異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第4章:春、ダンジョン都市にて

第23話:私を抱きしめて(離して)

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「レイさん、大変なことが起こっています!」
「どうしましたか?」

 レイが薬剤師ギルドと契約した翌朝、冒険者ギルドの次に薬剤師ギルドを覗いた一行に、ダーシーが鼻息を荒くしてまくし立てました。

「全然眠くならないんです! すごいですよ、これ!」
「眠くならない?」

 ダーシーは昨日のこの時間、レイが渡した体力回復薬を飲みました。一二時間ほど経てば猛烈な眠気があると聞いていたので、帰ってからすべてを終わらせて寝る準備をしたのですが、まったく眠くなりませんでした。そして眠気がないまま朝になりました。出勤してくると、ギルド長も含めて飲んだ全員が眠気がなかったと報告したのです。

「二四時間も経つのに眠気がこないということは……レイ、ということではないですか? 無理やり減らそうとしましたからね」
「あー、その可能性を忘れてたな」
「そうだね。頑張ったもんね」
「どういうことですか?」

 レイたちは回復していることを確認するために、意図的に体力を減らしていました。レイは町の外に出て人がいないあたりまで来ると、魔物を重し代わりに担いで全速力で走り回りました。そうして体力を二桁まで減らしてから回復薬を使ったのです。
 サラとシーヴも話を聞くと体力を減らしに出かけ、そして夕方になって二〇倍の濃縮タイプを飲みました。
 昼間はそうやって走ることができますが、夜は難しいでしょう。だからベッドで頑張って体力を減らし続けました。
 つまり、無理やり体力を減らそうとしたので一二時間で効き目が切れた可能性があります。普通にしていれば、もっと長く続くのかもしれないということです。
 さすがにベッドでの云々うんぬんは言いませんでしたが、効き目の確認のために無理やり体力を減らしていたとレイは伝えました。

「なるほど。私たちは普通に仕事をしていただけですので、丸一日以上続いていると」
「そうなのかもしれないということです。そのまま普通に働いてどれくらい続くのか、もしよければ確認してもらえませんか?」

 図々しいお願いだとレイは思いましたが、そういうことを喜んでやってくれる貴重な被験者がここにはいるわけです。データを集めない理由がありません。

「それは大丈夫だと思いますよ。何が起きているのかと、ギルド長以下、あの薬を飲んだ人たちが話し合っていま

 そこまで口にしたとき、ダーシーの膝が折れました。慌ててレイが体を支えます。

「あえ? もーつなねむけってこかな? あー、いさん、よろく~」
「ダ、ダーシーさん?」

 急に呂律が回らなくなったダーシーが、レイに抱きつくようにして寝てしまいました。レイが声を上げたので何があったのかと立ち上がった職員もいましたが、薬のことは他の職員たちも聞いていたようです。年長の女性職員がカウンターから出てきました。

「奥に医務室があるので、そこへ連れていってください」
「わかりました。ギルド長たちも同じことになっているかもしれません」
「あ、そうですね。確認させます」

 ダーシーを抱き上げたレイは、そのままお姫様抱っこをして、ギルドの中にある医務室に連れていきました。

 ◆◆◆

「えーっと……」

 レイがダーシーをベッドに寝かせたところ、彼女の指がレイのマントをガッシリとつかんでいました。指を外そうとしますが、意地になっているかのように全然外れません。急ぐ必要もありませんが、今日はグレーターパンダ狩りの予定でした。

「今日は私たちだけで狩ってもいいけど?」
「そうですね。レイはここにいてあげてください」

 ラケルもうなずいています。

「……そうだな。無関係じゃないからな」

 無関係どころか、最大の要因ですね。マントを脱げば出かけられるでしょうが、今日のところは付き添うことにしました。他に回復薬を飲んだ人たちのことも気になるといえば気になるからです。

「それでは、いつもの時間くらいには戻ります。お泊りするなら連絡してくださいね」
「終わったら換気はするようにね。あと【避妊】は忘れちゃダメだよ」

 冗談を言って部屋を出ていく二人とラケルを、レイは苦笑しながら見送ります。

「この子は独身だからデキても問題はないわよ。いい年なんだから、むしろデキたほうがこの子のためよね。誰もここには入れないようにしておくから、いただいちゃったら? ズボンを下ろしてあげようか?」

