神よりも人間らしく

猫パンチ三世

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第九章 歪な夏

六十七話 変わった思い出

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「あ~っつい」

 昼下がり、マガズミは洋平のベットの上であられもない姿でのびていた。
 彼から半ば強引に奪い取った黒色の半袖Tシャツと、これまた強引に奪った半ズボンを着て、地面に落ちたアイスのような姿で彼のベットを占領していた。

「ねえ~エアコンまだ新しくなんないの?」

「この暑さでどこも品薄なんだとよ、少なくともあと一週間はかかるって話だ」

 そう答えた洋平は、額に汗を滲ませながら気だるげにテレビを見ていた。
 彼の部屋のエアコンは完全に寿命を迎えてしまった、買い替えはすでに決定しているがこの年の暑さは異常らしく、エアコンはどこも品薄状態で父の話によれば一週間は我慢してほしいとの事だった。

「ふざ~けんじゃないわよ、あと一週間もこのままじゃアタシ死んじゃうんだけど」

「……確かに、ちょっときつい暑さだよな」

 とりあえず二人は窓を全開にし、倉庫から引っ張り出した古い扇風機でどうにか暑さをしのいでいた。
 だがこの扇風機も、古い事に加えて昨日の扇風機の取り合いの際に中身が壊れたらしく、弱風しか出ないというポンコツっぷり。
 さすがに洋平も宿題などやる気がせず、扇風機から出る生温い風を浴びながらテレビを見るしかなかった。

「エアコンが来るのが先か、アタシらが干上がるのが先か。いや~これは熱~い戦いねぇ~」

「お前そのネタネタした話し方やめろよ……うっとうしいな」

「ムカつく?」

「ムカつく」

 一瞬ピりついた空気が流れたが、暑さのせいで口喧嘩をする気も出ない。
 お互いにため息を吐き、時間を無為に過ごす事しかできなかった。

「そういえば隣町にある図書館、新しくなったみたいね」

「図書館?」

 昼時に京子はそうめんを啜りながら、そんな事を思い出したように言った。
 洋平はその言葉にそうめんを取ろうとした手を止め、母の話に耳を傾ける。

「そうそう、洋平が小さい頃に何回か行った事あった図書館なんだけど……覚えてる?」

「……ああ! あったあった、確か入り口の前にデカい熊の石像なかったっけ?」

「そうそう! 建物が建ってからけっこう年数も経ってたから、去年くらいから改装工事してたみたい。それで先週その工事が終わったらしいのよ」

「へえー……懐かしいな」

 隣町にある熊の石像がある図書館、沢田親子がクマの図書館と呼んでいた場所だ。
 洋平は幼い頃、本を読むのが好きだったためよく京子とそこへ足を運んでいた。

「でもどうして急に?」

「なんでも新しくなった図書館の中に、結構立派な自習室ができたらしいのよ。冷房もあるみたいだし、試しに一回使ってみてもいいんじゃないかなと思ってね」

 なるほどと洋平は思った、図書館ならばやたらめったらうるさい事もないだろうし、たまには場所を変えて勉強してみるのも悪くないとも思う。
 加えて小さい頃によく行っていた場所が、どのように変化したのかも気になる。
 だが洋平が行こうと思った一番の理由は、冷房があるという点である。

 昼飯を食べ終わった洋平は、早速カバンに課題を詰め込み部屋を出た。
 どうしてこんな暑い日に外に出るのかと大騒ぎしていたマガズミも、冷房のある図書館に行くと行った途端に大人しくなり、洋平を呆れさせた。

「じゃ、ちょっと行ってみる」

「気をつけてね、遅くなる時は必ず連絡する事」

「分かってるって」

「あと暑いから水分補給もね、それから……」

「分かってるって、大丈夫だよ」

 心配性な母の言葉に軽く返事をし、洋平は家を出た。
 久しく乗っていなかった自転車に跨り、走り出す。

 この暑さと平日の昼下がりという事も加わって、道を歩いている人はほとんどいない。
 洋平は少し錆びの浮いた、銀色の自転車で図書館を目指す。
 顔に当たる熱風、じりじりと頭を焦がす日差し。ペダルは、少し前に乗った時よりも重く感じる。

 自転車に乗ったのは久しぶりだった、洋平の高校は元々自転車通学禁止というわけではなく、実際に一年生の中頃までは彼も自転車で通っていた。
 だがある時、高校の生徒が通行人とぶつかりそうになったのをきっかけに、学校からある程度距離が離れている生徒に限り自転車通学を許可する、という決まりができてしまったのだ。
 洋平は自転車通学の条件に該当しなかったため、徒歩での通学に切り替えざるをえなかった。
 
