ドラゴネット興隆記

椎井瑛弥

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序章と果てしない回想

そして王城を出る

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 俺たちは戦場から真っ先に戻ってきたが、あれからも戦場では色々とあったようだ。だがそれもすべて終わったようだ。俺は親衛隊長としての役割を十分に果たしたとして、あらためて爵位を与えられることになったが、その際のやり取りが宮内省でのだ。

 これまでエクディン準男爵領で領主代行という中途半端な立場だったが、今後は世襲の男爵であるノルト男爵となる。ただし今の土地は男爵領には見合わないので、もっと広い領地を別に用意する。エクディン準男爵領は年内で廃止になり地図から消える。

 来年から三年間は税を免除し、四年目以降は納めること。年内に新しい領地に向かうこと。そのため今年の税も免除する。現在の領民は新しい領地へそのまま連れて行ってもいい。王都の屋敷はそのまま新しい男爵の屋敷にしてもいい。支度金として金貨五〇〇枚、恩賞として金貨五〇〇枚、小麦二五〇袋、大麦二五〇袋を与える。

 前半部分を初めて聞いたときは怒りのあまり、宮内省の次官だか次長だか、そもそも名前すら忘れたが、あの頭を叩き潰したくなった。だが落ち着いて考えてみれば、殿下がかなり口添えしてくれたことが分かる。

 優しいのか厳しいのかよく分からない内容になっているが、優しいのは殿下の口添えがあったからで、厳しいのはおそらく嫌がらせのせいだろう。税の免除はありがたいし、今後を考えれば金や麦はいくらあってもいい。かなり気前がいいように見えるが、大公派の貴族たち持っていた莫大な財産がまとめて差し押さえられ、その一部がこちらに回ってくることになっただけだと話には聞いている。しかし領民をそのまま連れて行くにはあの土地はなあ……。

 俺も話に聞いたことしかないんだが、新しく与えられたノルト男爵領の場所はこの国の一番北。『北の荒野』や『死の大地』などと呼ばれることもある、早い話が誰も住んでいない土地で、少なくとも町や村はないはずだ。これまで一番北だったのはマーロー男爵領。そのさらに北が全て領地になる。

 マーロー男爵領の北にある山を越えた向こう側は盆地になっているそうで、その盆地の北側にはまるで天まで届く壁のようにそびえ立つ山があり、危険な魔獣も多いそうだ。いきなり領民を連れて行っても魔獣に食われるか飢えて死ぬだけだろう。一度調べに行く必要があるな。



「エルマー殿、先ほどからずっと立ち止まってどうされました?」
「え? ああ、エクムント殿」

 この二週間で顔見知りになった役人に話しかけられて我に返った。どうやら廊下の端で壁を見ながらぼうっとしていたようだ。

「これは失礼。つい考え事をしていました。ちなみにどれくらい突っ立っていたか分かりますか?」
「私が先ほど見かけてから戻ってくるまで……そうですね、鐘が鳴って、その次の鐘はまだですね。半時間は経ったと思いますよ」
「声をかけてくれてもよかったのですが」
「それが……かなり近寄りがたい雰囲気でしたので。まあ今回の件で疲れたのでしょう。も仕留めたようですので、しばらくゆっくりされたらいいでしょう」
「いえ、本当に私がしたのではないと何度も言っていますが」
「相変わらず謙虚ですね」

 彼は財務系の役人だ。大公派ではないようで、俺が半軟禁状態になっている間に様々な情報を伝えてくれた。どうやらヒキガエルフロッシュゲロー伯爵をどさくさに紛れて射殺いころしたのは俺だと思っているらしい。俺がそれを否定しているのがむしろ真実味を出しているとか。殺ったと言えば「やはり」と言われるだろうし、殺っていないと言っても「またまた謙遜して」と言われる始末。一体どうしろと……。

