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第七章 期末試験
五十四話 手の届く範囲だけで
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土曜は朝から気温が上がり、何かするにはいつもより少しばかり気合が必要な日だった。
本当であれば週明けのテストに向けて勉強をしなければならない、だが洋平がこの日しなければならない事は勉強ではなく、マガズミの機嫌を取る事だった。
「ちゃかちゃか歩きなさいよ、置いてくわよ!」
「元気な奴だな……」
澄み渡る青空の下、マガズミは後ろでまとめた白色の髪を揺らしながら元気に歩く。服は以前のパーカーを着ようとしていたが、さすがに今日の気候に合っていなさすぎたため、洋平から猫なのか犬なのかそれとも別の何かなのかよく分からない生き物のプリントされた黒の半袖とジャージを着ていた。
どうやらマガズミは見栄えよりも動きやすさや過ごしやすさを重視しているらしく、お世辞にもセンスのいい服では無かったが意外と気に入っているようだった。
「で、お前は何が食いたいんだよ」
「うーん……まあそれは後でいいや。とりあえずぶらぶらしようじゃないの」
洋平はまずったなと内心後悔していた。
よくよく考えてみればマガズミがただ食事をして話をして終わり、な訳がない。
食事をするのは大前提として、そこに更に遊びを加えるに決まっていた。普段もそれなりに自由に過ごしているとはいえ、洋平から大きく離れる事ができないというのは好奇心旺盛なマガズミにとって重い枷になっていた。
その枷が外れ、いつも以上に自由なマガズミは文字通りタガが外れた状態であるといえる。
「はあ……」
上機嫌に自分の前を歩くマガズミを見て、今日の出費と勉強に回せた時間を思い洋平はため息を吐いた。
「ほほお、これはこれは」
最初に立ち寄った本屋でマガズミは並べられた大量の本を前に目を輝かせていた、以前マガズミにねだられて来た本屋だったがあの時とは状況が違う。見て、触って、手に取って使われている紙の材質や重さを感じる事ができる。
内装は前回と大きく変わっているわけではなかったが、マガズミはその事が嬉しいらしく意気揚々と店内へ入る。
「お、新刊出てんじゃん」
「こいつのかったい文章、なーんか好きなのよね」
「中々センスのいい表紙ね……」
まるで子供のようにマガズミは店内を飛び回る、洋平はそれについていくのだけでも精一杯だった。
漫画ばかり読んでいるからそれしか読まない、というわけではないらしく。小説や図鑑でも面白そうなものがあればマガズミは飛びつく、どうやらこの神は本が好きらしい。
「ねえ、あんたって普段どんなの読むの?」
「んだよ急に」
「いいじゃん、教えてよ」
洋平は本棚に視線を向ける、並べられた本から本へと視線を流す。
そうしている内に、自分が小説などの絵が少ない本と比べると漫画が好きなのだろうと彼は改めて思った。
漫画は今まで読んでいた作品の新刊が出ていれば気になって買うし、面白そうな作品があれば手に取ってみたくもなる。
だがどうにも小説には興味が湧かない、何とか賞だとかだれだれが絶賛だとか書かれていたとしても、何やらすごそうだと思わせるばかりでちっとも彼の購買意欲を掻き立ててはくれなかった。
「やっぱ漫画だな、どうにも小説は苦手なんだ」
「へー、どういう漫画が好きなの?」
「これとか」
そう言って彼が手に取ったのは、すでに完結しているが根強いファンの多い漫画だった。
繊細に練り上げられたストーリー、魅力的な登場人物、それらが圧倒的な画力で描き上げられているのだ面白くないはずがない。
「相も変わらずクソほどベタねえ、もっとこう変化球は投げられないわけ?」
「ストレートで悪かったな」
「でもまあセンスは悪くない、こいつの絵はアタシもけっこう好きよ」
「絵だけかよ」
「そ、絵だけは好き。これの話はそこまでね」
「何言ってんだ、話もめちゃくちゃ面白いだろ。だから今でもファンが多い」
「アタシは嫌いなの」
「なんでだよ」
「こいつ途中で死ぬから」
マガズミが指差したのは全三十巻ある漫画の十五巻目、その巻で初めて登場したキャラクターだった。
