カウントダウン

アサツミヒロイ

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第三話

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side/hasumi


 二学期の終わり、終業式の日。
 今日は午前授業で、それから学年での短い集会があり、先生の挨拶を聞いて、学校は終わりの日だ。二学期の間もたくさん裏庭で過ごした昼休みはない。

 思えば、二学期はたくさんの変化があったように思う。進学先に通えることが明確に決まったのは二学期の最初の頃だった。ピアノや音楽は私にとって唯一の取り得であったし、夢と言ってもいいものだった。だからとても嬉しかったし、誇らしかった。
 けれどそれと同時に、どうしようもない不安や、もどかしさや、日々をこの学校で過ごす虚しさのようなものが増していった。
 先生も気を使ってくれて、進学先のことは生徒たちには話さないでいてくれたようだけれど、やはり噂はされるものだった。クラスで感じていた疎外感のようなものは加速していく。

 彼女に会いたい。彼女と一緒にいるときには、妙な寂しさも焦りも忘れられた。彼女に特別な何かが備わっているとは思えないけれど、そういう穏やかな明るい気持ちに導いてもらえるのは確かだった。彼女は、不思議な人だ。

 今日は彼女と会える昼休みがなくて、そして明日からは冬休みに入ってしまう。
 先生の挨拶が終わり、終業式も終わる。教室へ戻って、ホームルームも終えると、またチャイムが鳴る。これで残り、四百三十七回。

「高山さん、ここに居たんだ」
 さっさと早く帰ってしまうのも気が進まなくて、昼休みでもないのに、また裏庭に来ていた私を探したのか、彼女がそう言いながらやって来た。
「茜ちゃん」
 今日は会えないのだと思っていた。隣のクラスなのだから、会いに行けばいいのだけど。何故だかそんな勇気が出なかった私は、わざわざ帰り道でもない裏庭に来てくれたことが、なんだかとても幸せに感じられた。もう十二月も終わり頃。ただひとりでぼんやりと過ごすにはとても寒くて、もう帰ろうと何度も腰を上げかけたけれど、帰ってしまわなくて良かったと思った。
 少し探させてしまったのか、走ってここへ来たのか、彼女は少し息を切らしているようだった。大丈夫? と声をかけようとしたけれど、彼女はすぐに顔をあげて、まっすぐに私の目を見た。

 その目があまりにもきらきらしていて、必死だったから、私は何も言えなかった。
「あのね、私、三学期も学校に来るよ」
「え?」
「ほら、家だと家族とか居て、うちってちょっと騒がしいから、勉強集中できなくて。だから、自習も学校のほうが捗るかなって……」
 話しているのはなんでもない普通のことなのに、彼女は顔を真っ赤にして、すごく一生懸命に話しているものだから、私は相槌すらうまく打てなかった。
「……それに、……はすみちゃんに、会いたいから!」
「……!」
「だから、学校来ることにする!」
 普段の優しそうな雰囲気からは想像もつかないくらいの大きな声で、彼女はそう言った。恥ずかしいのか、寒さなのか、耳まで真っ赤に染めて。初めて名前も呼んでくれて、会いたい、なんて。
 こんなのまるで、告白でもされているみたいだ。

 私、三学期どうするかなんて、決めていなかったのにな、と思ったけれど、彼女のそんな言葉を聞いたら、もう決めるしかなくなってしまった。
「……じゃあ、私も来ようかな」
「……ほんと?」
「うん」
 私が頷くと、すごく安心したみたいに照れ笑いをする彼女を、かわいいと思った。
 それまで感じていた寒さは、どこかへいってしまったようだ。


 * * *


side/akane


 例年よりものんびりと、穏やかな冬休みだった。これまでは友達と遊んだりして過ごしていたけれど、すっかりそんな雰囲気ではないことにはいい加減慣れてきていた。クリスマスもお正月も家族と過ごし、それなりに充実した毎日だった。
 そんなある日、突然彼女からメッセージが届いた。
『今週の土曜日、暇?』
 連絡先は交換していたけれど、遊びの誘いが来るなんてあまり想像できていなかった。メッセージの文面はとてもシンプルで、彼女らしい。
『暇だよ、どうしたの?』
『買い物に出掛けるから、会えないかなって』
 必要最低限の会話が、彼女の選ぶ言葉らしくて、そのまま声が聞こえてきそうだった。私はその誘いに、二つ返事で応えることにした。

 大きな駅の人ごみでさえ、彼女は誰よりも綺麗に見えた。先に待ち合わせ場所に来ていた彼女に声をかけると、いつものよく見ないとわかりにくい微かな笑みを見せてくれた。
 柔らかそうなミルクティー色のコートから覗く、ゆったりした黒のニットと深い赤と紫のチェックのタイトスカートがとてもよく似合っている。
「なんか、久しぶりだね」
「そうだね」
「本当は休み中ももっと会いたかったんだけど……連絡もなかなかできなくて」
 彼女の用事は大きな本屋さんで、数冊ドイツ語と英語の本を買っていた。
 初めて学校の外で会った彼女はなんだか雰囲気がいつもと違っていて、私はそれに何故かひどく寂しくなった。まるで、私を置いて先に大人になってしまったみたいに思えたからだ。

