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諦めたのは僕だけだった
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「私さ、もうすぐ死んじゃうかもしれないんだ」
君は穏やかな昼下がり、静かな病室でそう呟いた。
悲しいほど綺麗なベットの上で、枯れ木のような君は、にっこりと不器用に笑顔をつくる。
五月の暖かな風がカーテンを揺らす、ついつい微睡んでしまうような季節の中で、君はさよならの話を僕にする。
君の病気の事を僕はよく分かっていない。
けれど君の日に日にやつれていく姿と、君の中から当たり前の選択肢が無くなっていく姿を見れば、どんなに馬鹿な子供だって理解してしまう。
君が身に余るほどの苦しみを、理不尽に与えられているという事は。
ずっと好きだった。
家が近くて気が合ったから、君とはすぐに仲良くなった。
一緒に過ごす時間はいつもよりずっと駆け足で、一緒に見る景色はいつもよりずっと鮮やかだった。
君の笑う顔が好きだった。
太陽なんか目じゃない、見ているだけでお腹の奥がじんわりと温まるような笑顔が好きだった。
けれどその笑顔はもう見れない、いま僕の前で君が作った笑顔はひどく窮屈そうだ。
嘘だと思いたかった、けれど君の言葉が嘘じゃない事を僕は知ってる。
君は誰かを傷つけるような、嘘や冗談を言わない人だったから。
僕の膝の上にあった両手は、知らない内に握られ、拳の中は汗でじっとりと濡れていた。
手の平には爪が食い込み、汗をズボンで拭った後に手を見ると、くっきりと爪の後が残っていた。
「でも私……諦めないよ。絶対に病気を治して、また二人で遊びたいから」
僕は張り付いた唇をどうにか剥がして、そうだねというありきたりな言葉をできる限り精一杯の笑顔と一緒に君へ贈る。
「それで私べつの病院に移る事になったの、もっと大きくて……遠い病院に」
僕はそれとなくその事に気付いていた、君のベットの周りにあった物は少しずつ減っていっていたし、いつも綺麗な花が飾られていた花瓶には何も入っていなかったから。
「私……手紙かくから! 絶対に病気を治して戻って来るから! だから……私を忘れないでね……?」
そう言って君は泣いた。
泣き顔を見るのは初めてじゃない、ひどい喧嘩をした時も泣いたし、滑り台から落ちた時も泣いた。
けれど今の泣き顔は、今までで一番ぼくの胸を締め付けた。
君は僕の手を握って泣き続ける、鳥の羽みたいに軽い君の冷たい手は僕の無駄に温かい手を握る。
僕の熱を君にあげる事ができたら、そんな事を考えながら僕は泣いた。
そして僕は君の所へ行くことをやめた。
話をしてから君が別の病院に行くまでの一週間、僕はただの一度も君の顔を見なかった。
ドラマや映画の登場人物なら、きっと君に寄り添って、手紙を書いて、遠くの病院にだって会いに行くんだろう。
でも僕には無理だった。
元々きつかったんだ、君に会いに行くのは。
会いに行くたびに細くなっていく腕、やつれていく顔、時折見せる苦しそうな表情、生気を失っていく肌の色。
僕の頭の中にいる君が、あの素晴らしい時間を過ごした君が朽ちていく事に僕は耐えられなかった。
先生や看護師の人たちもこそこそ話をしていた、君がそう長くないって。
卑怯、薄情、腰抜け、僕を責める言葉は山のようにあった。
でも僕はそれを受け入れるしかない。
小学生の僕には、君の死を見届けるだけの覚悟が無かった。
あの時の僕は、君の事を諦めてしまったんだ。
君が僕の人生からいなくなって、ずいぶん時間が経った。
あれから僕はしばらくの間、君への罪悪感に苦しみ続けた。
君からの手紙も形式的に最初の二、三通は返した。
けれど君から手紙がこなくなって、その間に僕の住所も変わった。
年齢を重ねていく内に、罪悪感と一緒に君との思い出も色褪せていった。
それは残酷な事だったけど、僕が生きていくためには必要な事だったんだ。
