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Ex:ゆいはみさきに勝ちたい!
03:しょうぶ!
しおりを挟む九月。
残暑が大人を苦しめ、夏休みロスが子供を苦しめる時期。
ゆいとみさきの戦争が始まった。
「……ふんっ」
「……べーっ」
そっぽを向くみさきと、舌を出すゆい。先日爆発した二人の感情は、睡眠を経ても鎮火しなかった。
ざわ、ざわざわ。
二人の様子を見て周囲がざわつく。
微妙な空気感の中、真っ先に立ち上がったのは、いつもゆいにチョッカイをかけている男子だった。
「おい、さっさと謝っとけ」
ゆいは唇を噛んで顔を上げた。
無言で睨まれた彼は、いつもと違う反応にゾッとする。しかし彼は、その違和感に気を配れるほど大人ではなかった。
「どうせみさきには勝てねぇんだから、長引かせるだけ無駄だって」
「うるさい!!」
ゆいはバンと机を叩いて立ち上がった。
目に涙を浮かべて、小さな拳を震えるほど握り締めて、彼を睨み付ける。
「……な、なんだよ」
「どーん☆」
緊迫した空気。
皆が固唾を呑んで見守る中、二人の間に飛び込んだのは瑠璃だった。
「一流のレディは、ぷっつんしーなーいーぞ☆」
こつん、ゆいの額をつついた瑠璃。
ゆいはギュッと口を一の字にして、腰を下ろした。
そっぽを向いたゆい。瑠璃はひとまず安堵した表情を見せ、件の男子に目を向けた。
「……悪かったよ」
目も合わせない小声の謝罪。もちろんゆいは返事をせず、残ったのは険悪な空気だけだった。
いつも賑やかな教室が静まり返る。
二人の喧嘩は、それくらい衝撃的なことだった。
「ゆーいーちゃんっ」
声を出したのは、自称みんなのお姉さん静流。彼女は長い髪を揺らしながらゆいの背に立って、そっと腕を回した。
「何があったのかな? お姉さんに話してごらん」
ゆいは何も言わない。
「ほらほら、ほっぺたクルクルしちゃうぞ」
人差し指でゆいの頬に渦を描く静流。
ゆいは――
ゆいは、みさきに勝ったことがない。
初めての友達。
五年前、ゆいはひとりぼっちだった。
結衣と出会って、結衣に憧れた。
一生懸命に勉強した。ゆいは同年代よりも少しだけ精神年齢が高くなって、上手く馴染めなかった。
いつもひとりだった。あの頃は結衣も仕事で忙しくて、家でもほとんど話が出来なかった。
そんなとき、みさきが現れた。
小さくて、無口で、一人では何もしない女の子。
ゆいは張り切った。
妹が出来たような気分だった。
みさきだけは変な目で見なかった。
ゆいは、孤独ではなくなった。
一番の親友。
ゆいは間違いなくみさきの名前を答える。
それは今でも変わらない。
だけど、小学校に入ってからは、少しずつ別の感情が芽生えた。
勉強。
学校のテストはいつも百点だ。英才教育を受けたゆいとみさきにとって公立の授業はレベルが低過ぎる。
だから、家では別の勉強をする。みさきは、いつもゆいより難しいことを学んでいる。ゆいはひとつ覚えるまでに、十個は覚えている。
運動。
ゆいは運動が苦手だ。体育の授業がある度に龍誠を頼っている。負けず嫌いで、必死に努力して、みさきが一度で出来ることが出来るようになる。
だけど、ピアノだけは違った。
結衣が買い与えてくれた大切なもの。音を鳴らすのが好きで、その音を好きだと言う結衣の顔を見るのが好きで、時間さえあれば演奏していた。
あるとき、コンクールで賞を取った。
結衣は絶賛した。龍誠は興奮して、ゆいを持ち上げた。勢い余って天井に頭をぶつけた。みんな笑っていた。ゆいは、もっとピアノが好きになった。
ピアノだけは特別だった。
ピアノだけは、ゆいは一番だった。
でも、心の奥底で考えていたことがある。
もしもみさきがピアノに興味を持ったら――
ゆいは心の奥底で怯えていた。
他のことなら構わない。だけどピアノだけは、結衣が初めてくれたピアノだけは、絶対に譲れない。
最近、結衣と話す機会が減っている。
結衣は子育てに忙しくて、お手伝いをしても、ほとんどみさきと話をしている。
もちろん結衣は差別などしていない。例えばナイフを触らせないのは、ゆいの指を大事に思っているからだ。しかしゆいの視点では違った。みさきの方が上手に出来るから、みさきばかり頼るのだと思っていた。
ゆいは、怖くなった。
みさきは一番の友人で、いつも一緒にいる。だからこそ、みさきの異常な能力を知り尽くしている。
学校のみんなも知っている。みんなが、ゆいよりもみさきの方がすごいと思っている。
もしもみさきがピアノに興味を持ったら。
ゆいは――あたしは、きっと勝てない。
そしたら、なにも残らない。
だからピアノだけは譲れない。
これが、昨夜爆発したもの。
ゆいの中にあった火種の正体。
大丈夫、みさきはりょーくんにしか興味がない。
りょーくんに頼めばコンクールには出ない。みさきのことは分かってる。誰よりも分かっている。
だから、
ゆいは勝ちたい。
ピアノだけは、負けられない。
「みさきは、」
ゆいは、長い沈黙の後に返事をした。
「みさきはライバル」
「ライバル?」
静流はきょとんとした反応を示す。
ゆいはみさきを指差して、
「みさきは次のコンクールに出ます! だから終わるまではライバルです! 獅子身中!」
級友達が揃って耳を傾けるなか、ゆいは高らかに宣言した。
「ゆいちゃん、その表現だと負けそうだよ?」
「一人前のレディは災いを乗り越えます!」
その宣言を聞いて、瑠璃は大袈裟に拍手した。
「えーすごい! 二人ともコンクールに出るの?」
目を向けられたみさきは返事をしない。
代わりに、ゆいが「そうです!」と叫んだ。
「よーし! みんなで応援に行こう!」
静流が手を上げて、大きな声で言った。
「あ、でもどっちを応援すればいいのかな。お姉さんは皆のお姉さんだから、贔屓できないよ」
「俺は、」
一番に声を出したのは、ゆいの地雷を踏み抜いた男子――蒼真だった。中二病を卒業した彼は、捻くれた態度で言う。
「俺は戸崎姉を応援する」
わーお。
思わず声を出した静流。
「負けそうな方を応援した方が楽しいだろ!」
「なんだと!?」
照れ隠しと、怒るゆい。
瞬間、堰を切ったように騒がしくなる教室。
なんだよ、喧嘩じゃないのか。
みさきちゃんピアノ弾くの!? 楽しみ!
乙女どもの真剣勝負。尊いなり。
おまえどうする? 俺みさきに御縁チョコ十個。
各々が好き勝手に騒ぎ続ける。
その声はどれも楽しそうだった。
その中で、ゆいだけは恐怖に震えていた。
みさきは多くの質問に返事をしながら、ゆいの意図を考えて、わからなくて、困惑していた。
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