ドラゴネット興隆記

椎井瑛弥

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第一章:領主一年目

快適さとは

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 さて、人が生活を始めれば避けられない問題がある。トイレを含むごみの問題だ。ハイデでは家のトイレは汲み取り式だった。それを深い穴に放り込んで上から土を放り込んで埋めた。家から出たごみは、掘った穴に放り込んで焼いていた。ここでは台所で使った水などは水路を使って堀の下流に流し、それ以外は同じにしようかと思ったところ、人生の先達せんだつから助言をいただいた。

と呼ばれる生き物がいます。糞や死骸などを分解してくれるので、活用してみては?」
「それはこのあたりにもいるのか?」
「このあたりにはいないようですが、あの山の方にはいます。こういう生き物ですね」

 パウラが手に乗せて見せてくれたのは薄い緑色をした不定形の生き物で、地面をスルスルと移動しながら生き物の糞や死骸を求めて動き回るそうだ。基本的に何でも溶かして食べるが、生きているものは食べない。あの山の家にもいたらしい。

「そういう生き物がいるということは聞いたことはあるが、見たのはこれは初めてだ」
「非常に存在感の薄い生き物です。森の中の水たまりに隠れていれば気付きません。葉っぱの裏とかにもいますね」
「パウラは強いのに弱い生き物にも詳しいんだな」
「鱗の隙間に入ってくれますから助かりますね」

 クラースもパウラも今でこそカレンに合わせて人の姿が多いが、あくまで人の姿は仮の姿で、町にいないときは人の姿よりは竜の姿の方が圧倒的に多いそうだ。カレンが人の姿になれたのは俺に会った少し前で、それまでは二人とも大半が竜の姿だった。

 竜は地上最強の生き物だと言われているが、だからと言って何でもできるかと言うとそうでもない。体が大きすぎるからだ。それに竜の姿のままでは背中に手が届かない。そういうときに森の掃除屋が鱗の隙間に入って掃除してくれるそうだ。

 竜の姿で寝ていると小動物や虫などが寄ってきて鱗の隙間に入ることもある。それが体を動かしたときなどにそのまま鱗の間で潰れて死ぬことがよくあるそうだ。そのような死骸は人の姿に戻れば勝手に落ちるが、寝ていて気付かず、そのまま鱗の隙間で干からびたり腐ったりすることもある。気付いたとしてもわざわざ気持ちよく寝ていたのに人の姿になってまた寝直すのも面倒だ。だから森の掃除屋を常に飼っていて、掃除をしてもらうと。

「生活で出た水も含めて下水に流してみてはどうでしょう。もう少し早く気付いて言った方が良かったですね。久しぶりの人里だったもので、思い出すのに時間がかかりました」
「いや、今からでも十分だ。一部を変更するだけだからな。とりあえず棟梁たちに説明して、それから山へ探しに行くか。カレン、後で運んでくれるか?」
「いいわよ。いっぱい捕まえましょ」

 棟梁たちには、水路を下水に変更するために少し深めにして蓋をすること、そして出口に近いあたりに一度溜め、そこに森の掃除屋を使った浄化の仕組みを使うことを伝えた。変更点としては、トイレの汲み取り場所を作らずにそのまま下水へと繋げるため、それ専用の管を用意することにした。そのためにトイレは使い終わったら必ず水を流すことになるが、臭いも上がってこないからその方がいいだろう。



 棟梁たちに連絡すると、今度は北の山の近くまでカレンに[転移]で運んでもらい、それから山裾を歩いて森の掃除屋を集めることにした。

 森の掃除屋の探し方だが、意外に簡単だった。糞や死骸を餌にしているそうだから、地面に肉の切れ端を置いておけば勝手に寄ってくる。あまり知能は高くないようで、そのまま肉ごと樽に次々と放り込んだ。ただ見た目はあまり良くないな。一匹一匹は手のひらに乗るくらいだが、数が増えれば得体の知れない物体になる。

 しかしこんなに簡単に見つかるのに、ハイデでも王都でも見なかった。魔獣に関する本で読んだことがあるくらいだ。

「魔力が多い場所が好きなのかもね」
「魔力か……。この山には三人が暮らしていたから魔力が多いんだろうな。魔獣も多いしなあ」

 そんなことを呑気に話しているが、俺が森の掃除屋を捕まえている間、カレンは俺のところに魔獣が近づかないようにしてくれている。

 そこまで危険なものはいないが、熊と猪が多いようだ。猪の肉はまだ癖が少なくて焼いただけでも美味いが、熊は少し硬くてかなり癖があるから煮込みに向いている。猪肉なら香草で消えるが、熊肉の臭みを消すにはワインを少し振りかけて置いておけば……いや、食に目覚めたわけじゃないんだが、王都からマーロー男爵領へ移動するときに美味いものを口にする機会があったのと、それと以前よりも食事量が増えたことも関係している。理由は分かるだろう。体力維持のためだ。

