神よりも人間らしく

猫パンチ三世

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第四章 動き出す者たち

十三話 超えない一線

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 暗い部屋で男が一人、椅子に縛られている。
 男の名は只野正和《ただのまさかず》、ある大学で教授を務めている。
 木製の椅子に座らされ、両手を椅子の背に縛られた正和の口にはタオルでさるぐつわがされており、足の腱はすでに切られていた。

 体を震わせながら、正和は視線を落とす。
 足元には首を切られ、すでに息絶えた妻の死体がある。この夫婦に子供がいなかった事は、後にこの場所を訪れる警察官の唯一の救いとなった。
 正和は怯えていた、なぜ自分がこんな目にあうのかどれだけ考えても分からない。
 
 少ししてギシギシと階段の軋む音が聞こえた、ゆっくりと扉が開き若い男が入って来た。
 男は正和を見ると口の端に笑みを作り、正和の前に椅子を持ってきて向かい合う形で座る。
 穏やかな目、均整のとれた顔、こんな状況でさえなければ正和も好意的にその顔を見る事ができた。だが今は違う、この部屋の中でわずかな月明かりに照らされた男の顔は、今まで見た誰よりも恐ろしかった。

「今から貴方に質問する、その答えが僕の中の疑問を晴らしてくれるものだったなら貴方は助かり、僕は自首する。憎ければこれで僕を殺してもいい」

 そう言って男は正和にナイフを見せる、正和は力いっぱい頷き男の問いを待った。
 男は笑うと、鼻に人差し指を当て静かにするようにというジェスチャーを見せてから、正和のさるぐつわを外した。
 
「はあー……はっ……はっはっ……はあー……」

 さるぐつわを外され、わずかに自由を取り戻した正和は息の吸い方を思い出していく。口を塞がれるという日常ではほとんど無いストレスからの解放、それは正和の目から歓喜の涙を流させた。

「準備はいいですか? よく考えて……いや考えなくてもいい、貴方なりの答えを聞かせて欲しい」

「わ……わかった」

 男の口が動き始める、そしてその動きが止まった時の正和はただ困惑していた。

「君は……何を言っているんだ? それは本気で言ってるのか?」

「もちろん、本気です。僕はね期待してるんですよ、貴方なら答えてくれるんじゃないかって」

 男の顔は真剣そのものだった、決してふざけているのでは無い。心の底から自分の中にある疑問を解決したい、そんな強い思いが正和には感じられた。

「さあ答えてください」

 正和はその質問に答えた、死にたくないという死への恐怖は彼の頭を冴えさせた。
 次から次へと彼の口は言葉を紡ぐ、大学での講義など比にならない熱量で彼は喋り続けた。
 全てを出し切った正和は男を見た、これ以上無い完璧な答えだと彼は確信していた。

 だが正和の前に座る男の顔は、ひどく落胆していた。
 伏し目がちにうつむき、絶望しているようにさえ見える。

「貴方もか……貴方もその程度の答えしか持ちえないのか」

 そう言って男は立ち上がり、正和に向かって一歩踏み出す。
 その一歩が、確実に自分に死をもたらす物だという事を正和は理解した。

「ま……待ってくれ! 何故だ!? あれ以上の答えは無いはずだ!」

「ええ、貴方の答えは完璧でした。でもね、それは僕の求めていた答えじゃない」

「ふざけるな! この異常者が!」

 叫ぶ正和の口に男はそっと手を当て、首筋にナイフを押し当てた。
 ぞくりとするような、この世界の全ての冷酷さを押し固めたような冷たさをそのナイフは帯びていた。

「ぐっ……! ぐっ……!?」

「さようなら」

 別れの言葉と共に、ナイフは鋭く正和の首を切り裂いた。



「はあ……」

 男は椅子に座りため息を吐いた、今度こそ自分の求めていた答えを得られると期待した。だがその期待は裏切られ、結局今までの時間が全て無駄になった事は、望む答えを手に入れる事ができなかった男を更に落胆させた。

「頭が良くても駄目か……次は誰に聞こうか……」

 男は今まで何人もの人間にして来た、だが誰一人として男が満足するような答えを持っていなかった。
 男も女も金持ちも貧乏人も、誰一人として答えてはくれない。
 男は疲れ、諦め始めていた、もう自分の求める答えなどこの世のどこにも無いのではないかと。

「どうしようか……次は誰に……」

 その時、男は妙な気配を感じる。
 今まで感じた事の無い、異質な雰囲気をまとった何かの気配を。

「誰だ? 誰かいるのか?」

 辺りを見回すが誰もいない、男は自分の勘違いかと思った。
 この家には男の前で死んでいる二人以外に住人はいない、時刻はすでに深夜一時を過ぎており来客があるとも思えない。
 
「気のせいか……?」

「いいえ、気のせいではありませんよ」

 男の真後ろで声がした、反射的に男は振り向くとナイフを突き出した。
 なぜ自分がその何かの接近に今まで気づかなかったのか、男には分からない。だが現場を見られた以上は生かしておくことはできないと判断し、とっさに殺そうとした。

