく、柔らかな甘い香りが鼻先をくすぐった。コトリと、優人の座るすぐそばのサイドテーブルに置かれたそれはホットミルクだ。
「ありがとう」
「ユウトも、きちんと休んでくださいませね」
「シンシアも、眠るって言ってたのに」
「……なんだか、うまく眠れませんでしたの。でも、私はもう部屋に戻って休みます」
そう言うシンシアの頬や、白く細い指には手当てを受けた跡があり、ガーゼや包帯が痛々しかった。
「……ユウト、エリー様は大丈夫ですわ」
「ねえ、シンシア。エリーは今、苦しいのかな」
「それは……そう、でしょうね」
「前にエリーが教えてくれたんだ、人間みたいな痛覚は、ほとんどないんだって。眠る前にも、何度も大丈夫だって言ってた。それを信じてないわけじゃないよ……でも、僕は、やっぱり」
そう言う優人の目はただ、さっきまではバラバラになっていた、ツギハギされているエリーの白い指を見ている。
その先は言葉にできなかった。シンシアも、その先を求めることはしなかった。それ以上の言葉を引き出すのは無礼だと思った。シンシアは何も言わず、部屋を出ていく。部屋はまた、時が止まってしまったかのような静けさに包まれた。
落ち込んでいるのは、優人だけではない。エリーを恋い慕うカミーユも、王族信仰者のシンシアも、エリーが傷ついたことには不甲斐なさを感じている。
船内の一行にあてがわれた寝室に戻ったシンシアは、ベッドに横になってはいるものの眠ってはいないカミーユに声をかける。顔を壁側に向けていて表情はわからないが、それはお互い様だった。
「かなりショックだったみたいです」
「まあ、そうだろうな」
カミーユもシンシアも、砕けたエリーの姿を見て焦った。冷や汗だって流した。けれど、冷静だった。自分たちの力をもって、その体を繋ぐ方法を知っているからだ。カミーユなどはもう何度もエリーの体を直しているし、ここまで損傷が激しいことは稀だが、もう慣れたものだった。エリーの体は、やがて魔力が安定しツギハギした部分の薬剤が馴染んでいけば数日で元通りになるだろう。むしろ、カミーユたちの怪我の方が治るのには時間がかかりそうだった。
であればやはり、あの状況においてはエリーが盾になり救世主を守ることが最善の手であったとさえ、二人は思っている。
結果的にはそれは間違いではないのである。救世主である優人を失えば、途端にこの旅に意味はなくなる。自分たちが為そうとしていることの一切ができなくなる。また、人々を襲う魔物をどうすることもできずにただ足掻く日々に戻るのだ。この世界に生きる者、またそれを守ろうとしている者としては、優先順位のつけ方も、犠牲にすべきものも、決して間違ってはいない。それがたとえこの世界の象徴とも言うべき王族の体であろうとも、だ。
「エリー様、少し驚いていましたけれど、嬉しそうでしたわ」
「……そうだろうな」
「ユウトがああいう人だから、なんでしょうね。私もあなたも、所詮はこの世界の人間です。この世界の魔法使いです。とても、ユウトのようにはなれない」
「……」
「普通に考えれば、ユウトのほうが滑稽で、人が見れば常識を知らぬと言われるのかもしれません。けれど……エリー様に必要なのは、ユウトのような、無垢な心だったのかもしれません。何の役にも立たないものでも、何より、得難いものなのかもしれません」
あの場で、エリーのことを心から心配し、傷つけたことに悲しみ、エリーの死を恐れ、無力を嘆いていたのは優人だった。優人は、自分がもっと強ければエリーを傷つけずに済んだのではないかと自分を責めていた。
優人がエリーのことを知らないからというのはもちろんそうだ。けれど、優人はもしもエリーの損傷はすぐに直るものだと知っても、同じ顔をするような気がしていた。
それは、カミーユやシンシアにはできないことだった。優人と同じくらい深く心を痛めることは、この世界の常識の中で生きる者にはできない。一族のことなど知らない、何も知らない人間。そして何より、誰よりも優しくエリーのことを想う人間にしかできないことだ。そのことを、傷だらけのエリーが嬉しそうに微笑んだのを見て、そう感じた。
