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第三章:領主二年目第二部
人違い?(一)
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報告を終えて王城の中庭に戻った。兵士たちが困った顔をしていると思ったら、鍋と国旗を出しっぱなしにしていた。国旗は兵士たちが畳んでくれたらしいが、大変だっただろう。竜の姿のクラースならタオルでも畳むかのように畳んでいたが。
「エルマー、どうする? またこれで運べばいいか?」
クラースは鍋を指してそう言った。ここへ来るまでは俺はクラースの頭の上、ジョゼフィーヌは軍監や役人たちと一緒に鍋の中に入っていた。出入り口を壊しただけなので、そのまま使おうと思えば使える。
「二人だけ入るのもなあ。ジョゼフィーヌを頭に乗せても大丈夫か?」
「角のことか?」
「一応異性になるだろう」
竜にとって、異性に角を触らせることは求愛行動と同じだと見なされる。カレンはその意味を知らなかったが、俺に角を触らせたと聞いてクラースはテーブルの脚で小指を打って悶絶し、パウラは驚きすぎて腰を痛めて寝込んだそうだ。
「そのような意図を持って触らせない限りは問題ない。カレンの時に問題だったのは、自分から触るかと異性に聞いて触らせたからだ」
「それなら二人とも頭に乗せてくれ」
「分かった」
鍋を適当に解体して異空間に入れるとクラースの頭に乗ってドラゴネットに向かって飛ぶ。石はまた石として使い、木材は次の機会があればその時に使えばいい。
◆ ◆ ◆
「たたた、高い高い高い‼ ななな、何とかなりませんか⁉」
しばらくするとジョゼフィーヌが騒ぎ始めた。彼女は騎士だからかよく通る声をしている。しかも女性なので声が高い。足元で騒がれると耳が痛い。高いのは分かるが騒いでどうなるものでもないだろう。ほとんど揺れもしないから大人しくしていれば何の問題もないはずだ。
「喧しい! それ以上騒いだら落とすからな」
「お、お、落ちたらどうなるのですか⁉」
「熟れたトマトを地面に向かって叩きつけたらどうなると思う?」
「絶対に騒がないから、お願いだから落とさないでください。お願いします、お願いします、お願いします」
《自分から落ちようとしない限り落ちることはないぞ》
怯えるジョゼフィーヌにクラースが声をかけた。
「そうなのですか?」
「俺は戦場で落ちかけたが」
《風や寒さは何とかできるが、さすがに慣性までは完全には殺せない。私が大きく頭を動かさなければ大丈夫だろう》
「分かった。それなら動かすなよ?」
《たまに鳥が鼻の中に飛び込むからクシャミが出るが、その時は耐えてくれ》
「待て」
《何かあっても二人くらいなら拾うから大丈夫だ》
下を見るとジョゼフィーヌは真っ青な顔で俺の足にしがみ付いている。向こうの角にしがみ付けばいいのに、怖いからと俺の足元に座り込んで片手で角を、もう片手で俺の膝あたりを持っている。膝がおかしな角度になっているから疲れるんだが……。
人は空を飛ぶことはない。空を飛ぶ[飛翔]という魔法はあるようだが、魔力が尽きて落ちたら危ないのであまり使われていないようだ。
そもそも空を飛んで何か利点があるかと考えたら、実はあまりない。川や壁を越えるのには使えるだろう。だが空に浮かべば問題がなくなる訳でもない。
俺はどうしても戦場でのことを考えるが、戦争の時に空に浮かんだら、まあ単なる浮かんだ的だ。何百本矢が刺さるか分かったものではない。上手く躱したり叩き落としたりしても、そのうち魔力が尽きる。尽きれば落ちる。矢が刺さらないような高さを飛んでいて落ちればどうなるかは簡単に想像できるな。
そう考えると人間は空を飛ぶのには向いていない種族だと言える。竜のように圧倒的な魔力を持っていたり、亜人のハーピーのように自分の羽で空を飛べるようでないと、怖くて飛べたものではない。
そんなことを考えていると、俺の膝を掴んでいた手が離れた。