 男の手には今までに無い感触が伝わる、粘土にナイフを突き立てたようなぐにょりとした感触、それは明らかに人の物では無かった。

「い~い一突きですね、もし人間なら致命傷でしたよ?」

 後ろにいたそれの胸に、男のナイフはしっかりと突き刺さっている。
 体に飲み込まれた刃の長さから、確実に心臓にナイフは突き刺さっているはずだというのに、それはニタニタと笑う余裕を男に見せた。

「お前は誰だ?」

 異常な体を見せても、男は驚くことなくそれに質問を投げかけた。
 
「おやおや、先ほどから見ていましたがずいぶんとネジの外れた人間のようだ」

「そうかもしれないな、で? お前は誰だ?」

「まあまあ、そう焦らずに。まずは……ゆっくり自己紹介からしましょうか?」

「……それは良い考えだな」
 
 無惨に殺された二つの死体、月明かりに照らされた部屋の中、目の前に現れた謎の存在を前にして、今までで一番の笑顔を男は作る。
 男の異常さを表すには、それだけで充分だった。


「洋平、一緒に昼飯食わないか?」

 昼休みになり声を掛けてきたのは雄一だった、彼は隣のクラスだったがわざわざ声を掛けにやって来た。
 一人屋上へ向かおうとする洋平は足を止める、クラスでの腫れ物扱いは未だに続いており、一人での食事に洋平も慣れ始めていた。だがやはり一人で食べる食事は、以前の何人かで食べていた時よりも少し味は落ちる。
 そのため雄一の誘いは洋平にとって非常に嬉しいものだったため、洋平はそれを快諾しようとした。

 だが気付いてしまった。
 廊下や教室にいるクラスメイトたちが、雄一にまるで裏切り者でも見るかのような視線を向けている事に。
 洋平のクラスの大半は彼に対して批判的な目を向けている、仲の良かった友人たちはその状況を快く思っているわけではなかったが、もし話してしまえば自分たちの立場も危うくなると判断し、心の中で謝罪しながら洋平と距離を取っていた。

 それだけ聡の存在はクラスメイトにとって大きかった、それを知っているからこそ洋平もその状況を甘んじて受け入れていた。

「あ……いや、悪い今日は一人で食うよ」

 そう言うと雄一が何か言う前に、洋平は屋上へ走っていった。
 一人残された雄一は、その姿を見送る事しかできなかった。


「はあ……」

「何よため息なんて吐いちゃって、寂しいなら一緒に食べれば良かったじゃない」

 本当は洋平も誰かと昼食を食べたい、一人で食べるのも悪くはないがこうも一人が続くとどうしても人恋しくなった。
 だがあの目を見てしまっては、どうすることもできない。
 雄一も人当たりは良い方で、どちらかと言えば聡のような立ち位置ではある、だが自分といれば間違いなく立場を悪くする。自分が我慢すればいいと、洋平はその孤独に耐えていた。

「被害者ヅラするくらいならさっさと折れなさいよ」

「うるせえ」

 洋平は弁当箱を開け食事を始める、卵焼きも唐揚げもベーコンのアスパラ巻もどれも美味しい。だが一緒に食べる相手が殺すと宣言した鬱陶しい神だけだと思うと、その味もよく分からなくなってきた。

「アンタはやり返さないの?」

「あ? どういう事だよ」

「知ってると思うけど、力は別に戦う時じゃなくても使える。今のアンタがその気になればあのクラスの連中まとめて殺せるわよ」

 選択者同士の戦いではない時でも力は使える、それは今まで戦った相手を見れば明らかだった。圧倒的な力を手に入れ、今までの自分では決して超えられなかった一線を越えてしまった者たち。
 洋平もその気にさえなれば、いとも簡単にその一線を越えられる。

「馬鹿かお前」

「はあ?」

「そんな事できるわけないだろ」

 マガズミの言葉通り、洋平の力は今の彼を除け者にしている生徒たちを殺せる。だが洋平は、そんな事に自分の力を使うつもりは無い。
 今置かれている状況を自己責任として受け入れている事もあるが、もう一つ彼を凶行に走らせない理由がある。

 もし仮に思いのまま洋平がクラスメイトを殺したとしたら、その家族はどうなるのか。彼らにも両親やきょうだいがいる、彼らの事を大事に思う人間がいる。
 大切な人を理不尽に奪われる事の辛さを、洋平は知っていた。
 だからこそ洋平は何もしない、間違っても奪う側になりたくなどなかった。

「人にされて嫌な事は相手にもしない、誰でも分かる簡単な理由だろ?」

「そんな言葉を律儀に守るのはアンタくらいなもんよ、人間なんて自分がされるのは嫌だ、でも人にはやるって奴ばっかりなんだから」

 小馬鹿にしたようにマガズミは笑う、それでも洋平は自分の考えを曲げるつもりは無い。
 人の役には立てない、ならばせめて相手を傷つけないように生きる。何の取り柄も無い自分が持てる僅かな誇りを、洋平はその考えに見出していた。

「頭おかしいんじゃない?」

 マガズミは思わず短絡的な言葉が口をついて出た。
 
「言ってろ、どうせお前には分からねえよ。何せ人間じゃねえんだからな」

「それもそうね」

 くくっと笑い、マガズミは空を見上げる。
 空には鱗のような雲が並んでおり、少し冷たい風が吹き始めた。
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