 ハイナという名前の女性職員が、レイのベルトに手をかけながらそんなことを言いました。たしかにレイはダーシーに覆いかぶさるようにしていますからね。

「だから冗談を真に受けないでください」
「でもね、安産型のいい腰よ、これ。先輩としては、そろそろいい人を見つけてほしいのよね」

 女性職員にからかわれながらレイはマントを脱ぎます。ようやく腰を伸ばせるようになると、部屋にある椅子に腰かけました。

 ◆◆◆

「う~ん……」

 レイが遅めの昼食をとりおえたところでダーシーが寝がえりをうちました。

「……いい匂い……あれ?」
「ダーシーさん、大丈夫ですか?」
「はい。ここは……私……とレイさんの愛の巣ですか?」
「いえ、単なる医務室です」

 ダーシーはまだぼんやりとした様子で室内を見回しています。

「あー、思い出しました。倒れそうになったところでレイさんが私を強く抱きしめてくれたんですよね」
「いえ、支えただけで抱きしめてないですよ」

 そんな話をしていると、近くの部屋でも物音が聞こえるようになりました。

「あれからどうなったんですか?」
「俺がダーシーさんをここに運んでしばらくしたら、奥から続々とこっちに運ばれてきましてね」

 医務室というのは薬が置いてある部屋のことです。一つだけベッドがありますが、それも横にならせて治療するためのものですね。だから他に寝てしまった人たちは近くの部屋に毛布などを敷いて、そこに寝かされているとレイは説明しました。

「あれから六時間ほどですね」
「そうですか。すっごい眠気がきて、あれっと思ったら今でした。頭はスカッとしていますね」

 ぎゅるるるるる……

 ベッドから起き上がったダーシーのお腹から豪快な腹の虫が聞こえました。お腹もスカッとしてしまったようです。

「ダーシーさんも食べます?」
「いいんですか?」
「たくさんありますからね」

 レイはカレーを取り出しました。

「んんっ? この香りはさっきからしていたものですよね?」
「カレーという名前の、スパイスをたくさん使う料理です。嗅いだことのある匂いが入ってるはずですよ」
「そう言われてみればたしかに」

 マーシャはカレーにスプーンを入れると、そのままカレーだけを口に入れました。そしてモゴモゴと動かします。

「けっこうな種類のスパイスが使われていますよね? クミン、トウガラシ、コショウ、ショウガ、ニンニク、クローブ、シナモン……カルダモン? それくらいですか?」
「あとはフェヌグリークとコリアンダーシードですね。食材としてはタマネギを使っています」

 レイが答えると、ダーシーは皿の中をじっと見ました。

「全部当てるのは無理でしたか」
「でも、よくそれだけわかりましたよね?」
「私は食い意地が張っていますので。すみません、おかわりをもらってもいいですか?」

 そう言いながらダーシーは皿を差し出しました。

「同じものもなんですので、これをどうぞ」
「これは揚げ物ですか?」
「はい。別の種類のカレーがパンの中に入っています」

 これは白鷺亭のモンスが作ったものです。彼は来年結婚予定で、結婚後は独立して屋台を始める予定でした。屋台というと肉串やスープなどが多くなりますが、カレーのことを知ってカレーパン屋をやりたいと考えるようになりました。それでサラからカレーパンの作り方を教わり、現在勉強中です。
 カレーパンを作るために必要なコツは二つあって、一つは生地で、もう一つは揚げる際のちょっとした注意です。特に見た目を重視するなら、底に沈んたパン粉を毎回きれいに取り除くくらいでしょうか。二回くらいまでは問題なくても、何度も揚げていると、カレーパンに黒いカスが付くようになります。

「ふんふん、これも美味しいです」
「知り合いが来年あたりに店を始めようかと考えているそうです」
「すぐにでもいいんじゃないですか? これなら絶対に売れますよ」

 カレーの話をしていると匂いに釣られたのか、次々と人が集まってきました。寝ていた人たちですね。

「レイ殿、何やらいい匂いをさせてるじゃないか」
「食べますか? でも食器が足りないんですよ」

 カレーとライスはあるものの、食器が足りません。

「そこらへんにあるものを使えばいいさ」

 ヘザーは棚を指しました。たしかにそこには色々な道具が置いてありますね。実験とかに使いそうな道具が。

「これでいいならいいですよ。どうぞ」
「きちんと洗って戻せば問題ないね」

 レイは細かなことは考えないようにしました。

「ところでね、レイ殿。これはカレーって料理かい?」
「そうですよ。カレーも種類が多いので、その一つです」
「そりゃまあ、地域によって少しずつ違うだろうね」

 酒場の定番メニューであるキャタピラー炒めも、地域によって使う調味料が違っています。このあたりではお酢も使われています。そのおかげでサッパリ風味です。

「ヘザーさんは食べたことがあったんですか?」
「だいぶ前に王都にいたころにね」

 レイとヘザーが話をしている間、職員たちはカレーを食べながら成分の分析をしています。何かの薬品を加えている人もいます。

「ヘザーさんに聞きたかったんですけど、こういう形の薬草を見たことはありませんか? スターアニスという名前なんですが」
「この形は……ダーシー、去年これが届いてなかったかい?」

 レイが絵を描いた紙をヘザーはダーシーに見せました。

「ありましたね。こもった甘い香りが苦手だという人が多かったですね」
「アンタはこれを知ってるのかい?」
「ちょっとだけですけどね。胃薬や痛み止めに使われると聞いたことがあります」