赤い髪をした好青年で、正義感が強く自己犠牲をいとわない。作中では主人公サイドの一人だった、敵に自らの行いを偽善と言われてもそれを理解した上で人を助けるような典型的な正義漢だった。
だが彼は最終戦目前で戦いに巻き込まれた人間を助けようとし致命傷を負い、最期は主人公に自らの力を託して死ぬという劇的な死を迎える。
今まで何度もそういった山場を越えてきたキャラクターだっただけに、彼の死は衝撃と悲しみを読者与えた。
「へえ、お前こういうキャラ嫌いだと思ってたけど」
「好きじゃないわよ、言葉はいちいち暑苦しいししかも薄っぺらいからね。でもアタシが一番ムカつくのは、こいつの死に方の描写」
「描写?」
「死がさも高潔だとでも言いたいようなお涙ちょうだい、ほらほらこういうので泣くんだろってのが透けてんのよ」
「お前……ずいぶんひん曲がった見方してんだなぁ」
「それにこいつわりかし戦犯よ? こいつが抜けたせいで最終戦で他の奴の負担が増えたしね」
「それは……まあそうかもな。でも結局はハッピーエンドだったからいいじゃねえか、最終戦はこいつの力も役に立ったし」
「分かってないわね」
呆れたようにマガズミは手に持っていた漫画に目を落とし、口元に小さく笑みを作る。
「誰も死なないってのが、一番のハッピーエンドなのよ」
結局マガズミは洋平に小説と気になっていた漫画を二冊買わせた、千五百円程度の出費だったが高校生には痛い出費だ。
洋平は文句の一つも言おうかと思ったが、本の入った袋を手に持った上機嫌なマガズミの様子を見て、何となくまあいいかという気持ちになってしまった。
再び街を散策し始めた二人は色々な店を回る、そして行く先々の店でマガズミの好奇心は遺憾なく発揮された。
服屋に入ればあれがいい、あれが着てみたいと気になった服は片っ端から試着する。あれを持ってこい、これを持ってこいと洋平はまるで奴隷のような扱いを受けた。
ゲームセンターでは散財の限りを尽くそうとしたが、さすがに飯を食う金が無くなるという洋平の悲痛な訴えを受け、ゲームセンターの中を一周すると外に出た。
「ちょっとトイレ行ってくる」
「はいはい、じゃあここで待ってるわ」
どこで食事をするか考えながら歩いていると、洋平は唐突な尿意に襲われた。
仕方なく近くにあったスーパーの前でマガズミを待たせ、店内のトイレへと駆け込む。用を終え彼が入り口に戻ると、そこにマガズミの姿は無かった。
「あいつ、どこ行ったんだ……?」
精々五分ほどしか離れていないというのに辺りを見回してもマガズミの姿は無い、神の姿の時はそう遠くへはいけないという話だったが、人間の姿を取っている時の事はよく分からない。
更にマガズミは携帯電話といった連絡を取れる物も持っていない、まさか選択者に襲われたのか? そんな疑問と焦りを抱えながら洋平は辺りを探し始めた。
良くも悪くもマガズミは目立つ、見つけるのにそう時間はかからないはずだった。だがいない、探せど探せどマガズミの姿は見えない。
洋平は一旦スタートに戻ろうと考え、別れたスーパーへ向かう。
すると見覚えのある後姿が見えた、どうやら誰かと話しているらしい。急いで駆け寄ると、マガズミは小さな男の子を連れた母親と話をしていた。
「本当にありがとうございました」
「いいえー、大したことじゃないんで気にしないで下さい」
買い物かごを下げた母親は深々と頭を下げる、マガズミはそれに大して気にしないようにと言いながら笑っていた。
「マガ……」
「ん? どしたのそんなに息切らして」
「え? あ、いや……お前がいなかったから……」
駆け寄って来た洋平をキョトンとした顔でマガズミは見た、息を切らしながら走って来た洋平を見て母親は彼にも頭を下げた。
「すいません、うちの息子が迷子になってしまって……その時に彼女さんが息子を連れてきてくれたんです」
「ああ……そういう……」
体から力が抜けた洋平をよそに、少年はマガズミを見上げてニコニコと笑っている。
「ありがとう! お姉ちゃん!」
その言葉を受けてマガズミは少年の目線に合わせる為に、足を折る。
「今度から気をつけて、お母さんの言う事をちゃんと聞いてそばを離れちゃだめだよ?」
「うん!」
「よし、良い子」
