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ローラ
しおりを挟む妻のローラが流産した。それは暑い夏の日のことだった。私が病院に駆けつけた時ローラは危ない状態だった。それから何とか持ち直し目が覚めたローラは子供が死んだことにひどくショックを受けていた。そして病状が回復してもただ死んだ子のために涙を流すばかりであった。私はそんな妻にどうしてやることもできなかった。
わたしとローラは町の郊外の小さなアパートに住んでいた。
ローラとは結婚して三年。私は銀行に勤め日々忙しいながらもローラと一緒に楽しい日を送っていたのである。
そのローラが子供を身ごもったのは数か月前のこと。
その時の私たちの喜びようは言葉にできないほどだった。
ローラは生まれてくる子のためにいろんな名前を考えたりベビー用品を買いそろえたりすることに夢中になっていた。
私もそんなローラを見ていることはとても幸福だった。
だからーローラが流産したことは私たちにとって一気にすべての光が奪われたような悲しみだった。
私はまだ耐えられた。むしろ一時は危篤状態に陥ったローラが助かったことの方を喜んだ。
蹴れどもローラはそこからどんどん絶望に落ちていったのである。
病院のベッドでもはらはらと涙をこぼししきりに生まれてもいない子供の名を呼んだりもした。その様子は看護師や見舞に来た私が見ても痛々しいほどだった。
やがてローラの退院が決った。家に帰れば少しは落ち着くかもしれない。
私はそう思うことにした。
退院してしばらくは私は休職を申し出ていた。ローラの看病をするためである。
ローラはそれからしばらくして体調の方はすっかり良くなったかのように思えた。
前ほど精神面においてもひとまず落ち着いたかのように思えたので私はほっとした。
それからしばらくしてローラは私にこう言った。
するとローラ「ありがとう。アレク、本当を言えば私、まだ耐えられないの。あの子が死んでしまって。生まれてきたら私たち三人どれだけ幸せだったかと思うと」
ローラの気持ちは私にも痛いほどにわかった。其れでも私はただローラを慰めるためにこう言った。
「気持ちが落ち着けばそんなことはなくなるよ。死んだ子だって君に早く元気になってほしいと願っているはずだ」
ローラはそれを聞くとそっと私に寄り添いこういう。
「そうね、あなた、私のためにずいぶん会社を休んでくださったでしょう。どうか明日からは普通のつとめに戻って。私は一人でも大丈夫なのだから」
本音を言えばそういわれても私はまだローラのことが気がかりであった。
明らかにかの彼女の態度は私を気遣って無理しているように思えたから。
それでも私はそれでこう言う。
「そうか、分かったよ。その間看護人をつけようか」
ローラはそれに首を振る。
「いいえ、一人でいたいの。わかってちょうだい」
それで私は一つ彼女の額にキスをしてこう言った。
「わかったよ。心配だが君がそういうなら。食事は作っていくからちゃんと食べるんだよ」
ローラはわずかに微笑んでベッドに横になると顔を私の方に向けてこう言う。
ローラ「ごめんなさい、、、あなたー」
アレク「いいんだよ」
部屋を出ながら私はこう思う。
それは自分のことだろうか。それとも子供のことだろうか。だが一刻も早くローラは元気になってくれえるなら私は何だってしよう―と。
次の日私は目を覚ますとまずローラの朝食を作った。
彼女は今も疲労が消えずまだベッドに横になったきりだったから。
それを彼女の枕元に持っていくと私は子供に言い聞かせるように優しい口調でこう言った。
「それじゃあ、行ってくるよ。ローラ」
ローラはただ微笑んだ。
「ええ、行ってらっしゃい」
私は彼女の目のまわりのクマを見逃さなかった。多分夜もあまり眠れていないのだろう。心配だったが彼女を気遣えば彼女のますます無理をして私にそれを返すだろう。
ローラはもともと優しい性分でめったの自分のことでわがままを言ったことがないのだから。
それでも彼女が笑ってくれたことに背を押されるようにして私は会社に向かった。
そして私はそのまま昼間は働き続けた。
それでもその間もローラのことは常に頭にあった。
ちゃんと休めているだろうか。
残してきたご飯は食べれているだろうか。
それで私は会社が終わるとすぐにでも帰りたかったがふと花屋においてある花を見てローラが喜びそうなことを考えた。
今日は花束でも買って帰ろうかな。バラの花がいいかな。
バラの花はローラが最も好きな花だった。
かつては小さな花壇にそれを育てていたくらい。
私はそのままバラの花を買って息せき切って家に帰っていった。
家に帰ると部屋の中は暗かった。
そこのベッドでローラが横たわっている。
私が帰っても反応も示さず返事もしない。
私は急に不安になった。
明かりをともすとようやくローラが私に気づいたようだった。
わたしはこういう。
「ただいま、ローラ。どうしたんだい。具合がよくないのかい?」
するとローラはどこか遠くを見るような眼で私を見てこう言う。
「あなた、どうしたの?忘れ物?」
わたしは思わず頭が混乱した。さらに不安が増した。
それを無理に押し隠し私はあえて穏やかにこう言った。
「何を言ってるんだい。もう夜だよ。明かりもつけないで。ずっと眠っていたのかい」
ローラはそれでうまく見えない目をはっきりさせるように目をこすりながらこう言った。
「ええ、そうですわね、、、私多分夢を見ていたようですわ。ひどく眠いの」
わたしはローラに思わずこう言う。
「子供のことをまた考えてる?」
ローラはだがしかしぼんやりと何かを思い出すようにこう言った。
「子供のこと?いいえ、そういえば今日は一度も考えなかったわ」
わたしはそれに笑ってみせる。
「そう―それはたぶんいい傾向だよ。さあ、ローラ。バラの花をお土産に買って帰ってきたよ」
しかしそれを見た瞬間だった。
ローラは不意におびえるように身を引いた。
「ローラ?」
わたしのいぶかしげな様子に彼女はさらにおびえたようにこう叫んだ。
「いや、、、バラの花なんて見せないで!」
わたしはますます訳が分からなかった。
「どうしたんだい。君が一番好きな花じゃないか」
ローラは自分が逃げようとしたことを隠すようにして手を胸の前に置いてこういう。
「そう、、、そうですわね。でもあの人はひどくその花を嫌うの。だから私この花の香りをつけてあの人に嫌われたくない」
わたしはその言葉に思わず首をかしげた。
「あの人?いったい何の話をしているんだい?まだ夢の続きを見ているのかい?」
ローラは表情のない目でただこう言った。
「そう、、、きっと夢ですわね。アレク、私変なことを言っている。ごめんなさい。どうかしてたわ」
わたしはたまらなくなってローラの傍らに腰掛けた。
「本当にどうかしてるよ。やはり看護人をつけようか」
するとその途端ローラは不意に激しく拒否するように首を振りこういった。
「いいえ!やめて!私言ったでしょ。ひとりでいたいの」
私はその過剰な反応に驚いた。その様子はまるでローラらしくなかった。
それでも私はとりあえず彼女をなだめるために落ち着かせるようにその腕を取った。
「わかったよ。それほど向きになることじゃない。また体に障るよ」
ローラはそれを聞きようやく私の方をきちんと見てこう言う。
「ごめんなさい。ひどく疲れているの。私、今日はもう寝るわね」
わたしは彼女の反応を不審に思いながらもこれ以上彼女に何か問い詰めるのをやめてこう言った。
「ああ、おやすみ。ローラ」
そして妻に一つキスをすると私は部屋を出ていく。
台所にはいると今朝のままの状態で食事が鍋に入っている。
わたしはそれを見て眉をひそめた。
ローラは結局食事もとらずに眠っていたのか。もしこれ以上錯乱状態が続くようなら医者に見せた方がいいかもしれないな。
そして私もまた自分の部屋に戻り明かりを消してベッドに横になる。
そしてさらにこう考える。
子供のこともそうだがローラはもともとひどく繊細なのだ。私が気を付けてやらねば、と。
わたしは次の日会社に出かける準備をしながらローラのことが心配でたまらなかったがそれでも自分を無理に元気づけてややしくローラにこう言った。
「それじゃあ行ってくるよ。ローラ」
ローラも今日は心持ち明るい顔でこう言う。
「ええ、行ってらっしゃい。あなた」
わたしもその彼女の明るい声音にほっとしてこう返す。
「今日は調子がいいみたいだね」