 それにしてもこれまで色々とあったなあ。しかし、そろそろ現実に戻って新しい領地について考えないといけないな。



◆ ◆ ◆



「エルマー」

 王城から出ようと通路を歩いていると殿下から声がかけられた。

「殿下、その後は問題ありませんか?」
「ああ、城の中はこのオスカーが付いているから大丈夫だ」
「城内では何があっても私がお守りいたします」

 オスカーは背の高い偉丈夫で、城内では護衛として常に殿下に付き従っている。殿下が信用できるというなら問題ないだろう。

「今回はすまなかった。叔父の配下の中で、処分されなかった者たちがまだあちこちにいて、お前に嫌がらせをするために余計な根回しをしたようだ。網に引っかからなかったような下っ端ばかりだが、数がいるからどうしようもないらしい」
「頭を下げないでください。領地の件は最初は驚きましたし腹も立ちましたが、考えようによっては大出世です。そう言えば、ロルフとハインツ、それにヴァルターは元気ですか?」
「ああ、もう王都は去ったと思うが元気だったぞ。あの三人は一度郷里へ帰ると言っていた。お前があの北の土地を与えられたことは伝えておいた。いずれは連絡があるかもしれないな」

 実はあれからその三人には会えていない。ここ二週間ほど俺には彼らがどこにいるか分からなかった。三人が元気にしているかと殿下に聞いたのは、無事を確認するためだった。

 俺の場合は[収納]で異空間に水も食料も入れてあるので、一か月だろう二か月だろうが食事を与えられなくてもなんかとなる。軍病院に入ったヴァルターもまず大丈夫だろうが、王城にいたロルフとハインツの二人はおそらく出された食事は口にしただろうし、もしそこに毒が入っていれば……ということだ。すでに帰郷したという話だから、おそらく無事だったんだろう。生きてさえいれば、いつかきっとどこかで会えるはずだ。

「少し遠いので、なかなか会えないとは思いますが、機会があれば王都でもどこでも構いませんので、また会いたいものです」
「私もそうだ。あの三人だけではなく、他に世話になった者たちにも金だけは十分に渡せたと思う。それでだ、私にできることがあれば言ってほしい。私個人からは礼ができていないからな」
「殿下、ありがとうございます。それでは一つだけ。ハイデの領主邸に連絡をお願いできますか?」



 殿下には実家へ手紙を配達をお願いした。使いっ走りのようなことを頼むのは気が引けたが、ハイデに戻ってから北に行くのは時間の無駄だ。それに考えすぎかもしれないが、俺ではない何者かが俺の名前で余計なことを伝えている可能性もある。殿下の名前で俺の言葉が伝えられれば、さすがにそれは信じてくれるだろう。

 手紙は実家にいる家令のハンスに宛てたもので、来年にはエクディン準男爵領が廃止されること、俺がノルト男爵になったこと、移住を希望する領民は秋の収穫後に移動できるように準備すること、まず俺が一人でその土地に向かって移住のための下調べをすること、そして移住を希望しない者たちへの対応も含めて細かいことは全てハンスに任せること、そのようなことを記した。

 とりあえず新しい領地を自分の目で確かめてみないことには何もできない。土地がどれだけ肥えているのか痩せているのか、乾燥しているのか湿気が多いのか。木が多いのか少ないのか。川がはあるのかないのか。魔獣が多いのか少ないのか。肉が取れる獣がどれくらいいるのか。

 領民は連れて行ってもいいということだが、もちろん全員が行くとはさすがの俺も思っていない。半分くらい残ってくれればいいんだが、それもどうなることやら。

 これから向かう先は『北の荒野』や『死の大地』などと呼ばれているが、国が使っていないのは間違いない。マーロー男爵領から山を一つ越えなければ辿り着けないとなると、物を運ぶのも大変だ。とりあえず一度北に行って、お隣になるマーロー男爵に会って話をしなければならない。



 王城を出ながら考える。この二週間も退屈には程遠かった。俺は軍学校時代、殿下に心配をかけないようにするため、普段からできる限り平静を装っていたが、毒を盛られることは日常茶飯事だった。おかげで半年くらい経った頃には毒に対する耐性もできた。今回の軟禁の件でも、俺は殿下が気にしすぎないように毒のことは一言も口にしていない。

 殿下は優しい。甘いとも言えるだろう。俺のことを自分のことのように気にしてしまう。他人を思いやることができるというのは一種の才能だと思うが、必要以上に気にすれば疲れるだけだろう。殿下は俺にとっては主君であり、軍学校の同期であり、少し頼りない弟のような存在だ。あの方にあまり負担をかけたくはない。

 このまま時が経てば、いずれは王になるだろう。そうなれば十分苦労を背負い込むはずだから、それまではできる限り穏やかに過ごしてほしいと思う。そう考える俺もずいぶんと甘いんだろうな。
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