ドラゴネット興隆記

椎井瑛弥

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第一章:領主一年目

王都の屋敷

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 王城は湖の中の小島に建てられている。門からは真っ直ぐに湖の向こう側まで橋が伸びていて、夕日が差し込むと非常に美しいのだとか。たしかに見た目はそうだろうな。中は真っ黒に近いが。その王城を離れて屋敷に向かう。

 父は僻地に領地を持つ準男爵だったが、それでも王都に屋敷くらいは持っていた。場所も王都の外れに近く、貴族の屋敷というには恥ずかしい限りのみすぼらしさだが。例によってなかなか土地を買うことができず、唯一買うことができたのがこの場所だったそうだ。

 軍学校時代はここから通っていたが、今ではここに来るのはせいぜい年に数度。使用人は一人もいないので、隣の教会でシスターをしているエルザに管理を頼んでいる。

 この屋敷のすぐ横には小さな教会と孤児院がある。運営費は寄付でまかなわれているが、寄付をしているのはうちくらじゃないだろうか。経営は大変だろう。これまでは大した金額を渡せていなかったが、今回はまとまった金が手に入ったので、ようやく十分な金額を渡すことができる。

 玄関に立つと、奥からエルザが現れた。

「エルマー様、ご無事でしたか?」
「ああ、なんとか無事に帰ってきた」

 出迎えてくれたのはこの教会でシスターをしているエルザ。この教会には司祭がいないので、働いているのは彼女しかいない。場所が場所だからか、この教会にはなかなか長期で働いてくれる司祭がいなかったそうだ。教会には孤児院が併設されていて、彼女は孤児たちの面倒も見ている。俺と同い年なのに立派だな。

 少々すぎるところがあるが、俺にとってはなくてはならない女だろう。お互いの立場上、ずっと一緒にいることはできないが、あの頃は文字通りいつも一緒だった。

「しばらくこっちに来るのが無理かもしれないから、まとめて金を渡しておこう」
「いつもありがとうございます……って多いですよ⁉」
「だからまとめてだ。それで先に話すが、今後はどうなるか分からない」
「どうなるか分からないとは、何かあるのですか?」
「ああ、まず男爵になった」
「それはおめでとうございます!」
「だが別の領地を与えられて、その領地をこれから開拓することになる」
「か、開拓ですか⁉」

 そう驚くのが普通だろう。領地が与えられる場合、すでに存在する町がそれまでの領地から切り離されて、その町の領主になることがほとんどだ。与えられる領地がないのならまだしも。

「とりあえず食事の準備をしますね。そのときに話を聞かせてください」
「ああ、分かった。だが、子供たちはいいのか?」
「はい、大丈夫です。アルマがよく面倒を見てくれていますので、最近は暇を持て余すようになりました」

 そう言うと、エルザはパタパタと走り去った。

 孤児たちは今は七、八人くらいはいたはずだ。下は一〇歳くらいで、さっき名前の出たアルマが一番上になっていたはずだ。

 王都での孤児について聞いたところでは、赤ん坊のときに捨てられた子供は意外に少ないそうだ。王都にはそれなりに金を持った者が集まっているから、子供を育てられないから捨てるというのは少ない。そういうのは中堅都市の方が多いそうだ。王都の場合は親を失って生活に困るようになったと子供が多い。

 親に十分な蓄えがあった場合は問題ない。もしなければどうなるか。しばらくすれば金がなくなるだろう。売れるものは売って金に変えても、その金もいずれは尽きる。もし家を借りているならそこで追い出されるだろう。持ち家だとしても、小さな子供に家だけあってもどうしようもないだろう。そうして困って辿り着くのが孤児院か貧民街スラムだ。

 親を失って自分から孤児院を訪ねる場合もあるし、他人に勧められて訪れる場合もある。孤児院には細かな決まりもあるので、それが嫌なら路上で生活するしかない。

 エルザが管理している孤児院は教会の一部で、ここにいれば食事と寝る場所だけは与えられる。その間に孤児たちは読み書き計算や針仕事などを学ぶことになる。

 王都で男が仕事を探すなら、やはり力仕事が多いだろう。女なら針仕事が中心になるだろうが、そうでなければ体を売るくらいしか仕事はない。店の数は多いが、読み書き計算ができないのに店員は務まらない。

 できなくてもなんとかなるのは酒場の女給くらいだ。注文を受けて厨房に伝えるくらいなら字が書けなくてもできる。だから女給はほとんどが娼婦を兼ねている。

 だが読み書き計算ができれば仕事の幅は一気に広がるし、俺が言うのも変な話だが、言葉遣いも重要だ。誰だって雇うなら言葉遣いが悪いやつよりも礼儀正しいやつの方がいいだろう。

 そんなことを考えていると、厨房の方から香草の香りが漂ってきた。



「それで、何があったのですか?」

 久しぶりにのんびりとした食事を取りながら、エルザに経緯を話すことにした。

「そうだなあ……大雑把に言うと、大公派に狙われていた殿下を守って恩賞を与えられたんだが、大公派の残党からの嫌がらせを受けて僻地の貴族にさせられた、というところか。今でも十分僻地だが、それ以上だな」
「その残党というのは危険ではないのですか?」
「これも聞いた話だが、今後は締め付けを厳しくするらしいから、しばらくは保身に精一杯で俺に何かをしてくることもないだろうと。三下さんしたもいいところだが、念のために教会の方も気をつけてほしい。いざとなったらしばらくの間は知り合いのところに身を寄せてくれ。頼りにできる家は後で教える」
「分かりました」

 今回部下として戦ってくれた者の中で、ロルフとハインツは最初から最後まで殿下のために戦ってくれた。そして苦労はあっただろうが、働きに対して恥ずかしくないくらいの恩賞が与えられたようだ。特にロルフは俺と年が近いからだろうが、何かあれば王都の屋敷の方を頼ってほしいと言い残してくれたそうだ。

 ロルフの実家はペングン男爵家で、エクディン準男爵領よりもさらに南になる。うちが王都から東北東だとすれば、ペングン男爵領は東南東だ。領地がそのままなら遊びにでも行けたんだろうが、それは難しそうだ。今でも二、三週間はかかるからな。

 エルザは俺の初陣の話を聞きたがったので色々と話したが、話が進むにつれて微妙な顔になっていった。それはそうだろう。戦争が起きる理由なんてほとんどろくなものじゃないが、今回ほど飛び抜けてろくでもない理由で起こされた戦争はないはずだ。



 食事が終われば久しぶりに二人で酒を飲みながら話をする。誰に遠慮する必要もないのでエルザとの距離は近い。近いと言うかゼロだ。先ほど名前の出たアルマがたまにこちらに来たそうな顔をすることもあるが、一応貴族の屋敷だから、用事がなければ勝手に入ってくることはない。

「それで、その開拓する場所はどこなのでしょうか?」
「この国の一番北で、マーロー男爵領のさらに北だ。誰も踏み込まない場所だな」
「そんな場所に行かれるのですか?」
「まあ一度この目で確かめてみないとどうしようもない。開拓するのが難しそうなら、山を越えたすぐのあたりにでも頑丈な壁でも作って、その中でなんとかするしかない。山なら土地は斜面になってしまうが、土はそれなりに肥えているはずだ」
「無理はなさらないでくださいね」
「ああ、ありがとう。そうだ、この屋敷はそのまま新しい男爵の屋敷として使っていいそうだから、続けて管理を任せたい。頼めるか?」
「はい、お任せください。ところで、もちろん今夜一泊くらいはなさいますよね?」
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