大学生になった頃には、もうほとんど君への罪悪感は無くなっていた。
色褪せて擦り切れた君との思い出はまだ僕の中にあった、けれどそれが僕を苦しめる事はもう無い。
君は僕の中でちゃんと過去になってくれた。
「頼む、明日の合コン来てくれよ。人数合わねえと話が流れちまうんだ」
ある日ぼくは、友人の一人から合コンの話を切り出された。
どうやら来るはずだった人間が、一人来られなくなったらしい。
僕は常々そういった話は断っていたが、友人がどうしてもと頭を下げるので仕方なく行くことにした。
友人の話によれば、相手は別の大学の子たちらしい。
僕の中にその子たちと上手い事やろうとか、そういった感情は無かった。
けれどもなぜだろうか、何かが始まるような気がしてならなかった。
合コンは、大学の近くにある居酒屋で開かれた。
ざわつく店内と、ざわつく学友だちとは対照的に僕は一番奥の席で静かに座っていた。
食べ物と煙草、そして誰とも知らない体臭が混ざった臭いが鼻をつく。
始まる時間とほとんど同時に相手の子たちはやってきた。
四対四の合コン、友人から聞いていた通りの美人揃いだ。
友人が何とかして合コンを開こうとした理由が、分かったような気がする。
そうして合コンは始まり、テンプレートのような挨拶が始まった。
入り口側の子から自己紹介を始める、やがて順番は僕の前に座っていた子に回って来た。
場を盛り上げようと声を上げる友人たち、居酒屋は喧騒に包まれている。
僕は自分の前に座った子の顔を、まともに見ていなかった。
けれど彼女が自分の名前を告げた時、いやそれよりももっと早く、最初の一文字を音にした瞬間に、僕の前に誰がいるのか分かってしまった。
僕は彼女の顔を見る。
そんなはずがないと叫びたかった、ありえないと言いたかった。
色褪せて、擦り切れて朽ち果てたはずの思い出がそこにいた。
僕はその瞬間、今までよりもずっと強く自分が矮小な人間だと思わされた。
ああ、諦めたのは僕だけだったんだなと。
君は僕に気付いた。
そして君は見た事のない色の笑みを僕に向ける。
君は帰ってきたんだ、鮮やかな罪悪感と共に。
君は穏やかな昼下がり、静かな病室でそう呟いた。
悲しいほど綺麗なベットの上で、枯れ木のような君は、にっこりと不器用に笑顔をつくる。
五月の暖かな風がカーテンを揺らす、ついつい微睡んでしまうような季節の中で、君はさよならの話を僕にする。
君の病気の事を僕はよく分かっていない。
けれど君の日に日にやつれていく姿と、君の中から当たり前の選択肢が無くなっていく姿を見れば、どんなに馬鹿な子供だって理解してしまう。
君が身に余るほどの苦しみを、理不尽に与えられているという事は。
ずっと好きだった。
家が近くて気が合ったから、君とはすぐに仲良くなった。
一緒に過ごす時間はいつもよりずっと駆け足で、一緒に見る景色はいつもよりずっと鮮やかだった。
君の笑う顔が好きだった。
太陽なんか目じゃない、見ているだけでお腹の奥がじんわりと温まるような笑顔が好きだった。
けれどその笑顔はもう見れない、いま僕の前で君が作った笑顔はひどく窮屈そうだ。
嘘だと思いたかった、けれど君の言葉が嘘じゃない事を僕は知ってる。
君は誰かを傷つけるような、嘘や冗談を言わない人だったから。
僕の膝の上にあった両手は、知らない内に握られ、拳の中は汗でじっとりと濡れていた。
手の平には爪が食い込み、汗をズボンで拭った後に手を見ると、くっきりと爪の後が残っていた。
「でも私……諦めないよ。絶対に病気を治して、また二人で遊びたいから」
僕は張り付いた唇をどうにか剥がして、そうだねというありきたりな言葉をできる限り精一杯の笑顔と一緒に君へ贈る。
「それで私べつの病院に移る事になったの、もっと大きくて……遠い病院に」
僕はそれとなくその事に気付いていた、君のベットの周りにあった物は少しずつ減っていっていたし、いつも綺麗な花が飾られていた花瓶には何も入っていなかったから。
「私……手紙かくから! 絶対に病気を治して戻って来るから! だから……私を忘れないでね……?」