笑顔で元気よく返事をした少年にマガズミは笑顔を向ける、その少年はもう一度頭を下げた母親に手を引かれ、マガズミたちに向かって手を振りながら帰って行った。
「行こっか」
そこからは特にこれといって店に入るでもなく、ぶらぶらと街を歩き回り少ししてから、二人は遅めの昼食を取るためにファミリーレストランへと入った。
「さて、どれを食べようかしら。いや、どれを食べていいのかしらねえ?」
「……好きなもん食えよ」
その言葉を聞き、マガズミは目を輝かせながらメニューに目を通し始めた。
洋平は正直もっと高い物を食べさせろと言ってくると思っていた、だが意外にもマガズミが指定してきたのはどこにでもあるようなファミリーレストランだった。
彼にはありがたい話だったが、本当にこんなのでいいのかと思ってしまう自分もいた。
「アタシ決まったけど、アンタは?」
「メニューくれよ」
洋平はさらっとメニュー表に目を通すとすぐさま何を食べるか決め、ボタンを押そうとしたがマガズミが彼よりも早くボタンを押したため何もせずに手を引っ込めた。
すぐに店員がやってきて注文を取る、洋平はサラダとチキンドリアを頼む。彼がその二つを選んだのは安いという理由もあったが、その二つが安定でおいしいからだ。
「えーっと、エビドリアとサラダとチョリソーと鳥の唐揚げと……」
マガズミはふざけているのかと思いたくなるような種類の料理を頼み、最後に思い出したようにドリンクバーを二つ注文した。
頭を下げていなくなった女性店員の顔は、少し引きつっていたように見えた。
「お前少しは遠慮ってもんはねえのかよ」
「ないわよ、奢ってもらえる時はしっかりたかるもんだからね。それに話をしたいって言ったのはアンタの方でしょ」
「まあ……な」
「それで何を話そうって? せっかくのお誘いだもの、飯代くらいは付き合うわよ」
「まずは……」
「ストップ、話の前にドリンク持ってくる」
「お前なあ……」
「まあまあ、アンタの分も持ってきてあげるからさ」
少ししてマガズミは自分の分のメロンソーダと、洋平の分の泥水のような色をしたドリンクを持ってきた。
彼が中身を尋ねると、『ボタンを上から順に押したやつ』というざっくりとした返答が帰って来た。
不可思議な味のするドリンクを飲みながら、まず洋平が話に出したのは自分の中で起きた変化についてだ。あの仮面の選択者と戦っている時に起きた心の変化、戦いの中で感じたあの高揚感について。
「別に不思議な事じゃない、そんなのはよくある事」
「よくある事?」
「そ、アンタは知ってると思うけど人間はね弱いものいじめが大好きなのよ」
その言葉に洋平は嫌な心当たりがある、だがそれを言葉で肯定するのが嫌だった彼は、マガズミの言葉に静かに頷いた。
「頭が悪い、運動ができない、顔が悪い、そういう誰かの心の柔い所に針を刺すのがみんな好きなのよ。そしてそれと同じことが選択者にも起こる、まあ当たり前っちゃあ当たり前なんだけどね」
「俺はあの時……優勢で……それで」
「嬉しくなっちゃったんでしょ? 人を傷つける憎むべき相手、その相手を圧倒できる自分の力がさ」
「ああ」
「アンタは特に人を助ける、守るっていう自分を正当化しやすい理由で戦ってる。自分だけじゃなく、周りからも認められやすい理由で戦う奴は理性のブレーキが効きにくくなるのよ。これからは気を付けなさい、下手すりゃ奇跡狂いじゃなく正義狂いになるわよ」
「……分かったよ」
話が終わったのを見計らったように、料理が続々と運ばれてくる。
机の上は、あっと言う間に料理に埋め尽くされてしまった。
「とりあえず食べましょ、お腹減ったし」
二人はそう言ってそれぞれの料理を食べ始めた、マガズミは並べられた料理を心底うまそうに食べる。
サラダもドリアもチョリソーも唐揚げも、野菜や肉といった区分けなど無いかのように平等にマガズミは食事を楽しんでいる。マガズミにとって野菜は肉であり、肉は野菜だった。
どれもが自分を形作り生かす大切なものだと知っている、栄養バランスや食べ合わせやカロリーといった言葉遊びをしている内は、決してたどり着けない完成された食への姿勢を洋平は垣間見たような気がした。
「ん」
