特別な人

鏡由良

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特別な人

特別な人 第220話

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 慶史達が部屋を出て行ってもう30分以上経っているのに、瑛大は一向に現れなかった。
 罵倒される覚悟をしていた僕はそろそろ怯えながら待つのにも疲れたと身じろぎ、外の様子を窺うためにベッドから降りてドアへと近づいた。
 ドアを開けることはできないけど、声を拾うために耳を押し当てたら、扉は予想以上に冷たくてびっくりした。
 思わず身体を離す僕。でもドアの向こうから声が聞こえたから、冷たいのを我慢してまた聞き耳を立てた。
「これからどうする? 正直、マモもヤバいけど向こうもヤバそうだし、早く何とかしないと不味いだろ?」
「そんなこと改めて言われなくても分かってるから。ていうか、そもそも俺に聞くな。だいたい俺は葵のためならともかく、あの人のためになんて一ミリだって動きたくないんだからな」
 少し聞き取り辛かった声が徐々に鮮明になって、ドアのすぐ向こう側から聞こえるようになる。
 どうやら慶史達は別の場所で瑛大と話をしてきたみたいだ。
「それはまた今度じっくり聞いてあげるから、今はとりあえず二人がもう一度話せるようになるにはどうしたらいいか考えようよ」
「そうだそうだ。だいたいさ、失恋で死ぬとかバカみたいじゃん」
 慶史を窘める朋喜の後に続いた悠栖の言葉は、僕の心を傷つける。
 僕にとってはとてもとても大事な想い。でも他人から見たら『たったそんなこと』と言われるもの。
 理解してくれる人は少ないかもしれないと思っていたけど、実際に声に出されるとショックは想像以上に大きかった。
「本当、悠栖はデリカシーないよね。そんなんだから上野君からも絶交されるんだよ」
「! なっ、それ今関係あるか!?」
「大ありだよ。相手にとって何が大切かなんてその人以外に分かるわけないでしょ。もし僕が悠栖に『サッカーなんかのために夜更かしとかしてバカみたい』って言ったらどう思う? 嫌な気持ちにならない?」
「! それは……、なる、けど……」
「でしょ? 僕にとって価値のないモノでも悠栖にとって価値のあるものは沢山あるし、逆もそう。もちろん葵君にだって慶史君にだって人に理解されないけどそれぞれの中で大事なものは必ずあるんだからね?」
 分かった? って凄まれただろう悠栖は、声を小さく謝ったみたい。
 謝罪の言葉は聞こえなかったけど、慶史が「謝るよりも同じこと言われないように気をつけろ」って言ったから。
「うぅ……。わ、分かったよ……。そんな怒んなよ……」
「怒るに決まってろうだろうが。今の言葉を葵が聞いたらどう思うかとかお前全然考えてなかっただろうが」
 本気で怒っているからか、慶史の口調はいつものおちゃらけたそれとは違っていて、聞いているだけの僕ですら気圧される。
 でも、怖いというよりも僕のことを考え、守ろうとしてくれる親友に深い敬愛の念を覚えた。
(なんで僕達、『友達』なんだろう……)
 お互いを大切に思い合っているのに、僕達が育む愛は『友愛』以外にない。
 僕は、慶史を好きになれたら今のこの苦しみから解放されるのにと考えてしまった。
 考えて、とても自分勝手で失礼な考えだとすぐに気づいて、自己嫌悪に襲われる。
(僕がこんな嫌な奴だから、だから虎君は振り向いてくれないんだ……)
 僕があまりにも我儘で子供だから、だから『弟』にしかなれないんだ。
 慶史も悠栖も朋喜も、みんな僕のことを考えてくれているのに、それなのに僕はこんなにも逃げることばかり考えてしまっている。
 たとえ他の誰かを好きになれたとしても、相手を思いやれないのならそれは『愛』とは呼べない。
 そう。僕はこんなにも幼く、相手を想いやるには子供すぎる……。
 深い自己嫌悪に沈む僕の感情は不安定すぎて、込み上がってくる涙を堪えることができない。
 思わず鼻を啜った僕は、しまったとドアから身を引いた。
(今の、聞こえた……?)
 ドアの向こうに居る慶史達に僕が盗み聞きしていたことを知られたかもしれない。
 焦る僕は、三人の様子を窺うためにもう一度ドアに聞き耳を立ててしまう。
「とにかく、悠栖は今度失言したらその度に上野に話しかけるペナルティをつけるとして、葵のことを考えよう」
「ちょ、ちょっと待てよ! なんだよそのペナルティ! 俺にだけ厳しすぎねぇ!?」
「悠栖にだけ厳しいって言うか、悠栖にしかペナルティないけどね」
「! ホントだ!!」
 ふざけんなよ! って怒鳴る悠栖を宥めるのは慶史じゃなくて朋喜。
 落ち着きなよって悠栖を宥める朋喜の声は、「慶史君」って続いた。
 でもそれ以上言葉は続かなくて、僕は本能的に『まずい』と思った。
 思って、踵を返すと僕は足音を殺して急ぎベッドへと戻ると、そのまま布団をかぶってぎゅっと目を閉じ寝たふりをした。
 僕が目を閉じるや否や、ドアが開く音が聞こえる。
 近づいてくる足音は一つ。
 ドキドキと早く鼓動する心臓の音を聞きながら、僕は体が震えそうになるのを耐えてシーツを握り締めた。
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