そう言って君は泣いた。
泣き顔を見るのは初めてじゃない、ひどい喧嘩をした時も泣いたし、滑り台から落ちた時も泣いた。
けれど今の泣き顔は、今までで一番ぼくの胸を締め付けた。
君は僕の手を握って泣き続ける、鳥の羽みたいに軽い君の冷たい手は僕の無駄に温かい手を握る。
僕の熱を君にあげる事ができたら、そんな事を考えながら僕は泣いた。
そして僕は君の所へ行くことをやめた。
話をしてから君が別の病院に行くまでの一週間、僕はただの一度も君の顔を見なかった。
ドラマや映画の登場人物なら、きっと君に寄り添って、手紙を書いて、遠くの病院にだって会いに行くんだろう。
でも僕には無理だった。
元々きつかったんだ、君に会いに行くのは。
会いに行くたびに細くなっていく腕、やつれていく顔、時折見せる苦しそうな表情、生気を失っていく肌の色。
僕の頭の中にいる君が、あの素晴らしい時間を過ごした君が朽ちていく事に僕は耐えられなかった。
先生や看護師の人たちもこそこそ話をしていた、君がそう長くないって。
卑怯、薄情、腰抜け、僕を責める言葉は山のようにあった。
でも僕はそれを受け入れるしかない。
小学生の僕には、君の死を見届けるだけの覚悟が無かった。
あの時の僕は、君の事を諦めてしまったんだ。
君が僕の人生からいなくなって、ずいぶん時間が経った。
あれから僕はしばらくの間、君への罪悪感に苦しみ続けた。
君からの手紙も形式的に最初の二、三通は返した。
けれど君から手紙がこなくなって、その間に僕の住所も変わった。
年齢を重ねていく内に、罪悪感と一緒に君との思い出も色褪せていった。
それは残酷な事だったけど、僕が生きていくためには必要な事だったんだ。
大学生になった頃には、もうほとんど君への罪悪感は無くなっていた。
色褪せて擦り切れた君との思い出はまだ僕の中にあった、けれどそれが僕を苦しめる事はもう無い。
君は僕の中でちゃんと過去になってくれた。
「頼む、明日の合コン来てくれよ。人数合わねえと話が流れちまうんだ」
ある日ぼくは、友人の一人から合コンの話を切り出された。
どうやら来るはずだった人間が、一人来られなくなったらしい。
僕は常々そういった話は断っていたが、友人がどうしてもと頭を下げるので仕方なく行くことにした。
友人の話によれば、相手は別の大学の子たちらしい。
僕の中にその子たちと上手い事やろうとか、そういった感情は無かった。
けれどもなぜだろうか、何かが始まるような気がしてならなかった。
合コンは、大学の近くにある居酒屋で開かれた。
ざわつく店内と、ざわつく学友だちとは対照的に僕は一番奥の席で静かに座っていた。
食べ物と煙草、そして誰とも知らない体臭が混ざった臭いが鼻をつく。
始まる時間とほとんど同時に相手の子たちはやってきた。
四対四の合コン、友人から聞いていた通りの美人揃いだ。
友人が何とかして合コンを開こうとした理由が、分かったような気がする。
そうして合コンは始まり、テンプレートのような挨拶が始まった。
入り口側の子から自己紹介を始める、やがて順番は僕の前に座っていた子に回って来た。
場を盛り上げようと声を上げる友人たち、居酒屋は喧騒に包まれている。
僕は自分の前に座った子の顔を、まともに見ていなかった。
けれど彼女が自分の名前を告げた時、いやそれよりももっと早く、最初の一文字を音にした瞬間に、僕の前に誰がいるのか分かってしまった。
僕は彼女の顔を見る。
そんなはずがないと叫びたかった、ありえないと言いたかった。
色褪せて、擦り切れて朽ち果てたはずの思い出がそこにいた。
僕はその瞬間、今までよりもずっと強く自分が矮小な人間だと思わされた。
ああ、諦めたのは僕だけだったんだなと。
君は僕に気付いた。
そして君は見た事のない色の笑みを僕に向ける。
君は帰ってきたんだ、鮮やかな罪悪感と共に。
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