 スパイスの多くは生薬としても使われます。

「ダーシー、料理代としてこいつを探して渡してやりな」
「わかりました。準備してきますね」

 ダーシーは医務室を出ていくと、一〇分ほどしてから袋をいくつか持って戻ってきました。

「レイさん、これが先ほどのです。それから、こういうのも一緒にあったんですが、知っていますか? これも独特な香りがするんですが」
「これは……」

 レイは袋を開けて中を確認します。コショウのような粒状のものを手に取ると、それを顔に近づけました。

「やっぱりホアジャオですね。これにも胃を元気にする働きがあるそうです。この二つはスパイスとしても使えます」

 ホアジャオは花椒とも呼ばれ、四川料理でよく使われます。スッとした香りと痺れるような辛さが特徴ですね。

「これで何か作れるかい?」
「匂いが苦手な人が多いってダーシーさんが言ってましたけど、いいんですか?」
「苦手だろうがどうだろうが、ここにいるやつらはそれでも口にするよ」
「そうですか」

 苦手な香りだからと嫌うことはないようですね。好奇心が勝ってしまうようです。

 薬剤師ギルドにはスターアニス(八角)っぽいものとホアジャオ(花椒)っぽいものもありました。そこにシナモン(桂皮)とクローブ(丁子)とフェンネル(茴香)を加えて五香粉ができました。台湾料理には欠かせませんね。いちばん有名な料理はルーローファンでしょうか。
 五香粉という名前ですが、スパイスの数はこの五種類でなければならないわけでありません。定番は上の五種類ですが、他にも一部をマンダリン(陳皮)やナツメグ(肉荳蔲)、カルダモン(小荳蔲)、ショウガ(生姜)などに入れ替えたり、あるいは追加したりすることもあります。
 ちょうど乳鉢もあることなので、レイはさっそく五香粉を作ることにしました。

「これはまた、独特な香りだね」
「好き嫌いがはっきりと分かれると思いますよ」

 五香粉の独特な香りはスターアニスが使われているからです。五香粉が苦手な人は、この甘い香りがありながら苦味が感じられるところに原因があるでしょう。

「ほほう、シンプルな肉炒めかい」
「はい。やや甘めの味付けが合うと思います。わずかに苦味がありますので、ベースは濃いめにするのがいいですよ」

 オイスターソースも醤油も味醂もありません。レイは甘辛ソースを出しました。風味としてはテリヤキソースですね。そこにトンカツソースを少し加えます。

「この味付けにはライスが合うと思います。単体でも悪くはありません。パンに乗せたことはありません」

 レイは乳鉢に入れたライスに乗せて混ぜてみました。そのまま食べる人、ライスに乗せる人、ライスに混ぜる人、パンに乗せる人がいます。

「これは屋台向きの味じゃないですか?」
「ライスに味付けをしたらだめですか?」

 いつの間にか料理番組の質問コーナーのようになりました。レイは自分の記憶の中にあるスパイスの使い方と合わせて、知っている限りのことを話します。

「レイ殿、このレシピを売らないかい?」
「レシピですか?」
「ああ。誰かが使えはそのうち広がる。その前に『うちが最初だ』とアピールしておくのさ」

 特許という考えはありません。誰かが最初に思いつきますが、そのうち誰かが真似をします。そうやって広がっていくものです。レイが以前に見つけた「甘辛ソース」という名前のソースですが、レイたちはこれを自作して手を加えています。だからお金になると考えた誰かが、この五香粉をすぐに真似して作るだろうと。

「薬剤師ギルドが最初に作ったと主張しておけば、ある程度は抑えが利くのさ」

 薬草類に関しては薬剤師ギルドが一番上にある組織です。はっきりとしたブランド戦略があるわけでもありませんが、しばらくはありがたがられるだろうということでした。

「ていうかさ、レイ殿。アンタ、うちの顧問にならないかい?」
「顧問ですか?」

 レイにはギルドに顧問がいるという話は聞いたことがありません。顧問や参与というのは、元政治家が助言や監督を行ったというていでお金を受け取るための方便ではないかと、前世の知識で考えてしまいます。

「枠が空いてるんだよ」
「枠があるんですか?」
「ああ、ここにはね。そもそもアタシが顧問からギルド長になったからね」

 ギルド長の任命権は領主にあります。ヘザーを領主にしたのは前の領主です。つまり、顧問としてギルドに放り込み、折を見てギルド長に据えるわけです。

「俺はギルド長にはなりませんよ」
「アンタならトップに相応しいと思うんだけどね」
「いや、俺は自分が動いてしまいますから、上には向きませんよ」

 自分がやったほうが早いと思ってやってしまうと、なかなか部下が育ちません。日本時代はそれで少し苦労した経験のあるレイです。シアトルにあるアメリカ支店では上も下も関係なく働いていたので気分が楽でした。この国では平民同士ならざっくりとした話し方で大丈夫なので、アメリカに近いといえば近いでしょう。

「まあ、無理にとは言わないさ。気が向いたら言っとくれ」
「期待しないでくださいよ」

 レイはもらったスターアニスとホアジャオ、そして作った五香粉の一部を薬瓶に入れると帰る準備をするのでした。
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