「落ち着いたか?」
「は、はい。ようやく慣れました」
俺は一度足を伸ばしてから軽く屈伸する。片膝だけ中腰のようになっていたから、少し疲れた。
結局クラースはクシャミをすることもなく無事にドラゴネットまで辿り着くことができた。
帰るのに[転移]を使わず空を飛んだのは、ジョゼフィーヌにノルト男爵領がどれだけ遠いかを見せるためだ。けっして怖がらせて反応を楽しもうと考えていたわけではない。逃げるとは思わないが、距離感を示しておくのは大切だ。
そもそもどうしてうちの領地に連れてきたのかと言えば、ここまで奪い返しには来ないだろうという陛下の判断だ。もしジョゼフィーヌを王都に置いておいて、もし奪還のために隠密部隊でも送り込まれれば面倒だからだ。だから最初からうちにいると明らかにしてしまえばいいだろうと。近いうちにゴール王国に手紙を送ると陛下は言っていた。
何となくうちで騒動が起きそうな気がするが、王都で騒ぎが起きるよりもいいだろうと自分を納得させることにした。
◆ ◆ ◆
城の前でクラースから降りる。色々とあったようなそうでもなかったような、不思議な一週間だった。
「お帰り」
「エルマー様、お帰りなさいませ」
「お帰りなさいっ」
「よくぞご無事でお戻りくださいました」
「ああ、無事に帰った。クラースのお陰だ」
「私は運んだだけだがな」
いや、あの火の玉のお陰だだろう。あれで本陣がほぼ消えた。一度腰が引ければその後は雪崩を打って敗走するだけだった。
「ねえ、その人は?」
「ああ、彼女はジョゼフィーヌという名前で、ゴール王国の指揮官の一人だ。少々事情があってこの領地で預かることになった。貴族の家柄で、本来は捕虜だが、ここでは客人という扱いにする」
そうジョゼフィーヌを紹介すると、彼女は自己紹介をするでもなく、ぼーっと立ち尽くしていた。
「おい、ジョゼフィーヌ、大丈夫か? 酔ったか?」
ジョゼフィーヌは妻たちをじっと見ているようだが、何かあるのか?
「で、で、で……」
「ででで?」
ジョゼフィーヌは何か言おうとしているようだが言葉になっていない。
「ジョゼフィーヌ、本当に大丈夫か?」
「で、で……殿下! どうしてこのような場所に⁉」
「エルマー、どうする? またこれで運べばいいか?」
クラースは鍋を指してそう言った。ここへ来るまでは俺はクラースの頭の上、ジョゼフィーヌは軍監や役人たちと一緒に鍋の中に入っていた。出入り口を壊しただけなので、そのまま使おうと思えば使える。
「二人だけ入るのもなあ。ジョゼフィーヌを頭に乗せても大丈夫か?」
「角のことか?」
「一応異性になるだろう」
竜にとって、異性に角を触らせることは求愛行動と同じだと見なされる。カレンはその意味を知らなかったが、俺に角を触らせたと聞いてクラースはテーブルの脚で小指を打って悶絶し、パウラは驚きすぎて腰を痛めて寝込んだそうだ。
「そのような意図を持って触らせない限りは問題ない。カレンの時に問題だったのは、自分から触るかと異性に聞いて触らせたからだ」
「それなら二人とも頭に乗せてくれ」
「分かった」
鍋を適当に解体して異空間に入れるとクラースの頭に乗ってドラゴネットに向かって飛ぶ。石はまた石として使い、木材は次の機会があればその時に使えばいい。
◆ ◆ ◆
「たたた、高い高い高い‼ ななな、何とかなりませんか⁉」
しばらくするとジョゼフィーヌが騒ぎ始めた。彼女は騎士だからかよく通る声をしている。しかも女性なので声が高い。足元で騒がれると耳が痛い。高いのは分かるが騒いでどうなるものでもないだろう。ほとんど揺れもしないから大人しくしていれば何の問題もないはずだ。
「喧しい! それ以上騒いだら落とすからな」
「お、お、落ちたらどうなるのですか⁉」
「熟れたトマトを地面に向かって叩きつけたらどうなると思う?」
「絶対に騒がないから、お願いだから落とさないでください。お願いします、お願いします、お願いします」
《自分から落ちようとしない限り落ちることはないぞ》
