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第九章【紡ぐ言葉】

第四十九節 紡ぐ言葉

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 川で釣り上げた魚を焼いて食べ終わり、片づけも終えてから少しして――。

 ハルとビアンカは、ファーニの丘の高台――リベリア公国領の見事な景色が一望できる場所に、隣り合って腰掛けながら談笑をしていた。

 その脇には、メイド長のエマと、その下で働くメイドの――アメル、エミリア、リスタたちが準備をしてくれた携帯用のポッドに入った紅茶と茶菓子が置かれており――、食後ののんびりとした穏やかな時間を、ハルとビアンカは仲睦まじく過ごしていたのだった。


「ところでさ、ハル……」

「ん? なんだ?」

 ビアンカが不意に切り出してきた話に、ハルは耳を傾ける。

「ハルってさ。――好きな女の子とか、いるの?」

 身体を傾けてハルの顔を覗き込むように問いかけてきたビアンカの言葉に、ハルは思わず噴き出しそうになった。

「お前なあ……、なんでいきなり、そういうことを聞く?」

 ハルは噴き出しそうになったのを何とか堪え、ビアンカに抗議じみた目を向ける。

「んー……、興味があったから……?」

 ハルの抗議の声に、ビアンカはシレッとした様子で答える。

 ――そう。ただ興味があっただけ。ハルが想いを寄せている誰かがいるのかが……。

 ビアンカは心中で――、言い訳のように思う。

 常にかたわらに寄り添い――気の置けない親友のように振舞うハル。
 ビアンカが寂しさや悲しみに暮れる時には慰め、危ない目に合いそうな時には己の危険をもかえりみずに行動を起こして助けてくれる存在――。

 ビアンカは自分自身が、そんなハルに対して――、恋心のような淡い感情を抱いていることを自覚していた。

 ――ハルはどうなんだろう? 誰か好きな相手とかいるのかな……?

 それがビアンカには――、とても気掛かりなことであったのだった。

「……いることは、いるぞ。の片想い――だけどな」

 ハルはどこかバツの悪そうな表情で、自身を覗き込むビアンカから目を逸らし、頭を掻きながら答える。

 ハルのその返答にビアンカが一瞬だけ眉をひそめたことに――、ハルは気が付かなかった。

「……そっか。片想い、なんだね」

 思いもかけていなかったハルからの返答に、ビアンカは困ったような笑みを浮かべる。
 そして、ビアンカは自身の胸がチクチクと痛む感覚を覚えていた――。

(――ああ……、他に好きな子がいるんだなあ。そんな雰囲気見せたことなかったけど……、誰なんだろう……)

 ウェーバー邸の使用人の誰かか、リベリア公国の城下街にいる子なのか――と、ビアンカはハルの片想いの相手が誰なのか思いを馳せる。
 そんなことを考えながら、ビアンカは胸の痛みが大きくなっていくのを感じていた。

「その子には、まだ何も言っていないんだ?」

 ビアンカは首を傾げ、ハルに更に質問を投げ掛ける。

「ああ。俺なんかが告白とかしても――、困らせちまうのはわかっているからな……」

「えー?! そんなこと考えている内に、他の男の子とかに取られちゃうかも知れないじゃない?!」

 ビアンカは胸の痛みを感じつつ、極めて明るく振舞う。

 ――好きな子がいるなら、せめて応援してあげよう。

 それが――、ビアンカの行きついた答えだった。

「いや……、そんなこと言ってもな……」

 ビアンカの焚きつけるような言葉に、ハルは苦笑する。

「他の男の子に取られちゃう前に――、自分の気持ち、ちゃんと伝えないと駄目だと思うなあ」

 応援しようと心に決めても、ビアンカの胸中は大きな痛みを伴っていた。
 それでも、ビアンカは明るく気丈な振る舞いをハルに見せる。

 そんなビアンカの言葉と様子に――、ハルは困ったようにしつつも考えを巡らせた。
 そうして、ビアンカがハルの“片想いの相手”が――ビアンカ自身であるということに気が付いていないと、ハルは察したのだった。

(――他の男に取られる可能性……か。大いにある……、いや、寧ろその可能性しかないんだよな……)