ローラはただ微笑む。それに無理はないように見えた。
「ええ、なんだか寝ていると楽しい夢を見ているようですの。私。もう子供のことも考えませんわ」
「それはよかった。たくさん休んで早く良くなるんだよ。ただし食事もちゃんととってね」
「ええ、約束するわ。あなた」
そして私は昨日よりは心配することなく家を出れた。
しかしその気持ちも長くは続かなかった。
夜、帰ってくるとやはり明かりは消されたままでローラはベッドで昏々と眠っている。
わたしはその様子にまた心配がぶり返した。
疲れているのかな。寝かせてあげといたほうがいいだろうか。
そう思いそしてそのベッドの布団の端からはみ出た素足の足を見て私は思わずギクッとする。
そのローラの足が土に汚れているのだ。
わたしの鼓動が高鳴る。
変だ。ローラの素足の足の裏が土に汚れている?まるでどこかに出かけていたようだ。だがそんなことはあり得るだろうか。こんなに弱った体で。
その時ローラが目を開けた。物憂げな様子で今朝とは打って変わって弱弱しい声でこう言った。
「ああ、あなた、帰っていらしたのね。ごめんなさい。気づかずに」
わたしはそれにも強いて笑ってこう答えた。
「よほど疲れていたんだね。ご飯は食べたかい?」
するとローラ、動くのも億劫な様子で首を振ってこう答える。
「いいえ、どうしてかあまりお腹が減っていませんの」
わたしは少し強い口調でこう言う。
「駄目じゃないか。今から食事をあっためるから僕と一緒に食べなさい」
するとローラは心持ちいつものローラに戻ったかのような目でこう言った。
「そうね、、、あなたの言う通りだわ。最近の私ったらひどく変だから」
私はそれで黙ってお鍋をあっためて食事をローラのもとへ運ぶ。
私はそれから食べているローラに真剣な顔をしてこう言う。
「ねえ、ローラ。一つ聞くけどね、寝ている時自分がどこか勝手に出歩いているような感覚に陥ることはあるかい?」
ローラは一つ首をかしげて「どうしてそんなことを聞くの?」
私は無理に感情を抑えてこう言った。
「何でもないんだ。ただ君がひどく精神的に参っているようだからね。うっかり寝たまま歩いてフェンスから落ちでもしたらと思うと心配なんだ」
するとローラ、少しおかしげに笑ってこう言う。
「あなたって不思議なことを言うのね。でもそうね、、、夢のことなら、、、」
「夢?今朝も言ってたね。夢がどうとか。どんな夢を昼間見ているんだい?」
ローラはそれで少し戸惑ったように顔をしかめて「そう―不思議な夢。でもきっと夢は夢ですの。あなたに話すほどのことではありませんわ」
私もそれ以上はきけなかった。
それでため息をつきこう言う。
「わかったよ。でももう僕にこれ以上心配をさせるのはやめてほしい。君は誰よりもきっと自覚もなしに子供のことで参っているんだよ」
ローラはすると先ほどと打って変わって無邪気な顔でほほ笑み
「大丈夫よ。私もうそのことなら忘れましたから」
私はそのちぐはぐなローラの態度に奇妙な気持ちになりながら部屋を出る。
そしてドアを閉めたところで思わず立ちすくむ。
変だ―もう忘れたって?まるで無邪気な子供のような微笑みさえ浮かべていた。まるでローラらしくない。何か異変が起きている。だが一体それは何だろう、、、
そしてその夜私はそれが気になり考え事をして夜遅くまで眠れずにいた。
次の日の朝、私はまだ寝ているローラを見てこう思う。
アひどくやつれている―ローラ。ここ数日で何があったんだ。これはもう放っておけない。だが医者に見せるといえばローラは激しく抵抗しそうな気がする。まずはしっぽをつかむんだ。
そして私はそっとローラを揺り起こした。
彼女はわずかに目を開いて私を見た。
「ああ、あなた、、、もう朝なの?」
私は頷く。
「ああ、もう僕は会社に行かなくては。それじゃあ、行ってくるよ。ローラ」
ローラはするとどこか放心したような無邪気な笑みで私にこう言う。
「あなた、行ってらっしゃい」
それを見て私はローラに微笑みながらも内心こう思う。
相変わらず子供に帰ったような無邪気なほほえみだ。これが私の知っているローラか。自分の病状に全く気付いていないかのような-
それでも平静を装って私は会社に出ていく。
昼が過ぎた時私は会社を早退した。
それは昨日の夜からずっと考えていたことである。
そして私は家に向かって歩きながら高鳴り心臓を大きく息を吸って鎮めようとした。
ついに会社を早退してしまった。だが私にはローラの方が心配だ。あんなに足を汚して。果たして本当にローラは家で寝ているのか。
そして私は家に帰るとそっとその扉を開けた。
部屋にはるとそこには誰の気配もない。
そしてローラのベッドはもぬけの殻。
私は思わずその場にしゃがみこんでしまった。
やはり、ローラは子供を亡くしたショックで夢遊病にでもかかってしまったんだ。だがこのことで騒いでローラの気持ちを荒立てたくない。ローラ自身は何も気づいていないのだから。できるだけ穏やかな形で医者に診てもらおう。
そして私は再び家を出て夜まで外で心配な気持ちを抑えて会社が終わる時間を待った。
そして夜、私はいかにも会社から帰ってきたばかりというように家に帰ってきた。。
だが玄関で「ただいま」というとこから自分の声が震えていることに気づいていた。
私はそれでも部屋に入っていく。
そこにはベッドに横になっているローラの姿があった。だがひどく顔色が悪く天井を放心したように見つめ返事もしない。
私はそれを見て怖くなった。
病状が悪くなっている―ここわずか三日で、これはもう放ってはおけまい。
私は内心の動揺をローラに気づかれないようにそっとベッドの傍らに座りそのローラの手を握る。
ローラはわずかに物憂げに振り返りかすかな声でこう言う。
「あなた、、、、帰ってきたの?」
私はできるだけ優しい声で囁く。
「そうだよ。ローラ。今日も一日中寝ていた?」
ローラはこくりとうなずいた。
「ええ、ぐっすり眠っていたみたい。でも夢はあい変わらず見るの」
私はローラにさりげなくこう言う。
「その夢なんだけどね。君はいつもどんな夢を見るの?」
ローラ、するとふいに少し瞳に光が宿り夢を見るようにこう言う。
「そう、、、信じてもらえないかもしれないけどこの町のはずれの森の奥に一つの廃墟の古城がたっているでしょう」
私はとりあえず頷く。
「そうだね。それがどうしたの?」
するとローラは思い出すように目を閉じて夢見るような表情でこう言う。
「私、いつも夢の中で気がつけばその古城のある湖のほとりに立っているの。するとね。向こう岸の城の前に一人のきれいな女の人がたっていて私に手招きをするの。私、あんなきれいな人見たことがない」
「そう―それは不思議な夢だね。それで君はそれからどうするの」
「そうね、、、私あまりにも狂おしくその人のもとに行きたいって思うのよ。怒らないで。私もしかしたらその人に私惹かれているのかもしれない」
私は少し困った顔をしてローラの手を取ってこういう。
「いや、、、怒ってはいない。だが君はひどく錯乱状態にあるようだ。僕は君を医者に見せないわけにはいかないと思っている。君がどれほど反対しても今の君を見ていると僕は心配でならないんだ。わかるね」
するとローラ、アレクを見て不意に震えて私の胸に寄りかかってきた。
私は驚いてそのローラを抱き返した。
するとローラは小刻みに震えながら私の胸で泣き始めた。それはようやく私が知っているローラの気配であった。
ローラは涙ながらにこう言う。
「アレク。ごめんなさい。私、今もひどくあなたさえ何故か遠く思えるの。私、本当は怖い。自分が自分でなくなるようで。あの人から逃れられる残りのわずかな私の意志で言うわ。どうかわたしを離さないで」
私はその言葉にただどうしようもなくローラが愛しくなってその背中をなでる。
「大丈夫だよ。僕が君の側についている。明日医者を呼ぼう。そうすればきっと何もかもよくなるよ」
それを聞きローラもまた私を抱き返す。
「ええ、、、信じているわ。あなた」
私の目からも涙がにじむ。
そしてそのまま私たちはしばらくの間途方にくれた子供たちのように抱きあっていた。
次の日のことだった。
私は目を覚ましてローラのもとに行くとその体を揺り起こす。
「ローラ、ローラ。具合はどうだい。今日は僕も会社を休んで今から医者を呼ぶよ」
しかしローラからの反応はない。
私はいぶかしげに思って再びローラを揺り起こした。
「ローラ?」
そしてだらりと横たわったローラを見て私ははっと目を見開く。
ローラ!死んでいる!
