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第六章 春の色は何色か
三十七話 本の国で
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正が差し入れてくれたジュースを片手に、五人は教室へ戻る。
その道中、鉄太は一輝の事をいたく気に入ったのかずっと話かけていた。他の三人なら適当に流してしまいそうな話題でも、一輝はその性格からしっかりと受け答えをしてくれるのが嬉しいらしく、ずっと中身の無い話を彼に投げかけていた。
洋平たちはその様子を少し呆れ気味に見ていたが、真逆のように思える二人の会話が意外と弾んでいるのを見るのは少し面白かった。
それぞれが教室へ戻り、午後の授業を眠気に耐えながら励む。
六時間目の終了のチャイムは、長かった一週間の終わりを告げた。
「宇佐美、帰ろうぜ」
「すまない、今日は先生に呼ばれているんだ。少し長くなると言っていたから、先に帰ってくれ」
洋平は明日の話などをしながら帰ろうと考えていたが、呼ばれてしまったとなれば仕方ない。後で連絡すると言って今日の所は別れ、一人昇降口へ向かう。
「……ども」
本が詰め込まれた段ボールを抱えて歩いて来た美羽は、昇降口にいた洋平に頭を下げた。
屋上での一件以来、彼女と洋平は一緒に食事をする事は無かったが学校ですれ違った時は軽く挨拶を交わす程度に関係は続いていた。
美羽も一番きつい状況は脱したらしく、透との戦いの後に声を掛けた時にその事について軽く話してくれていた。
今でも時々は自分を見ながらコソコソ話している人間はいるが、それはあまり気にならなくなったらしい。今では洋平と同じように、最低限の付き合いを保ちつつ生活していると。
「持とうか?」
美羽の持っている段ボールはそれなりに重そうだ、彼女の細腕で運ぶのは大変だと思い、洋平は手伝いを申し出た。
「大丈夫ですよ、これくらい。帰るとこだったんですよね?」
「大丈夫、この前のお礼だと思って手伝わせてくれないかな」
美羽は少し考える素振りを見せてから、洋平に段ボールを差し出した。
「重いですよ」
洋平が段ボールを受け取ると、体が一瞬沈むような感覚に襲われた。彼女の言う通り、段ボールはかなりの重さがある。それも軽々しく持つ事を引き受けたのを後悔させるほどの重さだ、むしろよく持っていたと洋平は美羽に感心していた。
「大丈夫ですか?」
「だ……大丈夫」
美羽によれば図書室に運ぶ途中だったらしい、二人は並んで図書室に歩き出した。
並んで歩く二人の間に会話は無い、気の利いた男なら話題の一つや二つ振っているところだが、洋平にはそんな話題も自分から話を振る気概も無かった。
ちらりと隣を歩く美羽を見てみても、怒っているのかそれとも何も考えていないのかよく分からない表情をしている。あまりの気まずさに、もしかしたら自分は余計な事をしてしまったのかもしれない、持つなどと言わない方が良かったのかもしれないと、彼は卑屈になり始めていた。
放課後の生徒の姿がまばらなになった静かな廊下もそれを手伝い、洋平は世界で一番まずい事をしたのではないかとまで考え始めていた。
「洋平君は何か委員会とか入ってないんですか?」
気を利かせてくれたのか、美羽が話題を振る。
「俺は入ってないよ、美羽ちゃんは? もしかして図書委員?」
「私も委員会は入ってないですよ、これは図書委員やってる友達の手伝いです」
「友達!?」
予想外の答えについつい洋平は、大きく驚いてしまった。
「……私にだって友達の一人くらいいますよ」
「ご、ごめん。でも良かった」
洋平にとっての雄一たちのような、友達と言える同級生が美羽にもできた事。それが彼は自分の事のように、素直に嬉しかった。
