ドラゴネット興隆記

椎井瑛弥

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第六章:領主三年目、さらに遠くへ

馬車にて

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「ノルト辺境伯、しばらくは馬車の中にいるつもりでおります」
「承知しました。何かあれば侍女に伝えさせてください」

 昼の休憩の際にビアンカ殿下は俺にそう言った。さすがにずっと王城にいるのは気が引けると。殿下はレオナルト殿下に似て責任感がある。それだけではなく、ようやく王都から出られるようになった最初の遠出なわけだ。

 王族というのは自由がないと言われる。国のために生きるというのが基本だとレオナルト殿下も仰っていた。殿下は軍学校に入っていたが、あれはギリギリのところだったのだろう。大公派の貴族の子女も多かった。ただし貴族本人ならともかく貴族の子女が殿下を手にかけるということは考えにくい。一応学校内には見張りも護衛もいたのだから。どちらかと言えば自分たちの派閥に取り込むことを考えていたようだった。

 ただ王女となるとそのあたりの自由度はかなり下がるので、信用も信頼もできる一部貴族の娘としか付き合いがなかったそうだ。そのビアンカ殿下の初めての遠出が結婚のためだというのもなかなか大変なものだ。そう考えればマルツェル王子もエヴシェン王も善人なのは救いだ。

「ですが馬車というのがこれほど大変だとは思いませんでした」
「けっして乗り心地がいいとは言えませんからね」

 馬車は尻が痛くなる。馬でも最初は似たようなものだが、そのうちに慣れてくる。馬の動きに合わせることができるからだ。だが馬車はどれだけ平らな場所を走っても常に振動が伝わる。石を踏めばガタンと跳ねる。だから俺はできれば馬車には乗りたくない。

「マリーナは大丈夫か?」
「大丈夫」

 マリーナは俺の前に乗っていた。なぜ前か。後ろにいると前方が見えないからだそうだ。一応王女殿下の護衛の護衛のような役割を彼女には頼んでいる。

「もっと乗りやすいように改善することはできないのですか?」
「現在うちの領地では試験的に作ったものを試しているのですが、手間がかかるためになかなか増やせないのが現状です」

 ローサとカサンドラが帰省した時、いくつかこちらで役に立つ技術を持ち帰ってくれた。最初から気づいていたが、この大陸にある技術は彼女たちの祖国と比べるとかなり遅れているようだ。それがもたらされるのはありがたい。ただ「簡単に作れるもの」と「どうにか作れるもの」、そして「どうやっても作れないもの」の三種類がある。その中の「どうにか作れるもの」の一つに馬車で使う「バネ」と呼ばれる鉄の部品があった。

 これは鉄の棒をらせん状に巻いたものだ。鉄なので重さがかかれば潰れてしまうが、これを熱してからある程度まで冷まし、それからもう一度熱すると元のらせん状を維持するようになる。ただその温度の調節が難しいらしく、テオとユルゲン、そして火魔法が得意な魔法使いたちを中心にその部品作りが行われている。これが衝撃を受け止める働きをするということだが、俺には詳しいことは分からない。

「やはりこの大陸の外は進んでいるのですね」
「そのようです。我々には想像もできないような技術もあるとか。ただそのままこちらで使えるわけでもないらしく、使えるのは馬車の技術など、ごく一部だけのようです。いずれ王家に献上したいと思いますが。

 ローサは「便利は便利よね」と言っていた。よく分からないが、便利すぎても問題があるのだろうか。



◆ ◆ ◆



 王都を出て二日目以降、ビアンカ殿下は馬車にいないことも増えた。これまでろくに王城から出たことのない殿下にとって、馬車で揺られるというのはかなりの負担のようだ。さすがに無理はすべきではないと、当初の予定通り町に到着するまでは王城にいることが多くなった。

「なあ、どうして俺はお前に膝枕をしているんだ?」
「ちょうどいいから」

 今日俺はビアンカ殿下が乗っている馬車の横をロンブスに乗って並走していた。今日は殿下は王城に戻っている。その場合はマリーナが俺の前ではなく馬車に乗る。それは前から決まっている通りなのだが、マリーナが窓から顔を出して呼んだので、俺は馬車の中に移動した。そうしたらマリーナが座席を差した。座れと。この子は口数は少ないが目で物を言うタイプだ。そして座ったら俺の太ももにマリーナが頭を乗せた。そうしたらご満悦な表情で動かなくなった。そして今に至る。

