ドラゴネット興隆記

椎井瑛弥

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第二章:領主二年目第一部

町の拡張(四):余波

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「旦那様~、真面目にやってますよ~」
「ここですよ~、ここ~」

 アンゲリカの酒場に行くと、二人が頭を突き出した。俺の鳩尾みぞおちに頭突きでもするつもりか? だがこれが挨拶だとすれば、背筋を伸ばしたままきれいに腰を折ったいい挨拶になっている。

 この二人がしているのは、直立した姿勢から腰を折り曲げて頭を下げる略式の挨拶だ。これは主に使用人が主人に対して、あるいは領民が領主に対して、男女ともが日常的に行う礼儀正しい挨拶になる。

 男性の正式な場所での挨拶は、指を伸ばした右手を鳩尾みぞおちの前に持ってきて、右足を引きつつ左手を横に伸ばす。頭が前に倒れないのが綺麗な挨拶と見なされている。

 女性の正式な場所での挨拶は、スカートの端を軽く摘まみながら右足を後ろに引いて膝を曲げる。やはり頭が前に倒れず、上半身が上下に動くだけというのが綺麗な挨拶だと言われる。

 もっともこのような挨拶は舞踏会や晩餐会、あるいは王城ので様々な式典の時くらいのもので、普段はすることはない。

「アンゲリカ、二人の仕事ぶりはどうだ?」

 午後からはずっと二人を見ていただろう。アンゲリカは怒る時には怒る。だから真面目に働いていなければすぐに分かる。

「旦那様、残念ですが真面目です」
「そうか。残念なのか残念でないのか分からないのが不思議だが、まあ店としてはいいことだろう。二人とも、真面目にやっているならそれでいい。今後も手を抜くなよ?」
「「はい」」

 返事はしっかりとできる。仕事もできる。問題は態度……でもないのが難しいな。普段の態度そのものは問題ない。問題があるとすれば俺に対する態度だけか。

 態度も発言も俺以外に対しては問題がないのがややこしい。使用人たちには特におかしな発言はないらしい。触られたこともないそうだ。これは最初からそうだった。

 それならどうして俺にだけこのような態度を取るのか、それがよく分からない。聞いてもはっきりとした答えが返ってきたことはない。なんとなくだそうだ。

 なんとなくで主人の股間を触る使用人がいるのかという話だが、最初から触られていた。最近はさすがに行動が読めるようになったのでそう簡単には触らせないが。

「エルマー様、こんないい子たちはなかなかいないっすよ。真面目だし愛嬌はあるし。ちょっと発言が問題だけど」
「俺としてはその発言が気にかかるんだが」
「俺らだって言葉は悪いっすが、真面目にやってるつもりっす。同じじゃないっすか?」
「そうですよ。いい子たちじゃないですか。胸も大きいし」

 客として来ていた男たちがそんなことを言う。今日に限って何があった? いや、これは何かしたな。

「カリンナ、コリンナ、今日はみんなが二人の応援をしてくれているな」
「普段から真面目にやっているからですね~」
「人柄の勝利で~す」
「ほほう」

 何かおかしな点はないか? ああ、そういうことか。みんなの食事の盛りがいつもよりも多いな。

「なあ、二人とも。みんなの皿に盛られている量が多い気がするが、それについてはどう説明する?」
「え? それは見間違いではありませんか~?」
「いつもと同じですよ~」
「そうか、いつもと同じか」
「「はい」」

 なるほど、これがいつもか。それならこれを通常の量にしようか。

「よし、アンゲリカ。俺は今日の盛りはいつもよりもかなり多いと思うが、今日からずっとこの量を通常の量にしよう。昨日までとの違いで生じた差額はカリンナとコリンナの給料から引いておく。頑張って売って、どれだけの数が出たかを控えておいてくれ」
「分かりました」

 そう言うとカリンナとコリンナが手を振って慌て始めた。

「だだだ、旦那様~? それはちょっと~」
「さすがに懐に痛いかな~と思うのですけど~」

 今さら慌てるがもう遅い。計画が浅い。浅すぎる。子供でももう少し考えるだろう。おそらく昨日の今日で急いで考えたのだろう、そこまでする必要はあったのか?

「これが本当に普段と同じ量なら問題ないはずだろう。普段の量との違いから差額が生まれるからな。アンゲリカ、どうだ?」
「はい、昨日までの量と同じなら全く問題ありませんが、全体的に三割ほど多いですね。ヴルストソーセージは一本多いでしょうか」
「「あう~」」

 ぺこんと項垂うなだれる。

「下手な小細工はしないことだ。真面目にやっていれば頭を撫でると言っただろう。嘘はつくな。人は騙すな」

 そう言って二人の頭を撫でる。量を誤魔化したのはともかく、仕事ぶりは真面目だったそうだからな。

 撫でた瞬間、二人がニパッと笑った。

「旦那様~、ありがとうございます~」
「今夜にでも体で返します~」
「それはいいから真面目に働け」



◆ ◆ ◆



「アンゲリカ、今日のあれは何だったんだ?」
「あれは二人からのお願いでそうしていました。今日は大盛りにしたいと。その分のお金は後日返すからと言われました」
「金は別にいいんだが」

 俺が行った時間が時間だったから、それほど料理が出た数は多くなかったはずだ。あの時間にいた客は少し得をした、ただそれだけだった。

「仕事ぶりは本当に真面目でした。やはり旦那様のことが気になっているようです。あの顔の変化は見ものでしたね」
「あれは急だったな」

 撫でる前の落ち込んだ表情と頭に手を置いた瞬間の笑顔が、まあ陰と陽、闇と光のように対照的だった。

「二人とはこちらでお世話になるようになってからずっと一緒ですが、旦那様以外に懐こうとしたことは一度もありません。本当に何をされたのですか?」
「何もしていないんだがな。そもそもこっちに来る前、あの鍋に乗って移動した時、あの時にはすでに俺を触っていた。何かあったとすればそれよりも前になるが……接点はなかったはずだ。それよりも……」

 俺は今日の件でもう一つ気になったことがあった。

「二人にことは横に置いておいて、そもそも大盛りの許可を出したのは誰だ? これは監督不行き届きと言えばいいのか?」
「あははは。申し訳ありません。できればお手柔らかにお願いします」
「覚悟しろ」
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