そうやって話しているうちに、目的の図書室が見えてきた。一階の端にある図書室を利用する人間は少ない、ただ美羽の話によれば今の時期はテスト勉強で訪れる生徒がちらほらいるらしい。
「舞ーさっき頼まれた本もってきたよー」
図書室はガランとしており、他の生徒の姿は見えない。
洋平の高校の図書室は広く、その蔵書量もかなりのものだ。図書室特有の紙の匂いとほんの少しの埃臭さが漂うこの空間が、洋平は少し好きだった。
美羽の声からほんの少しの間を置き、貸出しカウンターの奥から少女が一人やってきた。
「ごめんね音切さん、重くなかった?」
その少女の身長は百六十センチほど、三つ編みにした長い黒髪を肩にかけ黒縁の眼鏡をかけている。
このいかにも本が好きそうで、大人しそうな少女は段ボールを抱えた洋平の姿を見て少し驚いたようだった。
「あ、この人は沢田先輩。前に話した兄貴の同級生」
「は、初めまして。音切さんの同級生の木崎舞《きざきまい》です」
「沢田です、よろしく」
おどおどしながら精一杯の挨拶をする舞に答えようと、洋平も余裕ある態度を見せようとしたが、彼は灰色同盟のメンバーである。
そういった事に対して圧倒的に経験値の足りていない洋平には、硬い笑顔を作るしかできない。それを見て美羽は気づかれないように小さく笑い、彼の後ろではマガズミが大笑いしすぎて腹を抱えていた。
「頼まれてた本、まとめて持ってきたらけっこう重くてさ。それで手伝ってもらったってわけ」
「そうだったんだ……ありがとうございます」
丁寧に頭を下げ、舞は段ボールを受け取るとカウンターの脇に置いた。
とりあえず自分の役目は終わったらしい、そう考え洋平は帰る事を二人に伝えようとした。
その時、突然図書室の扉が開き美羽の担任教師が入って来た。
「あ、いたいた。音切さん、ちょっといいかしら? すぐに終わるから」
「いま行きます」
そう返事をし、教師の後を追って美羽は部屋を出ようとした。
だが扉の所で立ち止まり、洋平を見た。
「沢田先輩、もし時間があれば舞の事を手伝ってあげてもらってもいいですか? すぐ戻って来るんで」
「分かった」
断る理由が無い洋平は快くその頼みを受け入れた、美羽が出て行き二人きりになってしまった彼らの間には微妙な空気が流れる。
「えーと、手伝いって何をすればいいかな?」
「じゃ……じゃあこっちで本の整理をお願いします」
ずっと黙っていては悪いという思い、また美羽との会話でいつも自分から話を切り出せない情けなさから洋平は自分から話しかけた。
そのおかげかは分からないが、少し道が開けたような顔をした舞はカウンターの奥の部屋へ洋平を招く。
二人は持ってきた段ボールに入っていた大量の本を、ジャンルや巻数ごとに本棚に並べていく。時々作業に関する会話はあるものの、それ以外はほとんど話すことなく二人は作業に励んでいた。
「木崎さんは、どうやって美羽ちゃんと知り合ったの?」
作業に一区切り付け、二人は図書室の椅子に座って少し休んでいた。
そんな時、洋平はどうやって二人が知り合ったのかを聞いてみたくなった。舞が屋上で美羽に詰め寄っていた少女たちとは、明らかに違う人種だという事は明らかだ。
彼女は、人を進んで貶めるような人種では無い。それは間違いないが、だからといって謂れの無い悪意に晒されている人間に積極的に手を差し伸べるようなタイプでも無かった。
いじめや悪口を見聞きしそれを悪い事だと分かっていても、どうする事もできないと諦めてしまうような大多数の人間に属しているような人間だ。
洋平は雄一たちが声を掛けてくれたからこそ、そういった悪意に晒されている人間に手を差し伸べる事の難しさや勇気を知っている。
目の前にいる舞が勇気を持って美羽と友人になったのか、それとも別の理由があるのか洋平は知りたくなった。
「私が音切さんに助けてもらったんです」
