ドラゴネット興隆記

椎井瑛弥

文字の大きさ
上 下
128 / 345
第一章:領主一年目

思い込み

しおりを挟む
 赤髪亭を出て、まずはパン屋に向かう。

 あの店は領主以外が経営する初めての店として建てられたが、建てるのには金を取らなかった。小麦はさすがに無償にはできないので、かなり安価であるが支払ってもらっているし、一応来年からは税を取ることになっている。

 石窯は普通の物で、魔道具ではない。これまでずっと焼いていた方法で大丈夫だと言われた

「この石窯で十分ですよ。魔道具になったら楽にはなるでしょうが、火の具合を見ながら上手く焼けたときは気持ちがいいですからね」
「あまり楽をしすぎると腕が鈍ってしまいますよ」

 リリーとイーリスはそう言った。彼女たちがそう言うならそれでいいか。

「それならいいが、もし新しくしたいならいつでも言ってくれ」
「ええ、その時はお願いしますね」



 アンゲリカの酒場も赤髪亭とほぼ同じだろうが、確認はしておくべきだろう。どんな些細なことでも思い込みというのは失敗の元だ。

「交換の頻度はそれなりですが、予備を用意していただいていますので問題ありません」

 アンゲリカも問題なしか。こちらも魔道具などは赤髪亭とほぼ同じ物を使っている。料理の種類が違えば魔石の減り方も違うが、全体として見るとそれほど減り具合は違わないようだ。こちらの店は営業が午後からだが、客数は赤髪亭よりも多いので焜炉の魔石がよく減るようだ。

「そう言えば、アレンカさんから異国の料理を教えてもらえることになりました」
「なかなか他の国の料理を口にすることはないから楽しみだな」
「はい。いずれラーエルさんとアグネスさんにもレシピをお渡ししますね」

 王都には南西のゴール王国、南のシエスカ王国などの料理を出す店もあった。やはり国によって使う食材も違うため、見た目からしてかなり違った。もっとも入ったのは一度か二度くらいのものなので、偉そうなことは言えないが。

 そしてラーエルとアグネスが作る食事にも多くはないが異国の料理が出ることはある。さすがに大貴族の料理人だっただけはある。それでも手に入る食材には限度があるので、ゴール王国風もどきやシエスカ国風もどきだそうだが。

「旦那様~、私たちも作りますよ~」
「召し上がってくださ~い。私たちも料理と一緒に~」
「お前たち、料理なんてできるのか?」

 この双子は焼くと燃やすの違いが分かっているのかすら怪しそうだが。

「あの……旦那様。実はこの二人、かなり料理が上手です」



 ???



 何かが聞こえた気がするな。

「何かおかしな言葉が聞こえた気がするが」
「残念ながら、この二人はかなり料理が得意です」
「…………本当か?」
「はい」
「……」
「……」



 ふむ。



「たしかに『光っている物がすべて金とは限らない』という言葉がある。その逆もあるだろう。だから……まあ……料理ができてもおかしくはないか。そうだな、そうだろう。だが何が作れるんだ?」
「一晩中元気になる料理ですね~」
「疲れ知らず~」
「そう言うと思ったが、やはりそうだったか」

 二人が厨房に入って手早く作った物は、ガツンとニンニクが利いた熊の肉とナッツの炒め物、すり下ろした山芋とニンニクとチーズに何種類かの野菜とナッツを入れてを焼いた物。本当に精の付く物ばかりだな。

「ニンニクをガツーンと利かせました~。夜もガッツンガッツンといけますよ~」
「壊れちゃいます~」
「……」

 頭が痛くなるような発言と腰の動かし方に顔をしかめてしまうが、とりあえず一口食べてみる。

 ……

 美味い。少しニンニクを利かせすぎだが、最初にそう言っていたからこれが普通なんだろう。だが明らかに俺が作る料理よりもより美味い。

「旦那様にいただかれちゃいました~」
「おかわりされちゃいます~」
「味が分からなくなるからもう少し離れてくれ」
「「は~い」」

 真横にピッタリと立たれてはさすがに食べにくい。だが離れろと言えば離れる。聞き分けは悪くない。ただしじっと見られると食べづらい。ラーエルとアグネスが俺の反応を確認しているのとはわけが違う。ジロジロと見られているだけだ。

「それでだ、美味いのは美味いが、少しニンニクを利かせすぎだ。もう少し抑えた方がいいぞ」
「次はそうしま~す。リクエストも受け付けていますよ~」
「カリンナから~? コリンナから~? 順番ですか~? それとも二人とも一緒に~?」
「普通にニンニクを減らし気味のステーキで頼む」