 一方でカレンの食事量はやや減っただろうか。最初の頃は何にでも興味があって、初めて食べる料理も楽しかったんだろう。俺の倍以上は食べていたが、今は俺と変わらないくらいになった。妻の食事で家が傾くほど金がないわけじゃない。そもそも屋敷は完成していないから傾きようがない。

「でもそれだけいると気持ちが悪いわね」
「まとめて見るものじゃないんだろうな」

 掴んでは放り込み掴んでは放り込みとやっていたら、いつの間にか樽が六つになった。すべての樽の中には薄緑色のグネグネと動く物体、そしてそれらが食いついている肉。食らいつくと言うか絡みついて溶かすと言うか。溶かす速度はそれなりだ。肉を持って手を入れても手は溶かされない。不思議な感触がする。

「どれくらいいればいいのか聞くのを忘れたが、分かるか?」
「ううん。私は飼ってるわけじゃないから」
「じゃあとりあえずこれくらいで帰るか……あ、いや、しまったな。この樽をどうやって持って帰るか」

 うっかり帰りのことまで考えていなかった。カレンに何度か[転移]で往復してもらうしかないか。

「[収納]で入らないの?」
「俺のは生き物は入らない——いや、入ったな。なぜだ?」
「生き物じゃないんじゃない?」
「でも動いてたぞ」

 俺が[収納]で物を入れておく異空間には生き物は入らない。人も馬も入れようとしても無理だった。

 物を収納する魔法はいくつかある。俺が使っているのは触ることによって物を異空間に移動させるものだ。それ以外には出入り口を作って人が出入りできるものもあるらしい。それは非常に難易度が高いので俺には無理だ。

 異空間には時間が止まるものと止まらないものもある。俺のは生き物は入らないが時間は止まる。だから中に入れた食料が腐らないという利点がある。生き物が入れられれば、馬で移動するときに便利なんだけどな。

 [収納]で仕舞ってある荷物は頭の中で把握できる。その横、通常の荷物とは違うところに森の掃除屋たちがいるのが分かる。その樽を意識して外に出す。

 取り出した樽の中を確認したが、中にいた森の掃除屋たちは元気だった。

「上達したんじゃないの?」
「まあここしばらくよく使ったからなあ」
「私は入る?」
「危なくないか?」
「その子たちでも無事だったんだから私も大丈夫でしょ? やってみてよ」
「まあそこまで言うなら……」

 もしカレンに何かあれば後悔するしかないが、ここまでせがまれるとな。それに俺や森の掃除屋たちよりもよっぽど強いから大丈夫だろうと思いたい。

「じゃあ入れるぞ」
「どうぞ。少ししたら手を振るから出して」
「分かった。苦しかったらすぐに言えよ」

 カレンの頭に触るとその姿が消えた。入ったな。頭の中で異空間を意識すると、やはり普通の荷物とは違うところにカレンがいるのが分かる。歩いたり走ったりしているようだ。しばらくすると立ち止まって上を向いて手を振り始めた。これが合図か? 今度はカレンを意識して外に出す。外に出たカレンは眩しいのか、目をパチパチしている。

「無事でよかった。中はどうだった」
「息はできたわ。地面があって薄ぼんやりとした場所ね。日が暮れかけた感じかしら。居心地は悪くなかったわね。今度は竜に戻るから、それで入るか試してみて」
「今の今で大丈夫か?」
「大丈夫よ。また手を振るから、そしたら出して」

 今度は竜になったカレンに触れて[収納]を使った。入ったな。カレンの大きさでも大丈夫か。

 カレンは……飛ぼうとしているのか? ウロウロしているようだが……手を振ったな。

「ふうぅ。ただいま」
「お帰り。竜の姿ではどうだった?」
「そこまで広くないわね。一応動けることは動けたけど、飛ぼうとしてもつっかえて無理だったわ。縦横高さ、私の頭から尻尾の先までの二倍はないくらいね。一・五倍くらいかしら。

 なるほど。五〇メートルくらいか。かなり入りそうだな。

「でも妙に居心地が良かったわ。なんていうか、卵の中にいた感じ?」
「俺は卵から生まれたわけじゃないから分からないが、人なら母親の腹の中にいるのはそういう感じがするのかもな」
「そんな感じかも。人の姿よりも竜の姿の方が気分が良かったわ。昼寝をするのにいいかもね」
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