そして私は次の瞬間は思わずその体を揺さぶり叫ぶ。
「ローラ!ローラ!目を開けてくれ!ぼくをおいて行かないでくれ!ローラ!」
そして私はそのこと切れたローラの体の上に覆いかぶさり慟哭した。
アレク。そう―それは私にとってあまりに唐突な最愛の妻、ローラの死であった。
ローラのお葬式は雨の中でとり行われた。
冷たい氷雨は容赦なく泣くように降りしきる。
そのもとにローラの姿が棺の中で眠っている。
それを見ても私の心は絶望のあまりしびれたように動かなくなっていた。
神父の言葉の後ローラが土に埋められる。
私はそれさえも放心したまま見つめていた。
そんな私の肩をたたく者がいた。
振り返るとそれは私の旧友のジムだった。
ジムは何とも気の毒そうな顔をして私にこう言った。
「なあ、アレク。今回のことはかける言葉もないよ。何せ子供と妻を両方亡くしたのだものな。だが月並みだがローラは今も天国でお前のことを見守っていてくれているよ」
私はただ殆ど棒読みの状態でこう言った。言葉はほとんど自分の声でさえ遠くから聞こえた。
「僕が、、、ローラの異変に早く気づいていたら、、、ローラは数日前からおかしかったんだ。森外れの古城に女の人がいて自分を手招きしているといっていた。今思えばそれは死神だったのかもしれない」
ぞむは私の言葉に一つため息をつく。
「なあ、お前までそんな世迷言を、、、ローラは流産のせいで衰弱していたんだ。おそらく死因もそれだろう。断じてお前のせいではない。そのことで自分を責めるのだけはやめるんだ」
わたし旗うつむき首を振る。
「僕はーこれからどうしていいかわからない。ローラだけが私にとってすべてだったのだ」
ジムはそれ以上私の心中を察してくれてそれ以上は何も言わないでくれた。去り際に一つ私の肩をたたきこう言う。
「アレク、、、元気を出せよ。今はそれしか言えずすまん」
そしてお葬式は雨の中終わった。
私はその帰り道雨の中を濡れながら歩きながらこう思う。
―ああ、私にとってローラは私の人生を救ってくれた女性だった。
そのことを私は今も忘れてはいない。あれは五年前私が二十歳の時のことだった。
今私はふと気がつけばたどり着いた一つのダンスホールを窓から中をのぞいていた。
そして心は知らず知らずのうちに五年前のあの時に戻っていた。
あの頃私は人生のどん底にいた。
私はちょうど二十歳になったばかりで最愛の兄のトムを亡くしたばかりのころだったのだ。
兄は利発で子供の時から何でもできて両親のお気に入りだった。
そして私ときたら子供の時から勉強もスポーツもできないのろまで愚図な人間だった。
親の期待は小さい時からすでに兄ばかりが一人占めしてきた。
それでも私は優しい兄を嫌いになることはできなかった。
そしてーあの日、兄はオートバイの事故で命を落とした。
母は泣き崩れ私がどれほど慰めの言葉をかけても聞いてもいなかった。
そして父はー雨の中の葬式で兄が埋められるときたしかに小声でこう言ったのだ。
「どうしてトムだったのだ、、、」と、
その時私ははっきりと悟ってしまったのだ。
両親にとって生き残ってほしかったのは私でなく兄の方だったのだと。
それどころは父は事故にあったのが私の方だったらまだ救われたのだと―
その時から私はすっかり自暴自棄になってしまった。
酒を飲み家に帰ることも少なくなりそしてあの日もあのダンスホールで一人すさんだ気持ちで酒を飲んでいた。
そう、その日も私は絶望をかみしめながらあのダンスホールでまずい酒を飲んでいた。
そんな時だった。一つの歌声がダンスホールに流れてきた。
それはシャンソンの恋歌だった。
「愛しい人よ、私を見つけて。私を離さないで」
その歌をぼんやりと聞いている時ふいに一人の少女が私の前に立った。
美しい黒髪の少女だった。
そう―それが私とローラの出会いであった。
少女、ローラが笑い何の迷いもなく私にこう言った。
「ねえ、あなた、私と踊ってくださる?」
私は思わず目を見開く。
そして不意にその時の私のその目から涙があふれでた。
そう―あの時私は一目でローラに恋をしたのだ。そしてこの少女が他の誰でもない世界でただ一人ぼっちの私を見つけてくれたことがこんなにも嬉しかったのだ。
私たちはその音楽に合わせて一緒に踊った。
そして私たちはその時から確信していた。二人ともこれが運命の出会いだったのだと。
それから二年後、私たちはおたがい22歳と20歳で結婚した。
三年後、ローラが身ごもった。私たちは大喜びして抱き合った。
だがその数か月後、、、まさかこんなことになるだなんて、、、
私は一瞬そのダンスホールの中にあの日の若い私たちが踊っている幻を見た気がした。そして私はその追憶から逃れるように顔を背け雨の中濡れながら街を歩いて帰っていった。
それから一週間後、私は酒場で酒を毎日のように飲んでいた。
どうしても苦しみが私を縛り付け酒で酔うしかそれから逃れるすべはなかった。
仕事は手つかずで上司が私を気遣って休暇を取るように勧めてくれたのでそれは助かった。
いくら酒を飲んでも深く眠れることはできなかった。
目の下のクマができてきっとはたから見れば私はだれが見てもすさんだ状態であっただろう。
そこに不意に私の横に腰掛ける男がいた。顔を上げるとそれはジムであった。
ジムはため息交じりにこう言う。
「おい、アレク、すさんでるなあ」
私はドロンとした目を上げジムを見上げるしかできなかった。
そしてただこう言った。
「ジム、、、」
ジムは私の隣で酒を注文するとそれを飲みながらこう言う。
「こう言っちゃなんだが古い友人としてはまるでお前さんがトムを亡くした時と同じように自暴自棄になっているように思えるよ」
私はそれにも一気にコップの中の酒を飲み干し自暴自棄な教師でこう言った。
「ああ、そうさ。そうなりたくもなる。はっきり言って今の僕は神の存在さえも呪いたくなるよ。何故人から最愛の人達をこうも奪って満足しているのか」
ジムも暗い顔でうなずく。
「そうさなあ、運命って言葉だってバカにはできんからな。だが俺が今日ここに来たのはそんな話をするためじゃない。お前、葬式の日に何か変なことを口走っていなかったか。森の奥の古城とか」
私は驚いてジムを振り返りぼんやりと思い出すようにこう言った。
あの時のことはもう何週間も前に思えた。
「ああ、、、ローラが見たという夢か、、、だが僕はもうそんな話には興味もわかないよ。ぼくはローラを亡くした。そしてローラは今更いくら願っても帰ってこない。それでもう十分だ」
するとジムは不意に私の方を向き直り真剣な目をしてこう言った。
「俺もそう思っていたんだがな。だがそうもいっていられない話があるんだよ。おい、お前俺の友達のヒースを知っているかい?」
私は目をしばたかせこう答える。
「ああ、ヒースね。ぼくは面識はないが確かお前の飲み仲間だったっけ。彼がどうかしたのかい?」
ジムは一つうなずく。
そしてこう続けたのだった。
「それが驚くんじゃないぞ。ヒースがローラの姿をここ数日前見たというんだ」
私は驚きしばらくは何も言えなかった。それから口ごもってこういう。
「でも、、、訳が分からない。ローラはたしかに死んだんだよ。そして土に埋められた。ぼくもお前もはっきりとその場にいただろう」
