最後の大陸

斎藤直

文字の大きさ
上 下
26 / 36
第2章 王の帰還

恋心

しおりを挟む
 自由都市サキアスではロイスデール市長の不在が続いている。
 市長が外遊に旅立ってから四か月近くが過ぎ、副市長代理カール・クラウジニアスの立場も危うくなりつつある。客観的に見て、カールの裁定はあらゆる場面において公正であった。ゆえに彼を評価する役人は多いのだが、わずかな粗をあげつらう者のなんと多いことか。
 市長不在の長期化の影響が随所に出始め、にわかに評議会が活発化し、行政府の在り方について連日議論されている。
 このままではいずれ市長は解任されるであろう。
 同時にカールも一切の権力を失うことになるであろう。
 そして、臨時政府へ権力が移譲されるのである。
 それは致し方のないことだ。
 だが、カールの不安は別のところにある。
 評議会は、議長を中心とした臨時政府を立てる方向で動いているのだが、この議長が怪しいのだ。議長は、市長が提唱する国軍創設の強硬な反対派であり、長年に渡る市長の政敵でもある。だが、そのような因縁よりも重大な疑念がある。議長は、カールたちの調査報告によれば、傭兵団との癒着が疑われる人物の一人でもあるのだ。
 市長暗殺計画と傭兵団に何らかの関係があるという確証は今のところ存在しない。
 だが、何とも言えぬきな臭ささ、をカールたちは感じ取っている。
 そして、つい先ほど、新たな連絡が入った。
 評議会は三日後に市長解任の多数決を取る。もう議論は終わったということだ。
「もはやこれまで、だな…」
 三日後、自分はただの無職の一市民となるであろう。
 自分は別にかまわないが、市長の身はどうなる。
 カールは深い溜息を吐いた。
 そこへ秘書官がやってきた。
「副市長代理に来客がありました」
「ありました?」
「はい。三十歳ぐらいの栗毛の髪の女性でしたが、これを渡してくれ、と」
 封書を受け取り、すぐに封を開いてみると、中には手紙が一枚入っていた。
 読み始めるやいなや、手紙を持つ手が震え出した。
「秘書官! 私は早退するぞ!」
 そう告げて、慌ただしく帰り支度をし、部屋を出て行った。

 庁舎正門の手前を左へ曲がり、急ぎ足で『密約の森』と呼ばれる庭園へ入った。
 広大な庭園の区画を過ぎてゆくうちに次第に駆け足になった。
 そして、とある人物の影を視界に捉えた。
「ソフィア!」
 まだ二人の仲は親密とは言えない。
 ファーストネームで呼び合う仲でもないだろう。
 だが、今、その愛しき名を叫ばずにはいられなかった。
 幸い、彼女は笑顔で迎えてくれた。
「まあ、そんなに慌てなくてもいいのに。お久しぶりね」
「本当に君なんだね。よかった。本当に無事でよかった…」
 カールは目頭が熱くなったが、何とか落涙だけはこらえた。
「ええと、こちらの方は?」
「ノラ・イシカワさん。母と私をずっと守ってくださった、命の恩人です」
「ヤシマ人の?」
 カールがそう訊き返したとき、ソフィアの眉が少し曇った。
 父もカールも蕃人ばんじんのことを嫌っていたからだ。
 だが、杞憂であった。今のカールはレイを他の誰よりも信じているからだ。
 カールはノラの手をしっかりと握りしめ、
「ありがとう! 本当にありがとう! 君たちは真の友人だ! もうどうやって感謝していいのか、僕にはわからない!」
 と感情を露わにした。
「あ、どうも…」
 と困惑するノラがおかしくて、ソフィアは笑った。
「おかしいわね。私の記憶にあったカール・クラウジニウスは、もっとクールな気取り屋さんだったはずだけど」
「え、そっちの方がよかったのかな?」
 ソフィアは首を振った。
「全然。今の方が人間的で素敵よ」