食事もそろそろ終わるかという所で、マガズミは小皿に取り分けたチョリソーと唐揚げを洋平の方へ差し出した。
「お前のだろ? 腹一杯なのか?」
「違うわよ。元々アンタの金だしこれ美味しいからさ、おすそわけ」
「そりゃどーも」
こうしてあらかたの食事を終え、食後のデザートのチョコレートパフェを食べるマガズミに、洋平はもう一つの疑問を投げかけた。
「お前、あのタコみたいな神と昔なにかあったのか?」
その言葉にマガズミは手を止める、思えばあの時のマガズミはいつもとは様子が違かった。いつもの余裕ある態度や、相手を煽るような物言いは影を潜め、今まで見せた事もないような焦りのような表情を見せていた。
マガズミは手を止め、一瞬だけ複雑そうな表情を見せるといつものような笑顔を作る。
「昔の話よ、アタシと組んでた選択者があいつの選択者に殺されたの」
「……悪い」
「いいよ別に、珍しい話じゃない。殺し合いをしてるんだもの、そういうのには慣れてる。ただ同じ相手に何度も負けるのは癪でしょ? だから今回みたいな対応をしたってわけ」
「あいつは……強いのか?」
「強いわね、力はともかく神としての経験……蓄が違うのよ。旧い神の一柱だもの、安く勝てる相手じゃない」
「俺は、勝てるかな? あいつらに」
「知りゃーしないわよんな事」
「適当すぎるだろ」
「そもそも勝てるかどうか、分かる相手なんていないのよ。この世のどこにもね、勝てるから戦うんじゃない、勝たなきゃいけないから戦うの」
「そういうもんかな?」
「そういうもんよ」
その後マガズミがパフェを食べ終わるのを待ち、少し店内でくつろいでから二人は外に出た。
帰り道を歩きながら、マガズミは満足そうに腹を叩いている。
洋平も同じように腹は満たされていたが、それ以上に心が少し軽くなっていた。あの高揚感、人を守り助けるのならば感じてはならない高揚感の正体にも気づけた。
そしてマガズミの見せた事の無いような表情の理由、それはマガズミの過去によるものだった。
抱えていた謎が消え、彼の心は晴れやかで足取りも軽い。
「そういや、お前なんであの男の子を助けたんだ?」
「お母さんとはぐれて泣いてたから、何で?」
「あんまそういう事するように思えなかったから」
「まあ本当なら面倒事なんて避けたいし子供の自業自得、親の管理不行き届きに違いは無いけどさ」
「けどなんだよ」
「目の前で子供が泣いてて、それを見て見ぬ振りしたらきっと気分が悪くなる。だから助けたの、自分のためにね」
「自分のため?」
「そ、アタシの歴史に『子供を見捨てた』なんて汚点を残さないようにね。自分のための人助け、アタシが少しでも心安らかに生きるための」
「ずいぶん謙遜するな、自分のためって言ったってあの親子は喜んでた」
「つまりはそういう事よ、人助けなんて身を粉にしてやるもんじゃない。自分のために、自分のできる範囲で、自分の満足できるくらいやればいい。だからアンタも無理はしなくていい、ってこれは前に言ったかな」
マガズミはそう言って笑っていた、どうしてだろうか明るく笑っているはずなのにその笑顔は不思議と苦しそうにも見えてしまった。
だからだろうか、洋平の脳裏には強く焼け付くようにその顔が刻まれる。決してわすれないように、忘れてはならないように。
まだ日は暮れていない、だが夕暮れの匂いが感じられる土曜の午後の話だ。
本当であれば週明けのテストに向けて勉強をしなければならない、だが洋平がこの日しなければならない事は勉強ではなく、マガズミの機嫌を取る事だった。
「ちゃかちゃか歩きなさいよ、置いてくわよ!」
「元気な奴だな……」
澄み渡る青空の下、マガズミは後ろでまとめた白色の髪を揺らしながら元気に歩く。服は以前のパーカーを着ようとしていたが、さすがに今日の気候に合っていなさすぎたため、洋平から猫なのか犬なのかそれとも別の何かなのかよく分からない生き物のプリントされた黒の半袖とジャージを着ていた。
どうやらマガズミは見栄えよりも動きやすさや過ごしやすさを重視しているらしく、お世辞にもセンスのいい服では無かったが意外と気に入っているようだった。
「で、お前は何が食いたいんだよ」
「うーん……まあそれは後でいいや。とりあえずぶらぶらしようじゃないの」
洋平はまずったなと内心後悔していた。
