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回想その1

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 私は、階段から転げ落ちて死んだ。

 友人にメールを打っていたら足を踏み外し、咄嗟に携帯電話を守ろうとしたせいで手すりを掴み損ねたところまでは覚えている。
 痛みは感じなかったので、即死だったのかもしれない。

 ああ。こんなことになるなら、せめてもう少し素敵なメールを送っておくんだった。

〈ヨウヨルの続編出るってほんとかな? だって妖魔王もリリファリアも死んだでしょ?〉

 享年25歳
 最後の言葉が『妖精王と踊る夜』という乙女ゲームの続編が出るかどうかだなんて、恥ずかしくて死にそうだ。

 …………死んでた。

 しかも素敵なメールなんて一文も思いつかないばかりか、送る相手すら浮かばない。

 なんとまあ儚く散った私の人生よ―ー
 若くして、こんなくだらないことで死ぬなんてーー
 哀れすぎる、もっとこういろいろたくさんやりたいことなどあったのにーー

 …………。

 待てど暮らせど。思い出や後悔が頭の中をグルグル回ったりしない。
 これはまさか、わが生涯に一片の悔いな……。

 いやあるよ。
 即座に浮かぶほど濃い想いはないかもしれないけど。

 …………。

 あるあるあるって絶対。
 私は、いたたまれない気持ちになりながら、走馬灯を自力でまわそうとした。

 回れよ回れ我が人生。今こそ回れ。

 呪文のように回れ回れと念じながら、必死に過去を辿る道筋を探したら、頭の中で車輪が回る軽快な音がしだした。
 私の人生を象徴しているのか、重みがまったくない、まるでプラスチックの車輪が猛スピードで回転しているかのような軽い音だ。

 …………。



 黄色いプラスチックの小さな車輪の中を小動物が必死に走っている。



 いやこれじゃないって。

 いつ思考が逸れたのか、丸々太ったハムスターが必死に車輪の中を走る姿を思い浮かべていた。

 もっと具体的なものに絞ろう。
 写真……とかどうだろう。昔よくアルバム見たよね。

 私は、遠い昔に見た、最初の数ページしか埋まっていないアルバムを思い起こした。



 太ったハムスターを頭の隅に追いやり、イメージした赤い革表紙を開いてみる。

 一つ目の写真は。

 仕事から帰って来た両親を出迎えに、玄関まで走り出て行ったところをパシャリ。左右位置がずれたツインテールは自分でやったような気がする。よほど飛び跳ねたのか、ぶれている。

 二ページ目は、遊園地に連れて行ってもらった写真が数枚。途中で両親が大喧嘩して、夕方になる前に帰ったやつだ。



 これは思い出しても楽しくないからやめておこう。次だ次。次々次……。



 がんがんめくっていたら幼稚園、小学校時代が終わった。
 中学時代の写真もこれと言って、学校で買った運動会とか修学旅行とかそんなのはあるが、印象に残ってるものはない。

 高校時代は、やっと出来た数少ない友人と遊んだりして。写真は撮ったかもしれないけれど、どこにあるかすらわからない。
 このころ、極力家に帰りたくなくて、かといって夜遊びする勇気もなく、時間を稼ぐために帰路はだいたい牛歩だった。

 いや。友人にすり足の練習でもしてるのかと真剣に問われたから遠回りに変えたんだっけ。

 高校を卒業してから、中古品買取店の裏方ーーだだっ広い倉庫で品物整理したり、写真撮ったりパソコン打ったり、割と一人もくもくと作業する仕事に就いた。
 大きくて広い会社なので、新しい出会いはたくさんあっただろうけれど。
 受け答えすると手が止まってしまうポンコツな私を気を遣ってみんな話しかけて来なくなり、いつの間にやら、まっすぐワンルームに帰る生活が定着した。