 ハルはビアンカの言葉に、以前ヨシュアと話をした内容を思い出していた。

 ビアンカは、リベリア公国の将軍――ミハイルの娘。歴とした貴族の家柄の令嬢である。
 それ故に――、先のカーナ騎士皇国への輿入こしいれの話や、騎士の家系出身であるヨシュアに婚約者としての打診が来る。
 この先も――そのような、婚姻に関する話がビアンカには多く舞い込んでくるであろう。

 ――それだったら……。

 ハルは――、意を決した思いを抱く。

「その子だって、ハルが告白してきてくれるのを待って――」

 ビアンカがハルへの諭しの言葉を最後まで言う前に、ハルはビアンカを引き寄せ、ビアンカの唇に自身の唇を重ねていた――。
 それは触れるだけの拙い口付けで――、ハルはすぐさまビアンカから離れる。

 ビアンカから離れたハルの頬は――、耳まで朱に染まっていた。

「――言い出したの、お前だからな」

「へ……?」

 ハルから不意打ちに口付けられ、ビアンカは何が起きたのかわからない――と言いたげな、呆気に取られた表情をしていた。

「好きな子には早く告白してやれって――、お前が言うからっ!」

「え――、えええええっ?!」

 言い訳のようにハルが発した言葉の内容に、ビアンカも頬を朱に染め、素っ頓狂すっとんきょうな声を上げた。

「それじゃ……、ハルの好きな子って……」

 ハルと同様に耳まで真っ赤に染めたビアンカは、改めてハルに問いかける。

 ビアンカの問いかけの言葉に、ハルは頷いた。

――、ずっとお前に惹かれていた……」

 ハルは身体をビアンカに向け、真っ直ぐにビアンカを見据えて口にする。

(そう……。――、。あの時から――、ずっと……)

 ビアンカを目にしつつ、ハルは――、自身のとある過去を思い出していた。

 ハルが幼かった頃――、故郷の里近くの森で道に迷い、魔物に襲われそうになっていたところを助けてくれた一人の女性の存在を――。
 亜麻色の長い髪をなびかせ、翡翠色の瞳に深いうれいを湛えた――棍使いの女性。

 ハルは、その女性が――ビアンカであると、確信していたのだった。

「――俺は……ビアンカ。お前のことが、ずっと好きだった。ずっとお前のことを想っていた……」

 ハルは真剣な眼差しをビアンカに向け、言う。

「……私も、ハルのことが大好きよ」

 ハルからの思ってもみなかった自身への告白に、ビアンカも嬉しそうに微笑みを浮かべ返していた。

「ずっと傍にいてくれて……、優しくて頼りがいのあるハルに、惹かれていた――」

 ビアンカは一度言葉を区切り、伏し目がちにして視線を落とす。

「だけど……、そんなことを言っちゃったら、きっと傍にいられなくなると思って、言えなかったけど……」

 ハルとビアンカでは身分が違いすぎる――。
 そのことを二人とも自覚していたため、互いが互いを想い合っていることを、今まで口にすることができずにいた。

「それは……、俺も同じだよ。だから――、ずっとこの気持ちは隠しているつもりでいた」

 ハルもビアンカと同じような思いから、ビアンカへの好意は口にせずにいた。
 だので、ハルは――ただ、ビアンカのかたわらにいて、彼女を守る存在でいようと思っていたのだった。

 だけれど――、一度口に出してしまうと、ハルは肩の荷が下りたような気持ちを感じる。

「ビアンカ……、もう一回――良いか?」

 ハルは言いながら、ビアンカの肩に手を置き、彼女の身体を引き寄せた。

 そのハルの言葉が意味することを察したビアンカは、恥ずかしそうに頬を染め上げ――、小さく頷く。

 ビアンカの頷いただけの返事にハルは微笑み、ビアンカを抱き寄せる。
 そして、ビアンカの唇に自身の唇を――今度は触れるだけの拙く短いものでなく、優しく重ねていた。

 ハルは抱きしめているビアンカの身体の温かさ、女性特有の柔らかさ――。そして、年頃の少女らしい初々しい反応を余すことなく感じるのだった。

(――ああ……。”が、こんな形で実るなんて思わなかったな……)

 ビアンカに優しく触れながら、ハルは心の片隅で感慨深げに思っていた――。
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