するとジムは一つの見かけのコップをドンとテーブルに置く。
「それなんだよ。俺だって信じられなかったがな。お前の話とあまりに似通った奇妙な話なんだ。ヒースはその日夜中まで飲み明かし酔っぱらっていた。そしてふと気まぐれに森の方に行ったんだ。すると奥の方から美しい音色が聞こえる。それをいぶかしく思ってヒースが歩いていくとなんとあのお前が言っていた森の奥の湖畔の古城に明かりがともっていたというんだ。昼間にはまるでいつも廃墟なのにな。そしてそこには美しい女たちが幾人もいて歌を歌い楽器を鳴らしていたというんだ。そしてその中でひときわ美しい女の側にあのローラがいたというんだよ」
私はあまりに非現実な話に呆然としてしまった。
だがジムはいたって真剣な様子で嘘を言っているようにも見えない。
私は思わずジムの肩をつかむ。
「それは、、、本当なのか、、、、ローラは言っていた。森の奥の湖畔のほとりの城に美しい女がいて自分を手招きしていると。そしてローラはその幻を見続けて数日後に死んだ。これは一体どういうことだろう」
ジムはむっつりとした顔で首を振る。
「俺にもわからん。何せヒースはその時ひどく酔っぱらっていたからな。だがそのお前の話を聞いた後ではそれらが偶然とは思えないのだ」
私は不意にやけに鼓動が激しくなり殆ど震えるような声でこう言っていた。
「それが本当なら、、、僕はあの古城に行ってみるよ。万が一ローラが生きている可能性だってあるだろう」
するとジムは私を落ち着かせるようにこう言う。
「ああ、だがそれはもしかしたら危険なことかもしれん。ヒースは言っていた。あの音楽も女たちも魔性のものとしか思えなかったと。その音楽は美しくそれでいてぞっとするように自分を引きずってあの場所に連れていくようだったと。そして命からがら逃げだしてきたが自分はもうあの場所に行く勇気はないと」
私はもう無我夢中で首を振ってこう言っていた。
「それでも僕は行くよ。ぼくにとってはローラがすべてなんだ。もう一度ローラを連れ戻すためなら何でもする」
ジムは半ば困ったようにこう言う。
「お前ならそう言うと思っていたよ。何なら俺がお前に付き添っていってやろうか」
しかし私はジムにきっぱりとこう言う。
「それはいけない。ジム。もしその者たちが魔性のものだとしたらお前に危険が及ぶ。私はあくまで一人で今回のことを自分で処理するよ」
ジムはそしてしばらく迷うように黙っていたがやがて金をテーブルに置くとそれから立ち上がりこういった。
「まあ、俺は言うだけのことは言った。本音を言えばお前にはこの話はしたくなかったが今のお前を見ているとローラの後を追って自殺でもしかねんからな。この後どうするかはお前に任せるさ」
そしてそのまま席を立って店を出ていこうとするジムのその後ろ姿に一言私がこう言う。
アレク「ありがとう、、、ジム」
するとジムは振り返ってこういう。
「だがくれぐれも深追いはするな。俺に取っちゃお前の命の方が友として大事だからな」
私には私の友達が本当に心配してくれているのがわかった。
それで私もただうなずく。
「わかっているよ。ジム」
そして私たちは別れた。
私はジムの言った話を全てうのみにしたつもりはなかった。だがローラのことを思うと今でも胸が張り裂けそうになる気持ちには変わりがなかった。
ローラが生きている、もしその一縷の望みでもあるのなら私はそれにかけてみたかった。そして私はその夜森に行く決意をしたのである。
夜半、月が天中にかかるころ私は静かに家を出た。月明かりはひたすら夜の闇を照らしていた。そして町はずれの森まで来るとまるでそこは昼間と打って変わって道の世界の様に私の前に立ちはだかっていた。
私は一つ大きく息を吸い込む。夜気が肺に入り込んで不思議に気持ちが落ち着いた。
この先にローラがいるのかもしれないのだ。私だって信じられないけれどももしたとえ魔性のものにとりつかれているのだとしてもローラを取り戻せるのだとしたら、、、
そして私は一つ覚悟を決めて森の奥へと足を踏み入れていった。
森の中は暗くフクロウの鳴き声だけがする。
アレク、それを聞きながらこう思う。
音楽なんて聞こえてきはしないじゃないか。やはりヒースが見たものは酔っぱらっての幻覚だったのだろうか、、、
その時だった。私は不意に立ち止まる。
ひとつの木々のざわめきにも似て何かの音が聞こえてきたのだ。
私の胸がたちまちのうちに不思議な思いで満たされた。
このかすかな音はいったい、、、
そしてその音のする方に向かって私は気がつけば走り出していた。
こっちだ!こっちから音がする。まさしく古城の方からだ!
そして次第にそれは一つの音楽になって私の耳に届く。
音色が次第に大きくなっていく。これはなんて甘美で美しい音楽だろう。こんな音楽はきいたことがない。
それは東洋とも西洋ともわからぬ不思議な音楽であった。
そして私はその音楽の後を追って無我夢中で森の中を走っていき気づけばやがて湖畔に出ていた。
そしてその光景を目の当たりにしたのである。
そこには廃墟のはずの湖畔の岸辺の城に明かりがさんざめくように輝き美しい女たちが幾人も集って音楽を奏でていた。
それはみな若く見目麗しい女たちばかりで様々な楽器がその手のもたれてその調べを奏でている。
まるで夢うつつもわからぬ不思議な光景であった。
私は呆然として思わず湖畔の向こうからそれを見つめ慌てて女たちに見つからないように側の茂みに隠れる。
すると女たちがさざめくようにこう話している声が風に乗って聞こえてくる。
「今宵はなんて美しい夜でしょう」
「ほんに、こんな夜には音楽がさえわたって誠に気持ちがいい。酒もうまく飲めるというもの」
「これもどれもすべては女王様の恩恵のおかげだ。私たちの主。この方ほど美しい人がこの世におられようか」
「時期に女王様がおいでになられるぞ。さあ、みんな、わが女王のために音楽をささげましょう」
そしてますます美しく女たちは音楽を奏でる。
それを聞き私は次第になぜか頭がくらくらしてきた。
まるで音楽にすべての精気を吸い取られていくような思いだった。
なのに不思議とそこから離れたいとは思わなかった。
私は額に手をやる。そして意識を失いそうな葛藤の中でこう思う。
なんだ。この音楽は。これほど美しいのにまるで悪い酒を飲んでいるかのように私の頭がしびれる。うまく思考することができない。これはやはり魔性の音楽なのか。
その時だった。
女たちがこう叫ぶ。
「さあ、みんな。女王様が城の中からお見えになるぞ」
そして次の瞬間だった。城の中から一人のひときわ美しい長身の女が一人の女を側に侍らせて優雅な足取りで女たちの中に出てくる。
黒髪に東洋風の着物を着てあでやかな花を頭に飾り額には金のサークレットが月明かりにきらめいていた。その姿は一度見たら忘れられないほどの美しさであった。
だが私が驚いたのは彼女の容貌にではない。
それを見てわたしは思わず声を上げそうになる。その女王と思われる女の傍らに着飾ってうつろな目で侍っている女こそあのローラであったのだ。
私は思わず叫びそうになる。
ローラ!あれはローラじゃないか!