「助けてもらった?」
「もういないですけど前まで図書室で騒ぐ男の子たちがいて、みんな迷惑してたんです。私も何度か静かにするようにお願いしたんですけど……全然聞いてくれなくて、でも音切さんが本を借りに来た時にうるさいってビシッと言ってくれたんです」
「そいつらは何か言ってこなかったの? 逆切れしたりとか」
「少し言い返してましたけど、音切さんに全部言い返されて恥ずかしくなったのかそのままいなくなりました。あれからもう来ないですね」
その時の美羽の姿は、舞にとってこの上なく頼もしかった。
三人の少年相手に一歩も引かず、人数と勢いと声の大きさで自分たちの主張を通そうとする彼らを完璧なまでの正論で叩き潰した。彼らにとって不幸だったのは、その時運悪く図書室に多くの生徒がいたという事だ、正論で叩き潰され何も言えなくなった彼らの姿は滑稽で、他の生徒たちの笑いを誘った。
大恥をかいた彼らは逃げるように部屋を出て行き、それ以来二度と図書室には現れていない。
「その……沢田先輩は音切さんの事……知ってますか?」
その音切さんの事という言葉が、美羽を取り巻いていた状況を指す言葉だと洋平は気づきうなずいた。
「私……なんにもできなくて、ただ他の人たちが悪口言ってるのを見てるばっかりで。でも音切さんは私を助けてくれて……それでどうしても謝りたくてなって何もできなかった事を謝ったんです」
「そしたら?」
「そしたら音切さんは大した事ないって笑ったんです、注意したのもうるさくてムカついただけだからって」
何となくそう言っている姿が、洋平には想像できた。
以前話した時もそうだったが、美羽は特別規律に厳しいわけでも無ければ正義感から行動しているわけでは無い。
ただ彼女は自分の気持ちに正直なだけだ、舞に言ったうるさかったから注意したという言葉も照れ隠しや、謙遜では無く事実なのだ。だがそれは間違いなく正しい行動で、舞を含めた周囲の生徒たちが彼女の行動に感謝したのも事実だった。
自分の感情に従い行動し、それが自然と善行になるというのは美羽という少女が一般的な常識人であり、善人である証拠だった。
「それを見て私も音切さんみたいに強くなりたいって思って……それから仲良くさせてもらってるんです」
「そんな事が……」
洋平の心には屋上で話した時と似た、美羽を敬う気持ちが生まれた。
自分とは違う、周りを良い方向に変えて行ける力を美羽は持っている。今もこうして一人の少女を変え、自分の置かれた状況も変えた。
そんな美羽の強さを、洋平は素直に尊敬した。
「話してくれてありがとう」
そう言って洋平が舞に礼を言うと、彼女はふふっと可愛らしく声を出して笑った。
「ごめんなさい、でも音切さんが言ってた通りの人だと思って」
「え、何か言ってたの?」
口に出してから気づいたが、洋平は普段の美羽の事を何一つ知らない。
もしかしたら何か悪口とまではいかなくとも、文句の一つでも言われているのではと不安になった。
「前に話してた時に沢田先輩の話が出て、どういう人なの? って聞いたら……」
洋平は息を飲む、ほんの少しでも良い事を言っていてくれと願いながら彼は次の言葉を待つ。
「ありがとうをちゃんと言ってくれる人だって言ってましたよ」
洋平は美羽が、自分の文句を言っているのではと考えた自分を殴りたくなった。
それと同時に嬉しさから、思わず顔がほころびそうになり慌てて顔に力を入れる。
意識をした事は無かったが、彼は今まで感謝の言葉をしっかりと相手に伝えていた。それは当然の事のように思えるが、だからこそおざなりになってしまう事でもあった。
「……そっか、良し! じゃあ整理の続きをしようか」
「はい!」
無駄に声を張った洋平に驚きながらも、舞もそれに合わせて返事をし二人は作業に戻る。なぜ彼が休憩を半ば強引に終わらせ、作業に走ったのか? それは洋平が今すぐにでも何かやらなければ、嬉しさから小躍りを始めてしまいそうだったからだ。