よくよく考えてみればマガズミがただ食事をして話をして終わり、な訳がない。
食事をするのは大前提として、そこに更に遊びを加えるに決まっていた。普段もそれなりに自由に過ごしているとはいえ、洋平から大きく離れる事ができないというのは好奇心旺盛なマガズミにとって重い枷になっていた。
その枷が外れ、いつも以上に自由なマガズミは文字通りタガが外れた状態であるといえる。
「はあ……」
上機嫌に自分の前を歩くマガズミを見て、今日の出費と勉強に回せた時間を思い洋平はため息を吐いた。
「ほほお、これはこれは」
最初に立ち寄った本屋でマガズミは並べられた大量の本を前に目を輝かせていた、以前マガズミにねだられて来た本屋だったがあの時とは状況が違う。見て、触って、手に取って使われている紙の材質や重さを感じる事ができる。
内装は前回と大きく変わっているわけではなかったが、マガズミはその事が嬉しいらしく意気揚々と店内へ入る。
「お、新刊出てんじゃん」
「こいつのかったい文章、なーんか好きなのよね」
「中々センスのいい表紙ね……」
まるで子供のようにマガズミは店内を飛び回る、洋平はそれについていくのだけでも精一杯だった。
漫画ばかり読んでいるからそれしか読まない、というわけではないらしく。小説や図鑑でも面白そうなものがあればマガズミは飛びつく、どうやらこの神は本が好きらしい。
「ねえ、あんたって普段どんなの読むの?」
「んだよ急に」
「いいじゃん、教えてよ」
洋平は本棚に視線を向ける、並べられた本から本へと視線を流す。
そうしている内に、自分が小説などの絵が少ない本と比べると漫画が好きなのだろうと彼は改めて思った。
漫画は今まで読んでいた作品の新刊が出ていれば気になって買うし、面白そうな作品があれば手に取ってみたくもなる。
だがどうにも小説には興味が湧かない、何とか賞だとかだれだれが絶賛だとか書かれていたとしても、何やらすごそうだと思わせるばかりでちっとも彼の購買意欲を掻き立ててはくれなかった。
「やっぱ漫画だな、どうにも小説は苦手なんだ」
「へー、どういう漫画が好きなの?」
「これとか」
そう言って彼が手に取ったのは、すでに完結しているが根強いファンの多い漫画だった。
繊細に練り上げられたストーリー、魅力的な登場人物、それらが圧倒的な画力で描き上げられているのだ面白くないはずがない。
「相も変わらずクソほどベタねえ、もっとこう変化球は投げられないわけ?」
「ストレートで悪かったな」
「でもまあセンスは悪くない、こいつの絵はアタシもけっこう好きよ」
「絵だけかよ」
「そ、絵だけは好き。これの話はそこまでね」
「何言ってんだ、話もめちゃくちゃ面白いだろ。だから今でもファンが多い」
「アタシは嫌いなの」
「なんでだよ」
「こいつ途中で死ぬから」
マガズミが指差したのは全三十巻ある漫画の十五巻目、その巻で初めて登場したキャラクターだった。
赤い髪をした好青年で、正義感が強く自己犠牲をいとわない。作中では主人公サイドの一人だった、敵に自らの行いを偽善と言われてもそれを理解した上で人を助けるような典型的な正義漢だった。
だが彼は最終戦目前で戦いに巻き込まれた人間を助けようとし致命傷を負い、最期は主人公に自らの力を託して死ぬという劇的な死を迎える。
今まで何度もそういった山場を越えてきたキャラクターだっただけに、彼の死は衝撃と悲しみを読者与えた。
「へえ、お前こういうキャラ嫌いだと思ってたけど」
「好きじゃないわよ、言葉はいちいち暑苦しいししかも薄っぺらいからね。でもアタシが一番ムカつくのは、こいつの死に方の描写」
「描写?」
「死がさも高潔だとでも言いたいようなお涙ちょうだい、ほらほらこういうので泣くんだろってのが透けてんのよ」
「お前……ずいぶんひん曲がった見方してんだなぁ」
「それにこいつわりかし戦犯よ? こいつが抜けたせいで最終戦で他の奴の負担が増えたしね」
「それは……まあそうかもな。でも結局はハッピーエンドだったからいいじゃねえか、最終戦はこいつの力も役に立ったし」
「分かってないわね」
呆れたようにマガズミは手に持っていた漫画に目を落とし、口元に小さく笑みを作る。
「誰も死なないってのが、一番のハッピーエンドなのよ」