女たちの数人が立ち上がり女王の手を恭しく引いて中央の席に案内する。
ローラもぼんやりとうつろなまなこで女王についていく。
あれがローラが言っていた夢の中の女であることは推測できた。
だが私はそれを見てただ不審に思う。
しかしどういうことだろう。まるでローラはまるで意思がないようにうつろな目をしている。なぜ死んだはずのローラが生き返ってここにいるのだろう。これは何かのまやかしか。
女たちは笑いさざめきこう言う。
「ほんに、今夜の女王様はことに美しい」
「そうそう、最近美しい人形を手に入れたからねえ」
「そう、女王様はことにあの女がお気に入り。片時もそばからはなそうとしない」
私は思わずその様子を見て足が震える。
ア間違いない。ローラはあの女王とか呼ばれる女に操られているんだ。そしてここにいるすべてのものが魔性のものに違いない。とてもこの世のものとは思えない。いったんここから逃げなければ。明日にでももう一度策を立ててここに来るんだ。そうしなければジムの言ったとおり私の身も危険にさらされる。
しかし私の足は音楽に絡み取られてしびれたように動かない。
私は必死でもがくようにただその場で立ち上がろうとするがやはり足は一歩も動いてはくれなかった。
駄目だ、足が動かない。どうしたんだ。まるであの音楽にとらわれているかのようだ。
その時だった。
ふいに女王は立ち上がりこういう。
「みんな、今日も宴を楽しんでくれているようで何よりだ。そして私も今日という日にふさわしい余興を見せよう。今向こう岸の木陰に一人の客人が隠れている。彼を我々でもてなしてあげようではないか」
それを聞き私はっと目を見開く。
私がいることがばれている!?逃げなければ―なのにどうして足が動かないんだ!
すると女たちは怪しくさんざめき笑いながらこう言う。
「客人だと。珍しい。さあ、隠れてない出ておいで。われらの宴に加えてあげる」
「客人は男かえ。若い男ならなおのこと大歓迎だよ」
そしてほほほと笑いながら女たちはゆらゆらと手を差し伸べてアレクを招くようにする。
ふいに女王が宙を飛び滑るように湖畔の上を飛んで気がつけば私の前に立っていた。
私は驚くがやはり足が動かず逃げられない。
私の心臓は振り切れそうなほど鼓動しているのにー
女王はすっと手を伸ばし私の顔に手をかけるとこういう。
「ほお、これはほんに珍しいお客人だこと。お前はローラの夫だね」
私はあらん限りの力を振り絞ってどうにかこう叫んだ。
「私のことがわかるのか!」
「私には人の心を読むなど容易なこと。だがお前が来てくれたおかげで私はおおいに嬉しい」
「やはりお前の側にいるのはローラなのだな!彼女に何をした!」
すると女王はあでやかにくつくつと笑いながらこう言う。
「そう、怒るでない。あの女には私たちと同じく永遠の命を与えた。感謝さえされど憎まれる理由はない」
わたしにはその言葉の意味が分からなかった。ただそれで浅い息を繰り返しどうにかこういう。
「永遠の命だと!つまりローラは生きているのか!」
女王はそれにもただ笑う。
「そうとも言えるしそうでないともいえる。だが私が彼女を生かすためにはまず完全に私たちの仲間に彼女を加えなければならない。彼女はまだ完全には目覚めていない。私は彼女に私の血を与えた。だがローラはそれから初めてのいけにえの血を自ら吸い取り始めて完全に我らの仲間としてよみがえるのだ」
私の脳裏に昔小さいころ読んだ小説の中の世界がよみがえる。
「つまりーおまえたちは、、、吸血鬼なのか。神話に出てくるような。だがローラをそんなものにすることは許さない」
「ではお前はローラが死んだままでいてよかったというのか」
私はうまく返答できない。
「それは、、、」
女王はすうっと目を細めて私を獲物のように見つめこう言う。
「案ずるな。お前を彼女に会わせてやる。初めての彼女のいけにえとしてこれほど最適なものはいない。彼女は自分の夫の血を吸い殺すことで初めて完全によみがえるのだ。これほど楽しい余興はないではないか」
私はただ叫ぶ。
「私を殺すのか!」
女王はそれにも全く動じる様子はなかった。緋色の口がほほ笑みながらこう言う。
「お前も最愛の妻の手にかかって死ぬならば本望だろう。さあ、わが術によって眠るがよい。気づいた時には自分の妻の側でむくろとなるがよい」
そして女王、私の額に手をかざす。そして私はくらっと一瞬したのち意識が遠のいていく。
そう―まるで麻酔にかかったみたいに力が抜けて意識が遠のいていく。
次に気がついた時私は暗がりの中で目が覚めた。
掠れる目で周囲を見回すとそこは明かりのわずかしかないくらい独房だった。
そして私の体は縄で縛られている。
私はまだはっきりしない頭でこう思う。
ここはーあの城の地下室なのか、、、
そしてあたりを見回し次第に目が慣れてくると一つの寝台にあのローラが寝かせられているのが見えた。
私は縛られている不自由な体でそちらの方に何とかはっていく。
そしてローラに必死で呼びかける。
「ローラ!ローラ!目を覚ましてくれ」
するとふいにふとローラの目が開く。だがまるで機械人形のようにその動きはぎくしゃくとしている。
私は混乱した気持ちのままただ必死に自分の戒めを振りほどこうとしながらもがく。
「ちくしょう。まだあの女の術にかかっているのか。ローラ!僕をみろ!僕のことがわかるか!」
するとローラは人形のように起き上がりぼんやりと私を見る。
そして不意に私に手を伸ばしこうささやく。
それを夢を見ているかのような声音であった。
「血の匂いがするわ。ああ、なんて甘美な香りでしょう。どうか私にそれを与えて。そうすれば私は完全に目覚めることができるわ」
私は恐怖心と戦ってそんなローラから逃げようとせずにただ一身にこう叫んだ。
「お願いだ!ローラ。目を覚ましてくれ!僕は君の夫だ。そして君はいったん死んで生き返ったのだ。だが心まで吸血鬼にならないでくれ!頼む!」
しかしローラは微笑みその手がアレクの首に巻きつく。
「駄目よ。抵抗しないで。甘美な夢の中で死なせてあげるから。あなたは私の最愛の獲物。その血を私にくれることで私の中で永遠に生き続けるの」
私の目に涙が浮かぶ。
「ローラ、君は僕を忘れてしまったのかい。今の君はすでに血に飢えた化け物でしかないのかい。君はーローラ。君はー」
しかし次の瞬間には私の言葉も彼女には届かずローラがすさまじい力で私を押し倒しその首元に唇を押し当てる。
そのときだった。私は最後の力を振り絞ってこういう。
「ローラ、、、君は私たちのであった日のことさえ忘れてしまったのかい。あの二人だけの歌でさえ」
そして私は渾身の力を振り絞ってはその歌を歌い始める。
「愛しい人よ。私を見つけて。私を離さないで」
そう―それは私たちが五年前初めてあのダンスホールで出会ったとき流れていたあの歌であった。
その時だった。ローラの表情が変わる。
ぼんやりとした目に光が宿りそして不意にその目から涙が零れ落ちる。
そして次の瞬間彼女は私の首から手を放して飛び起きる。
そしてこう叫んだ。
「アレク!あなたアレクなのね!」
私はほっと安どの息をついた。
「ローラ!気がついてくれたのかい!本当のもとの僕の妻のローラなんだね!」
ローラは呆然としたように頭に手をやりこういう。
「私、、、ずっと長い夢を見ていたようだわ。私、、、そう―死んだのね」
私も悲痛な気持ちでうなずく。
「ああ、君はたしかに一度は死んだ。だがどういうわけかあの女の手によってよみがえったのだ。それはもしかしたら人間としてよみがえる手があるかもしれないということだ」
ローラはまだ夢から覚めたばかりというように頭に手をやってこういった。
「そう、、、わたしね。いつも寝ながら夢を見ていたわ。あの女の人の夢を。彼女はここでは女王と呼ばれている。そしてここにいる女たちは全員彼女によってよみがえった死人なのだわ。私も死んでその仲間に加えられて、、、ああ、私、ここの人たちと同じように吸血鬼になってしまったのね!」