ああ、やっぱり。やっぱり、俺じゃダメなんだな、とカミーユは悟る。
誰よりもエリーのそばにいた。エリーのためにあらゆるものを捧げた。身につけた知識も技術も、手に入れた地位も、それは自分のためでもあったけれど、いつでもエリーのことを想って自分のものにしてきた。
それは、きっとこれからも変わらない。いずれエリーの隣に立つのが自分でなくなった時が来たとしても、相変わらずエリーのために力を尽くすだろうとカミーユは思っている。
「……可哀想な人」
シンシアが呟く。今の自分の姿は、まさにそう映るだろう。シンシアは、カミーユに対してだけは辛辣な言葉を厭わない。哀れまれることなどカミーユは嬉しくもなんともないと、わかっていながらわざと口にするのだ。
「哀れむのはやめろよ」
「よしよし」
「やめろっつーのに」
不思議と涙が出てくるような気配すらなかった。こうしてわざとカミーユが嫌がるようなことを言うのは、シンシアなりのカミーユに対する優しさだった。本気で泣かれたり、心からの優しい言葉なんかをかけられるよりはずっといい。
「お前も寝ろ」
「そうですわね、明日からも大変ですから」
カミーユとシンシアの付き合いは短いが、この妙な信頼感のようなものは居心地が悪くなかった。
気が合うわけでもない、お互いを好いているわけでもない。むしろカミーユは裏表のあるシンシアのことを苦手だと思っているし、シンシアはカミーユのような粗暴な振る舞いをする男は嫌いだった。おそらくこの旅がなければ、そして旅の供がエリーと優人でなければ会話すらしなかっただろう。
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
わかりにくい言葉で励ましてくれたことに、ありがとうとは決して言わない。お互いに励ましも感謝も望んでなどいないからだ。
朝日が昇るまで、あと少し。
四人はもうすぐ終わろうとしている長かった夜を、それぞれの思惑を抱えながら過ごしている。
今は、激しい攻撃を受け破損した箇所を仮補修する音は響いているものの、船室に入ってしまえばそれもずいぶん遠くの音に聞こえる。
ゆらゆらと揺れるランプの灯りに照らされるエリーの寝顔を、優人は見ていた。
鋭い無数の攻撃を皆の盾となり受けたエリーの体は、砕け散った。左腕の肘の下は体から離れ落ちた。左肩と右頬、両足も多数欠け、左脇腹も大きく砕けた。
エリーの体は、普通の人間とは違うものだ。星石とほぼ同じ鉱石のような物質からなる肉体は、正しく処置を施し、時間をかければ元通りに繋ぎ合わせることができるらしい。
「ユウト、大丈夫だから」
エリーは意識が途切れる直前、砕けてしまったエリーを見て慌てふためく優人に対し、穏やかに笑いながらそう言っていた。自分以外の人々は、そう慌ててはおらず、冷静に行動していたと今になって優人は思う。
シンシアたちは手早く船室のベッドを治療台にして、魔力を持つ者を集めた。カミーユはばらばらに散らばったエリーの手足や腹の破片を丁寧に拾い集め、治療台のサイドテーブルへと運ぶ。
いくつかの星石を専用の粉砕機にかけ、細かくなった星石をさらにごりごりと乳鉢のようなもので荒い粉状にする。それを、優人もマヒアドの討伐作戦時に飲ませてもらった治癒魔法の力を込めた水で溶かす。カミーユがそれを絵筆のような小さなハケで、破片とエリーの腕の継ぎ目の両方に丁寧に塗り、接着していく。
シンシアはエリーの額に両手を添えて、自分の魔力をエリーの体へと少しずつ流し込んでいるらしかった。エリーの額に当てた手のひらには数個の星石が握られていて、その石たちを通り道にして、エリーの体へ魔力を送り込む。エリー自身は魔法をうまく使える体質ではないが、エリーの体を動かす動力は魔力だ。砕けた体を元通りに繋ぎ合わせるためのエネルギーは当然、膨大なものになる。カミーユが繋ぎ合わせた箇所が安定するように、シンシアはその力をエリーに分け与え続ける。
エリーは本来あまり眠りを必要としないが、今は体の補修に集中するためか、他の機能をすべて停止している、といった風だ。