結局マガズミは洋平に小説と気になっていた漫画を二冊買わせた、千五百円程度の出費だったが高校生には痛い出費だ。
洋平は文句の一つも言おうかと思ったが、本の入った袋を手に持った上機嫌なマガズミの様子を見て、何となくまあいいかという気持ちになってしまった。
再び街を散策し始めた二人は色々な店を回る、そして行く先々の店でマガズミの好奇心は遺憾なく発揮された。
服屋に入ればあれがいい、あれが着てみたいと気になった服は片っ端から試着する。あれを持ってこい、これを持ってこいと洋平はまるで奴隷のような扱いを受けた。
ゲームセンターでは散財の限りを尽くそうとしたが、さすがに飯を食う金が無くなるという洋平の悲痛な訴えを受け、ゲームセンターの中を一周すると外に出た。
「ちょっとトイレ行ってくる」
「はいはい、じゃあここで待ってるわ」
どこで食事をするか考えながら歩いていると、洋平は唐突な尿意に襲われた。
仕方なく近くにあったスーパーの前でマガズミを待たせ、店内のトイレへと駆け込む。用を終え彼が入り口に戻ると、そこにマガズミの姿は無かった。
「あいつ、どこ行ったんだ……?」
精々五分ほどしか離れていないというのに辺りを見回してもマガズミの姿は無い、神の姿の時はそう遠くへはいけないという話だったが、人間の姿を取っている時の事はよく分からない。
更にマガズミは携帯電話といった連絡を取れる物も持っていない、まさか選択者に襲われたのか? そんな疑問と焦りを抱えながら洋平は辺りを探し始めた。
良くも悪くもマガズミは目立つ、見つけるのにそう時間はかからないはずだった。だがいない、探せど探せどマガズミの姿は見えない。
洋平は一旦スタートに戻ろうと考え、別れたスーパーへ向かう。
すると見覚えのある後姿が見えた、どうやら誰かと話しているらしい。急いで駆け寄ると、マガズミは小さな男の子を連れた母親と話をしていた。
「本当にありがとうございました」
「いいえー、大したことじゃないんで気にしないで下さい」
買い物かごを下げた母親は深々と頭を下げる、マガズミはそれに大して気にしないようにと言いながら笑っていた。
「マガ……」
「ん? どしたのそんなに息切らして」
「え? あ、いや……お前がいなかったから……」
駆け寄って来た洋平をキョトンとした顔でマガズミは見た、息を切らしながら走って来た洋平を見て母親は彼にも頭を下げた。
「すいません、うちの息子が迷子になってしまって……その時に彼女さんが息子を連れてきてくれたんです」
「ああ……そういう……」
体から力が抜けた洋平をよそに、少年はマガズミを見上げてニコニコと笑っている。
「ありがとう! お姉ちゃん!」
その言葉を受けてマガズミは少年の目線に合わせる為に、足を折る。
「今度から気をつけて、お母さんの言う事をちゃんと聞いてそばを離れちゃだめだよ?」
「うん!」
「よし、良い子」
笑顔で元気よく返事をした少年にマガズミは笑顔を向ける、その少年はもう一度頭を下げた母親に手を引かれ、マガズミたちに向かって手を振りながら帰って行った。
「行こっか」
そこからは特にこれといって店に入るでもなく、ぶらぶらと街を歩き回り少ししてから、二人は遅めの昼食を取るためにファミリーレストランへと入った。
「さて、どれを食べようかしら。いや、どれを食べていいのかしらねえ?」
「……好きなもん食えよ」
その言葉を聞き、マガズミは目を輝かせながらメニューに目を通し始めた。
洋平は正直もっと高い物を食べさせろと言ってくると思っていた、だが意外にもマガズミが指定してきたのはどこにでもあるようなファミリーレストランだった。
彼にはありがたい話だったが、本当にこんなのでいいのかと思ってしまう自分もいた。
「アタシ決まったけど、アンタは?」
「メニューくれよ」
洋平はさらっとメニュー表に目を通すとすぐさま何を食べるか決め、ボタンを押そうとしたがマガズミが彼よりも早くボタンを押したため何もせずに手を引っ込めた。
すぐに店員がやってきて注文を取る、洋平はサラダとチキンドリアを頼む。彼がその二つを選んだのは安いという理由もあったが、その二つが安定でおいしいからだ。
「えーっと、エビドリアとサラダとチョリソーと鳥の唐揚げと……」