その道中、鉄太は一輝の事をいたく気に入ったのかずっと話かけていた。他の三人なら適当に流してしまいそうな話題でも、一輝はその性格からしっかりと受け答えをしてくれるのが嬉しいらしく、ずっと中身の無い話を彼に投げかけていた。
洋平たちはその様子を少し呆れ気味に見ていたが、真逆のように思える二人の会話が意外と弾んでいるのを見るのは少し面白かった。
それぞれが教室へ戻り、午後の授業を眠気に耐えながら励む。
六時間目の終了のチャイムは、長かった一週間の終わりを告げた。
「宇佐美、帰ろうぜ」
「すまない、今日は先生に呼ばれているんだ。少し長くなると言っていたから、先に帰ってくれ」
洋平は明日の話などをしながら帰ろうと考えていたが、呼ばれてしまったとなれば仕方ない。後で連絡すると言って今日の所は別れ、一人昇降口へ向かう。
「……ども」
本が詰め込まれた段ボールを抱えて歩いて来た美羽は、昇降口にいた洋平に頭を下げた。
屋上での一件以来、彼女と洋平は一緒に食事をする事は無かったが学校ですれ違った時は軽く挨拶を交わす程度に関係は続いていた。
美羽も一番きつい状況は脱したらしく、透との戦いの後に声を掛けた時にその事について軽く話してくれていた。
今でも時々は自分を見ながらコソコソ話している人間はいるが、それはあまり気にならなくなったらしい。今では洋平と同じように、最低限の付き合いを保ちつつ生活していると。
「持とうか?」
美羽の持っている段ボールはそれなりに重そうだ、彼女の細腕で運ぶのは大変だと思い、洋平は手伝いを申し出た。
「大丈夫ですよ、これくらい。帰るとこだったんですよね?」
「大丈夫、この前のお礼だと思って手伝わせてくれないかな」
美羽は少し考える素振りを見せてから、洋平に段ボールを差し出した。
「重いですよ」
洋平が段ボールを受け取ると、体が一瞬沈むような感覚に襲われた。彼女の言う通り、段ボールはかなりの重さがある。それも軽々しく持つ事を引き受けたのを後悔させるほどの重さだ、むしろよく持っていたと洋平は美羽に感心していた。
「大丈夫ですか?」
「だ……大丈夫」
美羽によれば図書室に運ぶ途中だったらしい、二人は並んで図書室に歩き出した。
並んで歩く二人の間に会話は無い、気の利いた男なら話題の一つや二つ振っているところだが、洋平にはそんな話題も自分から話を振る気概も無かった。
ちらりと隣を歩く美羽を見てみても、怒っているのかそれとも何も考えていないのかよく分からない表情をしている。あまりの気まずさに、もしかしたら自分は余計な事をしてしまったのかもしれない、持つなどと言わない方が良かったのかもしれないと、彼は卑屈になり始めていた。
放課後の生徒の姿がまばらなになった静かな廊下もそれを手伝い、洋平は世界で一番まずい事をしたのではないかとまで考え始めていた。
「洋平君は何か委員会とか入ってないんですか?」
気を利かせてくれたのか、美羽が話題を振る。
「俺は入ってないよ、美羽ちゃんは? もしかして図書委員?」
「私も委員会は入ってないですよ、これは図書委員やってる友達の手伝いです」
「友達!?」
予想外の答えについつい洋平は、大きく驚いてしまった。
「……私にだって友達の一人くらいいますよ」
「ご、ごめん。でも良かった」
洋平にとっての雄一たちのような、友達と言える同級生が美羽にもできた事。それが彼は自分の事のように、素直に嬉しかった。
そうやって話しているうちに、目的の図書室が見えてきた。一階の端にある図書室を利用する人間は少ない、ただ美羽の話によれば今の時期はテスト勉強で訪れる生徒がちらほらいるらしい。
「舞ーさっき頼まれた本もってきたよー」