私も頷く。
「ああ、だがあの女によると君はまだ完全な吸血鬼じゃない。君は獲物の生き血を吸って初めて完全体の吸血鬼になるという。つまり、君はまだ意識は人間のままなんだ」
ローラはそして私の状態に初めて気づいたように小さく声を上げた。
「それよりあなた縛られているわ。待っていて。今縄をほどくから」
そしてローラに縄をはずしてもらい私の体はようやく自由になる。
私はそれで心から安どしてこう言った。
「ありがとう。助かったよ」
ローラは心細げにこう言う。
「あなた、それにしてもここはいったいどこなのかしら」
私は推測していたことをそのまま言った。
「わからないがおそらく古城の地下だろう。そして私は君の初めてのいけにえとして君と一緒にここに閉じ込められた。もしかしたら外には私が逃げないように見張りの一人や二人いるのかもしれないね」
ローラは恐ろしそうに手で顔を覆う。
「ああ、なんてこと、、、私、あなたを殺そうとした。もう半分化け物なんだわ。それくらいならあのまま死んだほうがよかった」
そしてローラはそのまますすり泣く。私はその肩にそっと手をやり慰める。
「心配しないで。今の君はもう正気だ。それに君が生き返ってくれたことはどんな状況でもうれしい。今は一緒にここから逃れる手を考えるんだ」
ローラはそれを聞くと涙を拭いて泣き止み頷いた。
「そうね、、、まず彼女たちを出し抜く手を考えなければならないわ。そう―それには、、、」
そしてローラはしばらく考え込む様子だった。
そしてこういう。
「アレク、これから私の言う通りに行動して。あなたは私を殺そうとするようにふるまうの。そして私は外に向かって助けを呼ぶわ。おそらくドアを必死にたたけば外にいると思う番人にも音が届いて扉を開けると思うわ。簡単な手だけどそれしか手が思い浮かばない」
私は少し眉をひそめてこう言う。
「そんなにうまくいくだろうか、、、」
しかしローラは思ったより気丈にこう言った。
「任せて。夢の中の様だったけど私一週間はここにいたのよ。そして私は女王のお気に入り。うまくいくと思うの」
そして不意にローラはドアの前に立ちそのドアを思いっきりたたく。
そしてこう叫ぶ。
「助けて!助けて!あのいけにえの男が私に隠し持っていた短剣で襲い掛かってきているの!誰かドアを開けて!私、あの男に殺されてしまう!」
私は彼女の行動に思わず「ローラ!」と叫ぶ。
しかし次の瞬間だった。わずかにドアの取っ手を回す音がしてドアがわずかに開く。
次の瞬間だった。
ローラはそれに体当たりしてドアの外の番人の女をなぎ倒す。
番人は悲鳴を上げる。そして素早くローラはその首筋に歯を立てる。
するとその番人はそのままその場に崩れ落ち次の瞬間動かなくなる。
私は戸惑いこう叫んだ。
「ローラ。彼女に何をしたんだ!」
するとローラは強い瞳でこう言う。
「大丈夫、ほんの少し気を送って意識を失わせただけ。吸血鬼になったおかげで私にはこんな術も使える」
私はそれでうなずいた。
「わかった。見張りはこの女の一人の様だな」
「ええ、でもいまの彼女の悲鳴が誰かに聞こえてしまったかもしれない。私たち、早く逃げなければ!」
「そうだね、行こう。ローラ!」
ローラはそして私の手を取る。
「私についてきて!」
そして私たち二人は手を取り合い走り出す。
ローラは地下へ地下へと私をいざなった。
ローラはささやき声でこう言う。
「この下に地下水の流れる下水道があるはずよ。そこなら私たちは見つからないわ」
私はその言葉に希望が湧いた。
「よし、じゃあそこは多分外に通じている流れがあるはずだ。二人でそこから脱出しよう」
するとローラは悲しげに笑って何も言わなかった。
どれほど階段を下りただろう。
水の下たる音と私たちの足音だけが周囲に響く。
そしてそのまま私たちは地下の下水道にたどり着く。
私は改めてローラの手を取ってこう促す。
「さあ、ローラ!一緒に行こう」
しかしローラはその時ふいに私の方を見て悲し気にこういう。
「そう―でもあなたに話さなければならないことがある。私はあなたに逃げてほしい。でも私は一緒には行けないわ」
それを聞き私は驚いて目を見開く。
「一体どういうことだい!ローラ」
するとローラはどこまでも悲し気に私の目を見てこう言う。
「この城には女王の張った結界が支配しているの。そして私は女王の魔法によってここにいる。ここからは出ていけない定めなのよ」
「なんだって!」
私の言葉にローラは私の手を取った。そして必死の表情でこう言う。
「あなたはどうかここから逃げて!そして私のことを忘れてほしいの。私、もう人間じゃない。こうなったら私はいつあの女王の魔法によってあなたを襲うとも限らない.その前にどうかあなただけでもこの城からに逃げ通して!」
私は彼女の言葉を受け取れ切れないまま呆然と首を振る。
「そんな、、、ローラ。そんなこと僕にできるわけないじゃないか。君をおいて逃げるだなんて、、、」
するとローラは不意に私の体にしがみつきすすり泣きながらこう言う。
「お願いよ。それが今の私があなたのためにできる唯一のことなの」
私はその私の胸の中でなく彼女にただどうすることもできずに呼び掛けた。
「ローラ、、、」
しかし次の瞬間だった。
後ろから不意に声がする。
「涙の対面はそれで済んだかえ」
ハッとして私たちは振り返る。そこには幾人もの女たちを従えた女王が怪しく微笑みながら立っている。
私は驚いて叫ぶ。
「女王!なぜここに、、、!」
すると女王はあやしいほほえみのまま一歩一歩私たちの方に近づいてくる。
「この城はすべて私の魔法が行き届いている。私のしもべがどこにいるかなど知るのは簡単なこと。さあ、こちらにおいで。ローラ」
私は強く腕の中にローラを抱きしめて彼女をかばいながら勇気を振り絞ってこういう。
「ローラはお前には渡さない!ローラをもとの人間に返してくれ!」
女王はしかしその私たちの様子を楽しむように見つめ私たちの前に立ちこう言った。
「それはできぬ相談。彼女は私のお気に入りの人形。私の意のままに従ってもらう」
ローラも負けじと叫ぶ。
「いやよ!私はもうあなたの操り人形じゃない自分の意志で行動するわ!」
すると女王、ゆっくりと二人に近づき、「それは困ったのう。でも再びわが術にかかってもらうしかない」
すると女王はすっと手を伸ばしローラの額に手を当てる。その次の瞬間、ローラは気を失い女王の腕の中に倒れこむ。
私はローラの手を伸ばし彼女を取り戻そうとしたがその手は女王の阻まれた。
「きさま!ローラの何をした!」
すると女王は声高らかにこう言う。
「お前もじゃ。男よ。おとなしく餌にならないなら私にも考えがある」
そして女王は私の額に手を当てる。次の瞬間再び私は目の前が真っ暗になり意識は奈落へと落ちていった。
遠のく意識の中,女王の声がする。
「みんな、このものたちを広間へ。とっておきのもてなしをしてからすべての儀式をとり行おう」
そして 気を失うその瞬間私とローラは女たちによってどこかへ引きずれられていくのを感じた。
目を覚ました時私は自分が美しい広間にいて一つの椅子に縄でくくられていることに気づいた。赤々とランプの照らされて芳しい香りが漂う部屋であった。
そして目の前には一つの竪琴を持った女王がゆったりと椅子に腰かけている。
その膝にはローラが半分目を開いて夢うつつの様子で横たわっている。
私は何とか意識を保ちながら必死に言葉を女王に投げかける。
「女王、、、きさ、、、ま。私たちをどうするつもりだ、、、」
この香りのせいか先ほどの術の後遺症のせいかひどく意識を保つことが難しかった。
女王は相変わらず美しく微笑み手元に一つの竪琴を手繰り寄せた。