 ティザーン共和国の首都を後にした旅団は再び西へ向かっている。
 ここから先は何もない平原がひたすら続く。早朝に移動を開始し、夕暮れ時までただ進み続ける、そんな日がすでに三日も続いている。
 皇太子一家の馬車は三台あり、一台に皇太子ご夫妻、残りに子供たちが分乗している。
 なお、このところ、次男シュトゥークは自ら馬を操るようになり、乗馬の技術も日々高まっていた。レイが奨めたためである。
 延々と続く同じ景色を眺めるのも、皆、いい加減飽きたころである。
 次女のルーシアは十四歳。まだデリカシーという概念をよく知らない。
「オットーはどうして元気がないの?」
 とつぶやいた。
 それを聞いたオットーは少しムッとしただけであった。
 セシリアは、
「あなたがもう少し成長したら分かるわよ」
 と意味ありげに答えた。
 すると、案外負けず嫌いのルーシアは反論した。
「お姉さま、私、そんなに子供じゃないわ。本当は知ってるのよ。オットーはリリアにフられたんでしょ?」
 オットーは心の殻をさらに強く閉じた。
 ちなみに、これはオットーに限った話ではない。リリアに憧れを抱いていた多くの男性隊員がオットーと同じ思いをしているのだ。

 首都を出てから、いや、首都に滞在のときからであろうか、リリアの様子があきらかに変わったのである。
 以前は、時折、張り詰めた表情をしたり、精神的に不安定なところが見えたが、最近はそれがない。表情は柔らかくなり、声も明るくなった。
 何よりもレイと話し込む回数が増え、そして、その距離が近すぎるのである。
 手をつないだり、抱き合うという、あからさまな行為に及ぶことは今のところないようだが、いい雰囲気で寄り添う姿はよく見かける。
 先日、セシリアはリリアと二人になったとき、
「あなたたち、付き合ってるでしょ?」
 と尋ねてみた。
「まさか! ないないない! ありえないわ!」
 リリアはそう言って強く否定はした。
 確かに、ありえないはずだ。リリアはシャリルの婚約者も同然で、あのレイに、略奪愛を演じるような野獣性があるとはとうてい思えない。
 なお、レイの様子が以前とまったく変わっていないのが、セシリアにとっての救いである。
「いろいろ打合せしているだけよ」
 リリアが逆にほくそ笑んだ。
「セシリアこそ、旅が終わるまでに気持ちを伝えなさいよ! うかうかしてる間に旅は終わってしまうわよ!」
「私はべつに… あなたは案外いじがわるいのね」
 そう言って笑い合った。

 だが、リリアの心は見た目ほど落ち着いているわけではない。
 毎日何度も晩餐の席でレイが発した言葉を思い出しては顔を赤らめていた。
「僕はこの者を妻に娶りたいと願い、この者もまたそれを願っています」
 レイが一体どういうつもりで、それを言ったのか、その真意を確かめたいと思うのだが、いざとなると口に出すには、あまりにも恥ずかしい。

 さて、レイは変わらずである。
 時に深く考え込み、馬を休める間は読書をし、たまにシュトゥークと剣術の稽古をする。
 強いて変わった点を挙げるとするならば、一人もしくはシュトゥークを伴って偵察に出ることが多くなった。
 何かよからぬ予兆を察知しているのかもしれない。
 リリアが訊ねると、
「予兆はないよ。しかし、何か起こるとしたらこれからだからね」
 と、穏やかならざることを、平然と言った。
 レイの予感は当たる。
 そんな気がしてならないリリアであった。


 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

南洋王国冒険綺譚・ジャスミンの島の物語

猫村まぬる
ファンタジー
海外出張からの帰りに事故に遭い、気づいた時にはどことも知れない南の島で幽閉されていた南洋海(ミナミ ヒロミ)は、年上の少年たち相手にも決してひるまない、誇り高き少女剣士と出会う。現代文明の及ばないこの島は、いったい何なのか。たった一人の肉親である妹・茉莉のいる日本へ帰るため、道筋の見えない冒険の旅が始まる。 (全32章です)

47歳のおじさんが異世界に召喚されたら不動明王に化身して感謝力で無双しまくっちゃう件!

のんたろう
ファンタジー
異世界マーラに召喚された凝流(しこる)は、 ハサンと名を変えて異世界で 聖騎士として生きることを決める。 ここでの世界では 感謝の力が有効と知る。 魔王スマターを倒せ! 不動明王へと化身せよ! 聖騎士ハサン伝説の伝承! 略称は「しなおじ」! 年内書籍化予定!

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...