ドラゴネット興隆記

椎井瑛弥

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第二章:領主二年目第一部

旧友来訪

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「失礼いたします」

 従僕のアントンと仕事の打ち合わせをしていると、あまりこの部屋には来ない庭師のマティアスが入ってきた。

 庭師は庭に植えた花の世話をしたり、それを部屋に飾ったりするのが主な仕事だが、来客があれば案内するのも仕事の一つだ。だが客は来ないからその仕事は今のところはない。

「エルマー様、お知り合いだという方々がお見えです」
「知り合い?」

 そろそも俺には知り合いが少ない上に、俺がここにいることを知って尋ねてくるような知り合いは……エクムント殿の紹介か? 前に頼んだからな。

「ブルーノとライナーと名乗っておられます。この城を見上げたまま固まっていたようですので声をおかけしました」
「ああ、あいつらか。軍学校の同期たちだ。呼んでくれ」
「かしこまりました」



◆ ◆ ◆



「よっ、久しぶり」
「元気でしたか?」

 やってきたのは軍学校で同期だったブルーノとライナー。気弱な文官志望の学生のうちの二人だ。あれからそれなりに年数が経っているので、あの頃の気弱さはなくなったようだ。あの頃は追い詰められたような顔をしていたからなあ。

 ブルーノは小柄で、ライナーはひょろっと背が高い。馬に跨って剣を振るうことが似合わない二人だ。アントンがお茶を淹れてくれたので、仕事は中断することにする。

「それはこっちの言葉だろう。あれから無事にやっていたのか?」
「無事かどうかは分からないけど、元気なのは元気だったよ。でも適当にやっていたら家を追い出された。だから俺は剣を持って戦うのは苦手だと言ってるのに!」
「僕の方も似たようなものです。追い出されたわけではありませんが、どうしても居心地が悪くて」

 二人とも貴族の息子だ。だが実家を出たようなので貴族ではなくなり、それぞれブルーノ・ジーベル、ライナー・アルトマンという家名持ちの平民という扱いになる。

「それでこっちで仕官できないかどうかと思ってね」
「僕はブルーノに引っ張ってこられた感じですけど」

 ライナーが苦笑しながらそう言った。

「ここまで来て断られるとは考えなかったのか?」
「拝み倒したらいけるんじゃないかと思って」
「たぶん人手が足りないだろうと考えました」

 この二人は性格は全然違うのにいつも一緒にいた。ちなみに落とし穴に落としてほしいと頼んできたのはブルーノだ。あの頃はここまで調子は良くなかった気がする。たしか実戦訓練の前に、敵軍に入っているブルーノから声をかけられたのが始まりだった。



◆ ◆ ◆



「なあ」

 いきなり声をかけられたから一瞬身構えた。

「ん? ああ、ブルーノか。何かあったのか?」
「折り入って頼みがあるんだけど」

 俺に声をかけてくるやつは少ない。しかもこれまでそれほど縁がなかったやつが急に話しかけてきたからなおさらだ。さすがに顔と名前くらいは覚えているが、きちんと話したことはなかった。だが顔を見ると喧嘩を売っている訳でもなさそうだ。

「今回の実戦訓練だけど、お前って土魔法が得意だろ? 俺を真っ先に穴に落としてくれないかなって思って」
「穴に落とすって、前にやったやつか?」

 俺は何回か落とし穴を掘って敵軍を落としている。そればっかりだと警戒されるので、違う罠も色々と用意しているが。

「そうそう、あれを後ろから見ていて思ったんだけど、真っ先に落ちてしまえばそれ以上痛い思いをしなくてもいいと思った」
「……珍しいことを考えるんだな」
「怪我をしたくないんだよ」
「ならどうしてこの学校に入ったんだ?」
「別に入りたくて入った訳じゃないんだよ」

 ここは軍学校だ。ここにいるのは役人を目指す学生じゃなく、軍の指揮官を目指す学生だ。ブルーノの言葉は軍学校の意義を完全に否定していた。

 ブルーノはプロヴェッツ子爵の四男だか五男だかで、父親の意向でこの軍学校に入学させられたらしい。本人は戦いにはまったく向いていないと自分で言っている。弓矢で動物を仕留めるのはできても、剣を持って人に斬りかかるのは怖くてできないと。

「落とし穴に落ちたらそのまま訓練が終わるまでそこにいるか、できれば穴の中から徽章バッジを渡してさっさと離れたいんだ。何とかできない?」
「穴に落とすのはできなくはないが、それでいいのか?」
「いいんだよ。怪我をするよりはずっとマシだ。勉強の方は得意だから、実戦訓練が赤点でもそっちで挽回できる」
「分かった。それなら方法を考えておく。俺も狙ってやるのは初めてだから、失敗するかもしれないぞ」
「そこは失敗しないように頑張ってくれると嬉しい」



◆ ◆ ◆



 そんなやりとりが最初だったはずだ。それから立て続けにブルーノを落とし穴に落とすと、それを見た他の文官志望の学生たちがブルーノに話を聞きに行き、そこから俺に相談に来た。あいつら勝手に「落とし穴はまり隊」とか呼んでいたな。

 落とし穴に落ちたからといって危険がないわけでもない。落ちた瞬間に頭を踏まれることもあるからだ。下手に軍靴で踏み付けられたらコブができるどころじゃ済まない。頭の骨が砕けたり首が折れたりする可能性もある。だから落とし穴に落ちた瞬間に頭を庇う。そのためにみんな頑丈な丸盾を手に持つようになった。

 そこまでして怪我をしたくないなら実戦訓練に出なければいいと思うが、そうすると授業を受けていないと見なされて実家の方に連絡が行く。そうすると帰ったときに怒られる。下手をすれば退学させられる。まあそういう理由だろう。

 教師たちも最初は気にしていなかったが、ある女性教師が「盾を頑丈にするのではなくて、軽い木をこのように重ねた方が衝撃を吸収してくれますよ」と、より軽くて扱いやすい、頭を保護するための盾を作って見せてくれた。それ以降はいかに怪我をしないようにするかを教師の側でも積極的に考えるようになったらしい、というのは当時教師たちの話し合いに潜り込んでいたブルーノが教えてくれた。

 在学中に教師たちに言われたことだが、学生が大怪我をするのが教師にとっては一番怖いそうだ。特に大貴族の息子に関しては。ある意味ではブルーノのあの言葉が軍学校の転換点になったのかもしれない。

「正直なところ、まったく人手が足りていない。来てくれて助かったというのが本音だ」
「それなら決まりだね」
「よろしくお願いします」
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