 マリーナは別の大陸からやって来た竜の四姉弟の二番目で次女になる。長女のマリエッテほど運動が嫌いではないが、三女のマルリースほど好きではない。やや好きという程度だろうか。無駄な動きはしない。竜は寝るのが好きだといわれるのはマリーナを見ているとよく分かる。

 そういうわけで俺はマリーナに膝枕をしつつ、することがないので目を閉じてじっとしているわけだが、だまにマリーナがモゾモゾと動くので落ち着かない。

「普通の人間でないのがいい」

 いきなりそのようなことを言われた。普通の人間ではない。まあ少し変わってしまったからな。

「分かるのか?」
「匂いで」
「そ、そうか」

 人と竜は匂いが違うそうだ。マリーナは饒舌ではないので細かいことは分からなかったが、単なる体臭とは違い、人間には人間固有の匂いがあるらしい。エルフにはエルフの、ドワーフにはドワーフの匂いがあるとか。俺の場合はそれが人間とは違うそうだ。

「強い雄の匂い」
「俺はマルニクスよりもずっと弱いんだが?」

 マルニクスはマリーナたちの弟で、末っ子長男となる。竜なので国の一つくらい簡単に滅ぼす力があるはずだが、血を見ることが嫌いだそうだ。だからノルト辺境伯領では荷物の運搬を担当していて、魔物を狩ったりすることは基本的にない。

「でも魔力が多い。目覚めれば私たちよりも強い」
「何に目覚めろと?」
「竜の持つ力」
「俺は生まれは人間だ。カレンに魔力を叩き込まれたせいで少し変質してしまったが」

 目をよく見ると竜の目になっている。竜のめは炎を吐く際に眩しくないように虹彩が二重になっている。自分ではよく分からないが、いつの間にかそうなったらしい。

「それはおかしい。魔力だけじゃなくて他の部分にも竜の特徴がある。そもそも魔力を叩き込まれて目が変わるわけがない」

 珍しくマリーナが饒舌だ。

「それはそうだが、他に心当たりがない」
「おそらくエルマーの一族はどこかで竜の血が入っている。たまたまカレンと知り合ったからその影響と思っただけ」
「俺の母親は遠い大陸から連れて来られたらしいから、その前に入った可能性はある」
「父親の方は?」
「髪が赤くて体がしっかりしているのが特徴だ」
「髪が赤くて体がしっかりしている……。火竜?」
「いや、心当たりがない。俺の知っている火竜はクラースだけだ」
「そう……」

 そう呟くとマリーナはまた喋らなくなった。何かを考え始めたのだろうか。この大陸には竜は他にはいない。大陸の北には竜が暮らす山があると言われるが、あれはクラースのことだ。

「クラースと血が繋がっている可能性はない?」
「どこでどう混じるんだ?」
「竜の寿命を考えたら、子供はいくらでも作れる」
「それはそうだが、クラースが他で子供なんて……」

 そこまで言いかけて、そう言えばかなり前にクラースは人間の女性に手を出したことがあるとカレンが言っていた。それでパウラに締められていたと。もし子供ができていれば? 竜は基本的に手を出した相手は娶るらしい。その時のクラースは相手の女性が身軽でいたいからと言って妻にならなかったそうだ。もしそういう女性が何人かいたとしたら?

「可能性はゼロではない」
「でしょ?」
「ああ。帰ったら俺とクラースに血縁関係があるか確認してみるか」

 あの血縁判定具という魔道具だ。あれで俺とザーラが母子と出たが、それに関しては保留になっている。その件もいずれはどうにかしないとな。

「それよりも、エルマー?」
「どうした?」

 マリーナは寝転びながら真面目な顔つきになった。

「エルマーの雄の匂いが心地いい。ズボンを脱いで。直に感じたい」
「断固として拒否する」

 その後もマリーナからズボンを脱ぐようにと頼まれたが、そのおかげで周囲の護衛騎士たちからおかしな目で見られる羽目になった。
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