「元気だった?」
 用事を済ませ、二人でカフェに入った。腰を落ち着けたところで、冬休み中の話になった。年も明けてしばらく経ち、もうすぐ三学期が始まろうというところだった。
「うん、元気。今年は久しぶりにお正月も家族だけと過ごして、こういうのもやっぱり良いなあって思ったよ」
「そっか」
「はすみちゃんも、家族と?」
 そう聞くと、彼女は少し切なそうに頷いた。
「そう。今年は家族でウィーンに行ってて、年越しもそっちで。春から住むところの下見したり、先生に会って挨拶と、少しレッスンも」
 やっぱり、この話になると私はうまく言葉を返せない。彼女のことを思うなら、応援してあげるべきだし、彼女がなんでもないことのように振る舞いたいなら、もっと普通に話したい。
 どうしてこんなに、寂しいのだろう。友達になったのだから、当たり前と言えば、当たり前だけれど。でも、私たちはまだ出会ったばかりで、出会った時点で卒業という別れが間近に迫っていて。離れがたくなってしまうほどたくさんの思い出があるわけじゃない。私たちの思い出なんて、あの薄暗い裏庭で過ごした、何日間かの昼休みだけだ。
 なのに、今はまだ目の前に彼女が居るのに、もうこんなにも寂しい。彼女の瞳はいつもどこか遠くを見ているようで、すぐ目の前にいて見つめ合っているはずなのに、その視線の先に私は居ないような気がする。
 私は言葉を返せなくて、不安になってその手を取る。指先を絡めて、手をギュッと繋ぎ合わせた。
「……どうしたの?」
「……なんとなく。イヤかな?」
「嫌じゃないよ」
 彼女の手は冷たくて、けれど手を繋げば私の体温が彼女の手に伝わり、少しずつあたたかくなっていく。そうすることでようやく、私は彼女との繋がりを感じられた。彼女のそばに私が居るのだと実感できた。

 寂しいのは、彼女じゃなくても同じなのだろうか。あの日出会ったのが彼女じゃなければ、こんな気持ちにはならなかったのだろうか。
 そんな考えは、浮かんで、すぐに消えた。きっと無駄だからだ。
 もしものことをいくら考えたって、あの日出会って、そして離れていくのは、彼女でしかあり得ないからだ。


 * * *


side/hasumi


 三学期。自由登校というものは、こんなにも静かなのだと思った。いつもは騒ついた教室も人影は疎らで、なんだか広く感じる。ほとんどの机も椅子も、使われることなく整然と並んだまま。きれいに順番通り規則正しく並んでいる様は、いつもであれば気持ちがいいけれど、寂しく感じることもあるのだなと思った。
 自由登校の日は、簡単なホームルームはあるものの、何をしろと言われるものでもない。いつもよりも人影の少ない校舎を歩いていたら、どこか所在無げにしている彼女を見つける。
「茜ちゃん」
 私がそう声をかけると、彼女は安心したようにこちらに笑いかける。

 私は進路の事情もあり、特別に合唱部の使っているピアノ室を放課後の部活動が始まるまでの時間、自由に使わせてもらえることになった。普段は音楽の授業でも使われることのない部屋だからと、鍵ごと渡してくれた。私はそこへ、彼女を連れてきた。
「すごいね、そんな風に使わせてもらえるんだ」
「きっといちいち鍵を貸し出すのが面倒だったのよ」
「それ、ありそう。じゃあ、貸切?」
「うん」
 ピアノと小さな机と椅子が何組か置いてあるだけの、質素な部屋。あの薄暗い裏庭と違って、ずいぶんと日当たりもよくて、あたたかなところだった。
「茜ちゃんなら、いつでも来ていいよ。まあ、たまに気晴らしに散歩していたり、外で本読んでたりするかもしれないけど」
「わかった」
 私が照れを誤魔化すように少しおどけて言うと、彼女もおかしそうに笑って頷いた。そして、少しはにかんで、私の手をとった。
「……ありがとう」
 彼女が何にお礼を言ったのか、定かではなかったけれど。それでもなんだかとても彼女が愛おしく思えた。

 母の切なそうな顔を思い出した。母の思った通りだ。このまま過ごせば、どんどん離れがたくなっちゃう、と私は思った。
 私は返すべき言葉が見つからなくて、でも言葉なんてもう必要ないような気がして、彼女が繋いできた手を引き寄せる。彼女は何も抵抗することなく、そのまま一歩、私のそばに歩み寄る。
 そうすると、私たちの距離はほとんどなくなって、午前の明るい光に照らされた彼女の顔が、もうすぐそばにある。私はそのすぐそばの距離でさえ、なくしてしまいたくなって、少し背伸びをして彼女のおでこにそっとキスをした。
 彼女は少し驚いた顔をしていたけれど、嫌がったり、ふざけて笑ったりもしなかった。

 今はちょうど、一限目が終わる時間だろうか。いつもと同じ、チャイムが鳴る。
 始めは数百と思っていたカウントダウンは、決して待ってくれることはなく、その数を減らしていく。
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