「私は相手を即座にあっけなく殺してしまう趣味はない。死はいつでも甘美なものであるべきだからね。お前にもそれをあじあわせてあの世に旅立ってもらおうと思う」
私は問い返す。
「どういうことだ、、、?」
すると女王、自分の手の持った竪琴を一つかき鳴らす。
その響きが波紋のようにアレクの頭に届き私は一瞬うめく。
ひどく美しい音楽なのにそれは同時に女王の使う術と同じくどこかまがまがしい物であった。
女王はやはり楽し気に微笑んでこう言う。
「アレク、ああ、お前は死を恐れているね。だが案ずることはない。私の音楽に身を任せればそれは甘美な思いとなってお前を包み込んでいてくれるから」
私は力の限り叫ぶ。
「何を、、、お前にむざむざと殺される私ではない」
女王はそれに声を上げて笑う。まるでそんな私の様子を見ているのが楽しいというように。
「ほほほ、大きな口を利くこと。では私はこの音楽に寄ったお前の最も奥深くに眠る潜在意識まで引き出して見せよう」
そして女王はさらに竪琴を美しくかき鳴らす。
その美しい音楽がいばらのように私の神経をとらえる。私は残った意識でこう思う。
くっ、体が動かない。頭の奥まであの音楽がいばらの様に入り込んでくる感じだ。このままでは私は自分を失ってしまいそうな感覚だ。
女王は音楽をかき鳴らしながら歌いようにこう言う。
「ではアレク。お前の記憶を探索しよう。お前にはこの景色が見えるかえ」
そして私は音楽により夢うつつになり遠い日の幻覚を見る。
雨の降る日のお葬式。それは最愛の兄のお葬式であった。
棺の中に兄が眠っている。
アレク―あれはー兄さんのお葬式―
そしてそこにうつろな目をした青年の日の私がたってそれを見つめている。
女王の声がはるか遠くから聞こえてきた。
「そう、あれがかつてのお前。お前は最愛の兄を亡くし途方にくれていた」
そして父親がその兄の前に立ちこうつぶやくのを私はきく。
「どうしてトムだったのだ、、、」と。
それを聞き私は呆然とする。そして思わず叫ぶ。。
「やめろ、、、私の記憶に触れるな、、」
しかし遠くから相変わらず女王の楽しげな声が響く。
「そう―だがこの時のお前は誰よりも強い想いを抱いていたはずだ。そう、、、なぜ本当に死ななければならなかったのが自分ではなかったのかと」
私は必死にその声と音楽と戦いながらそれでも意識は次第にあの日に弾きづられていった。
ああ、なぜそれを思い出させるんだ。二度と思い出したくないのにどうしてもその時の気持ちにいざなわれてしまう、、、
女王の声がこう言う。
「それは絶望という感情、、、だが同時にお前にとってはすべてを超越したもっとも強い感情ではなかったか」
私は次第に抵抗する意思もなくして音楽に閉じ込められて気持がぼんやりとしていく。
そして心の奥でこう思う自分がいることに呆然とする。
ああ、、、本当にそうだ。あのときたしかにかに私はこう思った。なぜ自分の方が死ななかったかとー
女王はさらに畳みかけるように音楽を強く鳴らし私の頭の中でこう語りかける。
「思い出すがよい。それは同時に甘美な思い出はなかったか。何もかもをすてて無の空に羽ばたける。肉体や生きている悩みなどすべて捨ててもう何も考えずに済む」
「私は、、、」
「さあ、目を見開いて前を見るがいい。ここに一人の女がいる。お前の最愛の女だ。もしこの女が私の想い通りにお前を殺さないのだとすれば私はこの短剣でこの女を殺さなくてはならない。それでもよいというのかえ」
私は必死に現実に戻って女王は一つの短剣をローラに差し向けるのを見る。
「ローラ、、、に手を出すな、、、」
女王は笑った。
「お前が本当に愛する者によって殺されるならばそれはお前にとって何よりも至福なことではないかえ。お前はその望みをかなえられるのだよ」
私の心は揺れた。
本当にそうであろうか。私はあの時、死を望んだのだろうか。ローラによって殺されるなら女王の言う通りそれが私にとって本当に幸福なことなのだろうか。
女王はぼんやりと目を開いたローラに短剣を渡し私の方に突き出す。
「ローラ、さあ、あの男を殺すのだよ。お前の最愛の男だ。それによってお前はとわの命を手に入れ私とこの城で永遠に楽しく暮らすのだ」
私は悲痛な思いでローラにこう呼びかける。
「ローラ、、、」
私が殺されなくては女王がローラに殺されてしまう。
私は一瞬本気で自分が死んだほうが幸せだとさえ思ったのだ。
それでも残った意識は必死にローラにただ呼びかけることで何とか保たれていた。
そして私は渾身の想いでこう願う。
ローラ、どうか目を覚ましてくれーと、、、
女王は畳みかけるように私にこう言う。再び竪琴が鳴り響く。
「さあ、アレク。お前からも頼むのだ。この女に。どうか自分を殺してくれるように。お前は愛する者の手によってあの日の夢をかなえ甘美な死を遂げられるのだよ」
ローラはゆらゆらと揺れながら私のもとに剣を携えてやってくる。
私はだが次の瞬間最後に残った渾身の力を振り絞ってこう叫ぶ。
「私は無為な死など望まない。私に対してもローラに対しても!ローラ!目を覚ませ!そして私を見るんだ!」
次の瞬間だった。ローラは急にくるりと向きを変えて女王の方に向き直りその短剣を自分の首に突き付けたのだった。
女王は目を見開く。
「ローラ!?」
ローラの意識はその時ローラ自身のものだった。そしてローラは女王に向かって毅然と叫ぶ。
ローラ「女王!私はもう二度とあなたの術にかかったりはしない!私の愛する人の心にかけて」
女王、唇をかみ立ち上がるとこういう。
「おのれ!ローラ。わが術にかかったふりをしていたのか!」
ローラはその短剣を自分の胸に突き付ける。
「彼を殺すくらいなら私は今ここでこの短剣でみずからののどをかき切ります。そうすれば私は二度とあなたの言いなりになることはないでしょう」
女王は怒りと戸惑いに髪を逆立ててこう叫ぶ。
「なぜだ!なぜ私の愛がわからぬ!ほかの女はみな私の忠実なしもべとなったのになぜおまえだけが、、、!」
ローラは剣をこっそり後ろに回し私の手に渡した。。
そしてそうしながら女王にこう叫ぶ。
「女王、あなたは間違っている!愛とは人の心を支配することではない!その人の心がわからず人を愛することなどできない。あなたの愛は一方的なエゴよ。誰も幸福にしはしない」
そしてその間に私は手渡されたナイフで女王に気づかれないように無我無我夢中でローラの陰に隠れて自分を縛り付けている縄を断ち切る。
女王は叫び声をあげた。だがその声はどこか悲痛でさえあった。
「私はお前に永遠の命を与えてあげられるのだぞ。私に従えばこの世のすべての不幸や悲しみから逃れられるのだぞ。お前はとわを望まぬのか!やみやすい人間の体を引きずりこの汚れに満ちた世界で数十年きりの命で満足できるというのか」
次の瞬間私は縄を切り立ち上がる。そして完全の術から解き放たれてローラと同じく自分の意志でこう叫ぶ。
「この穢れある世界といったがそこにも人の幸福はある。悲しみがあるからこそ喜びがる。いつか尽きる命だからこそ尊いのだ。そのすべてを切り離せばもはや生きている価値さえも見失ってしまう」
女王はわずかに後ずさりして動揺したようにその瞳は揺れてこう言う。
「おのれ!ローラ!お前まで私をたばかったか!」
私は次の瞬間その剣を振りかざしそのまま女王の方に切りかかる。
「女王!ローラを自由にするために私は今お前を倒さなければならない!」
そして私は女王につかみかかり彼女めがけて剣を振りかざした。
しかし次の瞬間その剣を女王は恐ろしい力で手で振り払う。剣が向こうに飛んでいく。
私は叫ぶ。
「しまった!」
だがそれでも私は女王につかみかかり必死に女王の首を絞めようとする。
そのさなか、ふいに私の手が女王の額のサークレットに触れる。すると女王はその途端恐ろしい悲鳴を上げた。
私はそれを見ていぶかしく思った。
女王の額のサークレットに触れただけでこの女は悲鳴を上げた。もしかしてこれは何か女王の弱点なのだろうか!
