ドラゴネット興隆記

椎井瑛弥

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第六章:領主三年目、さらに遠くへ

ビアンカとモラトリアム

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「ノルト辺境伯、お手数をおかけします」
「いえ、ビアンカ殿下が気にされる必要はないでしょう。王都を出ましたらごゆっくりなさってください」
「それはそうなのですが、どうも国民を騙しているように思えてしまって……」

 ビアンカ殿下は血筋としては俺の義姉になる。アルマとナターリエの姉だからだ。だが実際の年齢は俺よりも一つ下。今回の話をする際に、お互いどのように話をしていいのかが分からず、レオナルト殿下に「お前でも困ることがあるのだな」と言われてしまった。実際にビアンカ殿下とはそれほど話をしたことがない。だがこの生真面目さを見るとレオナルト殿下の妹だということがよく分かる。

 ビアンカ殿下はこれから豪華な馬車に乗り、前後を何十台もの馬車に挟まれてシエスカ王国へと向かう。ただし王都を出たら馬車の中からすぐに王城へ移動することになる。殿からだ。

 ビアンカ殿下の嫁ぐ相手はこの国の南にあるシエスカ王国、そこの王太子マルツェル殿下だ。シエスカ王国はマルクブルク辺境伯領の東にあるバーレン辺境伯領のさらに南にあって、かなり遠い。シエスカ王国とはそこまで関係は悪くないが、それでも何があるか分からない。盗賊団が動き始めているという話も入っている。今回の結婚に反対する勢力があるかもしれない。ということでまた俺に仕事が割り当てられた。それが殿下の護衛なわけだが、ただその話が出てからここまでの間に転移ドアが完成した。これで様々な点が変更になった。

 当初は俺とカレンが殿下の馬車に同行し、必要に応じてカレンに盗賊団を燃やしてもらおうと思っていた。だが転移ドアができればそもそも殿下が馬車で移動する必要はない。ドアを通り抜ければいいだけだからだ。ただ殿下の馬車が移動するとなると、その領地の貴族に挨拶することになる。それは王女として最後の仕事になるのでなくすわけにはいかない。それに大人数が移動するとなるとあちこちに金が落ちる。それも無視できない。

 そういうわけでビアンカ殿下には普段は王城にいてもらい、必要に応じて馬車に戻ってもらう。ただ馬車の中が空というのも具合が悪いので、影武者を乗せることにした。それがマリエッテの妹のマリーナだ。

 マリーナはビアンカ殿下と背格好が似ている。それにマリーナがいれば盗賊が一〇〇人現れようが一〇〇〇人現れようが蹴散らせる。それに大人しい性格で、寝ることが好きだ。だから馬車の中で寝ていてもいいと言ったら喜んで引き受けてくれることになった。

 ただ大人しいといっても竜なのは間違いない。彼女たちにとっての人間というのは、人間にとっての羽虫のようなものだ。飛びかかってくれば邪魔なので潰すが、そうでなければどこで何をしていても気にしない。ただし仲間と認めた者に対しては庇護欲と言えばいいのか、守ってやろうという気になるらしい。

 そのような部分はクラースやパウラも同じで、彼らがドラゴネットのために協力してくれたのは俺とカレンが夫婦になったからであって、人間のために何かしてやろうという親切心からではない。ゴール王国との戦争の際にクラースは力を貸してくれたが、あのようなことはあの一度きりのつもりでいる。クラースも陛下に期待しないようにと釘を刺していた。

 マリーナたちはこの大陸に来る前は人の姿になって人の町で暮らしていたらしい。だがそれは竜の姿を見せると怯えられるからだ。祖国はそうではないらしい。だがずっと親元というのも面白くない。そうは言っても竜の姿で外に出れば怖がられる。人と一緒に暮らしたいと思っても、結局人の姿でいるしかなかった。そんな時にローサからドラゴネットの話を聞いてやって来て、あっという間に馴染んだ。町の建設などで力が必要な時は竜の姿になって巨大な石を運んでくれる。大木だって根っ子から引っこ抜けるから開拓工事が早く進む。

 その中の一人であるマリーナは四姉弟の中では一番口数が少なく大人しいが、いくら少女の姿に見えても圧倒的な力がある。炎を浴びれば文字通り骨すら残らなくなる。そのマリーナが協力してくれることになった。

 レオナルト殿下の結婚式の前、俺は一度マルクブルク辺境伯領の領都エルシャースレーベンまで行き、そこから東に向かってバーレン辺境伯領の領都ローターヴァルト、そしてそこから南に向かってシエスカ王国の王都ブラーノまで向かった。一人ならいくらでも無茶ができるので、急ぐだけ急いだという感じだ。

 転移ドアを使うのはビアンカ殿下のためだけではない。どうせ転移ドアを運ぶのなら徹底的に活用すればいい。ビアンカ殿下の結婚式よりも前に両国王や王太子が話し合えばいいのではないか。そういう提案をシエスカ王国側に伝えた。

 最初はバーレン辺境伯領のニューメックで育ったエルザか、ルーコーで育ったカリンナとコリンナに転移の指輪を持って移動してもらおうと思った。だが上手く飛べなかった。どうも記憶が曖昧になると駄目らしい。そのあたりをカサンドラに聞くと、はっきりと記憶があり、そして当時も今もほとんど変化がないというのが大切なんだそうだ。更地に建物が建ったり、森がなくなって畑になったらそこは別の場所になるので飛べないらしい。俺のように頭の中で行き先を選ぶのとは違うそうだ。

 そしてこれは先のことだが、ゴール王国の王都サン=エステルとヴァーデン、サン=エステルとブラーノも繋いでしまおうとの計画がある。要するに国王同士、要人同士が面と向かって話し合う機会を増やそうとカミル陛下はお考えだ。手紙だけでは時間がかかる上に考えの行き違いもある。それで起きた揉め事も面と向かって話し合えば意外に簡単に解決するのではないかと。今後は三国で協力し合えればいいと。そのようなことをこの結婚を機に考えたそうだ。

「では殿下、これより出発いたします」
「よろしくお願いします」

 俺はロンブスに跨がり殿下の馬車の隣を進む。王城の正門から王都の城門までは兵士たちが並んで殿下を送り出そうとしている。もちろんおかしな連中がいないかどうか気を配りつつ。

 王城を出てしまえば、ビアンカ殿下には領主への挨拶がある時以外は王城にいてもらう。必要がある時には転移ドアを使って馬車の中に殿下をお呼びする。よくもまあこんな面倒なことを思い付いてしまったものだ。護衛の兵士や使用人たちの精神的な負担は軽くなるだろうが。
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