白猫家出事件

【 9 】

　
「 えっ、予防注射が家出の理由だと言うのかい？ うーん。…… いや、外に出たがるようになるなんて、そんな副作用の症例しょうれいは聞いたことがないなあ。
　注射針が刺さる時の痛みの経験が悪い印象になって残った …… という程度の事だったらあり得るけど、その場合はむしろ外に出るのが嫌になると思うし。…… まあ、注射を打った私のことが嫌いになったというなら分かるが。
　どうだね、ドミナント 」

　岸上先生が握手をするように腕を伸ばすと、猫は「 にゅっあ 」という返答とともに先生の手首にしがみつき、消毒液の匂いが残る白衣の袖紐そでひもを興味津々しんしんの様子で甘噛みした。

「 注射は見当違いですか …… では考え方を180 度変えて、しつけの方面から対処する、という手はどうでしょう。 岸上先生、先生の奥様に、ドミナントが家から勝手に出なくなるように訓練していただく事は可能ですか 」
　大森巡査が食い下がった。

　岸上先生の妻、つまり美晴ちゃんの母親の岸上陽子ようこさんは、プレアデスを始めとして何頭もの犬たちを訓練し、犬が飼い主の言うことを聞くようにしつけている警察犬の訓練士だ。 プレアデスに正しい方法で高度な命令を伝え、間違いの許されない犯罪捜査の現場で、しっかり仕事をさせる事ができる唯一ゆいいつの人物でもあった。
　立派に任務を果たす犬の姿を仕事柄がらかなり多く目にしている大森巡査は、そのしつけの手法をドミナントの素行にも応用できないものかと考えたようだ。

「 猫を訓練？ それは少し無茶だ。 なんと言っても、まるで違う動物だからね。 食事やトイレのしつけ位だったらともかく ………… いや待てよ、駄目だと決めつけるのは早いかな。 一定のエリアから出ないようにするだけの限定的な条件反射なら、もしかして可能かも …… 」

　岸上先生は突拍子もないアイデアに面食らいながらも、腕組みをして検討し始める。

「 おおっそうだ。 外に出さないという目的を突き詰めるなら、絶対に脱出不可能な壁を早川先生のお宅の周りに建設して、国境みたいにしてしまうというのはどうですか。 費用なら私が 」
　酒井さんの極端過ぎる意見が全員による文字にしにくい厳きびしさを帯びた非難で総攻撃されて、ようやくそれが一段落すると、真っ先に息を整えた山瀬さんが話題を切り換えた。