 一つ一つ考えていては間に合わない。けれどやることには責任が生じる。

 迷惑をかけないよう集中していると、人付き合いにまで手が回らないもどかしさといったらない。周りの人と同じスピードでやりたくて失敗して、怒られて怒られて。頭の中で飛び交う言葉やアイデアを無視するようになった。

 落ち込んで帰っても家には誰もいない。逃げ込む実家もない。
 両親は私が独り立ちした途端解散して、新たなパートナーとどこぞへ消えてしまった。

 ああ……私はいつから邪魔だったんだろう。
 二人にとっていつから……。

 …………。

 あ。なんかネガティブなことばかり思い出してる。最期の最期だっていうのに。

 違う違う。
 まったくもってつまらない人生だったってわけじゃない。
 ときどき友人と好きなアーティストのライブに行ったり、ちょっとした旅行に行ったり、映画を見に行ったり、ゲームしたりなどの楽しみはあった。

 楽しいこともいっぱいあった。すっごくあった。あったあった。

 よし。ちょっと気持ち浮上してきーー



『アンタの考えてることってわかりやすい』



 ふと高校時代友人に言われた言葉が浮かんだ。いや。聞こえた?



『だから私の前でまで無理して表情筋動かす必要ないんじゃない? まあ将来使わな過ぎて顔垂れてくるかもしれないけど』



 やっぱり聞こえた。
 だけじゃなく、映像が見える。
 さっき思い浮かべたハムスターが私を、もう一匹の小柄なハムスターが友人の役を演じた再現映像が……。



『えっそれは嫌だ』

『顔の運動したら?』

 友人ハムスターがもっちもちのほっぺを両手で持ち上げて上下左右に動かしながら、小さな口をモフモフ動かした。

『まあ……あれだよ。出来ないことを頑張るのもありだけどさ。何か別の方法を探すってのもありだと思うよ私は』

『え?』

『逃げてるって言われるの覚悟で。ってか一回逃げちゃえば?』

『ええ?』

 二匹のハムスターがもっちもっちやりながら話している姿はどこか微笑ましい。



 いや…………なんだこれ。
 これ走馬灯?
 だとしたらえっと……これも重要な記憶ってことだよね……えっと。

 そうだ。
 このときは確か、両親に、無表情だの、何考えてるかわからんだのと言われ続けてるって友達に相談して。
 そしたらこんなふうに言ってもらえて、誰か一人にでも、わかって貰えてるんだって思えて。

 すごく……嬉しかった。私、みんなと会えて良かった。えりな、みく、さっこ、よんよん……。

 私は、私と遊んでくれた、悩みを聞いてくれた、一緒に過ごしてくれた数少ないハム……友人に今すぐこの気持ちを伝えたくなって携帯電話をーー

 使えない。

 もう……何も伝えられないんだった。

 体がないのに、胸の奥でヒリヒリした痛みを感じた。

 ちょっとでも悲しんでくれるだろうか。泣いてくれるだろうか。ときどき思い出したりしてくれるだろうか。

 最近、みんな仕事が忙しかったり、結婚したりで会う機会が減っていた。
 ようやく休みが合って集合したとしても、私だけ話についていけなくて。

 必死に取り繕っていた。

 わかってくれた友達を前に自分を偽っていた。大切なはずの友達の幸せを素直に祝えない自分を隠すために、逃げちゃいけないものからも逃げていた。

 きっとみんな気付いてたと思う。だから疎遠になってたんだ。

 近頃。家に帰って一人になると、何とも言いようのない寂しさがに押しつぶされそうになっていた。

 好きな音楽を聞いても、ゲームをしても、バラエティを見ても、寂しさは波のように引いては寄せてを繰り返す。
 お風呂に入ると消えることもあるが、寝るまで続くことも間々ある。
 そんなときは、まさかのホームシックなのか、あるいはこれが結婚願望というものなのか、無性に家が欲しいと思ったりする。