マガズミはふざけているのかと思いたくなるような種類の料理を頼み、最後に思い出したようにドリンクバーを二つ注文した。
頭を下げていなくなった女性店員の顔は、少し引きつっていたように見えた。
「お前少しは遠慮ってもんはねえのかよ」
「ないわよ、奢ってもらえる時はしっかりたかるもんだからね。それに話をしたいって言ったのはアンタの方でしょ」
「まあ……な」
「それで何を話そうって? せっかくのお誘いだもの、飯代くらいは付き合うわよ」
「まずは……」
「ストップ、話の前にドリンク持ってくる」
「お前なあ……」
「まあまあ、アンタの分も持ってきてあげるからさ」
少ししてマガズミは自分の分のメロンソーダと、洋平の分の泥水のような色をしたドリンクを持ってきた。
彼が中身を尋ねると、『ボタンを上から順に押したやつ』というざっくりとした返答が帰って来た。
不可思議な味のするドリンクを飲みながら、まず洋平が話に出したのは自分の中で起きた変化についてだ。あの仮面の選択者と戦っている時に起きた心の変化、戦いの中で感じたあの高揚感について。
「別に不思議な事じゃない、そんなのはよくある事」
「よくある事?」
「そ、アンタは知ってると思うけど人間はね弱いものいじめが大好きなのよ」
その言葉に洋平は嫌な心当たりがある、だがそれを言葉で肯定するのが嫌だった彼は、マガズミの言葉に静かに頷いた。
「頭が悪い、運動ができない、顔が悪い、そういう誰かの心の柔い所に針を刺すのがみんな好きなのよ。そしてそれと同じことが選択者にも起こる、まあ当たり前っちゃあ当たり前なんだけどね」
「俺はあの時……優勢で……それで」
「嬉しくなっちゃったんでしょ? 人を傷つける憎むべき相手、その相手を圧倒できる自分の力がさ」
「ああ」
「アンタは特に人を助ける、守るっていう自分を正当化しやすい理由で戦ってる。自分だけじゃなく、周りからも認められやすい理由で戦う奴は理性のブレーキが効きにくくなるのよ。これからは気を付けなさい、下手すりゃ奇跡狂いじゃなく正義狂いになるわよ」
「……分かったよ」
話が終わったのを見計らったように、料理が続々と運ばれてくる。
机の上は、あっと言う間に料理に埋め尽くされてしまった。
「とりあえず食べましょ、お腹減ったし」
二人はそう言ってそれぞれの料理を食べ始めた、マガズミは並べられた料理を心底うまそうに食べる。
サラダもドリアもチョリソーも唐揚げも、野菜や肉といった区分けなど無いかのように平等にマガズミは食事を楽しんでいる。マガズミにとって野菜は肉であり、肉は野菜だった。
どれもが自分を形作り生かす大切なものだと知っている、栄養バランスや食べ合わせやカロリーといった言葉遊びをしている内は、決してたどり着けない完成された食への姿勢を洋平は垣間見たような気がした。
「ん」
食事もそろそろ終わるかという所で、マガズミは小皿に取り分けたチョリソーと唐揚げを洋平の方へ差し出した。
「お前のだろ? 腹一杯なのか?」
「違うわよ。元々アンタの金だしこれ美味しいからさ、おすそわけ」
「そりゃどーも」
こうしてあらかたの食事を終え、食後のデザートのチョコレートパフェを食べるマガズミに、洋平はもう一つの疑問を投げかけた。
「お前、あのタコみたいな神と昔なにかあったのか?」
その言葉にマガズミは手を止める、思えばあの時のマガズミはいつもとは様子が違かった。いつもの余裕ある態度や、相手を煽るような物言いは影を潜め、今まで見せた事もないような焦りのような表情を見せていた。
マガズミは手を止め、一瞬だけ複雑そうな表情を見せるといつものような笑顔を作る。
「昔の話よ、アタシと組んでた選択者があいつの選択者に殺されたの」
「……悪い」
「いいよ別に、珍しい話じゃない。殺し合いをしてるんだもの、そういうのには慣れてる。ただ同じ相手に何度も負けるのは癪でしょ? だから今回みたいな対応をしたってわけ」
「あいつは……強いのか?」
「強いわね、力はともかく神としての経験……蓄が違うのよ。旧い神の一柱だもの、安く勝てる相手じゃない」
「俺は、勝てるかな? あいつらに」
「知りゃーしないわよんな事」
「適当すぎるだろ」