 そんな事もあり、自転車に乗る機会はかなり減ってしまった。
 だからだろうか、彼は妙に気分が高揚していた。

 いつもより早く流れていく景色。
 額に滲む汗。
 立ってペダルを漕いだ時にかかる足への圧。

 なぜかその全てが心地いい。
 家を出てから図書館に着くまでの間、彼は身を焼くような暑さすら受け入れていた。

 家から自転車で三十分ほどかけて、洋平は図書館に辿り着いた。
 彼のおぼろげな記憶の中にある図書館は、こじんまりとした壁に年数を感じさせる汚れの浮かんだ古い建物だった。
 だが新しい図書館はそんな過去を一切感じさせない、都会的でセンスの良い小奇麗な建物に姿を変えていた。

 汚れの浮かんだ壁はレンガ調の美しい物に変わり、正面の壁は大きなガラス張りになっていた。
 彼が自転車を止めた駐輪場も、トタン屋根の古臭い姿から一転し、スマートでモダンな物になってしまっていた。

 洋平が変わった図書館を見て感じたのは、懐かしさではなく奇妙な寂しさだった。
 なにか特別な思い出があるわけでは無い、楽しかった記憶は確かにあるが数えきれないほど通い詰めていたわけではなかったし、年齢を重ねるにつれて足も遠ざかった。

 にもかかわらず、彼は奇妙な寂しさを感じずにはいられなかった。
 母と歩いた遊歩道は綺麗に整備され、人の顔に見えた壁のシミももうない。
 どれもこれも取るに足らない思い出だというのに、それが消えてしまった事がなぜか寂しかった。
 自分の中にあった思い出が一つ無くなってしまったような感覚がどうしても拭えないまま、洋平は入口へと向かった。

「あ……」

 入口へ向かった彼の目に止まったのは、あの頃と変わらない熊の石像。
 高さ1・5メートル、幅一メートルほどの石像でやたらリアルな顔の熊が大きく口を開けて吼えている。
 その表情は中々真に迫っており、小さな子供は泣き出すほどだ。

 だが洋平はその石像がなぜか好きだった、それは幼かった彼がこの図書館に来るには十分な理由だった。
 あの頃よりも少し色褪せていたが、熊はあの頃と変わらずそこにいた。

「へぇ、中々良い面構えの熊じゃない。アンタにしちゃ悪くないセンスね」

 マガズミは懐かしさに浸る洋平の隣で、熊の頭をぺちぺちと叩きながら笑っていた。
 
「懐かしさに浸るには若すぎるんじゃないの?」

「……うっせえよ」

 にたにた笑うマガズミを置いて、洋平は館内へ入った。
 足を踏み入れた先で待っていたのは、涼しい風とすっかり様変わりした空間だった。
 内装は以前の物とは大きく変わっており、全体的に古臭さは消え本棚や置いてある本も新しくなっていた。
 平日の昼下がりだったが、子供から老人まで幅広い年齢層の人間で館内は賑わっている。

 受付の朗らかに笑う感じの良い女性に自習室の事を聞くと、丁寧に自習室への道を教えてくれた。
 それに従って、洋平は図書館の奥へと進む。
 自習室は改装に伴って新しくできた場所らしく、確かに先ほどまでいた場所とは廊下を境に雰囲気が違うような気がした。

 辿り着いた自習室は、思っていたよりもかなり広い。
 参考書や様々な資料が置かれた本棚が十ほど並び、中央には二十人ほどが座れる大きな長机がある。
 その他にも壁際には十ほどの仕切りで分けられた一人用の机があり、集中したい人間はそこを使うらしい。

 洋平はキョロキョロと静かな自習室を見渡す、個人用の机は全て埋まっているため、長机に座るしかないのだがそちらもかなり混みあっている。
 一瞬諦めが彼の脳裏をよぎるが、ここまで来て帰るのももったいないような気がしてならない。
 どこか空かないかと考えていると、誰かに背中を突かれた。

 驚きと共に振り返ると、そこにいたのは美羽だった。

「美羽ちゃん?」

「ああ良かった、声かけて別の人だったらどうしようかと思いましたよ。洋平君もここで勉強を?」

「そうなんだ、だけど席がね……」

 美羽はその言葉で部屋を見渡す、そして洋平の置かれた状況を理解したらしかった。
 
「……じゃあ私の隣に座りますか?」

「え? いやでも……」

「ほら、私あそこの席を使ってるんですけど隣あいてますよ」

「いやいや悪いよ」

「そうは言っても他に無いじゃないですか、さっさと座らないと取られますよ」

 美羽はそう言うと、スタスタと自分の席へ歩いて行ってしまった。
 呆然とする洋平の肩を、マガズミがポンと叩く。

「アンタの負けよ、さっさと行きなさい」

 洋平は一言くらい言い返そうかと思ったがやめ、小さくため息を吐いて美羽の隣へ向かった。
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