 ただの家じゃない。家族が待つ家だ。高校まで暮らしてたあの家じゃない。私の家族が待つ家……。

 もうどこにも帰れないのかな。
 まさかこんな日に終わるなんて思わなかったな。

 誕生した日に死ぬなんて……どんな日でも死ぬなんて思ってないけどさ。
 今日は、いつもよりちょっとふわふわした気分で。帰りにどこかへ寄って、好きなモノを一つ買おうと決めていた。

 いいことが起きて欲しい日だったから。

 『あの人無表情で怖いんだよね。こっちは笑顔で話しかけてやってんのにさ』
 的な、同僚の会話が耳に入ってきて。

 わーーっとなって早退してしまった。

 誕生日って自分に甘くなる恐ろしい日だ。

 割とすぐに自分を取り戻し、やっぱり戻ろう……と思ったものの。気分がまだもやもやしていた。

 だから友達にメールをした。
 何か適当な会話をしてから、私誕生日なんだよ何かおくれよ~~とか我が儘でも言ってみようかと思って。
 でも我が儘言う前に……。

〈まだゲームとかしてるんだ。現実の男紹介しようか?〉

 何にも悪くない友人の返信が、とどめの一撃だった。

 私は、慌てた。
 適当に誤魔化しのメールを打とうとして、なんでか手が震えて上手く打てなくて、手から滑り落ちた携帯電話を拾おうと、階段上で無理な体勢を取り。

 転げ落ちた。

 あっという間に人生振り返って今ここです。
 なんて最期だよ。
 駄目だもう心折れそう。体中バッキバキに折れてるだろうけど。心もバッキバキです。

 あーーつけるものなら盛大にため息をつきたい。床をカラカラゴロゴロ転がって叫びまわりたい。発散したい。

 体があれば出来るのに。
 体……あそこだしなぁ。

 これが普通のことなのかはわからないが、私は死後、頭から血を流してピクリとも動かない私を、階段の上からじっと見ていた。
 体に戻ろうという心意気はあったが、まったくもって動けず。

 一時パニックに陥ったものの、割と長くこの状態が続いて、あまりにいたたまれず、死人っぽいことを思いつく限りやってみた次第だ。

 走馬灯。後悔。
 他に死んだ人は何をすればいいのか。どこへ行けばいいのか。

 すぐそこに見えているのに、私は私に近づけない。
 戻ろうとすればするほど、もう二度と前に進めないのだと思い知らされるばかり。
 
 だからといって後ろは嫌だし。横はなんか無意味な気がするし。そうするともはや上しかない。

 私は、お手上げとい言わんばかりに空に向かって手を伸ばそうとした。手……ないんだけども、そうしようと意識した。

 上いいじゃない。上見てれば涙だって零れないし。空は広いし。

 私は、必死に空を、その向こうのどこかに居る誰か。もしかしたら神様的な何かに、手を伸ばすイメージをし続けた。

 ここでこうしていたって、誰も助けてくれない。それはこの25年で嫌というほどわかっている。だから自分でなんとかするしかない。誰かに迷惑をかけることだけはしたくないのだ。

 もうどこでもいい。この動けない状態から脱せられればそれでーー
 
 景色がぶれた。

 っ!?

 ものすごいスピードで空が近づき、まさかの雲を突き抜け、それでもまだ止まらず、闇の中へ突入した。

 宇宙っ!?

 にしては光がない。ただの闇しかない。まさか地獄にっ。

 考えるや否や。突如目の前が光で一杯になった。

「っ!?」

 あまりの眩しさに胸が激しく脈打ち、おもいっきり息を吸い込んで叫ぼうとしたら、冷たい空気に肺を冷やされ、咳が出た。
 ゲホゲホと咳き込みながら目を瞬いていると、光量が徐々に減っていき―ー
 
「ん?」

 さっき居た場所とは違う。見覚えのない景色。いや、見覚えあり過ぎる光景が目の前に広がっていた。
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