マジカルカシマ

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お昼

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 尾張さんと通話しながら、受付ブースから診察室を覗こうと立ち上がる。院内はスマホOKで、お兄ちゃんはスマホを持ってないから俺は常に私物を携帯していいと言われている。
「ちょうどいつもよりお腹がすいてたんですよ。兄さんにきいてみますね」
 俺はお兄ちゃんのことをオフでは「兄さん」、仕事関係では「野島さん」と呼んでいる。

 ちょうどお兄ちゃんがさっき帰った依頼人のカルテを戻しに来た。
「キリトが配達先で……余った? トラブった? 料理とケーキがあるんだって。尾張さんが一緒にどうかって」
「そうですか。少し片付けがあるので2階で待っていてもらって下さい」
 それだけ言って兄さんは診察室に戻っていった。

 尾張さんにそう伝えて電話を切る。裏口から入ってすぐの階段を上がるとマンションみたいなドアがあって、そこから先は居住用。キリトが転んで料理をダメにしていた頃はよく一緒に食べていたんだって。俺もお昼はそこで食べている。

 電話を切って少ししたら、お兄ちゃんが待合室側のドアから入って来た。そして手に持っていた小枝を俺に渡す。
「すぐに済むのでりょうちゃんも上で待っていて下さい。盛り付けにこれを。それからキリトくんにこちらへ寄るよう伝えて下さい」
 南天だ。こっちのドアから入ってきたのは処置室に行ってきたからか。
「分かったありがとう。先に行ってるね」

 ケーシーから私服に戻って2階に上がろうとしたら、ちょうど裏口のドアが開いた。お兄ちゃんが許した人だけ開けられる便利なドアだ。

 イルカらしい張りのある筋肉とスポーティーな服装のキリトが、春らしい大きめのカーディガンを着た尾張さんに手を引かれて入ってきた。やっぱりヘコんでるなあ。両親がケンカした子供みたいだ。

 それでか。
「兄さんがキリトは診察室に寄るように言ってたよ。きっと何か元気になるお香を焚いてくれるんだよ」
「え、でも……」

 遠慮がちなキリトを尾張さんが前へ出す。
「行っておいで。ご飯は楽しく食べよう」
「うん……」

 尾張さんがキリトの背負っていたリュックを受け取って、一緒に階段を上がる。
「揉めていたっていうのは?」
「玄関に出てきたのはお手伝いさんみたいな人で、奥から男性の声で『突き返せ!』って怒鳴り声が聞こえたそうです。困ったお手伝いさんが『受け取った物をどうするかは自由でしょう? 1度受け取りました。はい、あなたにあげます』って言われたそうです。上に連絡したら改めて食べていいって確認が取れました。
 すみません、がんばれば傷む前に食べきれそうでしたが、2人よりもキリトの気持ちが上がると思って」
「それは全然。俺もキリトには元気でいてほしいです」
「ありがとうございます」

 ダイニングのイスにリュックを置いてテーブルに出された紙袋には流れるようなカタカナで「シェ・リー」の文字とホームページのアドレス。
従姉いとこのお店です」
「そうなんですか?」
「小さい頃からパティシエを目指してて、家出同然で自力で資格をとって奨学金を返して貯金して、ついに独立することになったんですよ。
 キリトが受け取ってくれて良かった。送り返されてきたらきっと悲しみました。まだ開業前だから特別に作ったものでしょうし」

「努力家なんですね。
 おかずも作るんですか?」
「好きではないと言ってますけど上手です。きっとお祝いだから特別に作ってあげたんでしょうね。
 あ、お祝いのチョコプレートが乗ってたら取った方がいいですよね」
 名前とか書いてあったら、顔の広いキリトが何か情報に触れてしまうかもしれない。『あの時のケーキの』なんて意識したら気にしちゃうだろうから。

 尾張さんも頷いた。
「そうですね」
 言いながら取り出されたケーキにはホワイトチョコのプレートが乗っていた。

 プレートには「マジカルカシマ」、ふちに1周だけ生クリームでデコレーションされたケーキ自体にアートみたいに「OPEN」の文字。分けて書くのって珍しいなと思った。
「クリーム少なめなのは甘党じゃない人への贈り物なんですかね?
 りーちゃんはデコレーション大好きなのに」
「りーちゃん?」
里雨りうっていうんですよ。
 親世代全員働いてて、一族で同じマンションに住んで1人の家政婦さんに預けられてたんです。従姉ですけど姉のような人です。
 あ、でもここだけの話に。パティシエになることに家族が反対していたりで、せっかくお香を焚いてもらったのにまた暗い空気になっちゃうかもしれないので」
「そうなんですね……分かりました」

 りーちゃんの話よりもケーキだ。チョコプレートの文字を読み上げる。
「マジカルカシマ……。知ってますか?」
「いえ」
「機会があったらそれとなくりーちゃんに訊いてみますよ」

 名前からして。
「おもちゃとか雑貨とかのお店ですかね?」
「そんなところでしょうね。
 でもチョコプレートを食べちゃえばいいと思っていて、ケーキ自体に書いてあると思いませんでした」
「大丈夫ですよ。プレートは食べて、『OPEN』は生クリームのデコレーションで覆いましょう」

 ケーキを見ていた尾張さんが目を大きくして顔を上げた。
「できるんですか!?
 でも材料が……」
 普通はそう思うよな。
「りーちゃんの影響で俺も甘党になって、ここにも兄さんが生クリームを常備してくれています」
「そうなんですか」

 冷蔵庫から生クリームを出して使い捨ての手袋をはめる。プレートを取って尾張さんに渡した。キリトが持ってきた物だから俺が貰うのもな。
「どうぞ」

 尾張さんが両手を小さく振った。
「ホワイトチョコ、苦手なんですよ」
「そうですか? じゃあ」
 デコレーションのお礼で本当は苦手じゃないのかもしれないけど、素直に口に入れた。キリトが上がってくるまでにやらないといけないから時間が惜しい。

 デコレーションも無事に間に合って、上がってきたキリトも癒された空気になっていて、普通に和やかにちょっと豪華なお昼を楽しんだ。
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