怯えるジョゼフィーヌにクラースが声をかけた。
「そうなのですか?」
「俺は戦場で落ちかけたが」
《風や寒さは何とかできるが、さすがに慣性までは完全には殺せない。私が大きく頭を動かさなければ大丈夫だろう》
「分かった。それなら動かすなよ?」
《たまに鳥が鼻の中に飛び込むからクシャミが出るが、その時は耐えてくれ》
「待て」
《何かあっても二人くらいなら拾うから大丈夫だ》
下を見るとジョゼフィーヌは真っ青な顔で俺の足にしがみ付いている。向こうの角にしがみ付けばいいのに、怖いからと俺の足元に座り込んで片手で角を、もう片手で俺の膝あたりを持っている。膝がおかしな角度になっているから疲れるんだが……。
人は空を飛ぶことはない。空を飛ぶ[飛翔]という魔法はあるようだが、魔力が尽きて落ちたら危ないのであまり使われていないようだ。
そもそも空を飛んで何か利点があるかと考えたら、実はあまりない。川や壁を越えるのには使えるだろう。だが空に浮かべば問題がなくなる訳でもない。
俺はどうしても戦場でのことを考えるが、戦争の時に空に浮かんだら、まあ単なる浮かんだ的だ。何百本矢が刺さるか分かったものではない。上手く躱したり叩き落としたりしても、そのうち魔力が尽きる。尽きれば落ちる。矢が刺さらないような高さを飛んでいて落ちればどうなるかは簡単に想像できるな。
そう考えると人間は空を飛ぶのには向いていない種族だと言える。竜のように圧倒的な魔力を持っていたり、亜人のハーピーのように自分の羽で空を飛べるようでないと、怖くて飛べたものではない。
そんなことを考えていると、俺の膝を掴んでいた手が離れた。
「落ち着いたか?」
「は、はい。ようやく慣れました」
俺は一度足を伸ばしてから軽く屈伸する。片膝だけ中腰のようになっていたから、少し疲れた。
結局クラースはクシャミをすることもなく無事にドラゴネットまで辿り着くことができた。
帰るのに[転移]を使わず空を飛んだのは、ジョゼフィーヌにノルト男爵領がどれだけ遠いかを見せるためだ。けっして怖がらせて反応を楽しもうと考えていたわけではない。逃げるとは思わないが、距離感を示しておくのは大切だ。
そもそもどうしてうちの領地に連れてきたのかと言えば、ここまで奪い返しには来ないだろうという陛下の判断だ。もしジョゼフィーヌを王都に置いておいて、もし奪還のために隠密部隊でも送り込まれれば面倒だからだ。だから最初からうちにいると明らかにしてしまえばいいだろうと。近いうちにゴール王国に手紙を送ると陛下は言っていた。
何となくうちで騒動が起きそうな気がするが、王都で騒ぎが起きるよりもいいだろうと自分を納得させることにした。
◆ ◆ ◆
城の前でクラースから降りる。色々とあったようなそうでもなかったような、不思議な一週間だった。
「お帰り」
「エルマー様、お帰りなさいませ」
「お帰りなさいっ」
「よくぞご無事でお戻りくださいました」
「ああ、無事に帰った。クラースのお陰だ」
「私は運んだだけだがな」
いや、あの火の玉のお陰だだろう。あれで本陣がほぼ消えた。一度腰が引ければその後は雪崩を打って敗走するだけだった。
「ねえ、その人は?」
「ああ、彼女はジョゼフィーヌという名前で、ゴール王国の指揮官の一人だ。少々事情があってこの領地で預かることになった。貴族の家柄で、本来は捕虜だが、ここでは客人という扱いにする」
そうジョゼフィーヌを紹介すると、彼女は自己紹介をするでもなく、ぼーっと立ち尽くしていた。
「おい、ジョゼフィーヌ、大丈夫か? 酔ったか?」
ジョゼフィーヌは妻たちをじっと見ているようだが、何かあるのか?
「で、で、で……」
「ででで?」
ジョゼフィーヌは何か言おうとしているようだが言葉になっていない。
「ジョゼフィーヌ、本当に大丈夫か?」
「で、で……殿下! どうしてこのような場所に⁉」
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