図書室はガランとしており、他の生徒の姿は見えない。
洋平の高校の図書室は広く、その蔵書量もかなりのものだ。図書室特有の紙の匂いとほんの少しの埃臭さが漂うこの空間が、洋平は少し好きだった。
美羽の声からほんの少しの間を置き、貸出しカウンターの奥から少女が一人やってきた。
「ごめんね音切さん、重くなかった?」
その少女の身長は百六十センチほど、三つ編みにした長い黒髪を肩にかけ黒縁の眼鏡をかけている。
このいかにも本が好きそうで、大人しそうな少女は段ボールを抱えた洋平の姿を見て少し驚いたようだった。
「あ、この人は沢田先輩。前に話した兄貴の同級生」
「は、初めまして。音切さんの同級生の木崎舞《きざきまい》です」
「沢田です、よろしく」
おどおどしながら精一杯の挨拶をする舞に答えようと、洋平も余裕ある態度を見せようとしたが、彼は灰色同盟のメンバーである。
そういった事に対して圧倒的に経験値の足りていない洋平には、硬い笑顔を作るしかできない。それを見て美羽は気づかれないように小さく笑い、彼の後ろではマガズミが大笑いしすぎて腹を抱えていた。
「頼まれてた本、まとめて持ってきたらけっこう重くてさ。それで手伝ってもらったってわけ」
「そうだったんだ……ありがとうございます」
丁寧に頭を下げ、舞は段ボールを受け取るとカウンターの脇に置いた。
とりあえず自分の役目は終わったらしい、そう考え洋平は帰る事を二人に伝えようとした。
その時、突然図書室の扉が開き美羽の担任教師が入って来た。
「あ、いたいた。音切さん、ちょっといいかしら? すぐに終わるから」
「いま行きます」
そう返事をし、教師の後を追って美羽は部屋を出ようとした。
だが扉の所で立ち止まり、洋平を見た。
「沢田先輩、もし時間があれば舞の事を手伝ってあげてもらってもいいですか? すぐ戻って来るんで」
「分かった」
断る理由が無い洋平は快くその頼みを受け入れた、美羽が出て行き二人きりになってしまった彼らの間には微妙な空気が流れる。
「えーと、手伝いって何をすればいいかな?」
「じゃ……じゃあこっちで本の整理をお願いします」
ずっと黙っていては悪いという思い、また美羽との会話でいつも自分から話を切り出せない情けなさから洋平は自分から話しかけた。
そのおかげかは分からないが、少し道が開けたような顔をした舞はカウンターの奥の部屋へ洋平を招く。
二人は持ってきた段ボールに入っていた大量の本を、ジャンルや巻数ごとに本棚に並べていく。時々作業に関する会話はあるものの、それ以外はほとんど話すことなく二人は作業に励んでいた。
「木崎さんは、どうやって美羽ちゃんと知り合ったの?」
作業に一区切り付け、二人は図書室の椅子に座って少し休んでいた。
そんな時、洋平はどうやって二人が知り合ったのかを聞いてみたくなった。舞が屋上で美羽に詰め寄っていた少女たちとは、明らかに違う人種だという事は明らかだ。
彼女は、人を進んで貶めるような人種では無い。それは間違いないが、だからといって謂れの無い悪意に晒されている人間に積極的に手を差し伸べるようなタイプでも無かった。
いじめや悪口を見聞きしそれを悪い事だと分かっていても、どうする事もできないと諦めてしまうような大多数の人間に属しているような人間だ。
洋平は雄一たちが声を掛けてくれたからこそ、そういった悪意に晒されている人間に手を差し伸べる事の難しさや勇気を知っている。
目の前にいる舞が勇気を持って美羽と友人になったのか、それとも別の理由があるのか洋平は知りたくなった。
「私が音切さんに助けてもらったんです」
「助けてもらった?」
「もういないですけど前まで図書室で騒ぐ男の子たちがいて、みんな迷惑してたんです。私も何度か静かにするようにお願いしたんですけど……全然聞いてくれなくて、でも音切さんが本を借りに来た時にうるさいってビシッと言ってくれたんです」