 腹がいっぱいになってしまった。別に食事に来たわけではなかったんだが。



◆ ◆ ◆



「それで、どうして俺が料理をする話になったんだ?」
「前に一度、いずれ食べさせていただけると聞きましたので」
「そんなことを言った気もするな。店ができた頃だったか」

 そんなことを言いながら俺は肉を切る。作るのはグラーシュ。煮込み料理の一つだ。

 熱した鍋に獣脂を入れ、ニンニクのみじん切り、タマネギの薄切り、カラムキャラウェイを入れてしっかり香りが立つまで炒める。そこに角切りにした肉を入れて焼き目が付くまでしっかりと炒める。この時に二種類以上の肉を使うのが美味いグラーシュを作るコツだ。

 肉がいい感じになったら水と塩を入れ、そこに適当な大きさに切ったジャガイモやニンジン、パプリカなどの野菜、さらにトマトを加えて肉が柔らかくなるまで煮込む。最後にコショウで味を調える。

 俺は肉を二種類使うが、一種類の場合もある。肉ではなくヴルストソーセージシュペックベーコンなどを使う場合もある。この場合も二種類以上使う方が美味いと思う。野菜もニンジンは入れたり入れなかったりするし、酢を入れたり香草を入れたりすることもある。

「旦那様はこれをどこで学んだのですか?」
「学んだわけではなく、小さかった頃にアガーテが作ってくれたものがたまたま軍学校の食堂で出てきたから覚えただけだ。もっと小洒落た料理もあったが、俺にとってはお袋の味だからな」

 アガーテが作るグラッシュはアガーテ風になっているだろうな。軍学校で食べたものとはかなり違っていた。どちらも違って美味かったのは覚えている。

「これはどちらかと言えば家庭料理だと思います。貴族の通う軍学校では珍しいのではないですか?」
「俺のように遠くから王都にやって来た学生も多かったから、故郷を思い出すのにちょうどいい料理だと思うぞ」
「それもそうですね……って、カリンナとコリンナは何をしているのですか?」
「できるのを待ってま~す」
「あ~んしてもらいたいで~す」

 二人揃ってカウンター席に座ってこっちを見上げている。食事を待つ子供かエサを求める鳥の雛だな。



◆ ◆ ◆



「まあそんなことがあったから疲れた疲れた」
「あの煮込み料理ね」
「あれはあれで癖になる味ですね」
「たまに食べたくなりますよねっ」

 今日あったことを食事をしながら話す。アンゲリカとカリンナとコリンナはまだ酒場から戻っていない。

「旦那様、アガーテ様はどこでその料理を学んだのかお分かりですか?」

 ラーエルはグラーシュに興味があるのか? 作ることは少なくても知っているはずだが。

「俺の母親かららしい。父が結婚したのは父が準男爵になってハイデに移ってからで、物心が付いた時には母はいなかったから、その間だな」
「旦那様のお母様はひょっとすると外国の生まれだったのでしょうか?」
「出身は聞いたことがないな。下級貴族の出身だと言われているが、実はミヒャエラという名前しか残っていない。この髪を見たら分かると思うが、父の家系は遠い異国にルーツがあるそうだ。だから母が外から来たということもあり得るな。この話でそんなことが分かったのか?」
「はい。旦那様はグラーシュとおっしゃいますが、グラッシュと呼ばれることが多いのです。グラーシュという言い方をお母様がなさっていたのなら、この国の南部か、さらに南のシエスカ国か、あるいはもっと東の国の出身ではないかと」

 父の記録などは目を通した上で保管しているが、母のことはほとんど何も書かれていなかった。だが……

「この国で結婚したからと言ってこの国の生まれとは限らないか。それで何が変わるわけでもないが……」
「思い込みは危ないってことじゃない? あの二人のこととか」
「そうだな」
「ところで、あ~んはしたのですか?」
「したことはしたがな」
「羨ましいですっ」

 俺が作っていたのはくつくつと煮込まれていたグラーシュだった。寒い時期だから温かいものが美味いな。

「大口を開けて待ち構えていたから希望通りに食べさせたんだが、どうなったと思う?」
「こぼしたとか?」
「むせたとかでしょうか?」
「スプーンを噛んだとかですかっ?」
「アルマがやや近いが、ラーエルは分かるか?」

 使用人としての付き合いが長いから、俺よりもよく分かっていることもあるだろう。

「あの二人なら、おそらくジャガイモを思いっきり噛んで、熱さで転げ回ったのでは?」
「ああ、その通りだ。熱いぞと言ったんだが」
「普段と同じですね。彼女たちらしくて安心しました」
「世の中の大半は想像の範囲内だな」
しおりを挟む

処理中です...