私は一か八か再び女王のサークレットに手をかけてそれを引き離そうとする。
すると女王はやはり悲鳴を上げてのたうち回る。
私は確信する。
間違いない!これをはずせば何か!
そして私はそのサークレットを次の瞬間、女王から引き離していた。
部屋中にすさまじい女王の悲鳴が響き渡りその次の循環女王の姿が溶解し変貌し始める。
そして数秒後、そこには緑色の巨大な大蛇の姿がそこに横たわっている。
私はそのまがまがしい姿に思わず飛びのく。ローラも悲鳴を上げる。
わたしは唖然として叫ぶ。
「これが女王の本当の姿なのか!」
女王は息も絶え絶えに起き上がりローラの方に這って近づこうとする。
その姿はなぜかどこか悲しげでさえもあった。
「ローラ、、、ついにわが正体を見てしまったのか、、、」
ローラは悲鳴を上げてそのまま後ろにあとずさりする。
「近づかないで!」
女王はすると次の瞬間驚くべきことにその言葉に目から涙を流す。
そしてこうささやく。
「ああ、本来の私の姿を見れば皆が私を恐れ逃げ出す。サークレットをつけている間は我が姿も美しく変えることができたのに、、、」
そして女王は急に部屋の隅に恐ろしいスピードで張っていき短剣を口にくわえ二人に向き直る。
私は女王のその行動に思わずローラを後ろにかばう。
しかし女王はそのまま二人の側をすり抜けてバルコニーの方にはっていきその断崖絶壁に立つ。
そして泣きながらこう言う。
「わが王国もこれで終わりじゃ。私の魔法が解ければすべてが終わる。なら今私は我が死と共にそれに終止符を打とうぞ」
私は思わずその瞬間恐怖を忘れてこう叫んでいた。
「何をする気だ!女王!」
次の瞬間女王はその短剣で自分の胸を貫く。
わたしとローラは思わず叫ぶ。
「女王!」
そして女王はそのまま真っ赤な血しぶきを上げてそのまま城のバルコニーから湖に落ちていく。
わたしとローラは言葉もなく呆然とそれを見つめていた。
しかしその数秒後。ゴゴゴ、というすさまじい音共に激しい振動が城を襲う。
ローラはこう叫ぶ。
「女王が死んですべての魔法が解けたのよ!ここは危ない。逃げましょう。あなた!」
そしてその部屋にガラガラと上から石が落ちてきて私たちは慌ててバルコニーに逃げる。
その手すりも壊れて湖に落ち二人は断崖絶壁の淵に私たちは抱きあう。
私はローラに呼び掛けた。
「ローラ!湖に飛び込んで岸まで泳いで逃げよう!」
しかしその時だった。不意にローラは涙を流しそっとアレクを自分から引き離す。
私はいぶかしく思って彼女を見つめ返した。そのローラの顔は不思議なほどに穏やかだった。
「ローラ、、、?」
するとローラはわずかに微笑んで涙で濡れた目で私を見つめる。
そしてその優しい声がそっとこう言う。
「アレク。ごめんなさい。私、あなたとはいけない、、、」
私はその彼女の言葉に呆然としてこう問いただす。
「何を言うんだ。女王はもう死んだんだぞ。お前はもう自由のはずだ」
しかしローラは静かに首を振りこういう。
「いいえ、私は女王の魔法によって生き返った身。女王の魔法が解ければそれでおしまい。私もここの女たちも腐ったむくろにかえるわ。ここはね。女王が作った死人たちの王国なの。女たちはみんな操られていただけ。でもすべてが終わった今朝が来る頃には完全の魔法は解けて私たちはみな土に還ります。だからーあなたは逃げて。そして私の分まで生きて」
私は彼女の言葉を信じることができなかった。
「そんな、、、ローラ。僕に再び一人になれというのか」
ローラはそれでも目を閉じて静かに首を振りこういう。
「いいえ、あなたは一人じゃない。私の想いはいつまでもあなたの心に生きてあなたを見守っているわ。あなた、女王にこう言ったでしょう。子の命でさえ終わりがあるから価値があるのだと。それと一緒。出会いがあって別れがあってそれでも人は自分の人生を自分の力で生きていくその力をもってこの世界に生まれおちたのよ」
その瞬間私はローラを見つめその瞳の中にすべての彼女の意志を見た。
「ローラ、、、では今度こそこれが私たちの本当の別れなのか、、、」
ローラはただ悲し気にそれでもどこまでも優しくほほ笑む。
「そうね、最後にお願い。私にもう一度キスして」
そのローラをじっと見つめて私は次のしぃんかんそっとそっとその唇にキスをしていた。
ローラは泣きながらほほ笑んでこう言う。
「冷たいでしょう、、、」
しかし私は首を振る。
「いや、君は誰よりも温かいよ」
そして暁が迫る空の下最後にもう一度私たちは抱きあった。
ローラの声が耳元でする。
「ありがとう。アレク。これで私旅立てる。さようなら。アレク。どうか生きて」
そしてローラはその断崖絶壁から私を湖に突き落とす。
おちていく中で崩れゆく城の中にローラがただほほ笑んで私を見つめ立っているのが見えた。
そしてそれが私が最後にローラを見た瞬間だった。
私は湖に落ちてそのまま必死で湖を泳いで渡り岸辺につくと同時に気を失った。
わたしが目を覚ました時私は湖のほとりに寝ていた。あたりは朝になっていて私の服は夢ではない証拠にびしょぬれだった。
城を見るとそこは元の廃墟にかえっている。
そして私は何も考えられずただそのまま歩いてそこを去った。
私はそれからあてどなく街を歩き回る。そのうちに雨が降り始める。
私はぼんやりとこう思う。
ああ、雨が降る。兄のお葬式でもローラのお葬式でもこんな雨が降っていた。
そして私は結局またすべてを失ってしまった。
しかしその時だった。不意に近くのダンスホールの中からかすかな歌声が聞こえる。
それははるか遠い日に聞いたあの歌であった。
「愛しい人よ。私を見つけて。私を離さないで」
その歌を聞いた時私の胸に兄のこともローラのこともすべてが思い出される。そして封じ込めていた感情のすべての糸がはじける。
その瞬間その私の目から涙があふれる。
そして私は目を閉じてその音楽を聞き入りながらこう思う。
ああ、そうだ。ローラ。君はいつでも私を見つけてくれる。そう―今この時にだって。
そして私はこう思う。
そう―どれほどの出会いと別れを繰り返して人はその人生の長い道のりを歩いていくのだろう。だがそのどれもが確かに無駄ではなかった。私の人生の中で一時でも君がいてくれたこと、それだけで私はこの先も生き続けられるのだ。なら私は行こう。私の道を。ローラ。君の想いと一緒にどこまでも。
いつの間にか雨が上がって空は晴れ渡りそれは秋へと近づいていた
そして私は今すべての想いを胸にその雨が上がった道を駆け出していった。
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