「そいつらは何か言ってこなかったの? 逆切れしたりとか」
「少し言い返してましたけど、音切さんに全部言い返されて恥ずかしくなったのかそのままいなくなりました。あれからもう来ないですね」
その時の美羽の姿は、舞にとってこの上なく頼もしかった。
三人の少年相手に一歩も引かず、人数と勢いと声の大きさで自分たちの主張を通そうとする彼らを完璧なまでの正論で叩き潰した。彼らにとって不幸だったのは、その時運悪く図書室に多くの生徒がいたという事だ、正論で叩き潰され何も言えなくなった彼らの姿は滑稽で、他の生徒たちの笑いを誘った。
大恥をかいた彼らは逃げるように部屋を出て行き、それ以来二度と図書室には現れていない。
「その……沢田先輩は音切さんの事……知ってますか?」
その音切さんの事という言葉が、美羽を取り巻いていた状況を指す言葉だと洋平は気づきうなずいた。
「私……なんにもできなくて、ただ他の人たちが悪口言ってるのを見てるばっかりで。でも音切さんは私を助けてくれて……それでどうしても謝りたくてなって何もできなかった事を謝ったんです」
「そしたら?」
「そしたら音切さんは大した事ないって笑ったんです、注意したのもうるさくてムカついただけだからって」
何となくそう言っている姿が、洋平には想像できた。
以前話した時もそうだったが、美羽は特別規律に厳しいわけでも無ければ正義感から行動しているわけでは無い。
ただ彼女は自分の気持ちに正直なだけだ、舞に言ったうるさかったから注意したという言葉も照れ隠しや、謙遜では無く事実なのだ。だがそれは間違いなく正しい行動で、舞を含めた周囲の生徒たちが彼女の行動に感謝したのも事実だった。
自分の感情に従い行動し、それが自然と善行になるというのは美羽という少女が一般的な常識人であり、善人である証拠だった。
「それを見て私も音切さんみたいに強くなりたいって思って……それから仲良くさせてもらってるんです」
「そんな事が……」
洋平の心には屋上で話した時と似た、美羽を敬う気持ちが生まれた。
自分とは違う、周りを良い方向に変えて行ける力を美羽は持っている。今もこうして一人の少女を変え、自分の置かれた状況も変えた。
そんな美羽の強さを、洋平は素直に尊敬した。
「話してくれてありがとう」
そう言って洋平が舞に礼を言うと、彼女はふふっと可愛らしく声を出して笑った。
「ごめんなさい、でも音切さんが言ってた通りの人だと思って」
「え、何か言ってたの?」
口に出してから気づいたが、洋平は普段の美羽の事を何一つ知らない。
もしかしたら何か悪口とまではいかなくとも、文句の一つでも言われているのではと不安になった。
「前に話してた時に沢田先輩の話が出て、どういう人なの? って聞いたら……」
洋平は息を飲む、ほんの少しでも良い事を言っていてくれと願いながら彼は次の言葉を待つ。
「ありがとうをちゃんと言ってくれる人だって言ってましたよ」
洋平は美羽が、自分の文句を言っているのではと考えた自分を殴りたくなった。
それと同時に嬉しさから、思わず顔がほころびそうになり慌てて顔に力を入れる。
意識をした事は無かったが、彼は今まで感謝の言葉をしっかりと相手に伝えていた。それは当然の事のように思えるが、だからこそおざなりになってしまう事でもあった。
「……そっか、良し! じゃあ整理の続きをしようか」
「はい!」
無駄に声を張った洋平に驚きながらも、舞もそれに合わせて返事をし二人は作業に戻る。なぜ彼が休憩を半ば強引に終わらせ、作業に走ったのか? それは洋平が今すぐにでも何かやらなければ、嬉しさから小躍りを始めてしまいそうだったからだ。
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