処置にはとてもとても長い時間がかかった。カミーユの作業は緻密で、器用なその指先がひとつひとつの破片を組み合わせて、今はまだツギハギしたような裂け目が見えるようだが、これがだんだんと馴染んでいくのだという。星石を使い魔力の譲渡を行っていたシンシアも、魔力が強く処置を行える船員と交代しながら処置にあたり、すっかり真夜中となった今ようやく、エリー自身の力でその体の形を維持できるほどに安定したのだという。
ひとまずは安心していい状況となり、カミーユとシンシア、優人たちも治療を受けた。その後、処置にあたった者たちは各々休息を取っている。カミーユもシンシアもそれぞれの部屋に戻り、できるだけ眠ると言っていた。
戦いにおいても、エリーを助ける処置においても、何もできなかった。ただ恐怖と不安を堪えて立ち尽くすことしかできなかった。そんな途方もない無力感が、優人を襲っていた。けれど、いくら自分を責めようともできることが増えるわけでもなかった。
処置をしていた間も静かなものだったが、眠るエリーと優人以外は誰も居なくなった部屋はここが海の上であることさえ忘れてしまいそうなほどに静かだった。
エリーは口や鼻で呼吸をしない。皮膚、体表と言うべきか、空気中に漂う魔力を常に体と循環させてはいるらしく、言わばそれが呼吸のようなものなのだろう。しかしそれは、音が聞こえるようなものではない。寝息すら立てずに、ピクリとも動くことなく、ただ目を閉じて横たわっている様は、本当に死んでしまったかのように見える。
いや、エリーが星の一族ではなく、普通の女の子だったなら、きっと死なせてしまっていたと、優人は思う。
もしも自分がもっと強かったなら。せめてあのとき、自分の身を守ることができる力があれば。眠るエリーを見つめていると、ついそんなたらればを考えてしまう。
キイ、と木の軋む音を小さく立てて部屋に入ってきたのはシンシアだった。
「やっぱり、まだここにいましたのね」
「……うん」
シンシアの手には、ほわりと湯気を立てる器がある。優しく、柔らかな甘い香りが鼻先をくすぐった。コトリと、優人の座るすぐそばのサイドテーブルに置かれたそれはホットミルクだ。
「ありがとう」
「ユウトも、きちんと休んでくださいませね」
「シンシアも、眠るって言ってたのに」
「……なんだか、うまく眠れませんでしたの。でも、私はもう部屋に戻って休みます」
そう言うシンシアの頬や、白く細い指には手当てを受けた跡があり、ガーゼや包帯が痛々しかった。
「……ユウト、エリー様は大丈夫ですわ」
「ねえ、シンシア。エリーは今、苦しいのかな」
「それは……そう、でしょうね」
「前にエリーが教えてくれたんだ、人間みたいな痛覚は、ほとんどないんだって。眠る前にも、何度も大丈夫だって言ってた。それを信じてないわけじゃないよ……でも、僕は、やっぱり」
そう言う優人の目はただ、さっきまではバラバラになっていた、ツギハギされているエリーの白い指を見ている。
その先は言葉にできなかった。シンシアも、その先を求めることはしなかった。それ以上の言葉を引き出すのは無礼だと思った。シンシアは何も言わず、部屋を出ていく。部屋はまた、時が止まってしまったかのような静けさに包まれた。
落ち込んでいるのは、優人だけではない。エリーを恋い慕うカミーユも、王族信仰者のシンシアも、エリーが傷ついたことには不甲斐なさを感じている。
船内の一行にあてがわれた寝室に戻ったシンシアは、ベッドに横になってはいるものの眠ってはいないカミーユに声をかける。顔を壁側に向けていて表情はわからないが、それはお互い様だった。
「かなりショックだったみたいです」
「まあ、そうだろうな」
カミーユもシンシアも、砕けたエリーの姿を見て焦った。冷や汗だって流した。けれど、冷静だった。自分たちの力をもって、その体を繋ぐ方法を知っているからだ。カミーユなどはもう何度もエリーの体を直しているし、ここまで損傷が激しいことは稀だが、もう慣れたものだった。エリーの体は、やがて魔力が安定しツギハギした部分の薬剤が馴染んでいけば数日で元通りになるだろう。むしろ、カミーユたちの怪我の方が治るのには時間がかかりそうだった。
