ドラゴネット興隆記

椎井瑛弥

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第一章:領主一年目

繁盛するアンゲリカの酒場

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「はい、猪肉のシュニッツェル、四つです」
「はいよ」

 アンゲリカが料理を作ると店員がそれを運ぶ。もちろんアンゲリカだけで店が回せるわけではなく、調理の補助と給仕を兼ねた店員が常時何人も働いているのだが……

 カチャン!

「なあ、かあちゃん。もう少し丁寧に置けよ」
「アンタもそんな文句を言う暇があったら、冷めないうちに食べちまいな」

 夫が店に食べに来るなら妻は自分の分だけを作ればいい、と言えるほど料理は簡単ではない。一人分だけ作るのも手間なので、結局は二人揃って店に食べに来ることが多い。そしてどうして客が料理を持って来たかと言うと、そのような流れができつつあるからだ。

 もちろん店員はきちんといるが、客が増えてくると店員は注文を取って調理を手伝うので手一杯になる。そこで自分で注文したものを受け取りにカウンターまで行き、確認した上で受け取って帰ってくる。エールなどは金を払って自分でジョッキに注いでくるくらいだ。

 そしていつまでもうちの女中を働かせるわけにはいかないので、店員の数を増やすことにして、調理も接客もできる店員が常時五人になった。開店当日ほどではないが、それでも連日賑わいを見せている。

 店としてはどうなのかと思うが、王都の一流店というわけではなく、田舎町の食堂と考えればこれくらいのものだ。店と客がお互いに助け合うのはよく見る光景だ。しかも主婦の誰かしらが店内にいるので、結果としてはアンゲリカの虫除けにもなっているそうだ。

「アンゲリカちゃん、エルマー様もいるんだから、そろそろ奥で二時間くらいゆっくり休憩してきたらどうだい?」
「いきなり何の話だ。とりあえずエールのお代わりを」
「はい、お待ちください」

 朝から昼すぎまではトンネルを掘り、それからは運河の工事を手伝い、小腹が空いたので軽いつまみとエールを注文してくつろいでいた。俺の店だから満席でも入れるし、カウンターのところで立って飲んでいるからそれほど邪魔にはなっていない。

 ついでに言うと、みんなが忙しそうに働いている中、アンゲリカをそこの小部屋に連れて行って楽しむほど俺は神経が図太くない。妻が全員妊娠したので、結果としてアンゲリカとするのは夜になっている。ここは王都ではないので、この店もそこまで遅くまで開けているわけではないからだ。

「エルマー様、酒場はここだけですか?」
「もう一、二軒くらいあってもいいんじゃないですか?」

 主婦たちがそのように聞いてくる。

「やはりすぐに満席になるな」
「そうなんですよ。この時間なら外にテーブルを出しても大丈夫かもしれませんけど。そこまで寒くないので」
「天気のいい日だけですけどね」
「だが席を増やしすぎても店を回すのが難しいだろう。勝手にエールを注いでいって飲むくらいならいいが」

 当初の予定よりもかなり席数を増やした。一方で厨房から見えない個室は今も開けていない。店外にテーブルを置いても見えないから、やはり外にテーブルを置くことはしていない。

 下手に客席を増やすと調理の方が追いつかなくなる可能性があるが、店内はすぐに満席になって入れなくなる。それならもう一軒くらい作ってもいいのか。それなら誰か店をやりたい者に任せるか。

 ……ん? 寒い……寒い……何か思い出しそうな気が…………ああ、そうだ。城の風呂を見たときに、農民たちの家の近くに温泉を作れればいいと思ったことがあったな。温泉ではなく大衆浴場というものか。その横にでももう一つ酒場を作るか、それとも酒場のある宿屋を作って、その横に大衆浴場をくっつけるか。トンネルが完成したら人が来る……かもしれないから宿屋は必要だ。宿屋のことを忘れていた。

 作るとすれば酒場のある宿屋だろうだな。連れ込み宿ではなく普通の宿屋で酒場を備えたものだ。その横に大衆浴場を作る。飲んでから風呂に入れば酔いが回ることがあるので危険だが、汗を落としてから飲みに来ればいいだろう。そうだな、そうするか。

「そろそろ宿屋を作らなければならないが、宿屋に酒場を作って、そこで食事ができるようにしよう」
「ああ、それなら酔っ払ったうちの主人を部屋の放り込めばいいんですね」
「使い方は任せるが、部屋を使うなら金が必要だぞ。宿屋だからな」
「じゃあ外に放り出して終わりです」

 まあ夫婦仲が良好だから言える冗談だが、まあそういう使い方もできなくはないか。どうせ宿屋は必要だから、酒場を兼ねた方がいい。だが……

「誰か宿屋に詳しい者はいるか?」

 とりあえず周りに聞いてみる。みんなが首を横に振る。少なくとも俺は詳しくない。泊まったことはあるが。

「泊まったことも見たこともないですね」
「ハイデにはなかったからですね」
「王都では路上生活でしたから宿屋なんてとてもとても」
「生活するだけでギリギリでしたね。給料が安かったので」

 俺の質問にはあちこちから返事が返ってきたが、そもそもハイデには宿屋はなかった。王都の貧民街スラムにいた者たちは路上か掘っ立て小屋で寝泊まりしていた。職人たちも生活にそれほど余裕はなかったようだ。

「私は料理は作っていましたが、店は母が取り仕切っていました。特に上については関わらないように言われていましたので、料理以外はまったく……」

 アンゲリカにも聞いてみるとそのように返ってきた。酒場の部分だけならアンゲリカの店とそれほど変わらない。だが宿の部分をどのようにしているか、ハイデには宿屋はなかったから俺にもよく分からない。

「客が泊まる部屋は用意することになる。浴槽を用意するかどうかはともかく、体を洗う場所はあってもいいだろう。シーツなどを洗う洗濯場は必要だろうし、シーツの換えを置いておく場所も必要だ。部屋数が多ければそれなりの量になるだろう。他に何が必要だ?」

 要するに、客として使う部分はまだ分かるが、それ以外となるとここにいる誰にも分からない状態だった。適度な大きさの建物でとりあえず始めてもいいが、すぐに改築する必要が出ても困る。それなら最初からきちんとした建物を用意すべきだろう。

「一度持ち帰って検討する。とりあえず食事ができる店はもう一つは増やそう。とりあえず年内にできるのはそれくらいだと思ってくれ」
「期待してます」

 宿屋と言えば、エクセンの白鳥亭か。あそこに相談に乗ってもらえれば一番だな。
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