「そもそも勝てるかどうか、分かる相手なんていないのよ。この世のどこにもね、勝てるから戦うんじゃない、勝たなきゃいけないから戦うの」
「そういうもんかな?」
「そういうもんよ」
その後マガズミがパフェを食べ終わるのを待ち、少し店内でくつろいでから二人は外に出た。
帰り道を歩きながら、マガズミは満足そうに腹を叩いている。
洋平も同じように腹は満たされていたが、それ以上に心が少し軽くなっていた。あの高揚感、人を守り助けるのならば感じてはならない高揚感の正体にも気づけた。
そしてマガズミの見せた事の無いような表情の理由、それはマガズミの過去によるものだった。
抱えていた謎が消え、彼の心は晴れやかで足取りも軽い。
「そういや、お前なんであの男の子を助けたんだ?」
「お母さんとはぐれて泣いてたから、何で?」
「あんまそういう事するように思えなかったから」
「まあ本当なら面倒事なんて避けたいし子供の自業自得、親の管理不行き届きに違いは無いけどさ」
「けどなんだよ」
「目の前で子供が泣いてて、それを見て見ぬ振りしたらきっと気分が悪くなる。だから助けたの、自分のためにね」
「自分のため?」
「そ、アタシの歴史に『子供を見捨てた』なんて汚点を残さないようにね。自分のための人助け、アタシが少しでも心安らかに生きるための」
「ずいぶん謙遜するな、自分のためって言ったってあの親子は喜んでた」
「つまりはそういう事よ、人助けなんて身を粉にしてやるもんじゃない。自分のために、自分のできる範囲で、自分の満足できるくらいやればいい。だからアンタも無理はしなくていい、ってこれは前に言ったかな」
マガズミはそう言って笑っていた、どうしてだろうか明るく笑っているはずなのにその笑顔は不思議と苦しそうにも見えてしまった。
だからだろうか、洋平の脳裏には強く焼け付くようにその顔が刻まれる。決してわすれないように、忘れてはならないように。
まだ日は暮れていない、だが夕暮れの匂いが感じられる土曜の午後の話だ。
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小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
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私の露出…
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書いてくださいね
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考えやすく
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
異世界隠密冒険記
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ごく普通の人間だと自認している高校生の少年、御影黒斗。
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冷静沈着で中性的な容姿を持つ主人公の、バトルあり、恋愛ありの、気ままな異世界隠密生活が、今、始まる。
現在、1日に2回は投稿します。それ以外の投稿は適当に。
改稿を始めました。
以前より読みやすくなっているはずです。
第一部完結しました。第二部完結しました。
月は夜をかき抱く ―Alkaid―
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地球に七つの隕石が降り注いでから半世紀。隕石の影響で生まれた特殊能力の持ち主たち《ブルーム》と、特殊能力を持たない無能力者《ノーマ》たちは衝突を繰り返しながらも日常生活を送っていた。喫茶〈アルカイド〉は表向きは喫茶店だが、能力者絡みの事件を解決する調停者《トラブルシューター》の仕事もしていた。
アルカイドに新人バイトとしてやってきた瀧口星音は、そこでさまざまな事情を抱えた人たちに出会う。
混沌の刻へ
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