であればやはり、あの状況においてはエリーが盾になり救世主を守ることが最善の手であったとさえ、二人は思っている。
結果的にはそれは間違いではないのである。救世主である優人を失えば、途端にこの旅に意味はなくなる。自分たちが為そうとしていることの一切ができなくなる。また、人々を襲う魔物をどうすることもできずにただ足掻く日々に戻るのだ。この世界に生きる者、またそれを守ろうとしている者としては、優先順位のつけ方も、犠牲にすべきものも、決して間違ってはいない。それがたとえこの世界の象徴とも言うべき王族の体であろうとも、だ。
「エリー様、少し驚いていましたけれど、嬉しそうでしたわ」
「……そうだろうな」
「ユウトがああいう人だから、なんでしょうね。私もあなたも、所詮はこの世界の人間です。この世界の魔法使いです。とても、ユウトのようにはなれない」
「……」
「普通に考えれば、ユウトのほうが滑稽で、人が見れば常識を知らぬと言われるのかもしれません。けれど……エリー様に必要なのは、ユウトのような、無垢な心だったのかもしれません。何の役にも立たないものでも、何より、得難いものなのかもしれません」
あの場で、エリーのことを心から心配し、傷つけたことに悲しみ、エリーの死を恐れ、無力を嘆いていたのは優人だった。優人は、自分がもっと強ければエリーを傷つけずに済んだのではないかと自分を責めていた。
優人がエリーのことを知らないからというのはもちろんそうだ。けれど、優人はもしもエリーの損傷はすぐに直るものだと知っても、同じ顔をするような気がしていた。
それは、カミーユやシンシアにはできないことだった。優人と同じくらい深く心を痛めることは、この世界の常識の中で生きる者にはできない。一族のことなど知らない、何も知らない人間。そして何より、誰よりも優しくエリーのことを想う人間にしかできないことだ。そのことを、傷だらけのエリーが嬉しそうに微笑んだのを見て、そう感じた。
ああ、やっぱり。やっぱり、俺じゃダメなんだな、とカミーユは悟る。
誰よりもエリーのそばにいた。エリーのためにあらゆるものを捧げた。身につけた知識も技術も、手に入れた地位も、それは自分のためでもあったけれど、いつでもエリーのことを想って自分のものにしてきた。
それは、きっとこれからも変わらない。いずれエリーの隣に立つのが自分でなくなった時が来たとしても、相変わらずエリーのために力を尽くすだろうとカミーユは思っている。
「……可哀想な人」
シンシアが呟く。今の自分の姿は、まさにそう映るだろう。シンシアは、カミーユに対してだけは辛辣な言葉を厭わない。哀れまれることなどカミーユは嬉しくもなんともないと、わかっていながらわざと口にするのだ。
「哀れむのはやめろよ」
「よしよし」
「やめろっつーのに」
不思議と涙が出てくるような気配すらなかった。こうしてわざとカミーユが嫌がるようなことを言うのは、シンシアなりのカミーユに対する優しさだった。本気で泣かれたり、心からの優しい言葉なんかをかけられるよりはずっといい。
「お前も寝ろ」
「そうですわね、明日からも大変ですから」
カミーユとシンシアの付き合いは短いが、この妙な信頼感のようなものは居心地が悪くなかった。
気が合うわけでもない、お互いを好いているわけでもない。むしろカミーユは裏表のあるシンシアのことを苦手だと思っているし、シンシアはカミーユのような粗暴な振る舞いをする男は嫌いだった。おそらくこの旅がなければ、そして旅の供がエリーと優人でなければ会話すらしなかっただろう。
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
わかりにくい言葉で励ましてくれたことに、ありがとうとは決して言わない。お互いに励ましも感謝も望んでなどいないからだ。
朝日が昇るまで、あと少し。
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